人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

教育論

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中学一年生の夏休み明けの実力テストで英作文問題が出ました。

ある女の子のことを述べなさいと言う作文です。その子の名前はAya。三枚の絵が描かれています。一枚は女の子がギターを弾いている。一枚はテニスをしている。最後の一枚は車を運転している。指示は、This is 〜. で始まる文を含めて4つ英文を作れ、とありました。

 その生徒は次のように書きました。きれいな字でしっかり書かれています。
 
 1. This is Aya.

2. She is play the guitar.

3. She is like tennis.

4. She is want a car.

一貫しているミスはbe動詞と一般動詞の区別、特に3単現が分かっていません。

 もちろん正解は

 2. She plays the guitar.

3. She likes tennis.

4. She wants a car.

となるべきでした。

 
 採点は最初の1.だけ2点をもらい、あとの3つは〇点でした。


 本当にこれでいいのでしょうか。ひとつ2点の配点で、8点のうち2点しかもらえないのです。本人の学力が全く問題にならないところで2点もらい、言語力を問われるところが〇点です。

 1.は、設問段階でほぼ正解を教えています。しかし2.から4.までは本人の自由発想です。

 3単現のSでは失敗していますが、難しいguitarをしっかり書き,theも付いています。tennisもつづりは万全で、運動名は冠詞を付けずに書いています。carにはちゃんと不定冠詞がついています。動詞は基本的に3つとも違う動詞を使っています。表現力を問う問題としてはとても豊かな英語力をもっています。音声で伝えるとネイティブの人は3単現には目をつぶってくれて100%意志が通じるのではないでしょうか。

 英作文は総合力が問われています。

 guitarは-u-の無声音が入る難しい単語です。tennisは-nn-とつづりの上では重ねるが音は一つで難単語の一つです。

 スポーツ名は抽象名詞でtheもa/anも付けないが、楽器名はtheをつける。carは数えられる名詞でaをつけなければならない。

 一般動詞にはplay, like, want と様々な意味を持つ動詞がある。これらを区別して覚えなければならない。


 これだけのことがしっかりできている生徒の答案を、〇点にしていいものでしょうか。

 私の言いたいことはこれが、白紙の回答と同じにしていいものでしょうか。

 豊かにわき出ている英語力の泉から本人の努力と人間的営為をくみ取ってあげる努力を教師が失ったらそれはもはや教育ではなく、干からびた差別し、人間をいやしめる場に転落してしまいます。

 人類の向上心に常に敬意を払う人間であり続けたいものです。

学力論争の盲点

「学力」とは、各分野の獲得した知識と問題を解決する能力を測ったものを数値的に表現したものと言える。

  この論議では3つの最も大切なことが忘れられている。ゆえに現実的力を得ないひ弱な議論になってしまっている。



  第1の問題は、学力の基礎にある根本的なもの、すなわち命の問題。生きる問題が欠落したまま論議されている。別表現すれば何のために勉強し、何のために生きるのかという問題が抜け落ちているままの論議になっている。

  奈良県の進学一流校の生徒が医学を目指していながら、暴力を振るう父親に殺意を抱く。父を殺せないとなると、母親と妹・弟を焼き殺してしまう事件が2年前起こった。  

  小学校・中学校で優秀な成績を収めながら、何のために学力を上げなければならないのかという問題を、父からのお仕着せとしてだけでなく、自分の生き甲斐として考えていない。
  
  人間は道具を発明し、改良し、発展させて、歴史の進歩と共に生活を向上させてきた。その原動力は人間が創造的に行ってきた人の幸せを考えて・作る労働である。社会の進歩と共に社会は複雑化し更に進歩を追及するにはより高度な理性と知性を必要としている。それゆえ、本当に社会に貢献したいとなると更に高度な知性を必要とする分野が増える。医学はまさにそういう分野のひとつである。だから真剣に勉強しなければならないし、する価値があるのだ、とは考えないようだ。あるいは考えているが生きる指針にするほどしっかり位置ついていないのだろうか。

  またその学力を何のために使うのかと言う点になるとまるっきり悩んでいない。医者になるという立派な目標を掲げながら、今自分が全く逆の局面に立たされていることに悩んでいない。

