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			<title>我が家の犬は世界一</title>
			<description>犬が大好きな私のブログです～あんまり関係ないことばかり書いていますが、ご了承ください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>我が家の犬は世界一</title>
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			<description>犬が大好きな私のブログです～あんまり関係ないことばかり書いていますが、ご了承ください。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane</link>
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		<item>
			<title>ロジカル・シンキングで米国の実態を捉える　～米国の実態を知らない日本人が辿る道～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　本レポートでは、米国の実態を捉えた後、米国が今後の日本に与える様々な影響を踏まえながら日本の未来について考える。&lt;br /&gt;
　また、つけたしとして、ロジカル・シンキングの必要性を考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　米国の実態とはどのようなものだろう。&lt;br /&gt;
簡潔に言えば、市場の原理を軸とした考え方をする国である、という事。&lt;br /&gt;
民営化されてはいけない事まで民営化されてしまったために、人間が人間としての生活を送ることが一部の人間を除いて極端に難しい国であるという事。&lt;br /&gt;
　例えば、医療が民営化されてしまったために、病院は株式会社化し、医療サービスそのものに重点を置くのではなく、どのように利益を出すかということに重点をおくようになってしまった。命ではなく、利益に重点が置かれるようになった。&lt;br /&gt;
教育というものを民営化してしまったために、平等に教育を受けることができなくなってしまい、そこから教育の格差が生まれ、その格差は将来の格差へとつながっていく。格差はそのまま給料の額へと比例し、給料の額は生活水準にそのまま反映される。&lt;br /&gt;
　しかしこの悲惨な実態を、知らない人々は山ほどいるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「お母さん、外国って何？」&lt;br /&gt;
「日本ではない国よ。」&lt;br /&gt;
「わからない。」&lt;br /&gt;
「そうね、例えばアメリカね。」&lt;br /&gt;
「アメリカ？どんな国なの？」&lt;br /&gt;
「そうね、お母さんも行った事はないけれど、とっても大きい国で、とっても楽しい国よ。マクドナルドのハンバーガーなんて、日本よりもとっても大きいのよ。だから、ちょっとオデブな人もたくさんいるのよ。」&lt;br /&gt;
「ふーん、私も行ってみたい。大きなハンバーガー食べたい。チーズバーガーのほうがいいな。」&lt;br /&gt;
「そうね、じゃあ、大人になったら行ってみようね。運動はちゃんとしないとダメよ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　電車の中での、小さい女の子とその母親の会話である。日本の子供は知らず知らずのうちに、親から米国は大きくて楽しい国であるという認識を植えつけられているという事を感じた。なぜ米国ではジャンクフードがたくさん消費されているのか。なぜ肥満の人々が多々存在するのか。その原因を知らず、米国は強くて大きくて楽しい国だという認識を、この母親以外のたくさんの日本人が持っているだろう。私もそのうちの一人だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ではなぜこのように、米国に対して好意的なイメージを多くの人が持つのだろう。理由は、好意的なイメージを持つ事しか知らないからである。米国は夢の国、皆に平等に機会が与えられる。そして実力があれば成功できる。成功できなかった人、又は成功する機会を奪われた人がどのような待遇を受けているのかという事実を、知る機会は少ない。こうして好意的なイメージは、親から子供へと伝えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　このような環境の下で、日本は現在米国の後を追っているが、このまま米国の後を追い続けた時、どのような結末を辿ることになるのだろう。現在の米国と似たような結果となる事は、火を見るより明らかではないだろうか。&lt;br /&gt;
　では、どのような回避策が考えられるのか。&lt;br /&gt;
それは、極端な民営化の追求・市場原理の導入を回避することではないだろうか。&lt;br /&gt;
回避するために、市場原理の極端な導入と民営化の追求がもたらす結果を私達は知る必要がある。アメリカという国の優れている点は多々存在する。この国から良いことも悪いことも、学ぶべき点は多々存在する。&lt;br /&gt;
　良いことは真似しても、悪いことは真似してはいけない。&lt;br /&gt;
これは、子供が親から教わる大切なことである。私たちは教わったのだ。ならば、実行しなければいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【つけたし】&lt;br /&gt;
　ここからは少し、ロジカル・シンキングについて触れておきたいと思う。&lt;br /&gt;
なぜ私達は、ロジカル・シンキングを身につける必要があるのか。&lt;br /&gt;
理由は、人と会話をするためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　いきなりドンと拳で机を叩き「I have a question!」と叫んだ人がいる。&lt;br /&gt;
ある企業説明会での、質問タイムの出来事である。ところが、その人は何を質問したいのか質問内容が全くわからない。質問に答える人は、その企業でみっちりと研修を受けてきた社員の方だ。つまり、しっかりとしたビジネスマンという事。その人達に向かって、とにかくわめき散らして質問しているのだが、質問に答える社員の方は、肝心の質問内容が読み取れないようだった。社員の方が何度も「あなたの言いたいことはこのようなことですか？」と聞きなおしても、今度はその質問内容が異なるといって苛立ち、さらに大声で叫んでいる。&lt;br /&gt;
　つまり、大声でわめき散らしているこの質問者は、自分が何を質問したいのかを自分でさえもきちんとわかっていなかったようだ。きちんとした順序で自分の考えを説明できなかったという事である。つまり、コミュニケーションをきちんととることができなかった、ということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これでは人と会話をすることはできない。自分の言いたいことを筋道立ててきちんと相手に伝えることができなければ、相手はやがて会話をすることをやめてしまう。最悪の場合、二度と会話をしてもらえないこともある。人ときちんと会話をし、このような失態をさらさないためにも、相手に筋道立てて話す方法を身につけることはとても大切である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
ルポ　貧困大国アメリカ　　&lt;br /&gt;
著者：堤　未果&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロジカル・シンキング　論理的な思考と構成のスキル&lt;br /&gt;
著者：照屋　華子、岡田　恵子</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/42197789.html</link>
			<pubDate>Thu, 15 May 2008 21:30:06 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>入門経済思想史　世俗の思想家達 ～ある雨の日の午後に考えたこと～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　マルクス、エンゲルス、ケインズ。その他様々な経済学者の名前が連なるこの書籍。初めて手にとって見た時の印象は、私の生涯で一番読みにくい書籍となるであろうという、あまり良くないものであった。正直、他人の思想を自分の中に取り込む余裕など持ち合わせていなかった。私には自分の中でイマイチ解釈がうまく持てない問題もあった。考える、ということに疲れていた。そのような状態の時に、このような書籍が私の目の前に置かれたのだ。&lt;br /&gt;
