我が家の犬は世界一

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【はじめに】
人間は感情に左右される生き物である。もちろんほかの動物にも感情は存在するが、豊かな感情は神様が与えてくれた人間にとっての特権であると思う。また感情とは、人間が人間らしくあるために欠かせないとても大切なものだ。例えば子犬を見てかわいいと思う、大好きな人を見て愛おしいと思う、そんな気持ちに私たちは支配されていると言っても過言ではないだろう。しかしこの「感情」が、時に私たちを困らせる。感情の中には嫉妬やその他、良いものではないものも含まれているからだ。では、感情に左右されて行動することはいけないことなのだろうか。
 ここで「理性」や「知性」について考えてみる。これらは私たちを支配する、感情と同様に人間特有のものだ。感情に左右されて行動することは決して悪いことではないが、感情ばかりに左右されて行動しても許される年齢には限界がある。つまりその時期までに、私たちは別の概念に頼る行動の仕方を身につける必要がある。私たちは年を重ねるごとに知識や常識を身につけ、「理性」や「知性」を育てていかなくてはいけないのである。この時点で登場してくるものが、クリティカルなものの考え方である。クリティカルなものの考え方とは、簡単に言えば、感情に流されずいかなる時も周囲の状況を考慮に入れて物事を判断し、行動に移すことである。
【本論】
ではこのクリティカルなものの考え方とは、年を重ねて知識や常識を身につければ誰でもすぐに行うことが出来るのだろうか。それほど簡単なものなのだろうか。確かに「すぐに出来るようになる人などいない。」とは断言できないが、ほとんどの人の場合は多少の訓練が必要となる。理由は先ほども述べたように、人間は感情によって支配されている部分が大きいからである。言い換えれば、どんな人でも訓練をつめば、クリティカルなものの考え方が出来るようになるということなのだ。
 それでは、どんなことに注意して訓練をつんでいけばよいのだろうか。クリティカルに物事を考えていくためには様々なことに注意していかなければいけないが、私がこの本を読んで特に感じたことは、クリティカルな思考の基本として何よりもまず、私たちの原因帰属のありかたについて考え、理解することが大事だと言うことだ。私たちは何かにつけて他人の行動について考え、その人の行動の原因を推測し、その原因がどこにあるか、すなわち、原因が内的か外的かという区分けを行っているのである。内的要因とは例えば、その人の性格、行動傾向、気分、願望や欲求、能力などであるが、一方で外的要因としてあげられるものは、他者や、その場面での環境や状況など、その人以外の部分にある原因と考えられる。ここで内的要因か外的要因かを判断する際に役に立つのが「ケリーの立方体」という考え方である。ケリーの立方体では、人物の次元は一致性の高低、対象の次元は弁別性の高低、状況の次元は一貫性の高低を表し、一致性とは他の人々もその行動をしたかどうか、弁別性とはその行動が特定の対象のみに向けられていたかどうか、一貫性とはいつでも同じ行動をするか、ということを表す。
 行動の原因帰属を行うためには、もちろんこの方法が万能というわけではないが、「ケリーの立方体」を用いて人物、対象、状況の3つの原因について一致性、弁別性、一貫性という観点から考えてみることがとても大切である。また、原因帰属を行う際に同時に気をつけなければいけないことは、ステレオタイプ的思考という考え方だ。ステレオタイプとは集団やそのメンバーに対する固定観念的な知識であり、ステレオタイプ的思考とは、ある集団に属するメンバーの共通点は強調されるが集団メンバーとそこに属さない人との違いも強調され、思考が過度に単純化されるということだ。ここで考えなければいけないことは当然、ステレオタイプ化することについての危険性である。思考が単純化され、そこには重視される情報と無視される情報が必ず存在するのだから、ステレオタイプ化した考えが必ずしも正しいとは限らないと考えられる。
