|
少し、前に戻る。
2003年GWに初めて西表に行った私は、東京で西表島のお祭りが計画されていることを知った。
そこで、自分にも何かできないかとミーティングに参加してみた。
このこと自体、西表に行く前の私には考えられない行動だった。
頭ではいろいろと考えているのだけれど、会社以外の場所で自分の意見を大勢に公表し、行動することを恐れていた。
そんな私に一歩を踏み出させるほど、西表島が私にくれたものは大きくて、西表島のために何かしたい気持ちが強かったのだと思う。
ミーティングに出ても、最初は知らない人の前で自己紹介するだけで、赤面していた。
会社の肩書きをはずして、個人として人と接する経験が少なかった私は、
(自分の本心を出すと言うことはなんと人を無防備にするんだろう)
と驚いた。そしてまた、
(人の気持ちがなんて素直に心に響くのだろう)
と思った。
私は「トウキョウから西表島の未来を考える」というテーマの「風人の祭2003 in 東京」のメインスタッフになった。
出演者の交渉からスポンサー、ボランティアスタッフ集め、広報活動、NPOとの関わり、当日の段取り、準備などに積極的に関わったことによって、私の活動の幅が大きく広がった。
西表島の現状についても、当時問題になっていたホテル建設のことも含め、いろいろ情報を集めて勉強した。
知り合いは爆発的に増えた。
しかも今までとは違い、仕事とは何の関係もなく、年も性別も性格もごちゃまぜの、笑顔が素敵で、一生懸命な人たち。
私は身の回りにいる多くの人たちが、環境やサンゴ礁やジュゴンや平和やいろんなことに心を痛め、一歩踏み出して、活動しているのを知った。
話を聞くだけで勉強になった。
大学生の子もいた。
積極的に活動をする勇気がすごい、と思った。
6月29日、東京・六本木の旧三河台中学校で「風人の祭」は行われた。
会場となった体育館には、予想をはるかに超え、お祭に関心を持った人、沖縄が好きな人が800人近く集まった。
西表島のこと、平和のこと、自然のこと、東京という故郷のこと、いろんなことを、会場の展示やお話やライブ、沖縄料理や泡盛を通して身体で感じ取ったと思う。
私は祭の前から習い始めたエイサーを、初めて人前で踊った。
祭に来てくれた家族や友達は私のあまりの変化にびっくりしていたけれど、笑顔で拍手を送ってくれた。
ほぼ2ヶ月間準備に没頭した、東京で初めての「風人の祭」。
多くのお客さんやスタッフの笑顔を見て、私の胸にはすごい達成感が残った。
|