　だが読んでみて、私は少しずつだがこの書籍に没頭する自分に気づいた。他人の考えを自分の中に取り込む、という作業は今の私にはそれほどの苦痛を与えることもなく、むしろ楽しかった。以下に、私がある雨の日にこの書籍を読みながら考えたこと、感じたことを書いていこうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　今までに、何かについて、または何かわからない事について、これほど自分の中で自問自答したことはあるだろうか。そしてそのはっきりとした答えが見出せない時に、他人から聞いた言葉によって、自分の考えがよりわからなくなった状態に陥ったら、あなたならどうするだろう。私にとってこの書籍は、確かに「読む」という点に関しては楽しいものであったが、理解し自分の「財産」とするためには、いささか難しいように思えた。そのため、少し狭い視点ではあるかもしれないが、自分のことに置き換えて考えてみることにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とりわけ私がこの書籍を読む前に考えていたこと、それは「私はなぜ生きていくのか」ということだった。なにを幸せに思って、なにを後世に残していきたくて、どうやって生きていこうとするのか、ということ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この考えは、私が就職活動を行うにあたって「働くとは何か」という考えから派生してきたものだった。あなたにとって、働くとは何だろう。私にとって「働く」ということは、「生きる」ことそのもののような気がしたし、ではどのように生きたいか、と考えた時にたどり着いた答えは「周囲への貢献」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただそこで私は霧の中に迷い込んだ気分になった。「周囲への貢献」なんて、他の人も私と同じように考えるだろうか。私はどうせ働くならば、よりたくさんの人を幸せにする仕事がしたい。でも、今の社会はそのような考えが反映されているようには見えない。格差は広がるばかりだし、幼児虐待などの社会問題も減ることを知らない状況だ。そのような状況を改善するためには、まずその根本にある何か、を変えなければならない。それは形を持っていないが、とても大きな影響を持っているもの。人々の「思想」、「ものの考え方」であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　現代の日本の根本にある思想は、やはり「資本主義」ではないだろうか。しかしこの「資本主義」は、過去の偉い経済学者が創り出した、今の経済を支える大きな柱となっているもの。きっと、正しいから今まで日本が成長してきたのであろうし、別にこの考えを私一人が否定したところで、世の中が何も変わるわけではない。だが、私には何か別のよりどころが必要だった。それは、今が正しいわけではないとしながら、私の考えも否定しない、自分自身を満たしてくれる考え。足並みを皆と同じに揃えられなくなってしまったことへの恐怖を取り除いてくれる、ほんの少しの言葉が必要だった。それが、この書籍の中に見つけることができた。正確に言えば、見つけられたように思える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私の考えをある人に話したら「あなたの考えは、理想ばかりを追い求めすぎているのではないか。」と言われたし、別の人は「考えすぎでしょう。別に働くってそんな大きいことでもないでしょう。お金のかわりにこちらは労働力を提供する。その交換。ただそれだけ。労働力と交換したお金で、私たちは生活していくだけ。そんな、思想家じみたことをやっても結局は答えにたどり着かないし、時間の無駄でしょう。」と言われてしまった。ある意味正しいのかもしれないが、私は今でも考え続けている。時間の無駄でも、それは私にとっては無駄ではないと思うのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　この書籍を読んだ印象としては、どちらかというと過去の偉大な経済学者たちがどのような生い立ちで、どのようにその考えを確立させていったか、という過程が記されているように思えた。だから私は私なりの、ひとつのトピックスに対する自分の考え（確立されてはいなかったが）を持って読み進めていた結果、自分と似ている考えの話を、第五章「ユートピア社会主義者たちの夢」で読むことができた。ここでは、具体的に「どのページの誰の話」という明記は控えさせていただきたい。なぜならば、私自身の考えがまだ確立していないときにこのようなことを明記してしまうと、どうしてもその人寄りの考えになってしまう傾向が強くなる、と思うからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回、あるひとつの疑問を深く自分に問い詰めるうちに、その答えがわからなくなり自分を見失う、という経験をした。そしてその状態でこの書籍を手にして、なんとなく自分が自分でいて良いのだ、という許可を得たような気持ちになった。今回のレポートは、まだ自分自身への疑問の答えが確立していないので、言葉で自分の考えを表現することが難しく、今ここまで読んでくれた人たちにもうまく伝わっていないと思う。だが、私が思うことは、このような書籍は、自分の考えというものを少しでもいいから持って読まなければ、全く意味を成さない、ということである。自分なりの指針をもてた時に、過去の偉大な経済学者の思想を学ぶことで、何かを得ることができる。その何かは形に見えなくとも、頭の中にはっきりとした姿で現れなくとも、である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考書籍】&lt;br /&gt;
入門経済思想史　世俗の思想家たち&lt;br /&gt;
ロバート・L・ハイルブローナー</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/39376382.html</link>
			<pubDate>Tue, 15 Jan 2008 23:31:34 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>木を見る西洋人、森を見る東洋人～世界観の違いと差別について～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　「木を見る西洋人、森を見る東洋人」というこの書籍の名前を見て、みなさんは何を感じただろう。私は正直に言えば、森を見る東洋人の物の考え方の方が、木を見る西洋人の考え方よりも優れているのではないか、という印象を受けた。木は森の一部であり、森は全体だからだ。全体を見ることができる東洋人の方が、一部分を見る西洋人より、視野が大きいのだ、と思った。&lt;br /&gt;
　でも、この考えはとても危険な考えであることが、この書籍を読むに従ってわかってきた。別に、考え方の違いに優劣は存在せず、ただそこには「違い」というものだけが存在する。それ以上でのそれ以下でもない。ということを少しずつではあるが、理解した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　先日、私がこの書籍を読みながら電車に乗っていると、そばでかわいい赤ちゃんがぐずり始めた。その赤ちゃんの父親は外国人の方であり、母親は日本人の方であった。赤ちゃんとはぐずる姿も泣く姿も、何とも可愛いもので、私はその姿を見ながら「元気な赤ちゃんだな、それだけ元気なら、安心安心。」と微笑みながらその光景を見ていた。そこへ、一人の中年の日本人男性が乗車してきた。その人は、ぐずりながら父親にあやされている赤ちゃんをひと目見たその瞬間、こう言った。「まったく、これだから外国人の親はだめなんだ。ここは日本だぞ。まったく。親が悪いから、子供が泣くんだろう。とっとと泣きやませろ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この人は日本の恥だ。と、その瞬間私は思い、正直後ろから蹴っ飛ばして、まだ開いている電車の扉から追い出してやろうかと思った。この夫婦が両者とも日本人だったら、この人は同じ文句を言ったであろうか。しかし、私はその人を蹴っ飛ばして電車から追い出す事よりも、なぜその人がそのようなことを言ったのか、このような事を口走るような考え方の背景は、いったいどのようなものなのか、気になった。&lt;br /&gt;
