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第三章 皇帝の伝説
中原の中でも小学校に一番近い一等地に、昔伝説的な猫がいた。
その名も「ミケ」。要するに三毛猫である。これも雌猫であった。
ミケの特徴は後ろ脚。片方を何らかの理由でもぎ取られ、
三本脚でよたよた歩いていた。
三本脚でありながらミケは4〜5匹いた一族の長でもあった。
その圧倒的なカリスマ性で道行く小学生達をとりこにし、
随分と給食の残り物をいただいていたようだ。
一族はそれは見事にまるまると太っていた。
三本脚でよたよた歩くかわいそうなおばあちゃん猫、ミケ。
しかし僕は知っていた。実は奴、驚くほど俊敏だったのだ。
とある休日、友達の家に遊びに行く途中、まるでイタチの如き素早さで
団地の二階から飛び降りる猫の姿を目撃した。
口には捕らえたネズミが咥えられている。
よく見るとそれは普段三本脚でよたよた歩いているミケではないか!
僕は思わず大笑いした。こりゃ愉快。まんまと一杯くわされたわい。
ミケは「やや、まずい所を見られた」と思っていたのかどうか知らないが、
そそくさと団地の軒下に身を隠した。
考えてみれば、猫の世界に「福祉」などという言葉は無い。
奴は三本脚でありながら実力で中原の一等地を治めていたのだ。
したたかな三本脚の豚猫、ミケ。
そんな彼女もある日忽然と姿を消した。
小学校では随分と噂になったものである。「ミケがいなくなった」
猫界の常に倣い、彼女も「猫墓場」に向かったらしい。気高い猫であった。
さて、そんな同情を集める余地も無い隆々とした肉体を持つぶち猫、ビッケは、
どちらかというと近所の人間からは評判が悪かった。
人間を恐れるそぶりも見せず悠々と領地を闊歩するビッケ。可愛げの欠片も無い。
ゴミ捨て場は荒らすわ散歩中の犬に襲い掛かるわ、彼女の悪評は数知れなかった。
その代わりカラスは近寄らなくなった、という評判は立った。
皇帝の一喝は大人もびびる野犬共すら怯える。
僕はビッケが一方的に野犬を追い回している様子を一度見たことがある。
しかも彼女は何故か大の鳥嫌いであった。
ゴミ捨て場を荒らしているカラスを見るとヒョウの如きスピードで襲い掛かる。
あんなのがいたのでは鳩もカラスも地表に降りることができない。
ビッケがなぜあんなに鳥嫌いであったのかは分からないが、多分トラウマでもあるのだろう。
ところで、中原の裏側は博多湾がすぐそこである。
堤防と道路の間には排水用の小さな川があり、堤防の向こう側が博多湾であった。
特にこの一帯は湾の中に湾があるような地形で波が低く、
近くに有名な干潟があって渡り鳥の餌に事欠かなかった。
そんなわけで中原の側には無数の渡り鳥が毎年帰ってきていたのだ。
よく双眼鏡を持ったバード・ウォッチャー達が堤防沿いを散歩していた。
鴨や雁、白鷺などで、普段はわざわざ危険な陸地になどほとんど上がってこない。
一時期、ここに世界的にもめずらしい渡り鳥が数羽確認されたということで
新聞に記事が載り、テレビでも紹介された。
名前は忘れてしまったが少し大きめの美しい鳥であった。
ほう、家の裏からも見えるかねえ、などと隣近所で随分と噂になったものだ。
僕も少し興味を持って図鑑で姿を確認した。
後日、いつものように駐輪場に行くと、なんと目の前にその渡り鳥がいるではないか。
陸地に上がってくるとは知らなかった。なんとも運が良い。
驚かさないように少し遠めで眺めていると、僕の脇を巨大な影がすり抜けていった。
ビッケである。奴は瞬く間に渡り鳥に襲い掛かり、
鳥は驚いて羽を撒き散らしながら飛び去っていった。
僕は思わず「こら!」と言ったが、鳥が飛び去るのを確認したビッケはこちらに振り向き
忌々しげに「ニギャー」と鳴いて立ち去った。
皇帝としては領地を余所者に荒らされるのが気に食わなかったのだろう。
それにしてもなんて奴だ。
世界的にもめずらしい渡り鳥を博多湾から撃退したのは、皇帝である。
もっとも、こうなってくるとどちらが「めずらしい生き物」なのかは微妙であるが。
ちなみにこの話、僕は誰にも語らなかった。
これ以上ビッケの評判が悪くなると保健所が動き出す可能性もある。
これでも色々と気を遣っていたのだ。まあ、ビッケは知る由もないが。
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