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葬儀とその後

■通夜・告別式
通夜の前に湯灌で、髪を洗っていただいているとき、夫の口から気持ちいいという声が聞こえてきた気がしました。それも何度も。
私だけではなく、義姉なども同じことを言っていたので、きっと言っていたんだろうと思います。
湯灌の後、ほんのりと薄化粧。生まれて初めての化粧が最後になってしまいました。
化粧をして、開いてしまっていた目と口元も閉じて、いい男になりました。

通夜の夜は、会館に両母と私で宿泊しました。
告別式の後、棺に花を入れるときには悲しくてつらかったのですが、娘にチューしている夫の顔がふと浮かびました。
そのとき、残されたのは私だけで、夫はさほど寂しくないのかもしれない。娘に会えるのだからと思えるようになりました。
喪主として出棺のあいさつをしなければならなかったのですが、まったく頭に文章が入らずとても短い文章でのあいさつになりました。


■葬儀後

葬儀後、義母と一緒に数日過ごしました。
猫の娘はこの写真のように、夫の後祭壇の前に1日何度か座っています。
ただ、お参りしているようなポーズは、夫が戻ってきた日だけ。あとは、夫におしりを向けて座っています。
イメージ 1


昨日は夫の供養を兼ねて、義母とディズニーホテルでお茶をしてきました。
きっと夫も一緒にやってきて、久々のディズニーを楽しんでいたと思います。

葬儀を終えて、私は思ったよりも元気です。
まだまだ、やらなければならないことがたくさんあり、休んでいる暇がありません。
時期が時期なので、喪中はがきも出さなければなりません。
主治医の先生にもまだお手紙を書いていないし。。。
49日が来年の1月8日になるので、葬儀を執り行っていただいた住職と日程も決めなければなりません。

愛猫の食欲がなくなってきたことが気がかりですが、こちらも思いっきり甘やかしてあげてストレス解消してあげねば。

パパ!一人でコツコツやってるよ。

葬儀日程決定

夫の具合が悪くなって、葬儀社は決まっているのかと親族から聞かれてはいましたが、葬儀社をネットで検索することのみで、直接問い合わせるのはどうしてもできませんでした。遺影も同じです。
なくなる当日、少し下調べ位はしておかなければと、重い腰を上げて、疑問に思っていることのみ葬儀社に問い合わせをしました。
夫の呼吸が急におかしくなったのはその後です。こんな電話しなければよかったと後悔しました。

葬儀社の候補はいくつかあり、価格については何も聞いていないのに、安さばかりをアピールするところ、家族葬は一軒家で1日1組限定で行うというところなどいろいろありました。一軒家はゆったりできそうで、候補にはしていたのですが、私の母がちょうどメニエール病になってしまったこと(何度かしています)、両母の膝が悪いことを考えると一軒家でエレベータなしの会場を選択することができませんでした。
結局、大手の葬儀社に決定。
住職は娘の葬儀を行っていただいたところにお願いしてほしいという、夫の遺言があったので、かなり離れたところの方ですが、来ていただけるように日程調整しました。
住職の都合が最優先なので、亡くなって4日後が通夜となりました。
もうしばらく夫といられる。
自宅でお通夜まで安置できないかと葬儀社の方に相談したところ、この家は暖かすぎるため、お預かりしたほうがいいと思うと言われたため、木曜まで自宅安置でその後は、葬儀社で安置していただくことにしました。
今日の昼に自宅を離れ葬儀場へ夫は向かいました。
家にいたいと、入院を頑なに拒んだ夫、その夫の姿をこの家で見ることはないと思うとつらかいのですが、愛猫がずっと私の膝に乗って慰めてくれました。

葬儀前に湯灌は行ってもらうようにしました。
湯灌の種類の中で、お風呂に入れ、身支度を整えるもの(納棺師の方が行てくれるもの)。身支度を整えるもののみと2種類ありましたが、数か月お風呂に入ることができなかった夫を最後にお風呂に入れてあげたい(髪などを洗った上げたい)、という思いが強くあったのでお風呂付を選択しました。

お通夜までは、夫に会いに行き、通夜当日は葬儀場に宿泊する予定。(宿泊できるというのも葬儀場選びのポイントでした)

今日は、夫が寝ていたベッドで眠り、どのような目線で家の中を見ていたのか感じながら過ごしたいと思います。

燃え尽きました

本日、2017年11月21日。主人が永眠いたしました。
パパらしく、最期まで力を振り絞り、医師の予想を超えて。
でも、最期はあっという間に息を引き取ってしまいました。
完全に燃え尽きたという感じです。

癌との闘いに敗れたのか?
ここまで粘ってくるとはがん細胞も思っていなかったのではないでしょうか。生きたいという力がここまで頑張らせてくれたのだろうと思います。

お疲れ様。本当に息ができなくなるくらい苦しくて悲しいけれど、最期まで戦う姿を見ているのも辛かったので、私が逝くまで、娘と親子で楽しんでいてね。
こんな私の夫でいてくれて、本当にありがとう。
最高にかっこいいパパだったよ。


最後の戦い?