　人間、特に日本を含め東洋人は、個人より集団を重んじる習慣がある。その習慣自体に悪いことはないのであろうが、私たち東洋人は、自分が少数派の人間になった途端、自分が劣っているような、間違っているような、そのような感覚に陥ってしまう。そのような事はないのに、どうしても多数派が正しい、多数派の物事の考え方が正しい、と考えがちである。&lt;br /&gt;
　当たり前であるが、日本には日本人が多い。実際、私が乗っていた電車の乗客は、ほとんどが日本人であった。つまり、あの中年男性の頭の中では「日本＝日本人が多い＝正しい考えなのは日本人（良い考えなのは日本人）」という方程式が成り立っていたのだろう。その方程式がもとになり「日本人の子育てと外国人の子育ての違いから、この赤ちゃんは今、泣き止まない」という結論に至り「外国人はだめだ」などという発言をしたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この書籍は、西洋人と東洋人の考え方の違いや、思考の違いが生まれた社会的背景などが書かれている。私はこの書籍を読んで、少し考え、この書籍が何に通じるか、考えてみた。正直難しいこともたくさん書かれていたので、私はこの書籍の全部を理解したわけでもない。この書籍を読むことで、西洋人と東洋人の思考の違いや、様々なことがわかった。でも、だから何なのだろう。読み終わり、数日もたてば、内容だって忘れてしまう。私が感じたことは、この電車内での出来事から、西洋人と東洋人の考え方の違い、人と人との考え方の違い、個人間の違い、そういうものを理解し、認めることができない現実が、この世の中には存在するのではないか、と思った。自分と他人の考えに優劣などつけることは出来ないのに、知らないうちに自分や周囲の人たちが優劣をつけてしまう。ただそこに存在するだけの「違い」というものを受けいれず、優劣をつけることから差別が生まれてしまうのではないか、と思った。少数派の意見、自分とは異なる考え方や意見を、否定するのではなく理解し、受け入れることはできなくとも認めることが必要ではないのか、と痛切に思った。そうすれば、例えば体に障害を持った人が偏見の目にさらされたり、学校でのいじめ問題というものも、なくなるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　今述べた私の考え方だって、他方から見ればとても極端な考え方であるし、狭い範囲のことしか見ることができていないという視野の狭さも含んでいることは自分でもわかっている。だが、どうしても、この書籍を読んで「そうなのだ。」と、ただ書いてあることに納得するだけの消化の仕方では嫌だったので、批判や間違いを承知でこのレポートを書いてみた。どうか、私の考えは間違っているという結論を下すのではなく、このような考え方の人間も存在するのだと、認めていただけたら幸いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「外国人の親だから子供が泣き止まない」といわれた外国人の父親の方は、本当に悲しそうな目をしていた。母親の方は、その様子を黙って悲しそうに見ていた。二人のそばでいつの間にか泣きやみ、笑っていたあの赤ちゃんが、この二人と同じような思いをせずにすむようになることを、私は心の底から願うばかりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
木を見る西洋人　森を見る東洋人&lt;br /&gt;
著者：リチャード・E・ニスベット&lt;br /&gt;
翻訳：村本由紀子　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/38103459.html</link>
			<pubDate>Tue, 20 Nov 2007 22:34:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>KJ法で伝統的日本を見る～女性と武士道について～</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f9-04/chironoane/folder/884034/31/37194431/img_0?1192520900&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
【序論】&lt;br /&gt;
　論理的思考が大切であると、私たちは耳が痛くなるほど何度も言われてきた。しかし、論理的思考とはどのようなものなのか、またそのような思考を行う際に、有用となるツールを私たちは具体的に知ることはなかった。KJ法とは、このようなモヤモヤした状態をスッキリさせる方法でもあり、物事を筋道立てて考え、更に深く理解する際にとても役に立つものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　では、実際にKJ法を使用して伝統的日本と現代に至るまでの経緯を見てみようと思う。昔は、いわゆる「武士道」が重んじられてきた時代であった。日本の文化や歴史を大切にし、「卑怯」という概念をきちんと教え続けることで更に武士道の真髄を極めた。また自然と対立するのではなく自然と共存し、自然に敬意をはらってきた。その事が、日本人特有である自然に対して風情や情緒を感じる心へとつながり、日本独特の文化を発展させた。日本の環境は「日本のエリート」を育成し、日本を支え続けた。このような良いサイクルを生み出した根底には「武士道」という物の考え方が根付いていた。&lt;br /&gt;
　「武士道」とは高き身分のものに伴う義務であり、武士の心に刻み込まれた掟である。フェアプレー精神を第一とし、卑怯を憎む、というものである。主に「義、勇、仁、礼、誠」を柱とし、名誉は命以上に大切な価値とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし戦争という時代のいたずらに翻弄された結果、日本は米国の支配下に置かれることとなってしまった。米国の支配下でグローバリズムが進む中、日本は高度経済成長期に突入し目覚しい経済的発展を遂げ、その結果、論理が異常に重んじられる時代へと変化した。実力主義が唱えられ、家庭や教育の崩壊が進んだ。武士道はいつの間にか忘れ去られ、日本人が日本人の心を忘れてしまった。日本人が日本人の心を忘れるということは、つまり国家の品格を失ってしまったということである。日本人が特有に持っていた良さが、急速に進むグローバル化によって失われつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　余談となるが、私が現代の日本が武士道から乖離したことにより日本の品格を国民全体が失いかけている現状の主な理由として、特に女性の変化が理由ではないか、と思っている。なぜなら、武士道の対象となっている男性を生み、育てるのは主に女性であるからである。戦後の経済発展と共に欧米化、グローバル化が進められ、女性の考え方や地位も変化を遂げた。その結果、武士道が良しとする女性像を、現代の女性達はあまり好まない。なぜならば、武士道が良しとする女性像は、極めて家庭的であり、自らを献身することこそ女性である、としているからである。 私達は現在、男女は平等であるのだから、女性が社会に進出し、男性陣と張り合いながら業績を上げていくことは必要である、と教えられている。しかし、なぜ「男性は外に出て働き、女性は家庭を守る」という考え方ができていたのか。それは、極論を言ってしまえば、家庭を守ることは男性にはできないし、外で家族を養うために働き続けることは女性にはできないからである、と私は思う。武士道は、このような男女間の役割をしっかりと見極めた上で形成されているものなのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このようなことを書くと、現在社会で大活躍中の女性に反感を買いそうで大変怖いが、私は決して、女性が外で働くことは悪いことである、と言いたいのではない。むしろ、現在活躍している女性はすごいと思う。並大抵でない努力を必要とし、その努力を続けた結果、手に入れるべきものを手に入れていると思うからである。では私は家庭的で自らを献身する女性か、と問われたら、すぐに頷くことはできない。私だって社会に出て仕事をしたいし、活躍したい。だが、果たして昔は、日本の女性はこのようなことを思っただろうか。日本の品格を国民全体が失いかけている現状の主な理由が女性の変化なのであるならば、自分が生まれた瞬間から教えてこられたことを否定され、心の葛藤を強いられるのも、また女性である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　つまり、私は日本をこの状態から本当に救うためには、まず女性から話を始めていくことが良いのではないか、と考える。例えば車を購入するとき、誰が最終決定権を持っているのだろう。夫の側にいる、家庭の財務省役員である妻である。例えば子供の教育方法を考えるとき、一番といっていいほど影響力を持つのは誰なのだろうか。毎日外で自分たちのために体を張ってくれている夫と、毎日子供の面倒を見ている妻である。&lt;br /&gt;
