我が家の犬は世界一

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【序論】
 本レポートでは、米国の実態を捉えた後、米国が今後の日本に与える様々な影響を踏まえながら日本の未来について考える。
 また、つけたしとして、ロジカル・シンキングの必要性を考える。

【本論】
 米国の実態とはどのようなものだろう。
簡潔に言えば、市場の原理を軸とした考え方をする国である、という事。
民営化されてはいけない事まで民営化されてしまったために、人間が人間としての生活を送ることが一部の人間を除いて極端に難しい国であるという事。
 例えば、医療が民営化されてしまったために、病院は株式会社化し、医療サービスそのものに重点を置くのではなく、どのように利益を出すかということに重点をおくようになってしまった。命ではなく、利益に重点が置かれるようになった。
教育というものを民営化してしまったために、平等に教育を受けることができなくなってしまい、そこから教育の格差が生まれ、その格差は将来の格差へとつながっていく。格差はそのまま給料の額へと比例し、給料の額は生活水準にそのまま反映される。
 しかしこの悲惨な実態を、知らない人々は山ほどいるだろう。

「お母さん、外国って何?」
「日本ではない国よ。」
「わからない。」
「そうね、例えばアメリカね。」
「アメリカ?どんな国なの?」
「そうね、お母さんも行った事はないけれど、とっても大きい国で、とっても楽しい国よ。マクドナルドのハンバーガーなんて、日本よりもとっても大きいのよ。だから、ちょっとオデブな人もたくさんいるのよ。」
「ふーん、私も行ってみたい。大きなハンバーガー食べたい。チーズバーガーのほうがいいな。」
「そうね、じゃあ、大人になったら行ってみようね。運動はちゃんとしないとダメよ?」

 電車の中での、小さい女の子とその母親の会話である。日本の子供は知らず知らずのうちに、親から米国は大きくて楽しい国であるという認識を植えつけられているという事を感じた。なぜ米国ではジャンクフードがたくさん消費されているのか。なぜ肥満の人々が多々存在するのか。その原因を知らず、米国は強くて大きくて楽しい国だという認識を、この母親以外のたくさんの日本人が持っているだろう。私もそのうちの一人だった。

 ではなぜこのように、米国に対して好意的なイメージを多くの人が持つのだろう。理由は、好意的なイメージを持つ事しか知らないからである。米国は夢の国、皆に平等に機会が与えられる。そして実力があれば成功できる。成功できなかった人、又は成功する機会を奪われた人がどのような待遇を受けているのかという事実を、知る機会は少ない。こうして好意的なイメージは、親から子供へと伝えられる。

【結論】
 このような環境の下で、日本は現在米国の後を追っているが、このまま米国の後を追い続けた時、どのような結末を辿ることになるのだろう。現在の米国と似たような結果となる事は、火を見るより明らかではないだろうか。
 では、どのような回避策が考えられるのか。
それは、極端な民営化の追求・市場原理の導入を回避することではないだろうか。
回避するために、市場原理の極端な導入と民営化の追求がもたらす結果を私達は知る必要がある。アメリカという国の優れている点は多々存在する。この国から良いことも悪いことも、学ぶべき点は多々存在する。
 良いことは真似しても、悪いことは真似してはいけない。
これは、子供が親から教わる大切なことである。私たちは教わったのだ。ならば、実行しなければいけない。


【つけたし】
 ここからは少し、ロジカル・シンキングについて触れておきたいと思う。
なぜ私達は、ロジカル・シンキングを身につける必要があるのか。
理由は、人と会話をするためである。

 いきなりドンと拳で机を叩き「I have a question!」と叫んだ人がいる。
ある企業説明会での、質問タイムの出来事である。ところが、その人は何を質問したいのか質問内容が全くわからない。質問に答える人は、その企業でみっちりと研修を受けてきた社員の方だ。つまり、しっかりとしたビジネスマンという事。その人達に向かって、とにかくわめき散らして質問しているのだが、質問に答える社員の方は、肝心の質問内容が読み取れないようだった。社員の方が何度も「あなたの言いたいことはこのようなことですか?」と聞きなおしても、今度はその質問内容が異なるといって苛立ち、さらに大声で叫んでいる。
 つまり、大声でわめき散らしているこの質問者は、自分が何を質問したいのかを自分でさえもきちんとわかっていなかったようだ。きちんとした順序で自分の考えを説明できなかったという事である。つまり、コミュニケーションをきちんととることができなかった、ということである。