  父は人の命を救う医者であるはずが自分を殺し屋に追いこもうとしている。万が一父の殺人を実行したら、「崇高な職業の息子が殺人者」。その当のお医者さんが殺人の犠牲者。母は殺人者の親であると共に夫が殺人の犠牲者。妹と弟は兄が殺人者で父がその犠牲者。一生この2重の重荷を負ってみんな生きていかなければならない。妹、弟は僕が受けている暴力よりはるかにひどい重荷を負って生きることになる。おじいちゃん、おばあちゃん。親戚の人。学校の友人、先生。みんなが重荷を負うことになる。

  ここまで、考えたら絶対に父を殺してはいけない。ましてや母や妹・弟はもってのほかだ。妹・弟だって、生きて努力すれば、第2のアインシュタイン、野口英世、キューリー夫人になれるかもしれない大切な人。1人1人の命は63億分の1だが、その1が63億全体を救う可能性を持ったすばらしい可能性を秘めているのである。絶対に殺してはいけない。

  元々の出発は父の暴力だ。父に暴力をやめてもらえればすべては解決する。
  父が暴力をやめてくれれば、僕はやっぱり医学を目指してがんばる。

  がんばってもし医学の道が切り開かれなかったら別の道を考えてまじめに生きよう。

  この日本には医者になりたくてもなれなかった人、弁護士になりたくてなれなかった人はたくさんいる。異や、なれない人の方が圧倒的に多いのだ。医者になれなくても何も恥ずかしくもないし、不名誉なことではない。たまたまその才能に恵まれなかっただけだ。大切なことはそれぞれの職業で命を大切にして生きることではないだろうか。

  父が暴力廃止を飲んでくれなかったらどうするか。

  やっぱり生きることから始めよう。

  父も生き、自分も生きる。勿論母も妹・弟も生きることを大前提にして考えるとさまざまな方法が考えられるはずである。
  父の不当な暴力を前の母に訴えて母の元に走る。
  現在の母に訴えて妹・弟と4人で逃げることを提案する。そして実行する。不当な暴力主義者から母と妹・弟も救う1番賢明な策であると、私は思う。
  父を暴力主義者として裁判に訴えて、養育費を獲得して1人で生きていく道を考える。そのために父とは一緒に住めない実態を詳細に書いたノートを発表し日本一の弁護士の応援を頼む。
  考えれば、まだまださまざまな方法はあるものである。


  私の言いたいのは、この少年には自分の頭で考える力が全くないことである。

  親もないのにそれは酷といわれるかもしれないが、もう医者になってしまった大人にはだめな人が多い。
  私はそう言う人を乗り越えていく方法を考えたいのである。

  子供たちに与えるべき生命論、労働論を概括してみた。

  <生命論・労働論の概括>

  150億年前に現宇宙がビッグバンによって生まれた。
  50億年前に太陽系が生まれた。
  46億年前に地球が生まれた。
  30億年前に地球上に生命が誕生した。
  6,400年前に小惑星の衝突で恐竜が絶滅し哺乳類の時代が始まった。
  500万年前アフリカを故郷とする人間が世界中に旅を始めた。
  1万年前から人類は文明を持つようになった。

  その過程で四足動物の中の最も足の遅いが敏捷な部類の動物が敵から逃れて木に登り樹上生活を始めて類人猿となった。

  類人猿は樹上生活をする中で水平移動から垂直移動に便利な体型である2足歩行をはじめたこと。
2足歩行を始めることで、手の自由を確保した動物は手に道具を持って敵を撃退し、捕獲し、労働するようになったこと。

  樹上生活の中で敏捷性の点で1番劣る動物が地上生活を多くとり入れたことから、地上で足の速い動物の生存競走を繰り返す中で、道具を発達させ、協働労働を行うようになった。
協働労働は言語を生み出し、人間はどの動物より早い時速1200キロの良し伝達手段を身につけた。
人間の労働はその過程で採集生活から狩猟生活、更に農業生産、牧畜生産と進み生産性は巨大に進化した。