　男性が必要でない、と言っている訳ではない。そうではなく、現状を改善するためには、まず女性に焦点をあててみると、もしかしたらうまくいくのではないか、という事である。&lt;br /&gt;
　今回は3冊の課題本を読み、KJ法により伝統的な日本を見る、というものだが、KJ法は、他人が行ったものを書籍で読み進める事と、自分で行っていくことでは天と地程の差があることを痛感した。今回私が自分で行ったKJ法は、はっきり言えばKJ法とは言えないものであることは十分に痛感している。しかし、何度も見直しているうちに様々なものが集約してしまい、一人で進めてもこれ以上どうしたら良いかがわからない。だから他人と協議することが必要なのか、と思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
武士道&lt;br /&gt;
著者：新渡戸稲造&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国家の品格&lt;br /&gt;
著者：藤原正彦&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
発想法&lt;br /&gt;
著者：川喜田二郎</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/37194431.html</link>
			<pubDate>Tue, 16 Oct 2007 16:48:20 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>プロジェクト・マネジメント ～本当に大切なこと～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
 プロジェクトはなぜ失敗するのか、そう聞かれたら、皆さんはどう答えるであろうか。&lt;br /&gt;
「協力できなかったから」、「意見をまとめて1つの方向へ皆が進めなかったから」、などと、様々な理由が飛び交うであろう。私も、このように聞かれたら「グループ全体の意見がまとまらず、皆が同じ方向に向かって進めなかったから」と答えるだろう。しかしこの答えはとても抽象的で、いざ解決策を練ろうと思った時、どうしたら良いかわからずに戸惑うハメになる。そして結論は「一人ひとりの思考の違いによる衝突」が原因となり、結果的に「どうしようもないのかもしれない」という半ば諦めが入った状態で物事が終わることとなる。&lt;br /&gt;
 もしかしたら、皆さんはプロジェクトを進めるときに、このようにはならないかもしれない。しかし私は、思い返せばこのような事が多かった気がする。「なぜだろう。」と原因を考えても、それに対する明確な解決方法が見つからず、似たような事を何度も繰り返し、現在に至ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
 では、どのようにしたら私の場合は解決に向かうのであろうか。その完全な答えとまではいかないが、ヒントがこの書籍に記されていたと思う。&lt;br /&gt;
まず、この書籍を読んでびっくりしたことは「成功を基準にするのではなく、『失敗を基準にプロジェクトを考える』視点」という文である。(登場人物がいきなり増えるが)似たような言葉を私は何回も母から言われていたのである。母はいつも「物事を進める際に基準とすることは、成功ではなく失敗である」と言っていた。例えば就職活動や受験の際、私達は成功体験をこぞって聞こうとする。成功した人は、どのようにしてその成功を勝ち取ったのか、という事を、体験談から一生懸命学ぼうとする。&lt;br /&gt;
しかし、それでは不十分なのである。成功体験よりもより重要な事は、失敗体験を聞くことである。どのようにしたら失敗するのか、という事をその話から学び、失敗を招くような行動を取らなければ良い。「成功するためにとる行動」と「失敗を招かないためにとる行動」は、一見同じような意味に見えるが、このように物事を捉える視点を変化させるだけで、成功するためにとる行動を考えていた時には見えなかった有益な行動が発見できるようになる。&lt;br /&gt;
就職活動や受験の場合は、成功体験から学ぶという視点を変化させなくとも自分の満足いく結果を導き出せるかもしれないが、こと企業内部で行われるプロジェクト、特にIT分野のプロジェクトは不確実性がとても高いため、成功体験から学ぶという視点を変化させない限り、成功の道をたどることは難しいと考えられる。&lt;br /&gt;
 このように、今までの状況を打破し、新しい考え方を身につけ、プロジェクトを成功に導くために有益であるひとつのツールとして、プロジェクト・マネジメントが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 私はこの書籍を読み進めている間、この書籍は当たり前のことを言っているように思えた。プロジェクト・マネジメントというツールはとても有益な方法である。しかしその中身は、言われてみれば当たり前のように理解できてしまう。リスクを考慮し、自分達が進むべき目的地をメンバーにはっきりと伝え、それによりビジョンを明確にする。目的地がはっきりすることにより、メンバーのモチベーションも上がる。ふむ、その通りである。&lt;br /&gt;
では、この書籍が言いたいことは、このような誰にでもすんなり理解できるツールのことだったのであろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 私はこの書籍を読み終わった後、この書籍が言いたかった事をしばらく考えてみた。そして、ある結論にたどり着いた。&lt;br /&gt;
この書籍が言いたかったことは、最初の章であった「視点を変化させる」ということの大切さと難しさ、そして頭では理解できている（できる）ことを実際に行動に移し、成功させることの難しさではなかったのだろうか、と思った。筆者は、1つの物事に対して、どのように考えればそれが次の成功に結びつくのか、という事を、たくさんの例と共に述べていた。また、頭では理解できている事を実行に移す際、それが成功しやすいように、たくさんのヒントを私達に与えてくれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
 では書籍で学んだことを実際に活用してみよう。読んで、頭で理解するだけでなく、実行に移すことが大切である。身近な例では、夏合宿におけるシステム構築の班行動はどうだろう。自分の就職活動における考え方、捉え方はどうだろう。就職活動だって、自分一人ではなく、仲間と乗り切るものである。&lt;br /&gt;
誰かが言っていた。「悪くなる事を考えているなんて、臆病者のすることよ。どうして成功した時の事を考えないの。」&lt;br /&gt;
確かに、ある面では臆病者と捉えることができるかもしれないが、それは一人で生活している場合であって、集団で何かを成し遂げる時にはその「臆病者」になることで、成功の道を歩む場合だって多々ある。「臆病者」になるか「用心者」になるか、この捉え方もまた、視点の変化によるものであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】プロジェクトはなぜ失敗するのか　　伊藤健太郎　著</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/36020933.html</link>
			<pubDate>Tue, 04 Sep 2007 22:27:36 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>システム・シンキング ～論理的思考技術とは～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　皆さんは、この書籍の名前を初めて耳にしたとき、どんな感想を持っただろうか。「システム・シンキング」という書籍の題名を初めて聞いたとき私は、この書籍は自分が消化できる本ではないだろうと思った。システムというくらいである、プログラミング特有の言語や、その他たくさんの私の苦手な内容が盛り込まれた書籍だろうと思った。書籍の内容の話を聞いて、どもそうではないらしい、ということがわかったが、しかし人間という生き物は不思議なもので、一回苦手そうだと認識してしまったら、なかなか一歩踏み出す勇気が出ない。&lt;br /&gt;
