人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

追悼文

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  竹山様

  75歳。まだまだお若い。きわめて残念です。

  今年の雪にめげず腰の痛みを耐えながら除雪をされていた。

  「除雪のたびに接骨院のお世話になっています」

  脳梗塞で倒れられ病院に運ばれて24時間も持たずに旅たたれました。

  奥様から経過をお聞きいたしまして、大往生と感じました。

  生命を燃焼し尽くして去って行かれたように思われます。

  でもやっぱりさびしい。

  2度と会えぬ悲しみがしみじみと胸を突きます。

  いつでもこうです。

  もっともっとお話を伺っておけばよかった。

  もっともっと深いお付き合いができていたらなあ。

  でも、やっぱり、さようなら。お疲れ様がただ一つの言葉でしょうか。

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  新年になって私の出身地の羽咋のいとこに電話してみたら中学時代の同級生のいじめっ子がなくなっていました。

  私だけを標的にして執拗に嫌がらせをする男でした。

  私のいやがることなら何でも考えるという感じで本当につかれる男でした。

  どう言うわけか写真で見た動物の「かわうそ」に興味を持って,私がかわうそに似ているからと言って私をつかまえると「かわうそ」「かわうそ」と連発していました。

  私はかわうそを見たこともなく「うそ」という否定的意味が加わっている言葉がいやで,その言葉を聞くたびに情けなくなりました。
  私がいやがればいやがるほど,自分の名づけ能力が効果があったと思ったのか,連日「かわうそ」と言っていました。
  ありがたいことにこのあだ名には誰も同調するものがなく、いつのまにか彼もあきらめました。

  しかし休み時間にはことあるごとに突っかかってくる男で、叩く,蹴飛ばすは毎度のことでした。

  あるとき股間を思い切り蹴飛ばされました。
  痛さに耐えられず涙がこぼれました。
  家へ帰ってそっとパンツを見ると真っ赤に染まっている。

  もしかして子供が生めない体になったのではという恐怖はずっと付きまといました。

  私に子供が生まれなかったのはこのこととは関係がありません。
  医学的にはこの事件は私の体の生殖能力の破壊にはなりませでした。
  しかし成人するまでこの血に塗られたパンツの驚きは頭から離れませんでした。

  いつでも私はおとなしく迫害に耐えていました。
  反撃すると2倍3倍に帰ってくるし返しが怖くて常に弱弱しく泣き寝入りをしていました。

  あるとき、どう言うわけか突然試験の100点競争を申し込んできました。

  次ぎの定期試験で理科の試験で100点競争をしようと言って来ました。
  こんな途方もない挑戦に唖然としました。家で宿題を一切したことのなかった私が100点なんか取ったことがない。

  中一の時にまぐれに英語で100点を一回取ってきりです。でもいじめっ子に肉体的,運動神経的,音楽的,絵画的,工作的な分野ではどう見ても太刀打ちできません。

  100点競争に挑戦しました。

  生まれて初めて,試験で100点のみを目的として理科の教科書と挑戦しました。

  あらゆる角度から考えて試験に臨みました。

  解答用紙が帰ってきたときの驚きは言語表現を超えています。

  とてもできっこないと思っていたことでもあらゆる努力をしてみればできないことはない、ことがあるのだということを教えてくれたのです。

  生きる勇気が体の内面から強く湧き上がってくるのを感じました。それまで何一つ自信を持てなかった自分に明るい未来があるかもしれない、と思えるようになりました。必死に努力していけば。。。


  いじめっ子が一挙に私の人生の恩人に変質しました。

  いじめっ子は私の人生を決定的に飛躍させる契機を与えてくれました。

  ところで彼は試験の結果を聞きにきませんでした。
  多分取れなかったのではと疑ったままになりました。
  こちらから聞き出して、私だけが100点だったら、またいじめの対象になるのではないかと言う恐れもありました。

  だが最も大きな問題は私でも目的意識的にいきれば目的達成の可能性があるということでした。
  中学2年生でした。東京オリンピックが発表された年でした。ぜったいオリンピックを東京で見るぞ。そのためには東京の大学に進学するぞと硬く決意していました。2つとも実現できました。

