猪突猛進。

人生山あり谷あり。なんだか谷が深すぎるように思いますけれども、ぼちぼちゆるゆる動いております。

つれづれなるままに。

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自分の身の回りのよしなしごとをつらつらと。
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めがねメガネ眼鏡。

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先日、家人を一旦最寄り駅まで送り届け、
その後に少し先の駅で所用を済ませた家人をピックアップしてから、
100円回転すし屋に向かうという、若干ややこしいミッションをおおせつかりました。

その日は当然非常に暑い天気でしたが、日差しはまだサングラスが必要と言うほどでもなく。
私は当然普通のめがねを着用してミッションに取り掛かりました。

最寄り駅までは電車の到着時間が差し迫っており、かなりギリギリでしたが、
何とか家人を電車に乗せることに成功。

「ああ、やれやれ」と一安心し、少し先の駅まで向かう最中、
突然視界が急にぼんやり!
「うわっ、何事?!」と車を停めて膝上を見ると、片一方のレンズがポロリ。
そうです。走行中に急にめがねのレンズが外れたんですね。

めがね着用中の方ならどなたでも経験のあることだと思うのですが、
おそらく運転中というのはそう経験のない話でしょう。
ええ、私も全くもって初めての経験でした。

慌ててぼんやりした視界のまま路肩に車を寄せて、バッグから度入りサングラスを取り出し、
掛け替えながらフレームを見るとねじがない。
狭い車の中です。どこかに必ずねじはあるはずですが、それがどこだか分からない。

目を凝らして探しているうちに家人をピックアップする時間が迫ってきました。
ここで自宅に戻ってめがねを交換して(駅で家人を待たせて)から出かけるか、
それともこのサングラスを掛けたままピックアップに向かうか。
しばらく逡巡した後に、私は後者を選びました。

家人のピックアップ→100円回転すし屋へのミッションは無事成功。
しかしここで難題が。

そう、この度入りサングラスのまま同席するようおおせつかったのです。
まだファストフードとかなら何とも思わなかったのですが、
相手は鮮魚。ネタの色が良いんだか悪いんだかわかんないから美味しさも半減。
そこへもってレーン(メニュー)から遠い席に着くよう言われたものだから、
レーンに何があるかも分からず食欲などは全くあがらず、
「もっと食べろ」と主催者にすすめられても困ってしまって...。

結局は同席者全員がすっかり満足したのを見計らって「もうこれくらいで」と遠慮して退出し、
帰宅してからめがねを交換しておにぎりを作って食べたのでした。



いやはや、見た目って本当に大事ですよねー。

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先日の日曜日、三重県立美術館へ「特集展示 大橋歩」を観に出かけてきました。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/ohashi2011/ohashi2011.htm
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イラストレーターである彼女の作品は、
60年代に青春を送った方には平凡パンチの表紙絵、
80年代に青春を送った方にはPINK HOUSEのポスター、
読書家の方には宮部みゆき「模倣犯」単行本のカバー絵などでご存知かと思います。
三重県出身ということもありまして2009年に大きな展覧会も開かれております。
http://www.1101.com/mieken/index.html
実はワタクシの高校の大先輩なので、そういう意味でも興味のある方です。


今回は2回目ということもあり前回の展覧会を縮小した形で開かれました。
訪れた第3日曜日は「家族の日」(無料開放日)でしたので、
老若男女いろんな年層の方が来館しておりました。
雨が降っておりましたので、そういう意味でもよかったかもしれませんね。

作品群は平凡パンチとPINK HOUSEの原画にほとんど絞られていました。
前回は人が多くてしっかり見られなかった部分をじっくり観てきました。
画材は主にオイルクレパスが使われており、線の強さや厚みなどをおもしろく観るとともに、
描き込まれた「絵」から表紙の「素材」への変化を確認することが出来ました。
表紙全体をデザインしながら細部まで緻密に描くのか、
素材にするために余分なものをそぎ落とす作業を行うのかでは全く違うと思います。

