人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

諺を考える

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孟母三遷を再考する

  人間は偉大でもあり危険でもある。きわめて厄介な動物である。

  リンカーンのように親に反対されても勉強して弁護士になり政治家として大統領にまで上り詰め、内戦を勝利に導き奴隷解放という難事業を成し遂げた。

  「孟子は三遷しなくても孟子になっただろう」と言うことを今朝の食卓の話題にした。

  妻が一言。

  「孟母三遷」は史実にあるかどうか、孟子が三遷しなくても孟子になっただろう、かどうかではな異のではないでしょうか。リンカーンのように立派な人もいるが、人間は、簡単に悪魔になってしまってしまうばあいもある。一昨年の奈良の親子焼殺事件、昨年の会津若松の首切り事件、今回の岡山駅の突き落とし殺人を見ていると、学力優秀な子が簡単に悪魔になってしまった例ではないだろうか。

  だから、「孟母三遷」は子供の周りの者が常に子供のことを考えてあげて、悪魔にならないようないい環境を作ってあげなければいけないという、教訓として受け止めるべきではないでしょうか。

  その通りです。

  全面的に賛成です。奥様。いい妻を持つとこんな良いことがありますよ。
  

     孟母三遷(もうぼさんせん)

  幼児の教育には環境が大切であるという教え。
  
  孟子(もうし)が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにあった。そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいた。
  孟子の母は、
  「ここはあの子が住むにはふさわしくないところだわ」
  そう考えて引っ越すことにした。

  移り住んだのは市場の近く。孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊んだ。
  孟子の母は言った。
  「ここもあの子が住むにはよくないわ」

  再び引っ越して、今度は学校の近くに住んだ。
  孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。
  「ここならあの子にぴったりね」
  孟子の母はここに腰を落着けることにした。
  やがて孟子は成長すると、六経を学び、後に儒家を代表する人物となった。



  これは史実にはない虚構らしい。

  それはさておき、これは結果解釈の論法である。

  偉大な人物はどの分野に進んでも偉大になったかもしれないのである。

  例えば王貞治氏のあのホームランに賭ける執念は野口英世の執念に通じるし、イチロー選手のひたむきさは宮本武蔵のひたむきに通じていて科学の分野に進んでいたらノーベル賞ものであることは言えると思う。

  孟子だって、墓の近くのまま成人していたら、立派な宗教家になっていて中国の宗教界を変えていたかもしれない。佛教が中国に伝来する200年以上前のことだから、佛教伝来を200年早めたかもしれないし、新たな宗教を起こしていたかもしれない。

  あるいは市場の近くで成人していたら、中国一の商人になって、商業活動を一変していたかもしれない。

  あるいはまた、墓の近くで墓遊びを幼児時代にしたとしても、文字を習って学問を学びたくなったら遠方まで出かけて行って学問修行に励んでやっぱりすばらしい儒者になったかもしれない。

  「孟母三遷」という諺を作った人は、偉い人は親も偉かったという逸話を作りたかっただけではないかと思う。

  リンカーンの生涯を思い起こして欲しい。リンカーンは20歳まで自分の好きな勉強ができなかった。小学校へ通ったのは合計1年足らず。21歳で独立して初めて自分の稼いだ金で自分の好きなことができるようになった。この頃彼は数学や討論術を学ぶ。25歳でイリノイ州の下院議員に当選。25歳より独学で法律を勉強し27歳で弁護士の資格を取る。あらゆる困難を自分の力で克服して大統領になった。そして歴代大統領の中で最も困難な内戦を直接指揮して勝利をつかみとり奴隷解放と言う歴史に残る偉業を達成した。

  だから、私はこの諺を
  「孟子は三遷されなくても孟子になっただろう」
  偉大な人とは困難を自力で切り開くものである。

  「右の頬を打たれたら、ほかの頬をも向けなさい」

  あまりにも、残酷ではある。

  理由もなく人の右頬を打つものに、左頬も出したら、打ってよいと思ってしまって左の頬を打つでしょう。

  なぜ人間は、いわれの無い暴力に耐えなければならないのですか。

  いわれの無い暴力を使う人は、どういうわけか、筋力たくましいことが多いですね。

  人を殴り怪我をさせる事を何とも思っていない場合が多いのではないでしょうか。

  私のような非力は人間には恐ろしい限りです。

  際限の無い暴力をみまわれるのではないでしょうか、という疑念にまとわれ動けなくなります。頬骨が折れてしまうのではないか。前歯が折れてしまうのではないか。さまざまな疑念が走ります。

  生命の危機さえ感じます。


  
  さらに、こちらが暴力を容認することになるのではないでしょうか。

  この悪人は暴力主義者に発展してしまうのではないでしょうか。

  だから、賢明な対処は

  「右の頬を打たれたら、逃げて左の頬を打たれないようにしなさい」

  ではないでしょうか。

  私は、「馬子も衣装を」「馬子こそ衣装」と思っています。

  私のように風采の上がらない人間は「衣装」の力を借りて、衣装を作ってくださった方の芸術的感性を身にまとって少しでもよく見せようとしています。

  ところが、生まれつき格好のよい人、美男子は何を身につけても絵になり、すばらしいと言う人がいます。実に悔しくてざんねんですね。この点でも人間は生まれながらにして不平等です。ものすごく。