 これでは人と会話をすることはできない。自分の言いたいことを筋道立ててきちんと相手に伝えることができなければ、相手はやがて会話をすることをやめてしまう。最悪の場合、二度と会話をしてもらえないこともある。人ときちんと会話をし、このような失態をさらさないためにも、相手に筋道立てて話す方法を身につけることはとても大切である。

【参考文献】
ルポ 貧困大国アメリカ  
著者:堤 未果

ロジカル・シンキング 論理的な思考と構成のスキル
著者:照屋 華子、岡田 恵子

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【序論】
 マルクス、エンゲルス、ケインズ。その他様々な経済学者の名前が連なるこの書籍。初めて手にとって見た時の印象は、私の生涯で一番読みにくい書籍となるであろうという、あまり良くないものであった。正直、他人の思想を自分の中に取り込む余裕など持ち合わせていなかった。私には自分の中でイマイチ解釈がうまく持てない問題もあった。考える、ということに疲れていた。そのような状態の時に、このような書籍が私の目の前に置かれたのだ。
 だが読んでみて、私は少しずつだがこの書籍に没頭する自分に気づいた。他人の考えを自分の中に取り込む、という作業は今の私にはそれほどの苦痛を与えることもなく、むしろ楽しかった。以下に、私がある雨の日にこの書籍を読みながら考えたこと、感じたことを書いていこうと思う。

【本論】
 今までに、何かについて、または何かわからない事について、これほど自分の中で自問自答したことはあるだろうか。そしてそのはっきりとした答えが見出せない時に、他人から聞いた言葉によって、自分の考えがよりわからなくなった状態に陥ったら、あなたならどうするだろう。私にとってこの書籍は、確かに「読む」という点に関しては楽しいものであったが、理解し自分の「財産」とするためには、いささか難しいように思えた。そのため、少し狭い視点ではあるかもしれないが、自分のことに置き換えて考えてみることにした。

とりわけ私がこの書籍を読む前に考えていたこと、それは「私はなぜ生きていくのか」ということだった。なにを幸せに思って、なにを後世に残していきたくて、どうやって生きていこうとするのか、ということ。

 この考えは、私が就職活動を行うにあたって「働くとは何か」という考えから派生してきたものだった。あなたにとって、働くとは何だろう。私にとって「働く」ということは、「生きる」ことそのもののような気がしたし、ではどのように生きたいか、と考えた時にたどり着いた答えは「周囲への貢献」だった。

 ただそこで私は霧の中に迷い込んだ気分になった。「周囲への貢献」なんて、他の人も私と同じように考えるだろうか。私はどうせ働くならば、よりたくさんの人を幸せにする仕事がしたい。でも、今の社会はそのような考えが反映されているようには見えない。格差は広がるばかりだし、幼児虐待などの社会問題も減ることを知らない状況だ。そのような状況を改善するためには、まずその根本にある何か、を変えなければならない。それは形を持っていないが、とても大きな影響を持っているもの。人々の「思想」、「ものの考え方」であろう。

 現代の日本の根本にある思想は、やはり「資本主義」ではないだろうか。しかしこの「資本主義」は、過去の偉い経済学者が創り出した、今の経済を支える大きな柱となっているもの。きっと、正しいから今まで日本が成長してきたのであろうし、別にこの考えを私一人が否定したところで、世の中が何も変わるわけではない。だが、私には何か別のよりどころが必要だった。それは、今が正しいわけではないとしながら、私の考えも否定しない、自分自身を満たしてくれる考え。足並みを皆と同じに揃えられなくなってしまったことへの恐怖を取り除いてくれる、ほんの少しの言葉が必要だった。それが、この書籍の中に見つけることができた。正確に言えば、見つけられたように思える。