　そんな私に、この書籍のページを開かせたきっかけは、私が大学で受講している「システム分析」という授業である。まだシステムという概念、またシステム分析というものが一体どんなものなのか、完全に認識できているというわけではないかもしれないが、今回のレポートは、私が授業で学んだことを少し引用しながら、書いていこうと思う。&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　そもそもシステムとは何か。アンダーソンによれば、システムとは、互いに関係しあう複数の構成要素の集まりであり、これらの構成要素が、統合された複雑なシステムを形作っている、と記されている。(2001、P,16～P,17)　しかし、この構成要素を認識しようとする時、私達は本当に客観的にこれらを見ることができているだろうか。&lt;br /&gt;
　ほとんどの人が、この「客観的に見る」という作業が出来ないのである。なぜならば、自分の中に形成されている「常識」というフレームワークを無意識に用いてしまうからである。構成要素間の関係に問題が発生した場合、この作業がきちんと出来ないと、問題解決の糸口をきちんと見分けることが出来ず、正しいと思われる解答を見出すことが困難となってくる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ここで少し考えてみたい。なぜ私たちは物事を客観的に捉えなければいけないのだろう。&lt;br /&gt;
それは、問題を解決するためである。つまり、問題解決方法という「知識」を構築したいのである。ところが「知識を構築する」という作業は、今までの私達の勉強方法では、ほとんど不可能に近いのである。なぜなら、私達は今まで、「知識」とは最初から存在するものであり、その「知識」を言語を使用して解明していく、という作業の結果から生じた「学問」を学んできたからである。そのため、今起こっている問題を、自分が持っている常識を用いてそれらしく説明することはできるかもしれないが、本当の問題解決方法を構築するまでには至ることができないのである。つまり、私達が得意とする学習方法では、自然的な現実しか認識することが出来ない。&lt;br /&gt;
　ところが問題はそれでは解決しない。なぜならば、何度も言っているが、私達がしなければいけないことは、問題の解決方法という知識を構築することだからである。&lt;br /&gt;
　構築という作業を行う時点で、そこに知識が存在するという仮定は存在しない。つまり、物事は普遍的なものなどない。このような仮定のもとに存在するものが、先ほどの自然的現実と相反する、社会的現実というものである。このような概念の中で大切なことは、自分が今現在持っている“常識”や“知識”に対してクリティカルなスタンスを持つことである。(この作業で、クリティカル・シンキングが役に立つ。)　自分が今持っている認識や常識にクリティカルになることができて初めて、知識が構築できるのである。&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　つまりシステム・シンキングとは、問題解決方法という知識を構築する上で効果的な方法であり、社会的現実を構築し、理解していく上でも効果的な方法である、ということである。システム・シンキングを行う上で大切なことは、全体像をしっかりと捉えることである。アンダーソンによれば、システム思考では、目の前の出来事だけに集中せずに、広い視野から全体像を見る。現在存在している問題はすべて、大きなシステムに含まれているはずだから、問題の原因を見つけ出すためには、視野を広くして大きなシステムを捉える必要がある、とある。（2001、P,38～P,39）また、システム・シンキングとは、プログラミング言語を使用してシステムを構築するのではなく、自分の頭の中に存在する“点”を“線”につなげるための論理的な方法でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしせっかく学んだシステム思考を、実際に使用してみなければ、身につくものも身につかない。システム思考を身につけるには、日々コツコツとした努力が必要である。継続は力なり、である。また何事に対しても、好奇心を持ち、注意深く物事を考える、という姿勢は大切である。ちょっとした問題に対してシステム思考を用いてみると、もしかしたら今まで発見できなかった問題や考え方が浮かんでくるかもしれない。&lt;br /&gt;
　いずれにせよ、今まで自分を支えてきた常識という概念にクリティカルになって物事を考えることにより、そこに生じている問題をより広い視点から捉えることができるようになる。そしてその結果、より正確な問題を発見し、意思決定を行うことが出来るようになる。システム・シンキングとは、私達がビジネスマン、ビジネスウーマンとして社会に出て行く時に、いずれ必要となる思考方法である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考書籍】&lt;br /&gt;
システム・シンキング&lt;br /&gt;
バージニア・アンダーソン/ローレン・ジョンソン　著</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/32605467.html</link>
			<pubDate>Tue, 22 May 2007 00:37:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>真実の瞬間 ～最初の15秒の大切さとこれからの発展について～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　初対面の人の印象はだいたい約30秒で決まってしまうというような話を聞いたことがある人は私だけではないと思う。話し方や身のこなし方、目線などの使い方でほぼ決まってしまうそうだ。少し理不尽でもあるような形で脳裏に焼きついたその人の第一印象は、よほどのことがない限りそれ以降は修復も改善もされにくい。第一印象は、一番とはいわなくとも、とても大切なものである。&lt;br /&gt;
　人間だけでなく企業にとっても第一印象、企業のイメージも例外ではない。本書は企業のイメージを印象付けるときに最も大切といっても過言ではない最初の15秒、すなわち「真実の瞬間」がどれほど大切か、またその瞬間を大いに活用するためにいかにして戦略を講じていったかがわかりやすく記してある。今回は自分なりにこの書籍を解釈しながら、今まで輪読で使用してきた他の二冊の書籍と併せて考えたことを記していこうと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　著者は数社の社長を経験し、経営状態があまりよくなかった企業を、組織構造を改革することによって再建させている。この内容の中で私がまず興味を引かれたことは、顧客のニーズに直接、迅速に対応するために階層的な責任体制を排除したというところである。組織構造を改革するなど、言うはたやすいが実行することはきわめて困難なことである。（それを実際に行ったというのだから、何と顧客思いの社長なのだ、と少し感激してしまった。）このような改革を行うことにより、様々な利点が生じてきた。&lt;br /&gt;
  第一に、改革の結果、分権化が進み権限委譲が行われたことで、従業員の意識が変化した。現場で働いている従業員の仕事へのモチベーションがあがり、独創性も富み、真実の瞬間である15秒を有効に活用することができるようになった。&lt;br /&gt;
  第二にコミュニケーションに関してである。分権化が進みある程度フラットな組織になると、情報の伝達も正確さを増す。そうなることで、企業理念も浸透しやすくなる。著者がコミュニケーションに関してとても大きな関心を持つことができたことも、成功の重要な要因であると考えられる。&lt;br /&gt;
もちろん良いことばかりがおこったわけではない。モチベーションが低下してしまった従業員の例もあった。中間管理職の人々である。しかし著者は、この問題にもきちんと取り組み、解決へと進んでいった。&lt;br /&gt;
  第三に、経営者のあるべき姿、リーダーシップに関してである。リーダーはすべての知識をもち、すべての経営判断をするために選ばれるわけではなく、活用できる知識を統合し、優先事項を設定するために任命されている。リーダーは、日常業務の遂行責任を社員に委譲できる機構をつくりあげるのだ、と著者は言っている。（1990、P.47）つまり大切なことは、高所から細部にとらわれることなく全体を把握すること、他人の意見をよく聞き、意思決定した事をしっかりと伝達し、人々をやる気にさせることである。自らすべての意思決定を行うことではない。&lt;br /&gt;
