沖縄の西表島と心の旅

西表との出会いと移住を決めるまでのできごとと想いをつづります。

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朝起きて見回してみると、津嘉山荘の周りはさとうきび畑が揺れていて、のんびりした、とてもよい雰囲気だ。
今度はおかみさんがいるときにゆっくり泊まりたいな。

二日酔いの頭を抱えて、宮古島観光へ出発。
おいしいので有名なそば屋へ入ったものの、気持ち悪くてあまり食べられない。
恐るべし、泡盛。

海が見える展望台に登ったら風が気持ちよい。
誰もこないので反対側の人気がないところで昼寝。
1時間ぐらい寝たら、ずいぶん楽になった。

今晩からの宿は「琉球ゲストハウス鶴美荘」。
所持金が限られているので安宿を探したけれど、大部屋は慣れないので、500円アップで一人部屋を予約していた。
赤瓦で二階建ての古めかしい建物だ。
大丈夫かな…。

ガラガラッと戸を開けると、いきなり目の前の床で人が寝ていたのでギョッとした。
「す、すみません…」
声をかけると奥から若い男の子が出てきた。
「管理人のHです。」
とだけ名乗ると、無愛想な感じで、荷物を二階の部屋へと運んでくれる。
途中、開いた扉からは二段ベットが2つ置かれているのが見えた。
暑そうだ。
後でわかったのだけれど、だから下のフリースペースにみんなが集まるのだった。
クーラー目当てで。

私の部屋は奥のお風呂の手前。
ガランとした六畳ほどの部屋にベットと扇風機がポツン。
クーラーはコイン式だ。
H君にお礼を言って、部屋を見回し、左奥の扉を開けると、お風呂と一体化したトイレがあった。
間違ってもユニットバスなんて洒落たものじゃなくて、お風呂はサビサビ、トイレは和式で、
ちょっと…独房みたい。

まず、部屋の掃除だ。
それから、虫がいないかを確認。
あまりの暑さにさっそく100円を入れて、クーラーを回した。
すずしくなってきたら、昨日の疲れが出たのか眠ってしまい、気がつけば部屋に強い夕日が差している。

この日は「宮古まつり」で、露天も出ている様子なので、街をブラブラと歩く。
昨日もこの辺で飲んだはずなんだけれど、土地勘がないので、どこだかわからない。
人の流れに合わせて歩いていくと、宮古の中心街はとてもコンパクトにまとまっていることがわかった。
バッとにぎやかで、そこから外れると途端に静かだ。
昨日飲みに連れて行ってくれた宮古んちゅの知り合いの人が家族連れで歩いているのに遭遇し、とても世間が狭い、ということも判明した。

お腹がすいたので、焼きそばを買って食べた。
周りはみんな家族連れで、楽しそうにしている。
まつりで一人、というのは結構さみしいものだ。
そのときの気分も影響するのだろうけれど、まだ宮古に慣れていない私はなんとなくブルーになっていた。

鶴美荘に帰ると、居間にいる人たちが「おかえり〜」と声をかけてくれて、少しホッとしながら部屋にあがる。

…と、部屋に黒いあいつ(G)が!
全部確認したはずなのに、なぜ!?
さらにブルーな気分になり、涙ぐみそうになる。

仕方なく、下のH君に
「すみません、部屋にGがいるのでなんとかしてもらえませんか?」
と頼む。
「ああ、はいはい」
とH君はスプレー片手にやってきて、あっという間に退治してくれた。

H君が行った後も、他にもGがいるのではないかと怖くて、冷や汗を流しながら、あっちこっちを点検。
宮古のGは大きくて黒光りしていて、しかも素早くて、本当に怖い。
ものすごい生命力を感じる。
私は沖縄が大好きだけれど、沖縄とは切っても切り離せないGが大の苦手。
来る前に、このこともずいぶん心配したけれど、なんとかなるだろう、と思ったのだが、やっぱり出合ったら怖かった。

このまま部屋にいるのも落ち着かず、1階に下りた。
長くいるのだろうか、みんな慣れた様子で集まってテレビを見たり、本を読んだりしている。
「こんばんは〜」
恐る恐るという感じで入っていくと、みんな笑顔で
「こんばんは〜」
と返してくれた。

最初の心配はなんのその、話しているうちに、みんなと打ち解けた。
そりゃそうだ、みんな、旅の仲間だ。
年齢はバラバラ。
何ヶ月もいる人、来たばかりの人、もうすぐ帰る人、海外へ行く人…。
いろんな話に花が咲いて、夜もふけた。