また、女性が男女の区別のつきにくい作家名を選んで(彼女の本名は久美子)、
若い男性向け週刊誌の表紙を異性の文化風俗を研究しながら描くのと、
若い女性向けのブランドの洋服を描くのでも全く違うアプローチです。
いつもは純粋に「作品」としての美術を観るのですが、
今回は「商業美術とは何か」「文化・風俗を描くとはどういうことか」を観ることが出来、
非常におもしろいと思いました。
ちなみに平凡パンチの表紙集はまだこちらから購入できます。
http://www.iog.co.jp/shop/book/punch/index.html


特集展示を観た後は常設展示などを回り、お庭を愛でに外へ出ました。
なんせ無料ですからもう一度入館するのも自由ですからね。
すると移動本屋さんが来ておりました。
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多摩ナンバーのトラックでしたので、訊ねてみると、
わざわざ東京の店舗から希少書籍を中心に移動販売しているそうです。
http://www.cowbooks.jp/newtop.html
植草甚一、赤瀬川原平、石森正太郎、手塚治虫などの絶版本が中心で、
思わず触手が伸びそうでしたがお値段もそれなりに素敵でしたので指をくわえて見るのみ。


そうこうしていると雨足が強くなり、お腹もすいてきましたので、
美術館前のお蕎麦屋「蕎麦彩」さんにお邪魔しました。
http://loco.yahoo.co.jp/place/16263ece4889b22ddc9422ce7a9eb38ad2219d7f/

マンションの1階なのでそんなに目立つお店ではないのですが、
三重県では珍しい蕎麦専門店です。
以前来た時には限定の10割新そばを頂きましたが、今回は蕎麦ランチにしました。
組合せはいろいろ選べたのですが、大人の肉味噌丼+冷やかけ蕎麦・小にしました。
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肉味噌丼は「大人」とつくだけあって肉肉した感じではなく、
蕎麦の実・くるみなどが混ざっていて脂も少なく、
食べる前に「胸焼けしたらどうしよう」と少々気になっておりましたが、
そんな心配もなく、箸休めに蕎麦豆腐なども頂きつつ美味しく頂きました。
冷やかけ蕎麦のつゆも薄すぎず濃すぎず、カツオがしっかり自己主張していて、
なおかつ醤油や味醂でごまかしたりしておらず
「これはだしをたっぷり使った美味しいおつゆだ」と、ついつい全量飲み干してしまいました。
それでもお腹がいっぱいになりましたので、
肉味噌丼のご飯も少なくしてもらえばよかったかなと反省です。

お昼を頂いたらさすがにもう一度美術館を回る気力がそがれてそのまま帰途に着きました。
学生時代は授業が早く終わった時に常設のルノアールなどをさっと観に来るレベルでしたので、
そのことを思えばうんと長時間の滞在なのですけどね。


今回のように三重県にゆかりのある方の展示は、
県も力を入れておりますのでまた足を運びたいと思います。


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先日来、グーグル消息情報からこんなメールが届きました。

Do not reply <do-not-reply@person-finder.appspotmail.com> to *****@gmail.com

"** ** "さんに関する情報が
 http://person-finder.appspot.com/?subdomain=japan で削除されました。
この記録の作成者の電子メールアドレスにお知らせをしています。

もしこの記録が間違って消された場合、
次の3日以内に
このリンクから復元できます。

http://person-finder.appspot.com/restore?id=japan%3Ajapan.person-finder.appspot.com%2Fperson.2846203&subdomain=japan&*************

3日後にこの記録は永久に消去されます。

弟夫婦の情報を出してたのですが、消去が思ったより早くてビックリしました。
2か月以上3か月未満とキリのあまりよくないタイミングですしねぇ。

理由を考えてみたのですが、あまりよく分からないのです。
アクセスが少ない情報から消去しているのか、
はたまた自動的に日数を区切って消去してるのか。

いずれにしても、まだ情報が欲しい人は多いのではないかと思うのですが、
何時までも情報をストックしておくわけにも行かないでしょうから、
今回はやむをえない話だったのかも。