　このような内容を読んで、私は少し考えることができた。これでも私は一応部活の部長を任されている。私は頭では「自分一人で物事を決定するのではなく、みんなで協力するべき」という考えは理解していたが、果たして本当にこの考えのように行動していたであろうか。少し疑問が残った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　では、このようにして成功を収めたスカンジナビア航空は、これから先の発展はもう望めないのであろうか。企業には限界が存在するのだろうか。私はそうは思わない。現に著者はもう“第二の波”について記しているし、前回の課題で私たちが読んだ「経験経済」の中にだってたくさんのヒントが隠されている。&lt;br /&gt;
　私がこの書籍を読んで感じたことは、やはり航空業界はまだサービス経済なのだな、ということである。ここからは、経験経済と少しだけ話をからめていこうと思う。&lt;br /&gt;
では、航空業界をさらにより良い経済へと発展させていくためにはどうしたらよいのか。方法はたくさん存在するはずである。例えば、経験をより鮮やかにする4E領域に沿って考えてみたらどうだろう。&lt;br /&gt;
そもそもスカンジナビア航空は、ビジネスマンを主な顧客としているのであるからゆえに、提供できる経験も多少ではあるが限られてしまうかもしれない。&lt;br /&gt;
  これから参加する会議について考えているのに、まわりがディズニーランドのようであったら二度とこの航空会社は利用するまいと私なら心に誓う。また、提供できるサービスや経験も、ビジネスマンとビジネスウーマンだったら異なる場合があるかもしれない。&lt;br /&gt;
　航空業界はこのような理由も含め、もしかしたらサービス経済から経験経済への移行が難しい業界なのかもしれない。しかしだからこそ、それを達成することができた企業がこの業界の中で生き残っていくのだろう。機内がまるでディズニーランドのようになることはないとは思うが、現在行っているサービスに頼りきっているだけでは競争には勝つことができない。スカンジナビア航空は、様々な意味で、これからも注目し続けていく必要がある企業だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
真実の瞬間　著者：ヤン・カールソン　訳　：堤猶二&lt;br /&gt;
経験経済　　著者：B・J・パイン供J・H・ギルモア　訳　：岡本慶一、小高尚子&lt;br /&gt;
経営学入門　著者：榊原清則</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/26720880.html</link>
			<pubDate>Tue, 09 Jan 2007 22:24:33 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>経験経済 ～これからは経験経済の時代である～</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
　先日、何気なくテレビのチャンネルをまわしていたところ、ふとある番組に目がとまった。その番組は、数あるデパートの中でも有名な「伊勢丹」を取り上げていた番組だった。番組が始まった時の司会者の言葉は「買い物というエンターテイメント、つまり経験を売っている伊勢丹」というものだった。偶然にもこの書籍を読み始める前だったのだが、面白そうなので見てみることにした。今回のレポートではこの伊勢丹の話を取り上げつつ、私が学習したこと、思ったことを書いていきたいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
　伊勢丹の経営者は店舗のことを「劇場」と呼び、今まで子供の遊び場としての認識がなされていた屋上でファッションショーを開催するなど、デパートという概念をことごとく根底から覆す催し物や戦略をとっていた。昔は「帯の伊勢丹」と呼ばれ、とにかくよそでやらないことをやるという、他のデパートとは一味も二味も異なる差別化を図っていた。戦後、10代の子供達を初めてターゲットにした店も、おせち料理を初めて売ったのも（現在340億円産業へと発達）、バレンタインにチョコレートを取り入れたのも（現在600億円市場に発達）、みんな伊勢丹が初めてだそうだ。最近では、買い物は女の人の楽しみ、女の人がするものだという考えを見事に覆した。「男の人の“こだわり”もビジネスになる。」と考え、メンズ館の品揃えも豊富である。（405億円市場へと成長。）男性化粧品なるものも充実し、下着も様々なものが揃えてあった。ディズニーの年間入場者数2500万人を大幅に超える3000万人という入店者数をほこる伊勢丹、一体どんなからくりを秘めているのだろうか。&lt;br /&gt;
　私は、テレビで見た内容が頭から離れないうちにと、この番組を見終わって次の日からこの書籍を読み始めた。まさにグッドタイミングであった。この本に、答えに近づくことができる考え方が載っていたからである。&lt;br /&gt;
　これからのビジネスは経験ビジネスであるべきで、そうでなければ成長が望めない。顧客をゲストと呼び、ゲストに対して忘れられないような経験をステージングし、ゲストはそれに対して対価を支払うようになる、というのがこの本の最初に書かれていたことである。また、その際にステージングされる経験は、鮮やかであればそれだけゲストの心にはっきりと残り、リピートもしやすくなる。つまり、経験を鮮やかにステージングし提供することが、企業に求められることなのである。&lt;br /&gt;
　この点で、伊勢丹はどうか。この書籍には「経験を鮮やかにする4Ｅ領域」というものが載っている。一番古くから存在するであろう経験領域であるエンターテインメント（娯楽）、顧客個人の積極的参加が不可欠なエデュケーション（教育）、エンターテインメントやエデュケーションよりはるかに深く経験に入り込むことになるエスケープ（脱日常）、個人が自らを投入する具体的なイベントや環境に影響を与えることはほとんどないであろうエステティック（美的）の4つである。エデュケーション経験に参加する人は「学ぶ」ことを求め、エスケープ経験をする人は何かを「する」経験を求め、エンターテインメント経験をする人は「感じる」経験をする。そしてエステティック経験をする人は、そこに「いる」ことを求めるのである。さらに、4Ｅ領域を1つにして提供することで、経験の「本物らしさ」は高めることができる。1つの領域を突出させても良いが、それより効果的な方法は、いろいろな取捨選択をしながら、いくつもの経験領域の境界線を自由に超えられるようにすることである。この領域に伊勢丹の例を合わせてみるとどうなるであろうか。&lt;br /&gt;
　ここで、さきほど少しだけ触れた、伊勢丹のチョコレート市場について考えてみる。伊勢丹は、チョコレートをファッションの延長と捉えている。常に新規開拓、お客様を喜ばせることができるような商品を日々バイヤーは探している。ここで、伊勢丹は少し変わった展示品をチョコレートのショーケースの隣に展示した。チョコレートの原材料のカカオと説明である。「このチョコレートのおいしさの背後には、このような物語が存在します。」というように、お客様に展示していたのだ。そうすることで、原材料が辿ってきた道筋がわかり「だからこんなにおいしいのか。」と納得できる。これはエデュケーションである。また、コンシェルジュという買い物アドバイザーも伊勢丹には存在し、これもエデュケーションの1つに含まれるのではないだろうか。買い物にエデュケーションが加わると、それだけでも買い物自体が楽しくなる。何も知らずに買うのと、そうでないのとでは、やはり買い物の楽しさが異なる。これでエンターテインメント領域につながる。また、一歩外に出れば屋上でのファッションショーはエステティックである。このように、伊勢丹は様々な4Ｅ領域を網羅しているのだ。買い物を、買い物以上の経験に変えてお客様に提供していることが、高いリピーターの確保の一因になっているようである。余談だが、番組に出演していた美輪明宏さんも、伊勢丹をこよなく愛するリピーターの一人である。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
　ここまでこの書籍を読んできて私には1つ疑問が生じていた。「経験経済」という概念はとても大切である。しかし何となくしっくりこない気分があった。経験経済の上の段階はもうないのだろうか。この経済概念で、すべてを網羅できるのであろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この疑問に答えてくれた概念がきちんとこの書籍に書いてあった。きっとこの書籍を読む人は皆、私と同じことを考えるのだろう。&lt;br /&gt;
　私の疑問をキレイに解決してくれた概念、それは「変革経済」である。変革経済は特に顧客こそが商品と捉える。消費者は経験を求める。ではなぜ経験を求めるのであろうか。それは、経験を通して自分自身を変えたいからである。「ああ、そうか。」と、納得してしまった。&lt;br /&gt;