抗生剤投与の2日後、痰が止まらず一晩中、咳をしていた夫。
翌日も改善されないため、訪看さんに早めに来ていただき、聴診器をあててもらうと、肺に水が入っている。と。
訪看さんから、在宅医に連絡をしていただき、輸液の量を半分にするという指示が出ました。夫の肺はおぼれているような状態なのだそうです。
酸素供給を上げても、90前後。
おむつ替え時に、右側を下にすると、酸素量が68%くらいまで下がってしまいます。

水が体から出ててくれたらよいのですが、栄養源である輸液を半分にされてしまったのでやせ細った夫の体力がどこまで持つか。

輸液を半分にした翌朝からは、舌好調で、面白いことを言っていましたが、息は苦しそう。面白いことを意識的に言っているのではなく、せん妄状態で言っている感じです。

もう少しでいいから夫の面白い話を聞いていたい。
今まで何度も乗り切ってきたのだから今回もがんばれパパ!



■面白いはなし
木曜の昼頃、カッ!と目を見開き、私の顔を見るなり
(夫)「偽物や!(大阪弁)」
(私)「ちろだよ」
(夫)「違う、偽物や!、怖い」
と本気で怖がっています。


お見舞いに来ていた義姉(私側)が、「〇〇だよわかる?」というと、初めは知らないといていたのですが、じっと見つめて
(夫)「あの一味か!」
みんなびっくり。
夫はあの一味から逃げるように義姉に勧めています。
つづいて、ソファに座っている私を指さし、
(夫)「そいつは、ひどい」といい(そいつ呼ばわり)
本物の、私はどこに行ったか分からない。
ろれつが回らない中、
(夫)「愛してる・・・・・」
というので、小林麻央さんの最期の言葉がよぎったのですが、みんなでもう一度確認すると。
(夫)「愛してる・・・・・」
(私)「あいうえお?」と聞くと
(夫)「あほーーーーーーーー!」(大声)

どうやら、愛してるとは言わないと言っていたようです。
誰に愛してるとは言わないのかまではわからなかったのですが、終始私のことを嫌い、鬼を見ているかのような恐怖を全面に出した顔で私を見ていました。

血圧乱高下

夫は太っていた時代でも、血圧が100ちょっとという低血圧。
ガンの術後は、100あることはほとんどなく、ここ1年は70から80台。
9月の平均は多分78くらいだったのではないかと思います。
10月初めに、血圧が60台になり、熱も出ていたためリンデロンを開始してから、100を超えていた血圧ですが、不穏などで興奮しているとき以外は100になることはなくなり、90台へ。
ここまではゆっくり下降気味。ここにきて、110くらいになる日と70台半ば、ひどいときには60台後半になることも。
血圧は低い状態で安定していればそれほど心配することはないそうですが、110だったり70だったりするのは心臓への負担が多くなりあまり良くないそうです。
乱高下を繰り返しながらでも、徐々に右肩下がりになっている夫の血圧。

今日私が測ったとき、血圧は79と81。実際は、2しか違いはないので誤差の範囲。でも、気分としては80台と70台では大きく違います。
あ、70台になっちゃった、お!80台に復活した。とこんな感じです。
血圧は、痰が絡んでいるときにも、上がったりするので、一喜一憂するのもどうかと頭では分かっていますが、80台だと私が安心して眠れます。70台だと不安で不眠になる。
病院のようにモニターのレンタルができないか検索しようとしたところ、モニターするためには、体にいろいろつけなければならないので、患者にとっては邪魔になる、それをやらないでのんびりとさせるのが在宅のいいところだよと医師の友人に諭され、モニターを付けるのはやめることにしました。


■ストレス解消法

子供のころから、猫の柔らかいお腹に顔をうずめて、毛のフィルターを通して空気を吸っているとストレス解消になっていました。
猫は私の匂いがついてしまうので嫌がりますが、それでも何度もやらせてもらっていました。
これ、最近では、”猫吸い”っていうらしいですね。

”猫は吸うもの”名言です。確かに吸ってます。日に何度も(笑)
猫吸いしすぎると猫のストレスになってしまうかもしれないので、ストレスを与えない程度に、毎日数回吸わせてもらっています。

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