沖縄の西表島と心の旅

西表との出会いと移住を決めるまでのできごとと想いをつづります。

東京、大阪、青森の祭

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2004年GW 西表島で「風人の祭」。

風が吹き抜ける、西表小中学校の体育館。
星のきれいな干立の砂浜。
祭は楽しかった。

けれど、半年ぶりに西表の自然に触れた私は、浮かれた気分ではなかった。
美しい西表。
私が西表を知ってたった1年の間にも西表島は変わってゆく。
心地のよい風が体に沁みる。
せつなくて、西表を見守ることしかできない自分をもてあましていた。

帰路につき、羽田空港直前の空から見た東京の景色に愕然とした。
一面灰色だった。
巨大なビルが要塞のように建ち並び、スターウォーズで船が帰還した時のような、異次元を超えてきたかのような、錯覚を覚えた。
ここで自分は十年以上も暮らしてきたのだ、と信じられない思いだった。
ここは大都会だ、とバカみたいに目を見開いて、ポカンとしていた。


5月末 東京の石神井公園で「風人の祭」。
去年、東京の祭を作ったスタッフとして、新しく祭を作っていく若い人たちをそばにいて見守った。
地元のエイサーも参加し、地域の人と一体化した気持ちのいい祭だった。
地元を愛する人がいる土地は東京でもあるんだな、いいな、と思った。
これは石神井の人のためのお祭で、自分の居場所は別にある、と思った。


6月 大阪で「風人の祭」。
祭にはひとりひとりが違う想いをもって関わっている。
祭を通して何を実現していくかはその人次第。
熱い想いを胸に、勇気を持って一歩を踏み出した人の目は遠くを見ている。
前を向いて、透き通った目をしている。
そして、強い。

私も去年、東京で祭を作っているときはそうだった。
けれど、このとき、私は心細かった。
自分の確かな目的を見つけられず、右往左往していた。
心から笑えなかった。

祭のスタッフの顔は輝いている。
私は何をしたいのだろうか、自問自答していた。

このとき、ある人から言葉をもらった。
「君の仕事は
 そこで笑うこと 
 笑い転げること 
 君が笑うかどうかで
 すべてが変わってゆく」
私は
「笑いたくもないのに笑いませんよ」
と言った。
私の口はヘの字になっていたのだろうな、と思う。
自分でも素直になれないのがわかっていたから、そんな風に言われても今は無理だな、と思った。

この言葉を書いてもらった紙は大事に取ってあって、時折見てみる。
素直に従うことはできないけれど、心には響くものがあった。
最近は、自分がいい感じじゃなくても、「いいや、笑おう」って思えば、もうちょっと生活が楽しくなるかもしれない、と思っている。

なにしろ、その頃は笑えなかった。

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2003年7月の西表島の豊年祭、8月のアンガマーに参加し、

9月、青森の「風人の祭〜PEACE IN NATURE〜」。

津軽三味線と沖縄三線がコラボする、情熱的な祭。
岩木山をバックに野外ステージでドーンと歌声が響く。
大きく広がった空、緑の芝生、吹き抜ける風、青森の人たちのやさしさがミックスされて、心が大きくなるような、自由な感覚を味わった。
青森の懐の深さを体でしかと感じ取った。

新鮮だった。
海外旅行が好きな私は、最近日本を旅行していなかった。

弟が大学に行っていた栃木、合宿免許の山形、スキーで行った長野、新潟、両親の故郷九州、大学時代の北陸、北海道、寺を回った京都、奈良、横浜に似た神戸、うどんが美味しかった岡山、温泉が多くて海の幸がおいしい静岡…
思い出してみると、結構いろんなところに行っているけれど、自分の経験や状況、そこで何をするかによって、旅行の醍醐味は大きく変わってくる。
青森に行って、日本にもいいところがあるなぁ、と改めて思った。


9月末には、東京・世田谷のぱる児童館と「ぱいかじまつり」を共同で作った。
祖師谷公園に気持ちのいい芝生の上に、小さな子供から散歩ついでにのぞいているお年寄りまでたくさんの人が集まった。
みんなで沖縄の歌を聴いたり、踊ったりして楽しかったなぁ。
これは子供を持つ1人のお母さんの熱意から作られた祭だった。
とことん温かかった。
世田谷には世田谷を愛する人がたくさんいた。


10月には大阪で「風人の祭ファイナル」。
もう風人の祭がおなじみとなった地で、熱い熱い祭が行われた。
エイサーには東京からのメンバーが合流し、大きな大きな渦を作った。
観客席には赤いライトが当たっていて、興奮して飛び跳ねている観客たちを舞台の側から見た時の映像が今も目に焼きついている。


そして11月に西表島の節祭。
500年の歴史をもつお祭を見て、西表観察心がふーっと落ち着いた。


2004年正月があけた。
私はしばらく西表島を箱にしまっておいた。
自分の想いがどう育っていくのか見守っていた。

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少し、前に戻る。

2003年GWに初めて西表に行った私は、東京で西表島のお祭りが計画されていることを知った。
そこで、自分にも何かできないかとミーティングに参加してみた。
このこと自体、西表に行く前の私には考えられない行動だった。
頭ではいろいろと考えているのだけれど、会社以外の場所で自分の意見を大勢に公表し、行動することを恐れていた。
そんな私に一歩を踏み出させるほど、西表島が私にくれたものは大きくて、西表島のために何かしたい気持ちが強かったのだと思う。

ミーティングに出ても、最初は知らない人の前で自己紹介するだけで、赤面していた。
会社の肩書きをはずして、個人として人と接する経験が少なかった私は、
(自分の本心を出すと言うことはなんと人を無防備にするんだろう)
と驚いた。そしてまた、
(人の気持ちがなんて素直に心に響くのだろう)
と思った。

私は「トウキョウから西表島の未来を考える」というテーマの「風人の祭2003 in 東京」のメインスタッフになった。
出演者の交渉からスポンサー、ボランティアスタッフ集め、広報活動、NPOとの関わり、当日の段取り、準備などに積極的に関わったことによって、私の活動の幅が大きく広がった。
西表島の現状についても、当時問題になっていたホテル建設のことも含め、いろいろ情報を集めて勉強した。

知り合いは爆発的に増えた。
しかも今までとは違い、仕事とは何の関係もなく、年も性別も性格もごちゃまぜの、笑顔が素敵で、一生懸命な人たち。
私は身の回りにいる多くの人たちが、環境やサンゴ礁やジュゴンや平和やいろんなことに心を痛め、一歩踏み出して、活動しているのを知った。
話を聞くだけで勉強になった。
大学生の子もいた。
積極的に活動をする勇気がすごい、と思った。

6月29日、東京・六本木の旧三河台中学校で「風人の祭」は行われた。
会場となった体育館には、予想をはるかに超え、お祭に関心を持った人、沖縄が好きな人が800人近く集まった。
西表島のこと、平和のこと、自然のこと、東京という故郷のこと、いろんなことを、会場の展示やお話やライブ、沖縄料理や泡盛を通して身体で感じ取ったと思う。

私は祭の前から習い始めたエイサーを、初めて人前で踊った。
祭に来てくれた家族や友達は私のあまりの変化にびっくりしていたけれど、笑顔で拍手を送ってくれた。

ほぼ2ヶ月間準備に没頭した、東京で初めての「風人の祭」。
多くのお客さんやスタッフの笑顔を見て、私の胸にはすごい達成感が残った。

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