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「いただきます」を考える。
数年前「生きる」を食物連鎖の関係で考えたとき,人類の横暴に気付きました。
人類は地球上あらゆる動植物を殺し尽くし、食べ尽くしています。地上に根をはやしているもの,徘徊しているもの、空を飛ぶもの,水中で根をつけて生きているもの,泳ぎまわるもの,ありとあらゆるものを食べています。食物連鎖の頂点に君臨しています。だが人間はこの連鎖を断ち切ってしまっています。言葉の真の意味で「連鎖」という言葉は生物学者の使う「うそ」です。現実は食物のピラミッド体系です。
しかし自然にはまったく返さない存在になってしまっています。
人間はあくどい,強暴,卑劣な行為を動物的と言いますが,まったく違います。どんなに獰猛と言われている動物でも他の動物の取り分は残します。ライオンはハイエナの分を残し,ハイエナははげたかの分を残すそうです。そしてどの動物も死んだら自然界に帰り、肥やしとして大地を潤します。人間は大地に帰ることも止めてしまいました。あらん限り奪い尽くし,破壊し尽くして、与えることを忘れた地球上の最悪の放蕩児です。
こんな不遜な動物がそのまま栄えてはいけないのです。もっと,もっと謙虚に地球の限りある資源をあらゆる動物植物に与えなければなりません。
全生命の尊重がなければなりません。いたずらに生命を殺してはいけません。
人間の生きると言う行為はすなわち他の動植物の殺しなのであります。
「生きる=食べる=殺し」なのです。
それ以来私は食卓に向うとき「動植物さん,あなた方の命をいただきます。あなた方のいただいた全細胞を無駄にはしません。決して残しません」「もったいないことはいたしません」と誓っています。
アフリカのノーベル平和賞をもらった女性よりかなり前の話です。「いただいたあなた方のこの命を,生きとしいけるすべてのものの繁栄のために使います」。と心のうちに誓っています。
それにしても毎日毎日殺しの連続に気が滅入ります。
だからといってお釈迦様のように苦しい苦しいといって労働もせず,人の施しを受けて生きることは完全におかしいと思います。肉食を私一代が拒絶して菜食生活に入っても人類が抱えている問題の解決に1歩も近づくわけではありません。人類の発展の500万年の歴史の中で、人類が肉食によって得た脳の発達と脳活動の飛躍的拡大を否定することは出来ません。
人類が光合成を人工で作りだし,今私たちが食している糖のすべてを作り出せるようになった暁には人類は「生きる=食べる=殺す」の矛盾から自己解放を勝ち取れるのです。
しかしこれはまだまだこれからのこと。
その日まで「いただきます」「ごちそうさまでした」と祈ります。
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