 私の考えをある人に話したら「あなたの考えは、理想ばかりを追い求めすぎているのではないか。」と言われたし、別の人は「考えすぎでしょう。別に働くってそんな大きいことでもないでしょう。お金のかわりにこちらは労働力を提供する。その交換。ただそれだけ。労働力と交換したお金で、私たちは生活していくだけ。そんな、思想家じみたことをやっても結局は答えにたどり着かないし、時間の無駄でしょう。」と言われてしまった。ある意味正しいのかもしれないが、私は今でも考え続けている。時間の無駄でも、それは私にとっては無駄ではないと思うのだ。

【結論】
 この書籍を読んだ印象としては、どちらかというと過去の偉大な経済学者たちがどのような生い立ちで、どのようにその考えを確立させていったか、という過程が記されているように思えた。だから私は私なりの、ひとつのトピックスに対する自分の考え(確立されてはいなかったが)を持って読み進めていた結果、自分と似ている考えの話を、第五章「ユートピア社会主義者たちの夢」で読むことができた。ここでは、具体的に「どのページの誰の話」という明記は控えさせていただきたい。なぜならば、私自身の考えがまだ確立していないときにこのようなことを明記してしまうと、どうしてもその人寄りの考えになってしまう傾向が強くなる、と思うからだ。

 今回、あるひとつの疑問を深く自分に問い詰めるうちに、その答えがわからなくなり自分を見失う、という経験をした。そしてその状態でこの書籍を手にして、なんとなく自分が自分でいて良いのだ、という許可を得たような気持ちになった。今回のレポートは、まだ自分自身への疑問の答えが確立していないので、言葉で自分の考えを表現することが難しく、今ここまで読んでくれた人たちにもうまく伝わっていないと思う。だが、私が思うことは、このような書籍は、自分の考えというものを少しでもいいから持って読まなければ、全く意味を成さない、ということである。自分なりの指針をもてた時に、過去の偉大な経済学者の思想を学ぶことで、何かを得ることができる。その何かは形に見えなくとも、頭の中にはっきりとした姿で現れなくとも、である。

【参考書籍】
入門経済思想史 世俗の思想家たち
ロバート・L・ハイルブローナー

【序論】
 「木を見る西洋人、森を見る東洋人」というこの書籍の名前を見て、みなさんは何を感じただろう。私は正直に言えば、森を見る東洋人の物の考え方の方が、木を見る西洋人の考え方よりも優れているのではないか、という印象を受けた。木は森の一部であり、森は全体だからだ。全体を見ることができる東洋人の方が、一部分を見る西洋人より、視野が大きいのだ、と思った。
 でも、この考えはとても危険な考えであることが、この書籍を読むに従ってわかってきた。別に、考え方の違いに優劣は存在せず、ただそこには「違い」というものだけが存在する。それ以上でのそれ以下でもない。ということを少しずつではあるが、理解した。

【本論】
 先日、私がこの書籍を読みながら電車に乗っていると、そばでかわいい赤ちゃんがぐずり始めた。その赤ちゃんの父親は外国人の方であり、母親は日本人の方であった。赤ちゃんとはぐずる姿も泣く姿も、何とも可愛いもので、私はその姿を見ながら「元気な赤ちゃんだな、それだけ元気なら、安心安心。」と微笑みながらその光景を見ていた。そこへ、一人の中年の日本人男性が乗車してきた。その人は、ぐずりながら父親にあやされている赤ちゃんをひと目見たその瞬間、こう言った。「まったく、これだから外国人の親はだめなんだ。ここは日本だぞ。まったく。親が悪いから、子供が泣くんだろう。とっとと泣きやませろ。」

 この人は日本の恥だ。と、その瞬間私は思い、正直後ろから蹴っ飛ばして、まだ開いている電車の扉から追い出してやろうかと思った。この夫婦が両者とも日本人だったら、この人は同じ文句を言ったであろうか。しかし、私はその人を蹴っ飛ばして電車から追い出す事よりも、なぜその人がそのようなことを言ったのか、このような事を口走るような考え方の背景は、いったいどのようなものなのか、気になった。
 人間、特に日本を含め東洋人は、個人より集団を重んじる習慣がある。その習慣自体に悪いことはないのであろうが、私たち東洋人は、自分が少数派の人間になった途端、自分が劣っているような、間違っているような、そのような感覚に陥ってしまう。そのような事はないのに、どうしても多数派が正しい、多数派の物事の考え方が正しい、と考えがちである。
 当たり前であるが、日本には日本人が多い。実際、私が乗っていた電車の乗客は、ほとんどが日本人であった。つまり、あの中年男性の頭の中では「日本=日本人が多い=正しい考えなのは日本人(良い考えなのは日本人)」という方程式が成り立っていたのだろう。その方程式がもとになり「日本人の子育てと外国人の子育ての違いから、この赤ちゃんは今、泣き止まない」という結論に至り「外国人はだめだ」などという発言をしたのだろう。

