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<ギョーザへの恋文>
子供のころ,母の手作りの水ギョーザは、すき焼きに次ぐ我が家のごちそうであった。
魚は新鮮この上ないものを、ほぼ毎日食べていた。
我が家は3月から6月にかけて,親戚が経営するいわし漁の基地になった。いわしを始めとするあらゆる魚が浜から直行して食卓にのぼった。どんな魚でも刺身にできた。焼き魚も新鮮であればあるほどおいしい。いわしの団子汁は決まって私のおはこ。いつでも私がすりこぎを握った。
地引網の季節になると,我が家の横の道が網の引き上げ地点への一番の近道。行商のおばさんがあがったばかりの鯵(あじ),鰈(かれい),小鯛(こだい),キスなどの「高級魚」をおしげもなく最安値で最初にお披露目していってくれた。トレトレのキトキトの魚がいつでも食卓を潤していた。
野菜はほぼすべて自家製。家族総出の日曜の野良仕事でまかなっていた。
大根・じゃがいも・サツマイモ・きゅうり・トマト・なす・とうもろこし・西瓜(すいか)・うり・トーモロコシ・えんどう豆、いちご・ピーナッツ。あらゆる野菜栽培に挑戦していた。
山羊を1頭飼い毎日牛乳ビンで5,6本ほどの乳を家族で消費。,鶏を20羽ほど飼っていて卵はいつでも豊富にあった。
中3の受験期を除いて小学校5年から高校2年まで日曜に遊んだ記憶がない。いつでも畑仕事の手伝いが否応なく入ってきた。山羊と鶏の世話は早朝から夜まで365日全面的に私に回ってきた。新鮮で豊富な野菜は家族労働に依存して自給自足していた。中・高の6年間部活動を許されなかった。
牛肉・豚肉だけは我が家の食卓に上る機会はほとんどなかった。
牛肉・豚肉を食べたい、が私の執念・怨念になっていた。
この牛肉と豚肉に思いっきり出会える儀式が、我が家ではすき焼きと水ギョ−ザだった。
といっても口にできるのは、すき焼きも水ギョーザもせいぜい年に1,2回。
母が小麦粉をこねる。大きなお饅頭のようなかたまりができる。また伸ばして小さな角切りのさいころができる。一つ一つをめん棒で丸く伸ばしていく。手品でも見るように羨望の目で,皮作りから始まるギョーザの作業行程をながめていた。ひき肉がたっぷり入った具が一つ一つつめられ,おなかが膨らんだ三日月がきちんとまな板のうえに並べられる。あとは父の帰宅を待ってだしの入った熱いつゆであっためる。
熱いつゆから発する湯気で両ほおをあっためながら,熱い熱いと思いつつ箸でつまみあげギョーザを口の中でころばせる。ころがるひき肉を歯で受け止めると豚の味が口いっぱいに広がる。いつまでも忘れられない豊かな満ち足りた感情が全身を走る。
「フー,アチチ」
そんなギョーザが好きなだけ食べられる。手作りだから出来る特権。
ギョーザの日はうきうきした気分になったものだ。
<肉なしギョーザ>
東京の地下鉄の車掌を5年間やっていたころ,朝の一番の乗務は11時過ぎに昼食休憩に入る。西馬込乗務区の近辺の食堂はまだ客を迎える準備ができていない。いつも行き付けの中華料理屋。昔かたぎの口下手ないかついおじさんが主人。気難しそうだがどことなく人好きのするおじさんだった。暗黙の了解があって乗務員は暖簾が中にあってもどかどか入って行って料理を注文する。向こうも手馴れたもので手早く作ってくれる。乗務員は1分1秒の勝負であることを良く分かってくれている。
ある日おじさんを先頭に一家でギョーザをくるんでいる。
お袋のギョーザ作りと二重写しになってついつい近づいて,具がいっぱい入ったボールを覗き込む。 あんまり驚いたので,声が勝手に口から暴走してすっとんきょうな大声に変わっていた。
「あれ,おじさんこのギョーザ肉が入ってないよ」
おじさんもすかさずきり返す。
「肉をたくさん入れて,商売が成り立つか」
