人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

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  肉体労働を奴隷に譲り渡した奴隷制社会の自由民人は基本的にすることが無い。

  朝から晩まで、友達と集まって宴会をやる。食べて飲んで、げろをはいてまた食べて飲む。

  なまった体をスポーツで鍛えて次の戦争に備える。

  戦争に行って金銀財宝を奪い、新たな奴隷を獲得することが自由民の基本的任務である。

  火の使用

  人間を更に他の動物からの優位を確実なものにし肉体的精神的発達を加速させる。

  火で焼くことによってなま物の肉・野菜の消化を促進し、食料として利用できる幅を飛躍的に増加させた。
  火を利用して他の動物を撃退することが容易になった。

  火を照明器具として使うようになり闇を克服し、よるの一部を生活に活用できるようになった。
  火を暖房器具として利用し、衣服・住宅の改良とあいまって人間は居住地域を地球全土に拡大した。

<人間労働の歴史的考察 4 分業の原始的形態>   

  道具を生産する動物。

  言語を駆使する動物。

  発明することに喜びを持つ動物。

  採集生活から狩猟生活を経てきた人間は労働を喜びとする動物にまで発達してきた。

  そして他のあらゆる動物よりも優位性を持った動物として生活環境を自分の手で作り出した。住居の建設、衣類の製作。

  人間が増加して、労働の種類が多様化する中で、各分野で特殊に能力の優れたものが現れる。

  生まれつき特殊能力に優れたもの、後天的に特殊能力に興味を覚えて優れた資質をはっきするもの、この人たちが特殊能力を発揮することを専門的にする人々が現れる。

  分業の原始的形態が発生する。


<人間労働の歴史的考察 5 農業生産の始まり >   

  採集・狩猟生活から道具の発明と言語を発明した人間は対象認識がしっかりできる動物に発達していた。発明する動物に自己啓発していた。そして特殊能力に秀でたものが分業を担うようになった。

  そして次に人間が発見したものは残された植物から新たな芽が出て多くの生産物をもたらすと言う事実だった。一粒の豆を落としたところから数多くの豆が生まれた。一粒の麦から多くの麦ができた。

  人間はその豆を、麦を、お米を一部とっておけば安定した収穫が望めることが分かった。

  採集生活は農業生産に変わっていった。

  同時に狩猟生活は放牧・牧畜のほうが圧倒的に有利だと分かった。

  農業生産と放牧・牧畜が主要な生産形態に変わった。

  ここに安定した生産が可能になり人々は集落を大きくしていった。


<人間労働の歴史的考察 6 階級社会の形成 労働を蔑視化の発生>   

  農業生産が始まり、安定した生活が農業方式および社会生活の改善を更に促し、それがまた生産性の向上をもたらす。

  余剰生産が発生し、その生産物の帰属・分配をめぐって対立が生じると調停役が一種の特殊能力者による分業の一部であるかのように役割が固定化される。また部族間の争いが戦争技術の優れたもの、弁舌の巧みなものが指導者として社会の中心部を占めるようになる。

  ここに支配者と被支配者の分離が生じ、世襲的に支配者が固定されるとその周りの支配者の支持層が集まり出す。ここから支配階級と非支配階級の分離が始まる。

  支配階級は労働の現場から遠のき、被支配者のみが労働を行うようになる。

  ここに労働があたかも高等な人間が携わらないもの、携わっては行けないものであるかのように見られる現象が生じる。

  ここに労働をさげすみ、忌避する人々の発生を見る。


<人間労働の歴史的考察 7 奴隷制社会の誕生 労働忌避層の誕生>   

  被支配者の誕生と共に階級は更に分化し1番下に奴隷を置くようになる。

  肉体労働の1番苦しいものから奴隷が担うものになり、自由民は労働から離れていく。

  ここに肉体労働の忌避が完成する。

 
「なぜ、猫、犬、馬、牛、羊、狸、狐の四足動物は練習しなくても泳げるのに人間は練習しないと泳げないのか」

  木の登り・降り、枝から枝への跳び移りを重ねているうちに4足での活動よりも2足で立ちあがっての動作時間のほうが長くなる。起きて活動する時間の大半を直立で過ごすことが多くなった人間の足はからだ全体を支えるものとして大きくなる。手は木の実をつかみ、皮をむき、核をつかみ出し、枝を敏捷につかみ放せるように機能が高度化する。

  この役割分担はじょじょに地上に降りた際には2足で歩くことが多くなっていった。

  そして人間は起きているときは直立姿勢が当たり前、寝ているときは水平姿勢へと移行する。

  猫、犬も人間と同じく始めて水に入ったとき恐怖が募るはず、恐怖にかられて動物は本来の姿勢のまま、4つの足を必死にもがく、その必死にもがく姿勢そのものがいわゆる「犬かき」である。動物は「犬かき」の姿勢をとれば泳げる。狐も狸も「犬かき」をしているのである。人間も「犬かき」をすれば自然に泳げる。

  私は子供のころ千里浜という砂丘の最も近くで住んでいた。夏になると、毎日毎日くる日もくる日も海にいって遊んでいた。泳ぐでもないただボール遊びをする、貝を取ってそのまま刺身で食べる。あるいは火を起こして焚き火で焼いて食べる。とにかく何となく遊んで帰る。誰も水泳なんか教えない。水泳監視人もいない。子供たちだけで遊ぶ。それなのにいつのまにか泳げるようになっていたのは「犬かき」だった。跳び箱が跳べない。鉄棒の逆上がりができない。バレーボールがくると突き指をする上にうまく返せないからボールがこないことを願って遊びの輪に入っていた。バスケットをするとドリブルがうまくできない。そんな運動能力皆無の子供でも誰にも習わずいつのまにか「犬かき」ができるようになっていた。毎日浜で遊び、水に徐々に慣れていったからである。「犬かき」ができたらひとりでに平泳ぎ、クロール、背泳、立ち泳ぎと習わなくてもできていく。

  1番大切なのは人間の体は水に浮き、手足の動きをそれに連れてやれば前に動く、そして顔をつけていてもその姿勢を崩さなければいつでも呼吸ができて心配要らない、と言うことがわかることである。

  高校になって、水泳プールが新設された。高校2年になって初めて水泳が授業に取り入れられた。と言っても先生の指導も無くただ水で遊んでいるだけ。しかしテストはやった。50メートル泳げるものは単位をもらえる。2,3人を除いて全員合格。山手から来ている友人は3メートルとして泳げない。他の生徒全員注視する中、必死になって両手でもがく。しかし前に進まない。クロールをするつもりで両手を頭より高く上げ、体を垂直姿勢にしたままもがきぬく。かわいそうを通り越してあわれだった。体育の先生もどう水泳指導したら言いか分からず。友人たちも何もできずに終わった。とっても後味の悪い授業だった。新設の立派な水泳プールが泣きじゃくっていた。その涙で水泳プールは満々と水をたたえていた。
  結局数人の泳げない人は水泳の授業を受けたが水への恐怖心も克服できずに終わった。

  動物は恐怖心のまま、本来の姿で4足をばたばたするだけで泳げる。

  人間は進化して、2足歩行になったから、恐怖心が起っても四足歩行の姿勢を取れない。

  それにスポーツ競技で「犬かき」なんか見たことが無い。人間が動物の真似なんかできるものかと思っている。

  今から考えると「犬かき」を教えてあげたら、その先、平泳ぎ、クロールができただろうに。そして合格できたのにと思う。

  人間の2足歩行は「犬かき」=「泳ぎ」を忘れるほど進化した一つの証ではないでしょうか。

      

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