　経験は、変革を導く舞台を作り出すのだ。これが、経験経済と変革経済のつながりである。また、資質を変化させるような変革経済の次にくる唯一の経済価値は、自己の別な側面を取り上げた目標やまったく異なる世界観から生まれた目標を新しく設定した別の種類の変革だけである。（パイン＆ギルモア、2005、ｐ.237）つまり変革経済の次の経済を決定づけることは、個人的な領域の話になってしまうので出来ないのだ。経済概念の中で、一番優れているものは、変革経済なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　しかし現在はサービスのコモディティ化が進み、世間では未だに経験経済の価値が認められないケースも多く見られる。そのため、変革経済の話を進めていくにはまだ早い。大切なことは、経験経済の概念を企業が理解し、その概念に基づいてビジネスを展開し、市場を成長させていくことであると思う。そうしなければ、変革経済の話は進まない。変革経済よりまずは、変革経済の柱となる経験経済を世の中に浸透させるべきなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私はまだまだ、親のすねをかじっている大学生である。なので、いきなりこのような難しそうな書籍を読んでも、理解できるのか不安だった。このような書籍は、ビジネスマンやビジネスウーマンの人達が読む物のように感じたからだ。しかし読んでみて、すねかじりの大学生でも考えられることがたくさんあった書籍であった。もちろん内容すべてを理解したわけではないが、読む前と読み終えた後では、明らかに視点が高くなったような気がする。私も自称ビジネスウーマンの卵である。これからの社会がどう変化していくのか、自分なりに、注意深く見ていきたいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
新訳　経験経済　　著者：Ｂ・Ｊ・パイン&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　Ｊ・Ｈ・ギルモア</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/25645539.html</link>
			<pubDate>Tue, 19 Dec 2006 22:07:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>小倉昌男 経営学 【クロネコヤマトのケーススタディーから見る経営学】</title>
			<description>【序論】&lt;br /&gt;
「経営学」と一言に言ってもそれぞれ各自違う概念を持っていると思われるが、私が経営学を学ぶ時期に小倉昌男氏の考える経営学の概念を記してあるこの書籍を手に取れた事は、私のこれからの勉学上における「経営学」の概念を形成していく上でとても大きな役割を成していくと思われる。それほどに、私はこの書籍にとても共感できる部分が多かったし、書かれている内容に興味を持ちながら読み進めていくことが出来た。確かにこの書籍の中に書かれていることが全てではないが、それでもこの書籍の中には、大切なことがたくさん書かれている。このレポートでは、特に私が共感・学習できた部分を少々取り上げて見ていきたいと思う。&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
まず１つに、過去の成功の災いを取り除くために、ターゲットとする市場を商業貨物から個人宅配へと切り替え、事業の体制も多角化ではなくたった１つのサービスに絞るという差別化戦略への切り替えを行ったことである。商業貨物を扱うのでなければ、もう１つの市場は相手が郵便局しかないとても魅力的な市場であり、かつ成功すれば爆発的に業績が伸びていく市場であることをいち早く察知し、既存の事業から潔く撤退し、市場の隙間を発見し、そこでうまく新たな事業を展開していったことはヤマト運輸の成功要因の重要な１つであることは否めないと思う。差別化とは文字の通り、顧客のニーズを満たすプロセス全体のどこかで競争相手との間に差を作り、競走上の優位を作ることである。優位性が生まれる場所としては、価格、製品の性能、広告、イメージ、アフターサービス、流通など様々な分野が挙げられるが、クロネコヤマトの差別化において特に他の企業と異なることは、サービス全般の差別化とビジネスシステムの差別化、流通経路の差別化である。&lt;br /&gt;
（＊ビジネスシステムの差別化とは、商品やサービスの開発のための要素技術、生産技術、工場の設備や配置、従業員の数、販売などの仕組み、人を動かす組織、従業員の意識改革、顧客へのイメージや信用の蓄積などをベースとする差別化のことである。）また、サービスを商品と捉えるのであれば、商品の差別化とも捉えることが出来るであろう。日本人の特色を理解し、社員をきちんと動機付けしていることも、成功への大切な1歩である。&lt;br /&gt;
　次に挙げられることは、全員経営という概念である。全員経営とは、小倉氏によれば、経営の目的や目標を理解した上で、仕事のやり方を細かく規定せずに社員に任せ、自分の仕事を責任を持って遂行してもらうことである。（1999、P.171）全員経営と進めていく上では、第一線の社員の能力を重視し、年功序列といった旧態の人事を排除することが欠かせないが、特に重要となってくることは、社内の「コミュニケーション」である。日本人にとって働くということは生きがいであるが、しかし日本人に限らず基本的に人間というものは細かく指示されると不愉快になる。これは反対に言えば、仕事を任されて自主的にやらせてもらえるととても気持ちがよく、仕事自体もうまくいくケースが多いということである。社員全員がやる気を出し、与えられた仕事を自主的かつ自立的に行い、目標とする成果を達成するためには社内のコミュニケーション、社員同士のコミュニケーションがとても大切な役割を果たす。この課題をどのように克服したかは本書に記してあるので、ここでは表記を省略させていただくが、筋の通ったはっきりとした情報伝達と内容が具体的で曖昧でないコミュニケーションがいかに大切かということを小倉氏は強く主張しており、私もその主張に強く共感できる。&lt;br /&gt;
ここで余談ではあるかもしれないが、集団におけるコミュニケーション・ネットワークに関するレビットの実験のうちの１つを紹介したいと思う。この実験は、社会心理学者のレビットが、様々なタイプのコミュニケーション・ネットワークが仕事の効率や面白さにどのような影響を及ぼすかを知ることが目的であった。&lt;br /&gt;
まず代表的なコミュニケーション・ネットワークとして、サークル型とウィール型（十字型）が取り上げられた。サークルは全員が平等の地位を占めるネットワークであり、ウィールは一人が中心となる階層的なネットワークである。コミュニケーションのコードが決まっている単純な作業では、ウィールが最も少ないメッセージの量で、最も早く仕事を終わらせることが出来た。それに対して、コミュニケーションのコードが事前に決められないような複雑な仕事では、サークルが最も仕事を早く終わらせることが出来た。サークルではコミュニケーションのコードについての新しい提案がより頻繁に行われ、かつそれが人々に受け入れられやすかった。実験に参加した人の満足度も、サークルの方が高かった。この実験では、階層的な関係は絶対ではないということを暗示している。階層的な関係は単純な仕事を成し遂げるには向いているが、複雑で多くの人々の意見を取り入れなければならないような仕事、創造的な仕事を行うためには階層的な関係は適していないということを表している。&lt;br /&gt;
【結論】&lt;br /&gt;
　ほかにも大切であると思ったことは、労働組合との関係や組織論、経営者の10ヶ条などが挙げられる。経営とはどの分野の知識が欠けても成り立たず、従って様々な分野の知識が満遍なく必要となってくるのだということをこの書籍を読み終えて改めて再認識することが出来た。自分がもしも経営者になり、人の上に立つような立場の人間になる時期が来るとしたら、本書で感じたことを忘れずに仕事をしていきたいと思う。経営とは、人が携わって行われるものなのだ。このことを忘れてはいけないと改めて思った。&lt;br /&gt;
【参考文献】&lt;br /&gt;
小倉昌男　経営学　　著者：小倉昌男　　　現代経営学総論　　著者：松村司叙&lt;br /&gt;
経営学入門　　　　　著者：伊丹敬之、加護野忠男</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/9684315.html</link>
			<pubDate>Tue, 27 Jun 2006 13:33:11 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>クリティカル・シンキング ～ものごとを冷静に判断する方法～</title>
			<description>【はじめに】	&lt;br /&gt;
