人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

社会評論

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死ぬまで続くいじめ

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  山梨県のある中学校の卒業文集に次のようなランク付けが載った。

  1.将来橋の下で暮らしそうな人
  
  2. 外人と結婚しそうな人

  3.趣味悪そうな人
  
  4. 年の差結婚しそうな人

  5.ミッキーの中に入っていそうな人
  
  6. ホモ&レズな人

  7.大食いな人
  
  8. 総理官邸に放火しそうな人
 
  あと2項目は写真から外れているので判読できない。

  「将来橋の下に暮らしそうな人」「趣味悪そうな人」「ホモ&レズな人」「総理官邸に放火しそうな人」と犯罪者、乞食候補と言われたのでは一生浮かばれない。これから先、同窓会でいつでも笑いの対象にしかならない。

  8項目を見てまず、肯定的人間像があまり見えない、否定的人間像ばかり述べられると「外人と結婚しそうな人」「ミッキーの中に入っていそうな人」もこの人たちは否定的に考えているのではないかと思っちゃう。

  そもそも卒業文集は、卒業後昔懐かしい中学時代を振りかえって楽しい想い出を探がす素材である。
 
  世の中に出てつらいことにあっても昔の良かった頃を思い起こして生きていく活力をもらいたいのではないだろうか。
  また、どんなに成功した人でも嫌な思い出、馬鹿にされた思い出、さげすまされていた思い出を見たくなるだろうか。
  見たら新たな憤りを再生産するだけである。

  死ぬまで続くいじめの書である。

  こんな文集を作った生徒の編集委員の感性・知性の悪さには空いた口がふさがらない。「冗談のつもり」だと言うが、冗談はその場限りに1回のみの発言なら許される場合もある。
  しかし、生涯残るものは絶対記述してはいけないことである。
  中学3年生にしてこんな事もわからない編集委員さんたち、しっかり人の気持ちが読める人になってください。
  よく考えてください。自分が10年後、20年後、30年後、この文集を見て、じぶんが「悪い欄に」に出ていたら、嬉しいですか。将来の恋人に見せることができますか。将来の子供に見せることができますか。

  先生の対応が悪すぎる。書かれた当人ばかりでなく書いた生徒にも絶対してはいけない行為として教えるべきだった。

  一時子供はどこにでも「うんち」がとぐろを巻いているのを好んで描いたときがありました。私自身はあの「うんち」が気持ち悪くて困りました。でも描いている子供は平気なのに驚きました。この汚物に対する感性の違いはどこにあるのだろうかと思いました。明かにテレビの悪影響でした。
  私の教室では小学校ではバースディカードを英語で書いて送るのを勉強の課題のひとつとしています。そのカードに「うんち」を描いた子がいました。話し合いました。
  「うんち」は本人には面白いと思ってもいや−な感じを受ける人もいるんだよ。いやがる人のほうが圧倒的に多いと思うよ。こんなカードはずっと残しておいて思い出にしたいものだから、人が好むと思うものしか描かないものだよ、と説得しました。

  人間は時には平衡感覚を喪失します。それを見て直してあげるのが周りの人間の人類として勤めです。それが人間です。

  ましてや、子供は間違えることが多いのです。そこに教師・親・先輩の役割が発生します。

  絶対発行すべきでは無かった。分かった時点で取り消すべきだった。

  担任の先生方、印刷に回り製本が完成していても作りなおすべきだった。どんな費用がかかっても。卒業生126名の心に一生傷となって残るだけではない。後輩も先輩も嫌な学校だと思うだろうし、父母兄弟も一生やりきれない気持ちを残すのである。

  校長先生、今からでも遅くはありません。全部回収して廃棄処分にして、新しい文集を発行しなおすべきです。どれほど費用がかかろうとも、やるべきです。「過ちを改めるにはばかるなかれ」は常に正しいのです。



以下記事本文:毎日新聞

卒業文集:「官邸に放火しそうな生徒」ランク付け 山梨

山梨県甲斐市の中学校が作製した卒業文集に掲載されたランキング 山梨県甲斐市の中学校が今春作製した卒業文集で、「総理官邸に放火しそうな人」などの項目で生徒をランク付けしていたことが分かった。項目は担任教諭の指導の下、クラスの編集委員を務める生徒が中心になり考えた。学校側は「冗談のつもりだったが、配慮が足らなかった」として、名前が掲載された生徒に謝罪したが、文集は回収しなかった。

 学校側の説明によると、文集はB5判150ページ。3年間の思い出やニュースなどを1冊にまとめ、3月10日に卒業生126人に配布した。その際、四つあるクラスごとにランキングの項目を決めたが、うち1クラスが「将来橋の下で暮らしそうな人」「趣味悪そうな人」などの項目にそれぞれ生徒3人の名前を挙げていた。同校ではこれまでも毎年、文集でランキング掲載してきたが、不適切な表現はなかったという。

 学校側は文集を回収せず、「不適切」と申し入れた生徒1人だけに掲載ページを削除し渡したという。学校側は「子どもの心を傷つけ申し訳なかった」と話している。【藤野基文、沢田勇】



English text

School yearbook ranks students likely to set fire to PM's residence

KAI, Yamanashi -- A junior high school here has come under fire over a yearbook that includes a ranking of students most likely to set fire to the prime minister's official residence.