流れた空気はしらけ1色。沈黙のまま肉野菜炒めを詰め込んで運転手さんと店をあとにする。
ぼくの大好きなギョーザがひどい仕打ちを受けて,情けなく,悲しく,裏切られたようで,それ以来東京のギョーザは食べないことにしていた。
地方へ行ってもギョーザは苦手だ。でもラーメンを頼んでもう少し栄養をつけたいとなるとどうしてもギョーザに手が出る。いつでも肉の少なさに絶望したまま店を退散する。
妻の作ってくれるギョーザは天下一品。ひき肉がたっぷり。私のギョーザへの思い入れを十分に組み込んだ一品にしあがっている。
子供のときのようにうきうきした気分を味わえる。
<料理とは?>
そもそも料理つくりは素材選びから始まる。
素材選択の中に料理人の知恵が試される。
農業・牧畜生産者の人間的営為と善意を感じるもの、流通業者の苦労と努力,消費者への思いやりを感じるものを選び抜くことが要請されている。
いい素材にくわえて、おいしいものを食べてもらいたいという料理人の食べる人への愛情が加わるとき料理は,結果の出来,不出来は別にしておいしいと思えるものに変質する。
食べる側のおいしさに変える努力は間食しないこと。昔から洋の東西を問わず人類が共有する生きる知恵は「空腹にまずいものなし」(Hunger is the best sauce. この言葉はソクラテスだそうです)
毎日毎日,愛情をたっぷりまぶして料理を作っている主婦の料理は,長年月のうちに,掛け値なくおいしいものに向上する。
離婚を繰り返している人,夫婦喧嘩に明け暮れる人には終生理解できない人生の妙味である。
料理の味は,生産者,流通業者,料理人の3者の人間的営為と善意が融合・合体して始めておいしくなる。その主導権を握っているのは料理人である。料理人の行動原理は食べる人への愛情先行の,うまさの追及である。
料理店の料理人の愛情は不特定多数の人々に向けられることが多い。お得意客が増えると愛情の対象が頭に浮かび料理作りの喜びも具体的な側面が増えてくる。
家庭料理の料理人の愛情の対象は特定の一人ないし数人である。伴侶は結婚後の全生涯に渡る期間、子供は成長して巣離れするまでの期間愛情の対象になる。どちらにしろ料理人にとっては安さの追求は,大切な要素ではあるが二の次,三の次である。だから家庭料理はまず安心して食べられる。
<冷凍食品とは?>
冷凍食品、チルド食品,スーパーのお惣菜(デリカテッセン)ほど便利なものはない。家庭の料理人の手を煩わすことなくそれなりにおいしいものを,ほどよい値段で提供してくれる。
しかしこの便利さが怖いところでもある。
料理作りの主導権を生産者または流通業者にゆだねてしまう。家庭の料理人には全くほとんど工夫と努力の余地がのこされていない。愛情のまぶしようがない。
冷凍食品販売者の行動原理は「おいしさ」の先に「安さ」がくることが多い。
愛情ではなく利潤の追求が行きすぎると、「おいしさ」があやしくなるだけでなく「安全」さえ犠牲にすることがある。
1955年に発生した森永ヒ素ミルク中毒事件は、乳製品の溶解度を高めるために、安価であるという理由で工業用のヒ素を触媒にして作られた化合物を粉ミルクに添加しておこったもの。1956年当時の厚生省の発表によると、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が出た被害者の数は、12,344人。死亡者130名。
日本で起こった戦後最悪の食中毒事件の発端は「安さ」の追求が根本原因であることを見逃してはならない。
今回のメタミドホスも中国では禁止されているが「安さ」のため実際には農薬として使われているという記事も出ている。
JTさん、生協さん、なぜ生産工場が中国でなければならないのですか。
「おいしさ」を求めて中国まで行ったのですか。
「安全」を求めて中国まで行ったのですか。