  人間は感情に左右される生き物である。もちろんほかの動物にも感情は存在するが、豊かな感情は神様が与えてくれた人間にとっての特権であると思う。また感情とは、人間が人間らしくあるために欠かせないとても大切なものだ。例えば子犬を見てかわいいと思う、大好きな人を見て愛おしいと思う、そんな気持ちに私たちは支配されていると言っても過言ではないだろう。しかしこの「感情」が、時に私たちを困らせる。感情の中には嫉妬やその他、良いものではないものも含まれているからだ。では、感情に左右されて行動することはいけないことなのだろうか。&lt;br /&gt;
　ここで「理性」や「知性」について考えてみる。これらは私たちを支配する、感情と同様に人間特有のものだ。感情に左右されて行動することは決して悪いことではないが、感情ばかりに左右されて行動しても許される年齢には限界がある。つまりその時期までに、私たちは別の概念に頼る行動の仕方を身につける必要がある。私たちは年を重ねるごとに知識や常識を身につけ、「理性」や「知性」を育てていかなくてはいけないのである。この時点で登場してくるものが、クリティカルなものの考え方である。クリティカルなものの考え方とは、簡単に言えば、感情に流されずいかなる時も周囲の状況を考慮に入れて物事を判断し、行動に移すことである。&lt;br /&gt;
【本論】&lt;br /&gt;
  ではこのクリティカルなものの考え方とは、年を重ねて知識や常識を身につければ誰でもすぐに行うことが出来るのだろうか。それほど簡単なものなのだろうか。確かに「すぐに出来るようになる人などいない。」とは断言できないが、ほとんどの人の場合は多少の訓練が必要となる。理由は先ほども述べたように、人間は感情によって支配されている部分が大きいからである。言い換えれば、どんな人でも訓練をつめば、クリティカルなものの考え方が出来るようになるということなのだ。&lt;br /&gt;
　それでは、どんなことに注意して訓練をつんでいけばよいのだろうか。クリティカルに物事を考えていくためには様々なことに注意していかなければいけないが、私がこの本を読んで特に感じたことは、クリティカルな思考の基本として何よりもまず、私たちの原因帰属のありかたについて考え、理解することが大事だと言うことだ。私たちは何かにつけて他人の行動について考え、その人の行動の原因を推測し、その原因がどこにあるか、すなわち、原因が内的か外的かという区分けを行っているのである。内的要因とは例えば、その人の性格、行動傾向、気分、願望や欲求、能力などであるが、一方で外的要因としてあげられるものは、他者や、その場面での環境や状況など、その人以外の部分にある原因と考えられる。ここで内的要因か外的要因かを判断する際に役に立つのが「ケリーの立方体」という考え方である。ケリーの立方体では、人物の次元は一致性の高低、対象の次元は弁別性の高低、状況の次元は一貫性の高低を表し、一致性とは他の人々もその行動をしたかどうか、弁別性とはその行動が特定の対象のみに向けられていたかどうか、一貫性とはいつでも同じ行動をするか、ということを表す。&lt;br /&gt;
　行動の原因帰属を行うためには、もちろんこの方法が万能というわけではないが、「ケリーの立方体」を用いて人物、対象、状況の３つの原因について一致性、弁別性、一貫性という観点から考えてみることがとても大切である。また、原因帰属を行う際に同時に気をつけなければいけないことは、ステレオタイプ的思考という考え方だ。ステレオタイプとは集団やそのメンバーに対する固定観念的な知識であり、ステレオタイプ的思考とは、ある集団に属するメンバーの共通点は強調されるが集団メンバーとそこに属さない人との違いも強調され、思考が過度に単純化されるということだ。ここで考えなければいけないことは当然、ステレオタイプ化することについての危険性である。思考が単純化され、そこには重視される情報と無視される情報が必ず存在するのだから、ステレオタイプ化した考えが必ずしも正しいとは限らないと考えられる。&lt;br /&gt;
　正しい原因帰属を行うためには（特に他人の行動に関しては）主にこの本に書かれている7つのことについて注意しながら行わなければならない。しかしそれだけのことを瞬時に行うことはとても難しいし、たとえ行うことができたとしてもその判断が絶対に正しいとはいえない。人間の判断に絶対正しいということなどありえないからである。私たちが物事を判断するときには、それが特に他人に影響を与える時には、できるだけ慎重にかつクリティカルに判断を下すことが必要となってくる。大切なことは、これらのことを少しでも意識して、自分の考え方を徐々にクリティカルなものにしていくということだと思う。意識しなければ何も始まらない。&lt;br /&gt;
　私は「ケリーの立方体」から始まってこの章を読んで衝撃を受けた。人間の行動は、こんな面白いモデルで説明できるのか、と。例えば立方体なんて、極端に言えば数学の問題でしか出てこないだろうと思っていた。&lt;br /&gt;
  さて、ここからもっと身近な例をとって考えてみたいと思う。突然だが、私は占いが大好きである。雑誌で、「かに座、B型」の占いの欄は欠かさずチェックするし、朝のニュースの占いも、毎日といっていいほど見ている。女の子なら誰でも占いは大好きなはずである。（しかしこの考えこそが、大まかに言えば先ほど紹介したステレオタイプ的思考である。）&lt;br /&gt;
　けれども母は私に、占いなんて何を根拠に信じられるのかと尋ねてくる。私はそのたびに一生懸命反論してきた。「なんて夢のないお母さん。」と。しかし気づいたのである。私もいつまでも夢をみているわけにはいかないのでは。と。こんな時こそクリティカルにものを考えるチャンスではないのかと。&lt;br /&gt;
　早速実行に移し、じっくり考えてみた。まず念頭においておかなければいけないことは、私がこんなにも占いを無意識のうちに信じるようになった理由である。私にだってそれなりの理由はある。と思っていた。&lt;br /&gt;
　しかし人は、その理由が自分の信じている（理解している）論理に当てはまらないと、それを超常現象のせいだ、と解釈しやすいようであり、事故防衛バイアス、認知的不協和解消のための合理化を行う。実際私もそうである。また、私たちの記憶は「強烈さ」によって歪められているということも忘れてはいけない。つまり、私たちが「普通では考えられない」と思ったことで記憶が歪められ、歪められた記憶はその強烈さゆえに容易に思い出すことができ、そのためにその記憶が、超常現象の存在する証拠となってしまうのだ。そして一度超常現象とみなしてしまうと、認知的不協和な状態に直面しても、その考えに固執することによって自分の中で問題を解決しようとする。そうすることで、認知的不協和を回避することができる。簡単な例で言えば、今日とても嫌な出来事があったとする。たまたま雑誌を見ていたら、今日の占いの欄に「今日の運勢は最悪」などとかかれていたら「占いはすごい。やはりこの占いを行っている人には不思議な力があるに違いない。」と考える。そして次に同じようなことがあれば、また占いに話を進めていく。そもそも「かに座、B型」の人なんてこの日本中にはたくさんいるし、その人たちが全員今日不幸であったことなんてありえないのに、私はそんな基本的なことさえ頭から抜けていたのだ。&lt;br /&gt;
（私は、あくまで私の思考の浅さをこの例を用いて示したのであって、占いという概念に賛成か反対か、ということを書いているのではない。）&lt;br /&gt;
【まとめ】&lt;br /&gt;
  クリティカルなものの考え方は、習得するためには相応の努力が必要である。すぐに習得できるような考え方ではなく、またある程度の期間を有することである。しかしこの考え方を習得出来れば、私たちの人生がもっと違う色に染まると思う。考え方は、人生を変えることもできるからだ。&lt;br /&gt;
　感情に流されて行動することが悪いというわけではない。ただ、クリティカルな考え方を習得しなければ解決できない問題もあるということである。&lt;br /&gt;
　一度この本を読むだけではまだまだ十分ではないので、このレポートを書き終えたらもう一回挑戦してみようと思う。&lt;br /&gt;
【参考文献】　クリティカル　シンキング（入門篇）　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
              著者：E.B.ゼックミスタ、J.Eジョンソン</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/chironoane/6641019.html</link>
			<pubDate>Fri, 02 Jun 2006 11:18:33 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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