 正しい原因帰属を行うためには(特に他人の行動に関しては)主にこの本に書かれている7つのことについて注意しながら行わなければならない。しかしそれだけのことを瞬時に行うことはとても難しいし、たとえ行うことができたとしてもその判断が絶対に正しいとはいえない。人間の判断に絶対正しいということなどありえないからである。私たちが物事を判断するときには、それが特に他人に影響を与える時には、できるだけ慎重にかつクリティカルに判断を下すことが必要となってくる。大切なことは、これらのことを少しでも意識して、自分の考え方を徐々にクリティカルなものにしていくということだと思う。意識しなければ何も始まらない。
 私は「ケリーの立方体」から始まってこの章を読んで衝撃を受けた。人間の行動は、こんな面白いモデルで説明できるのか、と。例えば立方体なんて、極端に言えば数学の問題でしか出てこないだろうと思っていた。
さて、ここからもっと身近な例をとって考えてみたいと思う。突然だが、私は占いが大好きである。雑誌で、「かに座、B型」の占いの欄は欠かさずチェックするし、朝のニュースの占いも、毎日といっていいほど見ている。女の子なら誰でも占いは大好きなはずである。(しかしこの考えこそが、大まかに言えば先ほど紹介したステレオタイプ的思考である。)
 けれども母は私に、占いなんて何を根拠に信じられるのかと尋ねてくる。私はそのたびに一生懸命反論してきた。「なんて夢のないお母さん。」と。しかし気づいたのである。私もいつまでも夢をみているわけにはいかないのでは。と。こんな時こそクリティカルにものを考えるチャンスではないのかと。
 早速実行に移し、じっくり考えてみた。まず念頭においておかなければいけないことは、私がこんなにも占いを無意識のうちに信じるようになった理由である。私にだってそれなりの理由はある。と思っていた。
 しかし人は、その理由が自分の信じている(理解している)論理に当てはまらないと、それを超常現象のせいだ、と解釈しやすいようであり、事故防衛バイアス、認知的不協和解消のための合理化を行う。実際私もそうである。また、私たちの記憶は「強烈さ」によって歪められているということも忘れてはいけない。つまり、私たちが「普通では考えられない」と思ったことで記憶が歪められ、歪められた記憶はその強烈さゆえに容易に思い出すことができ、そのためにその記憶が、超常現象の存在する証拠となってしまうのだ。そして一度超常現象とみなしてしまうと、認知的不協和な状態に直面しても、その考えに固執することによって自分の中で問題を解決しようとする。そうすることで、認知的不協和を回避することができる。簡単な例で言えば、今日とても嫌な出来事があったとする。たまたま雑誌を見ていたら、今日の占いの欄に「今日の運勢は最悪」などとかかれていたら「占いはすごい。やはりこの占いを行っている人には不思議な力があるに違いない。」と考える。そして次に同じようなことがあれば、また占いに話を進めていく。そもそも「かに座、B型」の人なんてこの日本中にはたくさんいるし、その人たちが全員今日不幸であったことなんてありえないのに、私はそんな基本的なことさえ頭から抜けていたのだ。
(私は、あくまで私の思考の浅さをこの例を用いて示したのであって、占いという概念に賛成か反対か、ということを書いているのではない。)
【まとめ】
クリティカルなものの考え方は、習得するためには相応の努力が必要である。すぐに習得できるような考え方ではなく、またある程度の期間を有することである。しかしこの考え方を習得出来れば、私たちの人生がもっと違う色に染まると思う。考え方は、人生を変えることもできるからだ。
 感情に流されて行動することが悪いというわけではない。ただ、クリティカルな考え方を習得しなければ解決できない問題もあるということである。
 一度この本を読むだけではまだまだ十分ではないので、このレポートを書き終えたらもう一回挑戦してみようと思う。
【参考文献】 クリティカル シンキング(入門篇)                
著者:E.B.ゼックミスタ、J.Eジョンソン

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