<ギョーザ問題の真の教訓とは?>
わたしが生協活動に入って最初の大仕事は酪農組合から提起された牛乳値上げへの対処だった。わたしは酪農組合からの農家の窮状を聞き、値上げやむなしの結論に至った。東京地区は私の決断が大きく左右して値上げを認めた。
ところが関西の活動はすごかった。京大,同志社大,大阪府立大の活動家を中心に学生を組織して酪農組合にデモをかけ、値上げ阻止を勝ち取る。その直後の大学生協連の全国大会で,関西の活動家はこの成果を華々しく宣伝。東京はしょんぼり。
関西のこの運動を先頭に立って指導したのが赤軍を作って武装闘争に走った塩見孝也氏と連合赤軍の森恒夫氏であった。
酪農家の窮状に目をつぶり、一方的な要求の強要は,他人の不幸に乗った利益の追求にしか思えず、私にはどうしても理解できなかった。
「牛乳を値上げしてもらわなければ,農家の生活が維持できません」と訴えられたとき、「あなたたちの生活なんかどうでもいい。学生の生活さえ安定すれば」と値上げ要求を拒否していて,安心して牛乳が飲めますか?
適度に冷やされた牛乳を飲むときに,喉元を通る心地よい爽快感を、酪農家の笑顔、誇り、将来にかける目の輝きも同時に飲み込んでほしいのです。
学生だけの一方的要求をつきつけて後は知らぬ存ぜぬでは、酪農家の怒り・憎しみ,屈辱・挫折感、未来への絶望・虚無感を飲み込んでしまうことになりませんか。
家電製品や衣類と違い食品は直接人間の命と結びつく問題をはらんでいます。どんな製品でも生産者の努力・工夫には尊敬をはらわなければなりません。食品を製造する方々には人間の命を預かるという一段と高い責任感と緊張関係をもってもらわなければなりません。一段と高い道徳性と能力をもってもらわなければなりません。
ともすれば「安さ」の走りがちな消費者の目を覚ましてあげることがJTおよび生協の流通業者のもう一つ大切な仕事ではないでしょうか。
今回のギョーザの冷凍食品を中国に求めた行動原理は,「食の安全」と「うまさ」を後回しにして「安さ」を追求した結果ではないでしょうか。
そこには人間の命の軽視があります。地球46億年の歴史の中で2度と生まれてこれない,一回きりの、最も貴重な人間の命を守りきるという使命感があまりにも弱くはないでしょうか
あの苦々しい,森永乳業ヒ素中毒事件、雪印乳業の中毒事件から何を学ばれたのですか。厚生労働省の人類史上最も恥ずべき血友病患者の見殺し、C型肝炎の患者の苦しみから何を掴み取られたのですか。
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JTさん、生協さん、あなたがたは、日本でギョーザ工場を見つけるべきである。日本においてすら,食の安全はすこぶるあやしい。日本より社会的に安定していない中国に食品の最終的完成品を作る工場を求めた行為が人命軽視としてせめられるべきある。
小泉元首相が靖国問題で中国との政治的関係を極端に緊張させ,反日感情が高まるのにまかせた。その後まだ安定しているとは決して言えない。
JTさん、生協さん、あなた方が依託したギョーザ製作会社は,労働者の賃金が極度の低賃金のうえに過酷な労働条件だと漏れ出しています。あたかも明治時代の「女工哀史」を思い起こさせる惨状です。
JTさん、生協さん、あなた方の「食の安全」と「うまさ」を犠牲にした,「安さ」の追求は,中国でも悲劇を拡大再生産しているのではないでしょうか。
追記:2月11日にギョーザをスーパー、アルコから全9種類購入して試食しています。味の素,日本ハム,紀文,福屋食品,神宮食品それぞれが工夫をこらし、それなりの味を出しています。
やっぱり手作りが一番です。「安心」と「家族愛」は買えないのです。
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