しかし、コレを受け取った瞬間に真っ先に考えたのは、
「あ、弟たちはもう被災者ではないと思われているのかもしれない」ということなのです。

安否が確認できて、とりあえず日常を少しずつ取り戻してはおりますけれど、
前回の記事にもあげましたように、懐事情は一気によくないほうに変わってきてます。

そういう意味ではまだまだしんどくて、私達はこれからの支援方法をどうするか、
もう一度考え直さなきゃいけないと思ってます。


もう経済活動が出来てるから良しとするのか、
震災前レベルとは程遠いからより一層必要とするのか。


政局の大騒ぎを冷ややかに見つつ、
いつ彼らの元を訪れることが出来るのかを悩みながらの日々はもう少し続きそうです。

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いささかどうも。

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写真は昨年、両親が仙台の弟夫婦と訪れた松島です。
今では震災前にずいぶん近い形まで復興しつつあるそうですが、
やはり全く同じとはいかない状況のようです。
http://www.1101.com/news/2011-05-26.html

昨日、母が電話で弟に現状を聞いたところ、
「患者さんが日常の生活で必死なために、治療を再開する人がかなり減っている」とのことでした。
震災直後にこれは危惧していたことですが、
弟の口からこの話を聞くと「やはり当たってしまったのか…」と、いささか複雑な思いです。
内科や外科と違って歯科はどうしても治療が後回しになりがちな分野です。
止むを得ないことだと思いますが、姉としては腐らず診療を続けて欲しいなぁと願うのみです。

被害が比較的少ないと言われた内陸部でさえこの状況ですから、
津波の被害のあった沿岸部であれば、
お住まいの皆さんはより日々の暮らしに追われているのだろうと思います。

恥ずかしながら、こんな状況は弟から聞くまで
新聞やテレビ・ラジオ・ネットニュースからは全く伝わってきませんでした。

どこを見聞きしても、原発、原発、原発...。

確かに世界的にも類を見ないほどの事故のために情報が詳細に伝えられるのは仕方の無いことだし、
それについて危惧する声、疎開だの抗議活動だのと叫ぶ声が多いのは分からないでもないのですが、
いささかその声が大きすぎやしないのかと思うのです。
ありていに言えば、ヒステリックが過ぎるのではないかとも思うのです。

正直に言えば、どこにでも行ってやり直しが出来る産業に従事している関東の人が、
第1次・2次産業に従事している東北の人に「住まいを捨てろ」「暮らしを捨てろ」と、
しかもそれを「国家責任において行え」というのがどうにも理解できないのです。

これは未だに続く四日市喘息というものと長年向き合ってきたから出てくる考えだと思っています。

国家の高度成長政策もあってできたコンビナートがやがて地域住民の健康を害し、
ひいては風評被害も伴って磯津地区の漁業を一気に衰退させて。
それでも煙突の工夫等の公害対策を取っただけで企業が責任を取って撤退するということは全く無く、
逆にその工場群の灯りを「伊勢湾クルージング」の観光資源と利用して、
国家も自治体もまるで今まで公害病など存在しなかったかのように宣伝しているけれど、
それでも未だに他地区・他県の住民から、
「空気がずいぶん臭いところに好き好んでわざわざ住んでいる」と言われ続け…。


きっと数年後、数十年後、福島原発避難区域近くにお住まいの方は
否が応でも同じように「ああ、あの辺りに(わざわざ)お住まいですか…」と、
言葉をかけられるのだろうと思っています。
その方の生誕が震災後であって、直接の大きな被害者がお身内にあっても。

「否、そんなことはあってはならない」、
「そんな声をかけてはいけない」というご意見もおありでしょう。

それは重々承知をしておりますが、
それでも幼少の頃より公害被害者が言われなき偏見・差別に苦しみ、
自らの命をたってしまう人も少なくなかった状況を見ていて、そう感じざるを得ないのです。

関東からのヒステリックな報道や声が伝われば伝わってくるほど、そんな危惧が募ります。
弟に対して抱いた危惧が全くその通りになったかのように。


じゃあ、どうすればいいのか?
私にはそれは分かりません。
2010年現在でも教科書には「四日市は公害のまち」とレッテルが貼られているのですから。
逆に「公害のまち」以外の四日市市のイメージを教えて欲しいですよ。
それなら私にもよい方法が浮かぶかもしれませんからね。