 この書籍は、西洋人と東洋人の考え方の違いや、思考の違いが生まれた社会的背景などが書かれている。私はこの書籍を読んで、少し考え、この書籍が何に通じるか、考えてみた。正直難しいこともたくさん書かれていたので、私はこの書籍の全部を理解したわけでもない。この書籍を読むことで、西洋人と東洋人の思考の違いや、様々なことがわかった。でも、だから何なのだろう。読み終わり、数日もたてば、内容だって忘れてしまう。私が感じたことは、この電車内での出来事から、西洋人と東洋人の考え方の違い、人と人との考え方の違い、個人間の違い、そういうものを理解し、認めることができない現実が、この世の中には存在するのではないか、と思った。自分と他人の考えに優劣などつけることは出来ないのに、知らないうちに自分や周囲の人たちが優劣をつけてしまう。ただそこに存在するだけの「違い」というものを受けいれず、優劣をつけることから差別が生まれてしまうのではないか、と思った。少数派の意見、自分とは異なる考え方や意見を、否定するのではなく理解し、受け入れることはできなくとも認めることが必要ではないのか、と痛切に思った。そうすれば、例えば体に障害を持った人が偏見の目にさらされたり、学校でのいじめ問題というものも、なくなるのではないだろうか。

【結論】
 今述べた私の考え方だって、他方から見ればとても極端な考え方であるし、狭い範囲のことしか見ることができていないという視野の狭さも含んでいることは自分でもわかっている。だが、どうしても、この書籍を読んで「そうなのだ。」と、ただ書いてあることに納得するだけの消化の仕方では嫌だったので、批判や間違いを承知でこのレポートを書いてみた。どうか、私の考えは間違っているという結論を下すのではなく、このような考え方の人間も存在するのだと、認めていただけたら幸いである。

 「外国人の親だから子供が泣き止まない」といわれた外国人の父親の方は、本当に悲しそうな目をしていた。母親の方は、その様子を黙って悲しそうに見ていた。二人のそばでいつの間にか泣きやみ、笑っていたあの赤ちゃんが、この二人と同じような思いをせずにすむようになることを、私は心の底から願うばかりである。

【参考文献】
木を見る西洋人 森を見る東洋人
著者:リチャード・E・ニスベット
翻訳:村本由紀子 

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【序論】
 論理的思考が大切であると、私たちは耳が痛くなるほど何度も言われてきた。しかし、論理的思考とはどのようなものなのか、またそのような思考を行う際に、有用となるツールを私たちは具体的に知ることはなかった。KJ法とは、このようなモヤモヤした状態をスッキリさせる方法でもあり、物事を筋道立てて考え、更に深く理解する際にとても役に立つものである。

【本論】
 では、実際にKJ法を使用して伝統的日本と現代に至るまでの経緯を見てみようと思う。昔は、いわゆる「武士道」が重んじられてきた時代であった。日本の文化や歴史を大切にし、「卑怯」という概念をきちんと教え続けることで更に武士道の真髄を極めた。また自然と対立するのではなく自然と共存し、自然に敬意をはらってきた。その事が、日本人特有である自然に対して風情や情緒を感じる心へとつながり、日本独特の文化を発展させた。日本の環境は「日本のエリート」を育成し、日本を支え続けた。このような良いサイクルを生み出した根底には「武士道」という物の考え方が根付いていた。
 「武士道」とは高き身分のものに伴う義務であり、武士の心に刻み込まれた掟である。フェアプレー精神を第一とし、卑怯を憎む、というものである。主に「義、勇、仁、礼、誠」を柱とし、名誉は命以上に大切な価値とされた。