The ranking was thought up by students editing the collection, under the guidance of a
teacher.

"It was intended as a joke, but it was inconsiderate," a school representative was quoted as
saying. The school apologized to students whose names were listed, but did not withdraw the
book.

School officials say that the B5-sized yearbook, which includes the students' thoughts on
their three years at the school and news during that period, is 150 pages long, and that it
was distributed to 126 graduating students on March 10.

Four classes at the school decided to make a list of rankings, but those of one class
included, "Person most likely to be living under a bridge," and "Person who looks like they
have bad taste," with three students named in each category.

The school has always included rankings in its yearbook, but there hadn't reportedly been any inappropriate expressions used in the past.

School officials said that the offending page was removed from the book of one student, who
complained that it was inappropriate.

"We're sorry that we hurt the feelings of a student," a school official was quoted as saying.

破れ窓理論について

  糖尿病の治療方法として散歩をしなさいと医者から勧告をうけた。

  街を歩いて溝がごみ捨て場になっていること、犀川の川原を歩いて川原がごみの堆積場になっているのに驚いた。

  特に街を歩いて55年前を考えてみた。

  コンビニがなかった。買い食いして歩くことがまずなかった。

  普通のお大人はふだんは車で行くからこの溝の汚さが気がつかない、白い紙を見ても彼らは白い点にしか見えない。溝の中のたばこの吸殻なんか見たこともない。

  ところが歩いている子供とお年寄りにはごみ箱の中を歩かされていることになる。

  これじゃ、子供たちの精神が荒れるに決まっている。毎日毎日、ごみ箱の中をあるかされているのだから。将来彼らは溝はごみを捨てても良い場所と思ってしまうだろう。

  お年よりは、人生の終末期に当たってこんな汚い中を歩かざるをえない地域を見て絶望するだろう。

  そう思ったら怖くなった。

  どうにかしなくっちゃ。

  それから、私のごみ拾いが始まった。

  1週間、1ヶ月、1年たって見ると、自分の歩いた道がとてもきれいになっている。

  自分がきれいにした道は自分が作った道のように愛着が沸いてきた。心から私の道と呼べるようになった。私の川原。私の公園。私の溝。私の街になった。これこそ郷土愛の原形だと思えた。美しい日本を作っているのは私だと思えるようになった。

  私の拾ったプラスチックによって、その分だけ、海に流れなくなって、海がきれいになったはずだと思えるようになった。

  私が海洋生物の命を救っていることになるんだと思えた。

  地球の命との連帯を感じるようになった。地球を愛している自分に気付いた。

  2年、3年と続けていると、街の人々も少しずつ、ごみを捨てなくなった様にも思えるようになった。

  これも破れ窓理論の1形態なのかなと思う。

  お向かいのご主人が、私の家の前で脱輪して困っていました。

  窓から目撃した私は飛び出して行きました。

  お隣のご主人がワイヤーのロープで何回も引っ張ります。私は車の尻を持ち上げる。もう少しのところで何回やってもだめ。でもあと1人大人の力で上がる勢いである。

  運転免許取立ての青葉マークのときは無理な運転をよくやって、溝に脱輪したことが数回あった。必ず通りかかった歩行者や、車の人が降りてきて2,3人で助けてもらったものである。

  そのありがたい経験が常にあるので、脱輪や、雪道で動けなくなった車を見たら何を置いても駆けつけることにしている。

  50メートル先の空き地の工事現場の臨時事務所の前に30.40代の人々が5人、仕事を前にたばこを吸ってぶらぶらしている。
  

  走っていって事情を話す。

  責任者らしき人が、「あんな重い車は無理だ。JAFに頼めばいいじゃない」

  「助けるのはいやだね」

  誰も動かない。やむなく帰って、出てきてくれた妻を交えて押してみた。数回の試みで、車は無事溝がら助け出された。

  私の最初の見込み通り、あと1人の力で車は助かったのである。



  日本人の質がこの20年ですっかり変わってしまった。

  ちっと手を貸すだけで人が大助かりになることに手を出さない。

  恐ろしい集団になってしまっている。

  こういう人々が住むこの地がこわい、金沢がこわい、日本が怖い、この世界がこわい。

  どうにかしましょうよ、みなさん。

  三重県の競輪場からの帰りのバスの中の悲劇。

  2008年3月26日午後4時40分頃、58歳の男性が携帯電話の使用で61歳の男性から注意を受け、その注意のし方が悪かったので怒りに燃え、自制心をなくし暴行を加え、死亡させてしまった。