  その中で分業が生まれ、米作りを主体とする人々は1年かけて人においしいお米を作ることに専念し、医者は人の病気・怪我を治すことに専念した。ここに人類は人の幸せを作る動物に飛躍を遂げる。
  この分業の誕生と共に人類が遂げた飛躍が宇宙を未来に向けて大きく開かれた体系の存在に変えたといえる。

  生産性の向上と共に階級社会が生まれ、奴隷社会が現出した。

  階級社会の発生で労働するものとしないものが現れた。また奴隷に肉体労働、厳しい労働を渡すことによって、肉体労働をひいては労働そのものを卑しいもの、汚らわしいものと見る労働忌避の思想が発生する。

  余剰生産物が蓄積されるようになると、それを集団で略奪する行為を行うようになる。ここに戦争が生まれた。

  クラウゼビッツは「戦争は政治の延長」と定義した。私は「戦争は余剰生産物または土地の最も先鋭化した武力を行使しての略奪行為」と定義したい。

  また、植物は光合成によって酸素と糖を生産し地上の生きとし生けるものの生存の元を作り出すようになった。葉っぱの光合成を我々は生命の源としてしっかり掴み取らなければならない。

  道徳・倫理の基礎としてこの生命論と労働論をしっかり義務教育の段階で掴み取ることが何よりも大切である。

   
  
  そして、学力の前提としての「生きる力」を持つ教育を行うことが大切である。



  第2の問題は学力をつける過程の問題である。

  現代評価されているのは、結果としての獲得した学力だけである。

  学力獲得過程で本人の創意と工夫がどれだけ発揮されたか、は一切問題にならない。

  同じ問題を解くに当たってもその過程が先生の丸写しとしての獲得と、創意と工夫を含む獲得では将来の応用力では全く違う。

  創意と工夫が多く入っていればいるほど本人の自信となり生きて新たな地平を切り開いていく現実的な力となる。

  教科書をまとめる。参考書で深く掴み取る。問題集で横断的、系統的につかめたかどうか確かめる。知識の漏れを自覚する。他の参考書・問題集にあたる。本屋へ行ってもっと良い参考書・問題集がないか確かめる。他の学校ではどんな問題集や参考書を使っているのか、探る。友人に質問する。先生に質問する。図書館では何か良いものがないか確かめる。

  こういう過程で日本の出版状況が分かるようになる。その分野での将来の勉強がどういうものがあるか分かるようになる。

  物理はどういう出版者が強いのか?学生向けだけの出版社か?成人用も含めての出版社か?が分かるようになる。大学へ行ったらどこの出版社が良いのかも少しは見越せるようになる。

  日本史・世界史の資料集に強い会社、辞書に強い会社、地図類に強い会社、参考書に強い会社、問題集に強い会社などが分かるようになる。

  これが塾へ行って先生任せとはまったく違う主体的勉強ではないでしょうか。

  予算との関係でどれを買ったら得か、考える。家の予算と許容範囲が分かるようになる。



  アインシュタインが記者団の質問を受けたことがある。

  「πの桁数は何桁暗唱できますか?」

  記者団は固唾を飲んで見守った。何十桁か?、何百桁か?

  「百科事典に載っていることをなぜ覚えなければならないのですか」と逆に記者団に質問を返した。


  ここから、学ばなければならない重大な学力問題があると、私は思う。



  本当の学力とは、今学習の結果として保持している知識の量と、問題を解決する能力だけでなく、学力が必要だと自覚したときに、その学力を自力でつける方法と意慾を持っているかどうかである。
  


  人間は流動化し発展する社会の中に生きていて、絶えず新しい問題にぶつかる、そのときかつての学力、問題解決力では不足することばかりである。

  そのとき新たに挑戦をしていく気力と方法を自分のものにしているかどうかが最も大切なのである。

  だから学力問題の中に、本当の力を見る問題もしのばせて欲しいものである。

  英語であれば、辞書と参考書を与えて難しい英文を訳してもらう。

  新しい分野をどんな参考書や解説書を見ても良いから解いてみる。


  第3の問題点は学力では測れない人間活動の分野が多岐にわたって存在すると言うことが忘れられている。

  学力では測れない人間活動がたくさんある。

  絵画・彫刻・写真などの表現芸術。

  音楽の音声芸術。

  ダンス・日本舞踊の肉体の芸術。

  これらは数値化しても意味がない、といえる側面が多い。

  これを最もはっきり知らされた事態は、ゴッホの絵が生存中に一点も売れなかったという事実である。

  ほかに走る・跳ぶ・投げるの単独競技、野球・サッカーなどのの対人スポーツ競技が人間活動の大きな側面を占めている。

  スポーツは数値で表現できるものもあるが、競技人口が少ないものもあり、学力の数値とはまた違った問題がある。
  

  

