人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

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  <歩いて巡回しなくなった警察>

   子供のころよくおまわりさんに捕まった。無灯火の自転車運転で交番で調書を取られて、指紋を押させられた。自転車の2人乗りで止められて怒られた。どれもこれも本人は犯罪を犯したと言う意識は全く無いので、おまわりさんご苦労さんという気持ちだった。傘さし運転で注意された。悪いのはこっちで、こっちの命を思ってくれているから親と同じでなかなか直らないけど言われたことに反発する気は無かった。

   これで少しは無灯火はやめるようになったし、2人乗りはあまりしなくなった。高校生になると自分の命の大切さがよく分かって合羽を着て自転車に乗るようになった。特に中学2年から高校2年まで3年間やっていた乳酸菌飲料の配達では必ず合羽をしっかり着て自転車に乗った。

  おまわりさんの徒歩による巡回は確実に事故の激減に大きな貢献をしていた。
  私は犯罪を犯したことは全くないのであっけらかんとしているが、痴漢やこそ泥にとってはおまわりさんの存在そのものが重大な警告である。

  おまわりさんの巡回が行き届いているところは泥棒どもは怖くて近寄れない。

  また住民が声を掛け合う地区は隣近所の連絡が密で、よそ者がすぐあぶりだされるので、空き巣は声を掛け合う地区からは早々に退散すると聞いたことがある。

  私は道を歩いていて全員に挨拶をするようにしているが特に初めての人にはていねいに挨拶をしてその人の特徴を覚えるようにしている。万が一空き巣だと警戒して逃げるはずである。

  犯罪発生率が極めて低い社会的構造の基礎を成していたのが、交番制度と密接な関係を持っていた徒歩あるいは自転車での地域の巡回制度であったはずである。

  歩行者の速度で歩きつつ家の構造中身まで想像して歩くとき地域の人間関係がおまわりさん頭の中に整理される。出会う人毎に挨拶を交わすことによって地域の人間関係が生きた形で頭の中に定着する。

  ここ数年、町を歩き出して気付いたが、おまわりさんに全く会わない。
  
  一体あの徒歩で巡回していたおまわりさんはどこへ行ってしまったのか。自転車をこいでいるおまわりさんととんと出会わない。

  みんなパトカー乗務員になってしまった。歩行者目線を忘れて大雑把な住民の実態をつかまない巡回になってしまったのではないか。

  歩いて声を掛け合い、とまって話し合ってこそ地域が分かるはずである。

  そういう日本の警察の本来の交番を拠点にした活動が生きていたら、昨年末佐世保で起こったプールでの銃撃事件は未然に防げていた可能性が高い。

  先日、私の教室の1番近くのバス停で午後10過ぎ1人で待っている女性に若い男が近づき「タクシー代上げるからパンティーを脱いで頂戴」といったそうである。完全なセクハラ行為であり、痴漢になりかねない男である。

  こういう男の出没は警官が歩いて巡回していれば防げるだろう。おまわりさんが歩行者の目線で怪しげなものに声をかけると恐ろしくて徘徊できないだろう。パトカーの速度では物陰に隠れたら分からなくなる。

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    山のあなた  カール・ブッセ     上田敏訳 『海潮音』より



   山のあなたの空遠く  

             
   「幸(さいわい)」住むと人のいふ。


   噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、


   涙さしぐみ、かへりきぬ。


   山のあなたになほ遠く「幸(さいわい)」住むと人のいふ。


    

     Over the mountains


   Over the mountains,

   far to travel, people say,

   Happiness dwells.

   Alas, and I went,

   in the crowd of the others,

   and returned with a tear-stained face.

   Over the mountains,

   far to travel, people say,

   Happiness dwells.




   カール・ヘルマン・ブッセ(Carl Hermann Busse1872年11月12日 - 1918年12月4日)は、ドイツの詩人・作家。

   プロイセンのポーゼンに生まれ、新ロマン派に属した。ヘルマン・ヘッセの詩才を高く評価し、ヘッセの『詩集』を、自ら編集する「新進ドイツ抒情詩人」シリーズに加えている。

   日本では、上田敏が1905年(明治38年)に訳詩集『海潮音』に収めた「山のあなた(Über den Bergen)」で知られる。

   上田の名訳もあって「山のあなた」は国語教科書にもたびたび取り上げられた。

とくに冒頭の一節は、2代目三遊亭歌奴の新作落語『授業中』のネタにされたことから広く知られるようになり、ブッセの名はドイツよりも日本で有名、とも言われる。

なお、オトマール・シェック、アルバン・ベルク、下総皖一がこの詩による歌曲を作曲している(下総は上田敏訳による)。


<私の思い出>

  中学・高校時代北陸の曇天が嫌いだった。

  いつでも灰色の雲に覆われて陰鬱な青春を更に周りの環境がよどんだものにしているように思えた。

  この曇天を抜け出し、カラット晴れあがった表日本へ行けば素晴らしい未来が待ち受けてくれているように思えた。

  カール・ブッセのこの詩を「海潮音」で見つけて以来、いつでもこの歌は私の心の中で高鳴っていた。

  いまでも。

  やっぱり、まだまだ幸せお求めつづけたい。

  2008年3月26日                     藤井靖志

   <車道の雪で歩行者の邪魔をする県・市の除雪政策>

  雪が降ると、県・市当局は、車道をまず整備して、経済活動に支障をきたさないように務める。主要道路に大型ブルドーザーが入る。私の教室がある道路も県道のうちで除雪をしっかりやってもらえるありがたい道路である。
  