  携帯電話の使用のし方をめぐって大人が掴み合いの喧嘩をして死亡事故に至るほどの事件に発展させてしまう狂い方はどこに問題があるのだろうか。

  1つは携帯人間的単細胞的な対応しかできなくなった現代人の弱さがまず問題である。

  すぐかっとなりやすくなっている人々をどうしたら怒らせないで自覚できるようにできるか、怒らせた状態をどうして元に戻すかの2つの追求が必要なようである。

  まず携帯を注意された人間の粗暴さが1つの原因である。自分の弱点を指摘され反省することなく逆上する人間が大手を振って歩いていることが不思議である。まずこのことを現代の特徴としてあげなければならない。やーさんなのか。やーさん的人間なのか。全くそうでない人間が逆上したのかぜひ知りたいところである。ここの詳細を明らかにすることによって事態は大いに違ってくる。

  ここで問題にしなければならないことは、乗り合わせた30人の乗客が暴行を受けている被害者に誰も加勢しなかったことである。

  明かに暴行が行われている事実に目をつぶり被害者を助けようとしない。
  
  正義感があまりにも薄い。

  自己犠牲をいとわず理不尽なことを行う人を止めさせなければならない。

  被害者の怪我・被害の程度を極力小さくしてあげることがまず第1に大切なこと。

  第2に、逆上して一時的に理性的判断力を喪失している人に適格な助言を入れてあげなければならない。すぐかっとなる人、逆上する人を暴力が行き過ぎにならないようにしてあげなければならない。

  うまい仲裁者がいて、被害者も死なずにすみ、加害者も殺人者にならずにすむ方法があったはずのように思える。またそのように考えて、知恵のある生活をしたいものである。
  
  だから、今回の事件の最大の教訓は社会生活の上でこの2点を常に考えて行動することが大切である、ということになるような気がする。。

  乗客の30人はそれができていない、あるいはそうする機会をなくしてしまった。
  
  果たして私たち日本人全体がこの乗客の30人のようになっていないと断言できるだろうか。

  私には、とても自信がない。

  「人類として生きる知恵」としていつでも上の2つの行為が何のてらいも逡巡もなくできる人間になりたいものである。

  それが今生きている私たちに課せられた課題ではなかろうか。

  <歩いて巡回しなくなった警察>

   子供のころよくおまわりさんに捕まった。無灯火の自転車運転で交番で調書を取られて、指紋を押させられた。自転車の2人乗りで止められて怒られた。どれもこれも本人は犯罪を犯したと言う意識は全く無いので、おまわりさんご苦労さんという気持ちだった。傘さし運転で注意された。悪いのはこっちで、こっちの命を思ってくれているから親と同じでなかなか直らないけど言われたことに反発する気は無かった。

   これで少しは無灯火はやめるようになったし、2人乗りはあまりしなくなった。高校生になると自分の命の大切さがよく分かって合羽を着て自転車に乗るようになった。特に中学2年から高校2年まで3年間やっていた乳酸菌飲料の配達では必ず合羽をしっかり着て自転車に乗った。

  おまわりさんの徒歩による巡回は確実に事故の激減に大きな貢献をしていた。
  私は犯罪を犯したことは全くないのであっけらかんとしているが、痴漢やこそ泥にとってはおまわりさんの存在そのものが重大な警告である。

  おまわりさんの巡回が行き届いているところは泥棒どもは怖くて近寄れない。

  また住民が声を掛け合う地区は隣近所の連絡が密で、よそ者がすぐあぶりだされるので、空き巣は声を掛け合う地区からは早々に退散すると聞いたことがある。

  私は道を歩いていて全員に挨拶をするようにしているが特に初めての人にはていねいに挨拶をしてその人の特徴を覚えるようにしている。万が一空き巣だと警戒して逃げるはずである。

  犯罪発生率が極めて低い社会的構造の基礎を成していたのが、交番制度と密接な関係を持っていた徒歩あるいは自転車での地域の巡回制度であったはずである。

  歩行者の速度で歩きつつ家の構造中身まで想像して歩くとき地域の人間関係がおまわりさん頭の中に整理される。出会う人毎に挨拶を交わすことによって地域の人間関係が生きた形で頭の中に定着する。

  ここ数年、町を歩き出して気付いたが、おまわりさんに全く会わない。
  
  一体あの徒歩で巡回していたおまわりさんはどこへ行ってしまったのか。自転車をこいでいるおまわりさんととんと出会わない。

  みんなパトカー乗務員になってしまった。歩行者目線を忘れて大雑把な住民の実態をつかまない巡回になってしまったのではないか。

  歩いて声を掛け合い、とまって話し合ってこそ地域が分かるはずである。

  そういう日本の警察の本来の交番を拠点にした活動が生きていたら、昨年末佐世保で起こったプールでの銃撃事件は未然に防げていた可能性が高い。

  先日、私の教室の1番近くのバス停で午後10過ぎ1人で待っている女性に若い男が近づき「タクシー代上げるからパンティーを脱いで頂戴」といったそうである。完全なセクハラ行為であり、痴漢になりかねない男である。

  こういう男の出没は警官が歩いて巡回していれば防げるだろう。おまわりさんが歩行者の目線で怪しげなものに声をかけると恐ろしくて徘徊できないだろう。パトカーの速度では物陰に隠れたら分からなくなる。

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