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おかげさまで仙台市内の弟の歯科診療所は、
時間制限付きながらも22日より診療開始できるようになりました。
比較的被害の少ない地域であったこともあると思います。

今までの患者さんが引き続き来てもらえるのかどうかわかりませんし、
スタッフの一人が住居アパートの損傷のため診療所の一部屋に仮住まいの形をとっていますので、
本格的な再開にはまだ時間がかかるのかなと思います。

勤務医時代はあまりに不遜な言動があったので
「それで医療人として務まるか!」と喧嘩もしていましたが、
地域に住んで住民の皆様に支えてもらって考え方も変わったようで、
弟は少しでも早い再開に尽力していて、そういう意味では本当に良かったなぁと思います。

さて。
話は少し戻りますが先日来、飛脚さんが営業店止めならば宮城県内への物資発送可能と聞き、
朗報が来たと喜びながら母と2人で買出しに出かけました。
「雪の中2時間半も並んでようやく店に入ったけれど数量制限もあるから」とリクエストも聞きました。

リクエストの物資は勿論のこと、同じように被災した義妹親族や診療所スタッフの分も買おうと、
ちょっと張り切って出かけたのですがビックリするほど陳列棚が空っぽ。
買占めがここ四日市でも起こっているらしいと聞いてはいたのですが、
まさかここまでとは...と、しばし呆然としてしまいました。
これではリクエストに応えられないとやや焦りつつ代替品を購入し発送しました。

荷物を送ったとメールしたら早速弟から電話。
姉弟としては相当久しぶりの会話だったわけですが、
「買占めが酷くてリクエストに応えきれなかった。ゴメンな。」と謝ると、
電話の向こうでは「ええええ?四日市でっ?!」と絶句。

弟が絶句するのも無理はないです。
私たちだって驚いたぐらいですから。

関東では食糧やトイレットペーパーなどの生活物資の買占めがあったとか、
給油のためにGSに長蛇の列とか聞きますけれど、
弟からの連絡が入るたびに「一体コレはなんなんや?」という思いばかり。

「原発ばっかりテレビで言うけど俺たちはそれどころじゃない。生きていくのに必死なんや。」という弟の言葉も
情けないことに姉としては「そうやわなぁ。」としか相槌を打てないのです。

そして三重県が受け付けている救援物資へ提供はしたけれど、
テレビやラジオ、新聞などから流れる「募金お願い」の連呼にいささか参っています。

誤解を恐れず言いますが、やっぱり喧嘩ばかりしてても弟は弟なので、
出来ることなら弟夫婦に、そして彼を支えてくれる地域住民の皆様に直接援助したいと思っています。
ですから、募金に回す分のお金を直接のリクエストに答える形で反映させたいなと思ってます。
そういう意味でちょっと生活を切り詰めて取っておかなきゃいけないと考えてはいるのですが、
こうも「募金」ばかり言われると
「ひょっとしたら私達はいけない考えを持ってるのだろうか?」とすら思えてきています。

「考えすぎ」だとか「できることだけやれば良い」だとかいう声もあるのでしょうけれど、
一体これから先、何年支援を続けたら良いのかわからない不安感もあって、
募金や寄付の報告を見るたびに、こう胸の奥にもやもやとしたものがたまるのです。

被災地向けに開放されたIPサイマルラジオ(Radiko)のサーバーも全国からアクセスが集中して、
肝心の被災地では全くもって役に立たない、本末転倒な状況も起こっています。

どさくさまぎれにデマや政権批判もいっぱい流れていますが、
生きていくのに必死な被災地では、
そういうノイズのおかげで肝心の生きるための沢山の有益な情報がかき消されています。

あちこちに大声で「そんなの良くない」「もっと冷静に」と叫べればいいのでしょうが、
私には弟の必死の声が頭にこびりついていて
「なんだかなぁ」というもやもや以外のものが出てこないのですよ。
どうやら自分の感情リミッターが少しばかりおかしくなっているみたいです。

哀しい限りですね。



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