  そして、やっぱり人間は外見より中身だと思って「心の洗濯」をします。

  かつてナポレオンは「我が辞書に不可能と言う文字はない」と喝破したと言う。


  私の人生は不可能なことばかりから始まった。


  <何をやってもだめな子>

  子供の遊びの輪の中に入れてもらえなかった。

  幼稚園の入園を頼みに行って簡単に断られた。

  2年間まったく遊び相手のいない幼児期を過ごした。

  ブランコに乗ったことがない。

  滑り台ですべったことがない。

  シーソーに乗ったことがない。

  鉄棒にぶら下がったことがない。

  ガラガラや積み木・電車・自動車のおもちゃ、ぬいぐるみを1つも手にしたことがない。
絵本を一冊も手にしたことがない。

  学校へ上がる前にみんなと大声で童謡を歌ったことがない。

  逆上がりができない子になっていた。

  懸垂ができない子になっていた。

  跳び箱を跳べない子になっていた。体育の時間は一回は跳び箱の前までいって、あたかも目測を誤った振りをして箱の前から退散する。二回目からうろうろして自分の順番をごまかすのに精を出した。

  絵が描けない子になっていた。図画の時間はいつでも未提出に終わった。

  歌が歌えない子になっていた。いつも1人音程が外れている様だった。本人は気持ちよくうたっているのに周りの目線が一斉に非難していた。

  楽器が弾けない子になっていた。5年生の学芸会で、縦笛を担当して、私だけすっとんきょうな音を出してしまって、指揮の先生が困っていたのを今も忘れない。

  <最初の奇跡:英語で100点>

  小学校6年生卒業した日にしっかり分かったことがある。

  学校はどれだけ行っても全員が100点にはしてくれるところではない。100点取りたかったら自分で工夫しなければならない。

  先生に習わない発音記号と辞書調べで英語をやっていたらいつのまにか100点をまぐれで取れていた。

  <2回目の奇跡:苦手の理科で100点>

  中2の時友人が私に理科の100点競争を提案してきた。

  提案者がいじめっ子だったので乗るしかなかった。

  生まれて初めて、試験で100点だけを目的に勉強した。100点は取る気でやれば取れるものであることを知った。

  <3回目の奇跡:実力テストで10番以内達成>

  勉強嫌いだったので家で宿題をやったことがなかった。

  高校進学をどうしようか迷った。就職か進学か。勉強嫌いなくせに本は好きだった。本は一生読みたいと思っていた。待てよ本を読みたかったら高校進学していたほうが良いのではないか。でも他人を蹴落としてまで入学を勝ち取るのは嫌だと思った。

  その時ひらめいた。待てよ。勉強とは何か。そもそも学校へ行って学ぶのは、本来は社会に出ても必要だからだ。中学校で習うことぐらいどれも90点ぐらい取れないと社会に出ても役立たずではないだろうか。

  もしかして、自分の力でどの教科も90点取れるようにしたら楽々と高校に受かるのではないだろうか。

  高校行ってそれからどうする。高校まで行くなら大学まで行かなければ意味がない、となぜか思った。

  どこの大学へ行くのか?地元の金沢大学じゃ大したことがないように思えた。どうしても東京へ行きたいと思った。

  金沢大学に受かるのは地元の高校でよくて30人。その半分は私の中学校の出身者。ということは単純計算しても中学で15番ぐらいには入らないと金沢大学も無理。じゃ東京の大学を目指すには中学時代に10番以内に入らないと無理である。

  ここでも、人を蹴落としてまで順位を上げるのを嫌だと思った。だが待てよ。別に人を蹴落とさなくてもどの教科も90点以上取れるようになれば10番以内に入れるのではないだろうか。

  ここで、私の高校入試の目標が決まった。高校入試合格ではなく、入試科目の9教科全科目90点以上達成。そして10番以内に滑り込むこと。どこの塾や家庭教師も頼まないで。

  ここまで整理し考えるのに3年生の4月から8月までかかった。

  その頃、姉から痛烈な宣告をうける。「あんたなんか行く高校ないよ」中学の3年生400人中、進学者200人の実力テストで120番を取っていた。

  9月の新学期からの私の受験勉強が始まった。

  毎日毎日午後8時から11時まで3時間。押入れに小さな机を持ちこんで、ひたすら来年3月まで覚えておく勉強を始めた。

  遅々として進まない勉強も3ヶ月目から加速度がつき、実力テストで一回も下がらず最後のテストには7番(もしかして5番:ここの記憶が揺れている)だった。勉強を始めた頃クラスでは12,3番だったが、最後には2番になっていた。

  合格発表を見に行く必要が全くなかった。みんなの手前一緒についていって自分の名前を確かめはした。

  高校に合格すると母方の2人のおばがみんなにお祝い金を配るのが慣例だった。
6ヶ月の勉強で120番から7番まで一回も下がらず駆け上がった事実に、私の内面はふつふつと突き上げてくるものを感じていた。生きる希望を感じていた。数知れず持ち合わせていた劣等感のかなりの部分が心から消えていった。
お祝い金をもらうことが悪い気がした。
とてもとてもどんなお金、お祝いの言葉にも代えられない人間の誇りと尊厳を自分の心の中に生み出したように思った。そして熱く燃えるこの気持ちを爆発させる日がいつか来てくれることを心ひそかに願った。
きっとそれは、私の暗い暗い少年期の重いおもりが解ける日であろう。
その日とは、いじめと戦争と貧困がこの地上からなくなる日だろう。

  この時点で、私は

「生きるとは夢を実現するのみにある。夢の実現に邁進しない人生は無価値である。その達成にすべての力を傾注しない人生は偽ものである、と強く感じるようになった。今もこの信念だけは、胸の奥深くに赤々と燃やしつづけて、人生の終末期を歩いている」

  これを簡単に、ナポレオンに習ってまとめると

  「私の辞書には夢と現実とは違うと言う言葉はない」

   と言いたい。

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