  そのいじめっ子に「あの時君は何点だったの?」という問いを投げかけて,事の真相の解明をいつかはしたいと思っていたことも不可能になりました。永遠の謎となってしまいました。

  それはそれでそっとしまっておくことも友情の1つでしょう。

大学の先輩を送る

  先輩を追悼する。

  私の貴重な青春であった生協活動で商学部の先輩であったあなたに先立たれたのは大きな衝撃でした。

  この正月を前後して私の周囲で3人の貴重な方々がこの世を去りました。実に寂しいお別れでした。先輩とも十分なお別れができなかったことが返す返すも残念でなりません。ここに私の涙と共に謹んで追悼文を友人に託します。

  先輩の死を決定的契機にして、今後は私はあらゆる意味で等身大に生きていきたいと思い立ちました。

  前に電話で直接お話して「おまえの人生2山説に触発されてうどん屋を始めた」とお聞きして腹の底から自分の言動の大切さを思い知らされました。

  先輩。私は今「人生2山説」には疑いを持っています。

  人の一生は本質的に一度です。途中で道を変えることがあってもそれは1度目の本質を内部に秘めたままであります。

  私の「人生2山説」は伊能忠敬の人生を井上ひさし氏に触発されて私なりに整理したものでしたが、もう一度伊能忠敬の生涯を整理してみますと明らかに一度なのであります。
  彼は若くして医学に携わりたかったが貧困のゆえその夢かなわず伊能家に養子に入り家業の興隆につとめ、家業を息子に託して江戸に出て天文学の勉強に励む。しっかり一本の道が見えます。世界の学問の発展に寄与したいという一本の道が。

  伊能忠敬の天才にしてさえこの真摯さです。
  確かに学問の道という点では寄り道していますが、彼の場合、この寄り道は決して無駄になっていません。全国を自分の足で歩いて実測した執念は、その寄り道を完全に克服しています。これこそ彼の偉大なところであります。私のような凡人にはどうにもならない違いであります。

  先輩の作るうどんのたれ、うどんのこね方、器の選び方、うどんのねたをうどんに並べる芸術的感性、店の構え、挨拶、料金の受け取り方。全ての中にあの「貧しい人々を救うためならなんでもするぞ」という思想と生き方が反映されていたことでしょう。そのうどんを私はいただきたかった。黙祷。

  私のような劣等児はただひたすらに一筋のみを最初から最後まで歩まないとだめです。

  そんな私も自分の道がどこにあるか迷い通しました。

  私の道はただ一つ「貧困、いじめ、戦争のない世界を作りたい。人間が真に尊厳をもって生きられる社会を作りたい」の一語につきます。

  その道を求めて私は早稲田大学商学部を6年かけて卒業した後、東京都交通局で「高校卒の学歴相当の」地下鉄の車掌を5年間勤めました。その後東京から逃亡を図り、岡山市の魚市場で1年朝市で帳簿付け。その後、国家資格をとりたがっている人々を対象とする会社に1年勤務。その後学習塾で英語を担当して4年過ごしました。その後金沢に帰り英語教室を開きました。

  英語を教えることを生き甲斐として、英語教育の革新をしたいと基本的には自作教材でしのいでいます。同時に社会改革の意識を一瞬たりとも失ったことはありません。

  今、戦後の大量生産・大量消費の消費革命というものの結果として、日本の社会は根本から破壊され、日本人の精神は人間性を完全に喪失しています。「安さ」を追求した結果として生協自体が「毒入り」食品を売る当事者になってしまいました。

  ダイエーの中内功氏を先頭に推し進めた消費革命の本質を見ぬけず、追随した結果です。あの消費王国のダイエーがあえなく崩壊したように、消費革命の追及したものがうそであったことを明らかにして社会と世界の再生が必要です。

  その第1段として今「葉っぱ宣言」をまとめました。先輩の忌憚のないご批判をいただきたいところです。黙祷。

  お納め下さい。

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