明日は車を借りて、島内観光へ行こう!ということになった。

2004年夏宮古島入り

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私はスーツケースとリュックを手に、東京を出た。

西表島しか見たことがないので、
住むかどうかを決めるにあたり、視野が狭くてはいけないと、
宮古島、波照間島、小浜島へ寄ってから、西表島入りするつもりだった。

意外に一人旅をしたことがない。

海外への飛行機には一人で何度も乗っている。
時にはイタリアの空港で、時にはポルトガルのホテルで友人と待ち合わせたり、
タイには家族が住んでいたから何度も訪ねた。
西表島にも1人で行った時も、島には誰かしら知り合いがいた。

最初から最後まで本当に一人きり、というのは初めてかもしれない。

外国なら旅人はある程度放っておかれるけれど、国内では住民との距離が近い。
しかも大学生ぐらいの子の、「いざとなれば外でも寝るわい、ブラリ一人旅」ではない。

新しいことへ一歩踏み出したことでワクワクする気持ちがある一方、
「大丈夫だろうか」という不安も大きかった。

最初の日には、「自家製野菜を使ったおいしい郷土料理を食べられる!」という津嘉山荘を予約していた。
トライアスロンの大会の時には選手もたくさん泊まるそうだ。
サトウキビ畑の中にポツンと宿はあり、畑にいた女の子が部屋に案内してくれる。
しかし、この日にかぎって、おかみさんが急用で留守!
食事を楽しみにしてただけにガックリしていると、
「宿代はただでいいです」
と言われた。
得したような、損したような。

荷物を置いて、レンタカーで宮古島をドライブ。
海があまりにもきれいなエメラルドグリーンで、
「バスクリンみたい…」
と不覚にもお決まりのセリフをつぶやいてしまった。

展望台で海を見ていると、農作業の途中で休憩していたおばちゃんがおいでおいでをする。
なんだろう、とちょっと不審に思いながらも近づいていくと、
おばちゃんはニコニコと東京にいる自分の息子のことや島のことをあれこれ話してくれた。
しかも気がつけば手をつないでいる。
すっかり打ち解けて、
「マンゴーを親に送りたいんですけれど、美味しいところはありませんか?」
と聞くと
「この先にあるよ。紳助が気に入ってテレビで言うもんだからすごい人気なのよ。」
と教えてくれた。

マンゴー農園には生まれて間もない子犬がいた。
私を見ると、網戸を破って私の足元にからみついてきて、可愛いことこの上ない。
農園のおばちゃんは忙しそうだったので、しばらく犬と遊んでいた。
このまま一週間遊んでいたいぐらいだ。
おばちゃんがひと段落したので、マンゴーを注文。
私が大のマンゴー好きとわかると、マンゴージュースと小さなマンゴーをくれた。
しばらくゆんたくして、別れをつげる。
旅の最初から島の人たち2人に親切にされて、私は幸せな気分だった。

3人目の親切さんは、東京のライブで知り合った宮古んちゅの人。
1度会ったきりなのに、電話をしたら、同窓生との飲み会に私も連れて行ってくれるという。
そこで初めて、噂に聞いた「オトーリ」を体験。
一人ひとりあいさつしながらお酒を飲む。
すごい飲まされる、と聞いたけど、別に無理じいするわけでもないし、飲めるだけ飲めばよかった。

初めて会った人ばかりだったけれど、みんな親切にしてくれて、楽しい晩だった。
緊張が解けた分、飲みすぎてしまった。
次の日、ひどい二日酔いだったから、津嘉山荘でご飯が出なくて、正解だったかもしれない。

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やりたいことがわからないうちは、まだましだ

迷路をさまよっているような気になるときもあるけれど

あいまいな時間が淡々と過ぎていく

笑うでも悲しむでもなく


本当に笑えなくなるのは

やりたいことがわかったのに踏み出せないとき


なんとかその気持ちをごまかそうと

その近くをぐるぐると回ってみるけれど

満たされない


からっぽの心はいつもより揺さぶられやすくて

人の笑顔にさえ痛めつけられる


自分をしばっているものが重い

人より恵まれている、と言われてきたはずなのに

何も持っていない人がうらやましい

やりたいことをやれる人がうらやましい

自分が決断しないせいなのに

人のせいにしたくなる


存在していることの意味がわからなくなって

目は何も見えないガラス玉になる

重い体をひきずるようにして

生きる屍のような毎日

先には真っ黒い暗闇

鉄のおもりを足につけたまま歩く自分が見える


耐え切れずに

ついに倒れた


そこまで自分を大切にしないでいいのか

やっと巡り合ったものから目をそむけ

これから何を思って生きるのか


悩んで

悩んで

やりたいことをやるしかないんだと


自分に期待している人を悲しませても

まわりにあったものが無くなってしまうとしても

やるしかないんだと


決めたら

目の前がぱあっと開けて

心に翼が生えた




−−− そんな風に、私は西表島に来ることを決心した。


西表島に来る人にはいろんな理由やきっかけがある。

たとえば私の場合には今まで書いてきたようなことがあって、
心は大きく西表島に引き寄せられていたけれど、
捨てることになるものも大きかったから、
考えに考え抜いた結論だった。