 しかし戦争という時代のいたずらに翻弄された結果、日本は米国の支配下に置かれることとなってしまった。米国の支配下でグローバリズムが進む中、日本は高度経済成長期に突入し目覚しい経済的発展を遂げ、その結果、論理が異常に重んじられる時代へと変化した。実力主義が唱えられ、家庭や教育の崩壊が進んだ。武士道はいつの間にか忘れ去られ、日本人が日本人の心を忘れてしまった。日本人が日本人の心を忘れるということは、つまり国家の品格を失ってしまったということである。日本人が特有に持っていた良さが、急速に進むグローバル化によって失われつつある。

 余談となるが、私が現代の日本が武士道から乖離したことにより日本の品格を国民全体が失いかけている現状の主な理由として、特に女性の変化が理由ではないか、と思っている。なぜなら、武士道の対象となっている男性を生み、育てるのは主に女性であるからである。戦後の経済発展と共に欧米化、グローバル化が進められ、女性の考え方や地位も変化を遂げた。その結果、武士道が良しとする女性像を、現代の女性達はあまり好まない。なぜならば、武士道が良しとする女性像は、極めて家庭的であり、自らを献身することこそ女性である、としているからである。 私達は現在、男女は平等であるのだから、女性が社会に進出し、男性陣と張り合いながら業績を上げていくことは必要である、と教えられている。しかし、なぜ「男性は外に出て働き、女性は家庭を守る」という考え方ができていたのか。それは、極論を言ってしまえば、家庭を守ることは男性にはできないし、外で家族を養うために働き続けることは女性にはできないからである、と私は思う。武士道は、このような男女間の役割をしっかりと見極めた上で形成されているものなのではないだろうか。

 このようなことを書くと、現在社会で大活躍中の女性に反感を買いそうで大変怖いが、私は決して、女性が外で働くことは悪いことである、と言いたいのではない。むしろ、現在活躍している女性はすごいと思う。並大抵でない努力を必要とし、その努力を続けた結果、手に入れるべきものを手に入れていると思うからである。では私は家庭的で自らを献身する女性か、と問われたら、すぐに頷くことはできない。私だって社会に出て仕事をしたいし、活躍したい。だが、果たして昔は、日本の女性はこのようなことを思っただろうか。日本の品格を国民全体が失いかけている現状の主な理由が女性の変化なのであるならば、自分が生まれた瞬間から教えてこられたことを否定され、心の葛藤を強いられるのも、また女性である。

【結論】
 つまり、私は日本をこの状態から本当に救うためには、まず女性から話を始めていくことが良いのではないか、と考える。例えば車を購入するとき、誰が最終決定権を持っているのだろう。夫の側にいる、家庭の財務省役員である妻である。例えば子供の教育方法を考えるとき、一番といっていいほど影響力を持つのは誰なのだろうか。毎日外で自分たちのために体を張ってくれている夫と、毎日子供の面倒を見ている妻である。
 男性が必要でない、と言っている訳ではない。そうではなく、現状を改善するためには、まず女性に焦点をあててみると、もしかしたらうまくいくのではないか、という事である。
 今回は3冊の課題本を読み、KJ法により伝統的な日本を見る、というものだが、KJ法は、他人が行ったものを書籍で読み進める事と、自分で行っていくことでは天と地程の差があることを痛感した。今回私が自分で行ったKJ法は、はっきり言えばKJ法とは言えないものであることは十分に痛感している。しかし、何度も見直しているうちに様々なものが集約してしまい、一人で進めてもこれ以上どうしたら良いかがわからない。だから他人と協議することが必要なのか、と思った。

【参考文献】
武士道
著者:新渡戸稲造

国家の品格
著者:藤原正彦

発想法
著者:川喜田二郎

【序論】
プロジェクトはなぜ失敗するのか、そう聞かれたら、皆さんはどう答えるであろうか。
「協力できなかったから」、「意見をまとめて1つの方向へ皆が進めなかったから」、などと、様々な理由が飛び交うであろう。私も、このように聞かれたら「グループ全体の意見がまとまらず、皆が同じ方向に向かって進めなかったから」と答えるだろう。しかしこの答えはとても抽象的で、いざ解決策を練ろうと思った時、どうしたら良いかわからずに戸惑うハメになる。そして結論は「一人ひとりの思考の違いによる衝突」が原因となり、結果的に「どうしようもないのかもしれない」という半ば諦めが入った状態で物事が終わることとなる。
もしかしたら、皆さんはプロジェクトを進めるときに、このようにはならないかもしれない。しかし私は、思い返せばこのような事が多かった気がする。「なぜだろう。」と原因を考えても、それに対する明確な解決方法が見つからず、似たような事を何度も繰り返し、現在に至ってしまった。