  ありがたがっておれるのは車道を使う人だけ。

  一本はいるわき道は全く除雪されない。歩行者はうまく歩けない。電動車椅子の人、シルバーカーの人にはまさに生き地獄のようなもの。10センチ足らずの雪でも3日間以上外出できないことがある。

  もっとひどいのは県道にかかる押しボタン式信号機のあるところ。
  
  ブルドーザーで路肩に寄せられた堅い雪がまともに横断歩道の両側に積み重ねられる。5センチぐらいの積雪でも、運の悪いときには2,30センチの壁になる。

  スコップを持っていって除雪をするにも力が要る。

  その前に県の土木部、市の土木部の無策振りに愛想が尽きる。

  私たちは、高い税金を払って歩く道をわざわざ歩けない道にしてもらっているのだ。

  県知事さん、市長さん、土木部の部長さん、あなた方は、私たちの税金を使って、わざわざ雪道をもっとひどい道に改悪されていらっしゃるのですよ。
  
  胸が痛みませんか。

  

  <歩行者が見えない車を運転する人々>

  数年前大雪が積もった。

  日曜に英語検定があって忙しくて、「一斉に雪かき」にお付き合いできなかった。

  それが根雪になって私の家の前のT字路は、雪の難所になってしまった。朝から昼までに3台の車が雪にはまってにっちもさっちも行かなくなった。3台の雪かき道具をもって救出に駆けつけた。市会議員さん、県会議員さんに泣きを入れたが、応援には来てくれなかった。町会長さんに電話しても予算が無い、の一言。市役所に電話してもだめ。結局、我が班だけで、臨時にお金を一戸ずつ徴収して、小さなブルドーザーを頼むことになった。

  その反省から、恒常的に予算を積み立てようということで班だけの「豪雪対策」の会合が開かれた。

  現職の市会議員さん、元大学教授、元会社社長さん、の錚々たる人々が集まって、我が班の人材の豊富なのに改めて嬉しくなった。残念なのは現職のお医者さん、元高校の理科の先生でプロ並の写真の腕前の写真家の方が見えない、ことだった。
 
  会議は現職の小学校の先生が議長で始まった。

  議題は無事に進行し、定額を集めて、積みたて班長の判断でブルドーザーを頼むことになった。

  実に建設的な意見でまとまった。

  ここで、もう1歩先を見たくて私は2点の提案をした。

  1.他の都市では市や町がもっと積極的に除雪をやっている。我々も市に要求はすべきだと思う。
  
  2.除雪するとき、歩行者が歩きやすいように、車の幅両側に1メートルずつ拡大して除雪する、という項目を入れて欲しい。幼児とお年寄り、車椅子の方でも歩ける町のしましょうよ。

   2点ともあっさり否決された。余裕がない、が理由である。

   みなさん、どなたも車に乗られる方ばかり。開いた口がふさがらなかった。

   それ以来、私は、4メートルの幅の道路を全部雪除けしている。我が家の前のT字路、隣の田んぼの前、向こうのT字路を空けている。

   幼児・小・中・高校生、お年寄りは人生で、誰でもが2度通る弱者の時代。この人々の絶対に安心できる社会を築かないで豊かな社会とは言えない。自力で歩くのが困難な方々の社会的弱者を守る社会を築かなければならない。

  <道路を1人占めして走る人々>

  雪が多いと朝早く床から抜け出し除雪をする。

  遠くに車を見かけると、通過時間を見計らって道路の脇によって、車様のお通りをお迎えし、お見送りする。除雪道具を立てて、直立姿勢で待つ。

  こうしていて、会釈していく人は2割から3割。
  ほとんど人は顔をあわさないように向こうを向いている。
  見事なしかとである。
  雪かきという労働の手を休めさせたことに対する、人間としてのすまない気持ちが感じられない。
  勿論車に乗っている人のために除雪しているわけではないが、人間が人間同士の連帯責任として自分の持分の仕事を果たしているときお互いにご苦労さんと声をかけるのが礼儀である。
  車の窓を空ける暇は無くとも軽く頭を下げて会釈するのが礼儀である。、

  今は車に乗っていたとしても自分が歩行者になって、除雪がしっかりされた道路を通るときには、雪道の不安を感じなくて大地を踏み固めて歩くことの喜びを考えて、除雪する人に自然と頭が下がるものである。そして、声には出さなくてもありがとうという気持ちがこみ上げてくるはずである。

  想像力が枯渇して、人間を横の連帯として考えられない悲しい人々の群れが車を使っている。文明の利器を使う人々が文明とは何かを考える精神的力を喪失している。

  朝、歩いているとどんな小道でも自動車に遭遇する。
  若者が多い。男女問わず細い道をあまり速度を落とさず走っていく。危ないから道路の脇で直立して立って通過を待つ。そのとき運転者の顔を確かめてぞっとする。男性より女性が多い気がするが、顔を洗っていなくて、髪もとかさず、眠気顔が多い。怖くなって、もう1歩下がってしまう。目を空けているかどうかも分からない人に轢かれたらたまったものではない。

  車が通る毎に道の脇に寄っていて、どこかで見たことがある風景である、と連想する。

  江戸時代の武士が馬上豊かに街道を闊歩する姿である。
  これらの顔も洗っていない寝ぼけまなこが武士で、私は農民か町民、ということになる。
  
  いや、この若者たちの方がずっとえらい。
  何しろ昔の武士が乗っていたのは馬1頭。
  今この子らは武士の2倍も3倍もの道路幅を1人占めして無感動に進んでいく。

  恐れ入った社会が現出したものである。  

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