お釈迦様、
瀬戸内寂聴さんが騒いでいます。
「源氏物語」の千年紀だ。
日本中の人が読むべきだ。
私はこれまで1度も読んだことがありません。
小説として面白さを全く認められないからです。
絶世の美男子で、天皇家の血を引いていて、あらゆる才能にめぐれた男が次々と出会う美女と織り成す恋物語。
この謳い文句を聞いただけで貴重な時間を費やす価値無しと思いました。
日本文学の名作中の名作だから入試にも出るから読んでおいたほうがよいと学校の先生、親からも聞かされてきた。
でも気持ちが動かなかった。
「絶世の美男子」はまだ見たことが無い。そんな人は百万人に1人もいないだろう。そんなどこにもいない人の物語が僕の人生の役に立つはずが無い。
「天皇家の血」を引くも何千万人に1人の話で、縁が薄くなる。
人間は、平安時代であろうと、世の中に役立つには努力しなければ一人前になれず、一人前にならなければ妻子を養えない。その前に一人前の取り柄を自分の内部に築き上げなければならない。ところがこの人はその必要が無い。一本立ちして稼ぐ必要が無い、と言うことだ。
「あらゆる才能にめぐまれ」ている人もまたいない。
人類史上最高の知性の持ち主と言われたニュートンだって、「人付き合いの悪い偏屈もの」と罵倒する人がいたくらいだ。完全な人なんかいない。
この「光源氏」さんだって、考えようによっては、次から次と女を変えていくなんてのは、単なる「淫乱」で、忍耐力が無いだけかもしれない。
そしてどんなに淫乱でも同時に多数の女性を愛せるはずがないから、次々と前の女性とは疎遠になる。と言うことは、捨てられることの悲しみを想像できない、「感受性のきわめて弱い男性」でしかない。
次々付き合う女性を変えるとは、女性の外的美しか追求していない。人間の内的美を追求できない「心の審美眼の無い」人である。
人間は長く付き合うと、特に男女の付き合いにおいては、心のふれあいが何より大切である。関係を深めないと長く続かない。ひとつひとつの出来事を2人の力と知恵を出し合って克服するときはじめて関係は深まり、離れられなくなる。光源氏さんには人間関係の内的発展と深まりの問題意識がない。だから次々と女を変えられるだけだ。
逆から考えると、持って生まれた美男子で、持って生まれた地位をかさに生きている人を待ち続ける女性の方も、精神構造が弱そうです。人間の真意と誠実さを求める感覚がない。あさましい人々である。
こういう男女が作り出す関係は、常に疑心暗鬼と不安に満ちている。いつまで続くか分からない関係は相手の1挙手1投足に疑念を抱く。霧の晴れる間が無い。
そういう男女が何を見ても「あわれ」としか見えない。
それを、本居宣長は「物のあわれ」として日本人の特別な意識としたそうだ。
こんなあほれた話はない。
何にも努力せず育った男女がお互いに信じられない関係しか作れない。
社会人としての未熟児が心に描く心象を「日本人の典型」とは恐れ入る。
本居宣長さん、歴史の屑篭にお入り下さい。
瀬戸内寂聴様、
源氏物語は、まじめに新しい社会を築いていこうと思う若者には、何の参考にもならない。いやすべてがマイナスの教訓ではないでしょうか。
現代においても、夫が外で女性関係を築いている家がどんなに悲惨なものか小学生にでも分かる。奥さんが不倫をしている家庭がどんなに惨めなものか隣近所でも分かる。源氏物語はいりません。
現代においては、身分制度から解放されています。1人の自由人として苦闘します。どんな職業につくことによって社会に貢献すべきか悩みます。そのためにどんな知識と素養を身につけなければならないのかになやんでいるのです。源氏物語はいりません。
一夫一婦制の世の中で、どんな伴侶を見つけて一世一代の恋をしたら良いのか。またそのための思想と力はどうあるべきか、を探すのが中学・高校の青春時代なのです。源氏物語はいりません。
現代に住むわれわれは、核兵器の存在と地球温暖化、酸性雨、エイズ、という前代未聞の課題を負っています。そう言う意味では常に一個人の運命は同時に地球人全体の運命の中で考えなければならないのです。源氏物語はいりません。
そしてなお、人類は古くて新しい、いじめ、暴力、戦争、貧困から自己を解放していません。この古くて新しい問題に真っ向から対決していける人間を作るべきです。源氏物語はいりません。
全世界の若者よ、
おおらかに、赤々と燃える一世一代の、生涯2人を引き離さない熱烈で永続的な恋をして下さい。源氏物語はいりません。
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