【本論】
では、どのようにしたら私の場合は解決に向かうのであろうか。その完全な答えとまではいかないが、ヒントがこの書籍に記されていたと思う。
まず、この書籍を読んでびっくりしたことは「成功を基準にするのではなく、『失敗を基準にプロジェクトを考える』視点」という文である。(登場人物がいきなり増えるが)似たような言葉を私は何回も母から言われていたのである。母はいつも「物事を進める際に基準とすることは、成功ではなく失敗である」と言っていた。例えば就職活動や受験の際、私達は成功体験をこぞって聞こうとする。成功した人は、どのようにしてその成功を勝ち取ったのか、という事を、体験談から一生懸命学ぼうとする。
しかし、それでは不十分なのである。成功体験よりもより重要な事は、失敗体験を聞くことである。どのようにしたら失敗するのか、という事をその話から学び、失敗を招くような行動を取らなければ良い。「成功するためにとる行動」と「失敗を招かないためにとる行動」は、一見同じような意味に見えるが、このように物事を捉える視点を変化させるだけで、成功するためにとる行動を考えていた時には見えなかった有益な行動が発見できるようになる。
就職活動や受験の場合は、成功体験から学ぶという視点を変化させなくとも自分の満足いく結果を導き出せるかもしれないが、こと企業内部で行われるプロジェクト、特にIT分野のプロジェクトは不確実性がとても高いため、成功体験から学ぶという視点を変化させない限り、成功の道をたどることは難しいと考えられる。
このように、今までの状況を打破し、新しい考え方を身につけ、プロジェクトを成功に導くために有益であるひとつのツールとして、プロジェクト・マネジメントが挙げられる。

私はこの書籍を読み進めている間、この書籍は当たり前のことを言っているように思えた。プロジェクト・マネジメントというツールはとても有益な方法である。しかしその中身は、言われてみれば当たり前のように理解できてしまう。リスクを考慮し、自分達が進むべき目的地をメンバーにはっきりと伝え、それによりビジョンを明確にする。目的地がはっきりすることにより、メンバーのモチベーションも上がる。ふむ、その通りである。
では、この書籍が言いたいことは、このような誰にでもすんなり理解できるツールのことだったのであろうか。

私はこの書籍を読み終わった後、この書籍が言いたかった事をしばらく考えてみた。そして、ある結論にたどり着いた。
この書籍が言いたかったことは、最初の章であった「視点を変化させる」ということの大切さと難しさ、そして頭では理解できている(できる)ことを実際に行動に移し、成功させることの難しさではなかったのだろうか、と思った。筆者は、1つの物事に対して、どのように考えればそれが次の成功に結びつくのか、という事を、たくさんの例と共に述べていた。また、頭では理解できている事を実行に移す際、それが成功しやすいように、たくさんのヒントを私達に与えてくれていた。

【結論】
では書籍で学んだことを実際に活用してみよう。読んで、頭で理解するだけでなく、実行に移すことが大切である。身近な例では、夏合宿におけるシステム構築の班行動はどうだろう。自分の就職活動における考え方、捉え方はどうだろう。就職活動だって、自分一人ではなく、仲間と乗り切るものである。
誰かが言っていた。「悪くなる事を考えているなんて、臆病者のすることよ。どうして成功した時の事を考えないの。」
確かに、ある面では臆病者と捉えることができるかもしれないが、それは一人で生活している場合であって、集団で何かを成し遂げる時にはその「臆病者」になることで、成功の道を歩む場合だって多々ある。「臆病者」になるか「用心者」になるか、この捉え方もまた、視点の変化によるものであろう。

【参考文献】プロジェクトはなぜ失敗するのか  伊藤健太郎 著

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