新年になって私の出身地の羽咋のいとこに電話してみたら中学時代の同級生のいじめっ子がなくなっていました。
私だけを標的にして執拗に嫌がらせをする男でした。
私のいやがることなら何でも考えるという感じで本当につかれる男でした。
どう言うわけか写真で見た動物の「かわうそ」に興味を持って,私がかわうそに似ているからと言って私をつかまえると「かわうそ」「かわうそ」と連発していました。
私はかわうそを見たこともなく「うそ」という否定的意味が加わっている言葉がいやで,その言葉を聞くたびに情けなくなりました。
私がいやがればいやがるほど,自分の名づけ能力が効果があったと思ったのか,連日「かわうそ」と言っていました。
ありがたいことにこのあだ名には誰も同調するものがなく、いつのまにか彼もあきらめました。
しかし休み時間にはことあるごとに突っかかってくる男で、叩く,蹴飛ばすは毎度のことでした。
あるとき股間を思い切り蹴飛ばされました。
痛さに耐えられず涙がこぼれました。
家へ帰ってそっとパンツを見ると真っ赤に染まっている。
もしかして子供が生めない体になったのではという恐怖はずっと付きまといました。
私に子供が生まれなかったのはこのこととは関係がありません。
医学的にはこの事件は私の体の生殖能力の破壊にはなりませでした。
しかし成人するまでこの血に塗られたパンツの驚きは頭から離れませんでした。
いつでも私はおとなしく迫害に耐えていました。
反撃すると2倍3倍に帰ってくるし返しが怖くて常に弱弱しく泣き寝入りをしていました。
あるとき、どう言うわけか突然試験の100点競争を申し込んできました。
次ぎの定期試験で理科の試験で100点競争をしようと言って来ました。
こんな途方もない挑戦に唖然としました。家で宿題を一切したことのなかった私が100点なんか取ったことがない。
中一の時にまぐれに英語で100点を一回取ってきりです。でもいじめっ子に肉体的,運動神経的,音楽的,絵画的,工作的な分野ではどう見ても太刀打ちできません。
100点競争に挑戦しました。
生まれて初めて,試験で100点のみを目的として理科の教科書と挑戦しました。
あらゆる角度から考えて試験に臨みました。
解答用紙が帰ってきたときの驚きは言語表現を超えています。
とてもできっこないと思っていたことでもあらゆる努力をしてみればできないことはない、ことがあるのだということを教えてくれたのです。
生きる勇気が体の内面から強く湧き上がってくるのを感じました。それまで何一つ自信を持てなかった自分に明るい未来があるかもしれない、と思えるようになりました。必死に努力していけば。。。
いじめっ子が一挙に私の人生の恩人に変質しました。
いじめっ子は私の人生を決定的に飛躍させる契機を与えてくれました。
ところで彼は試験の結果を聞きにきませんでした。
多分取れなかったのではと疑ったままになりました。
こちらから聞き出して、私だけが100点だったら、またいじめの対象になるのではないかと言う恐れもありました。
だが最も大きな問題は私でも目的意識的にいきれば目的達成の可能性があるということでした。
中学2年生でした。東京オリンピックが発表された年でした。ぜったいオリンピックを東京で見るぞ。そのためには東京の大学に進学するぞと硬く決意していました。2つとも実現できました。
そのいじめっ子に「あの時君は何点だったの?」という問いを投げかけて,事の真相の解明をいつかはしたいと思っていたことも不可能になりました。永遠の謎となってしまいました。
それはそれでそっとしまっておくことも友情の1つでしょう。
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