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<フィンランド方式の採用で授業の質を維持する>
私が教育に携わりたいと思った原点は小学校5年生の実体験です。確か理科のテストだったのですがテスト用紙を返してもらって,自分の結果を見て70点台だっと思います。家で一回も宿題をしたことがないくせに悪いと思って落ち込んでいました。ふと隣の子の点数を見て驚きました。40点台なのです。
「隣の女の子も僕と同じく勉強嫌いなのだろう。家が野菜販売をしているのをよく見かけるから家で勉強しないことも僕と同じだろう。だが待てよほぼ勉強条件が同じなのに子の点数の差はなんだ?ぼくは勉強すれば80,90に成れるかもしれない。でもこの女の子は大変だろうな。もしこの子が僕が70点台で,他に優秀な子が卓さん居ることを知ったらどんな気持ちになるだろう。悲しくなってしまうのではないか?絶望感に打ちひしがれるのではないだろうか?これ以降私は悪い点数のときは言いふらし,良い点数の時は隠す癖がつきました。
一体ぼくはこの子に何をしてあげることができるのだろうか?僕には教えてあげる力なんか何もない。
ふとその時思いました。
せいぜい僕のできることは、この子のために先生が分からないところを2度3度説明してあげるとき、ぼくも分からないような顔をしてまじめに聞いてあげることじゃないかな。
先生が何度も何度も同じ説明をしても退屈な顔をせず,興味深く聞いてあげることなんだ,と思いました。
それがこの人にできるただ一つのことなんだ。
後になって私はこの「犠牲的行為を人類への連帯行為」「できるもの(=社会的エリート)に課せられた任務と自分では整理しています。」
ところが、現実の教師はこの子に2度3度の説明をしてあげなかった様です。差は固定化され、多分あの女の子は40点の学力のままなのでしょう。
私は塾教師になってからずっとこれを実施しています。学校のテストで90点未満者の補習を実施しています。ずっと年間を通してやっています。土曜,日曜,補習を実施しています。授業料以外一切もらわずにやっています。
私の塾暦30年で一貫しています。
1人でも2人でも10人でもやってきました。
そして初めて100点を取れる人と0点の人との授業は成立するのだと思います。
ところが同じようなことを国際的に目覚しい成果を上げている国があることを昨年知りました。北欧のフィンランドです。
フィンランドはこれを実施している。クラスのレベルを維持するためにできない子を優秀なベテラン先生が1対1で勉強して分からないところを分かるようにしてあげてクラスに返す。下のレベルが上がることによって全体が上がる。
フィンランドは日本より年間授業時間数が100時間少ないそうです。それで日本より生徒の成績がよい。
これこそ教育の理想だと私は思います。
本来それは公教育が目指すべき目標のはずです。
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