だから、親や友人が心配しても、大丈夫だよ、って答えられる。

実際の生活は大変なことも多くて、
「それは大丈夫じゃないよ」って思う人もいるだろうけれど、
私の中では大丈夫の範囲なんだよね。

最初に期待しすぎてしまうと失望することも多いだろうけれど、
「ここで私は暮らすんだ」
とキッチリ覚悟をしてくれば、
ある程度のことはなんとかなるもんである。

それは、西表島でなくても、新しい土地で暮らし始めるなら同じことだろう。

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いつもの砂浜 
いつもの夕日
遠くから風が吹き 
波が鳴る

軽トラの荷台でヤマネコは 
ガタゴト揺られて 
背丈より高い草っぱらを行く

マングローブの泥のなか 
ガザミとったり 
シジミ掘ったり

電柱の上にはカンムリワシ
遠い森からアカショウビンがキョロロロロロン

よじ登ったテレビ塔からは 干立と祖内が見渡せた

雲のすきまからさしこむ太陽が 
海に白い輪っかを作っていた

「どうか島よ 変わらないで」
島人の唄にこめた想いが 
胸にひびく

だけど少しずつ変わっていく 
私が島を訪れてたった1年の間にも

せつない気持ちで 
帰途についた

羽田空港の上空で飛行機が旋回したら
目の前が 
空の青から一転して 
灰色のビル群になった
宇宙ステーションに来てしまったのかと思った

緑に染まっていた目が 
あっという間に灰色に慣れていく
ここが自分の暮らしている土地なのだと 
改めて驚いた

やっぱり島のためになにかしたいな 
なにが自分にできるかな

今は島人の活動を手伝いながら 
島を 
自然を 
大切に想う気持ちを伝えていきましょう

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2004年GW 西表島で「風人の祭」。

風が吹き抜ける、西表小中学校の体育館。
星のきれいな干立の砂浜。
祭は楽しかった。

けれど、半年ぶりに西表の自然に触れた私は、浮かれた気分ではなかった。
美しい西表。
私が西表を知ってたった1年の間にも西表島は変わってゆく。
心地のよい風が体に沁みる。
せつなくて、西表を見守ることしかできない自分をもてあましていた。

帰路につき、羽田空港直前の空から見た東京の景色に愕然とした。
一面灰色だった。
巨大なビルが要塞のように建ち並び、スターウォーズで船が帰還した時のような、異次元を超えてきたかのような、錯覚を覚えた。
ここで自分は十年以上も暮らしてきたのだ、と信じられない思いだった。
ここは大都会だ、とバカみたいに目を見開いて、ポカンとしていた。


5月末 東京の石神井公園で「風人の祭」。
去年、東京の祭を作ったスタッフとして、新しく祭を作っていく若い人たちをそばにいて見守った。
地元のエイサーも参加し、地域の人と一体化した気持ちのいい祭だった。
地元を愛する人がいる土地は東京でもあるんだな、いいな、と思った。
これは石神井の人のためのお祭で、自分の居場所は別にある、と思った。


6月 大阪で「風人の祭」。
祭にはひとりひとりが違う想いをもって関わっている。
祭を通して何を実現していくかはその人次第。
熱い想いを胸に、勇気を持って一歩を踏み出した人の目は遠くを見ている。
前を向いて、透き通った目をしている。
そして、強い。

私も去年、東京で祭を作っているときはそうだった。
けれど、このとき、私は心細かった。
自分の確かな目的を見つけられず、右往左往していた。
心から笑えなかった。

祭のスタッフの顔は輝いている。
私は何をしたいのだろうか、自問自答していた。

このとき、ある人から言葉をもらった。
「君の仕事は
 そこで笑うこと 
 笑い転げること 
 君が笑うかどうかで
 すべてが変わってゆく」
私は
「笑いたくもないのに笑いませんよ」
と言った。
私の口はヘの字になっていたのだろうな、と思う。
自分でも素直になれないのがわかっていたから、そんな風に言われても今は無理だな、と思った。

この言葉を書いてもらった紙は大事に取ってあって、時折見てみる。
素直に従うことはできないけれど、心には響くものがあった。
最近は、自分がいい感じじゃなくても、「いいや、笑おう」って思えば、もうちょっと生活が楽しくなるかもしれない、と思っている。

なにしろ、その頃は笑えなかった。

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