  奈良県の進学一流校の生徒が医学を目指していながら、暴力を振るう父親に殺意を抱く。父には実行できないとなると、母親と妹・弟を焼き殺してしまう。この事件から教訓を導き出していきましょう。

  小学校・中学校で優秀な成績を収めながら、何のために学力を上げなければならないのかという問題を、父からのお仕着せとしてだけでなく、自分の生き甲斐として考えていない。
  
  人間は道具を発明し、改良し、発展させて、歴史の進歩と共に生活を向上させてきた。その原動力は人間が創造的に行ってきた人の幸せを考えて・作る労働である。社会の進歩と共に社会は複雑化し更に進歩を追及するにはより高度な理性と知性を必要としている。それゆえ、本当に社会に貢献したいとなると更に高度な知性を必要とする分野が増える。医学はまさにそういう分野のひとつである。だから真剣に勉強しなければならないし、する価値があるのだ。

  またその学力を何のために使うのかと言う点になるとまるっきり悩んでいない。医者になるという立派な目標を掲げながら、今自分が全く逆の局面に立たされていることに悩んでいない。

  父は人の命を救う医者であるはずが自分を殺し屋に追いこもうとしている。万が一父の殺人を実行したら、「崇高な職業の息子が殺人者」。その当のお医者さんが殺人の犠牲者。母は殺人者の親であると共に夫が殺人の犠牲者。妹と弟は兄が殺人者で父がその犠牲者。一生この2重の重荷を負ってみんな生きていかなければならない。妹、弟は僕が受けている暴力よりはるかにひどい重荷を負って生きることになる。おじいちゃん、おばあちゃん。親戚の人。学校の友人、先生。みんなが重荷を負うことになる。

  ここまで、考えたら絶対に父を殺してはいけない。ましてや母や妹・弟はもってのほかだ。妹・弟だって、生きて努力すれば、第2のアインシュタイン、野口英世、キューリー夫人になれるかもしれない大切な人。1人1人の命は63億分の1だが、その1が63億全体を救う可能性を持ったすばらしい可能性を秘めているのである。絶対に殺してはいけない。

  元々の出発は父の暴力だ。父に暴力をやめてもらえればすべては解決する。
  父が暴力をやめてくれれば、僕はやっぱり医学を目指してがんばる。

  がんばってもし医学の道が切り開かれなかったら別の道を考えてまじめに生きよう。

  この日本には医者になりたくてもなれなかった人、弁護士になりたくてなれなかった人はたくさんいる。大切なことはそれぞれの職業で命を大切にして生きることではないだろうか。

  父が暴力廃止を飲んでくれなかったらどうするか。

  やっぱり生きることから始めよう。

  父も生き、自分も生きる。勿論母も妹・弟も生きることを大前提にして考えるとさまざまな方法が考えられるはずである。
  父の不当な暴力を前の母に訴えて母の元に走る。
  現在の母に訴えて妹・弟と4人で逃げることを提案する。そして実行する。不当な暴力主義者から母と妹・弟も救う1番賢明な策であると、私は思う。
  父を暴力主義者として裁判に訴えて、養育費を獲得して1人で生きていく道を考える。そのために父とは一緒に住めない実態を詳細に書いたノートを発表し日本一の弁護士の応援を頼む。

  考えれば、まだまださまざまな方法はあるものである。

  人間は親と地域を選択できずに生まれてくる。

  生んでくれた親がひどいから親を変えてください、と言う話はいまだない。

  でも人間は昔から住む場所をかなり変えることがある。

  ついた職業が移動性を含むとき父親の転勤と共に移動する。

  子供の環境が悪いから家を替わるという話はあまりないが、全くないかと言うとそうではない。

  中国の「孟母三遷」は歴史上教育ママの走りである。

  

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