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chocoの散歩道〜晴耕雨読詩人
人生とは、愛すること、感謝すること、楽しむこと。

書庫星達の声

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ファーストステージ<絆> 3


 春爛漫。
 薄く晴れ渡る青空に、春の優しい雲がかかっている。霞と呼ぶべきだろうか。
 
 小さなログハウスを改造したオープンカフェ。武蔵野の佇まいに完全に溶け込んでいる。店内のカウンターの向こうのキッチンでは、白のワイシャツに蝶ネクタイ姿の佐倉亮一郎がコーヒーカップやソーサーを拭いていた。

 詩音はここでは、ウエイトレスという設定になっていた。
 天使の作為は、ごく自然な形のシチュエーションを、いとも簡単に作ってしまうのだ。

 第二の僕(しもべ)である、タロウは、カウンターの脇にあるラタン製の大きな籠に敷かれたふかふかのクッションですやすや眠ったままだった。

 「・・・さてと、詩音様、もうじきあの人物がお見えになります。ミカ様からのご指示によりますと、あの日当たりの良いオープンテラスでハーブティーをご所望されるようです。後のことは、タロウが仕組んでくれるということなのですが・・・」
 
 亮一郎が見るまでもなく、タロウはびくともしなかった。彼を介してどう展開していくのかは、詩音にもさっぱりわからなかった。

 「・・・お義母さんは、あのご老人をお父さんと呼んでいらしたわ。とすれば駿のお祖父さまということになるわね」
 何やら、事情があるらしいことは安易に察しがつく。

 武蔵野公園で、何も描かれていないキャンバスを見つめていた白髪の老人。
 駿から、かつてこんな話を聞いたことがあった。

 詩音が新作絵本のコンセプトで悩んでいたころ、参考になるならと、駿が渡してくれた一冊の画集。

 「・・・おじいちゃんが昔描いたそうだよ。市居の名もない画家で、親父たちも相当苦労したって話だけどね。そういや、僕が幼稚園のころ、おじいちゃん相当ぼけちゃってたなあ。毎日公園でぼんやりしてたって、母さんが言ってたから・・・」

 駿が手渡してくれた一冊の画集は、「武蔵野の春」と題した表紙に、南城美智雄という名があったのを覚えている。
 蕾の季節。咲き始める桜に、散り初めの桜。写実的ではあるが、春の無常を静かに語りかけてくれるような、なんとも切ない奥行きが感じられた画風だったのを覚えていた。

 画集の裏表紙には、手書きで詩が添えられていた。
 誰の手によるものなのかは、駿に訊いてもわからなかったのだが、なんとなく覚えている。

 詩音は、その詩の一節を呟いた。

 『・・気まぐれな風が 散らす花びら・・ふわりふわりと風に乗り 空へ舞い上がる
たをやかに咲く花も 蕾のままの花も・・散ってゆく運命(さだめ)に気がつけど・・』

 詩音がそこまで呟くと、その後を亮一郎が続けた。
 『・・時の流れに抗(あがら)うことなく・・この瞬間を鮮やかに息づく・・嗚呼、風花よ 気高く咲けよ・・ココロの岸辺に・・』

「なんとなく覚えているの。桜は見事に咲くんだけれど、人の世の無常は、いろんな咲かせ方をさせる・・・そんな感じかしら」
 まだ誰も客がいない店内から、表の桜並木がしっかりと見えた。
 三分咲きといった頃か。
 まだまだ薄ら寒いと感じるため、暖かいコーヒーが欲しくなった。

 亮一郎がそれを察したかのように、詩音をカウンター席に誘い、沸かしたてのカフェオレを淹れてくれた。

「ありがとう・・」詩音はゆっくりとカフェオレを飲み始めた。

 いつの間にかタロウが擦り寄ってきた。
 鼻をくんくん鳴らして、詩音の足元でちょこんとお座りをして、上目で詩音を見つめる。
 詩音が気づくと、相好を崩したかのように舌を出し、手を出した詩音に飛びついた。

「おはよう。おねぼうさん。さあて、私はこれから何をすればいいの?」
 抱き上げたタロウを、カウンターの上に座らせ、詩音は頬杖をついた。

 その時、タロウがカウンターから急に飛び降りて、店の表のオープンテラスのほうに走っていった。

 いつの間にか、あの老人がオープンテラスの陽のあたる、テーブル席に腰を下ろしていた。
 タロウは老人に駆け寄って、さっき詩音に見せたようにちょこんとお座りをして、老人を見つめた。

「・・・おまえは、どこから来たんだい?おお、よしよし。お腹が空いているのかな?・・何か頼んでやろうな・・」
 老人は、目を細めてタロウの頭を撫で、おもむろに店内を振り向いた。

「・・さて、詩音様。これから始まりますよ・・」
 キッチンの亮一郎は、詩音に暖かいお絞りとお冷を載せた銀のトレイを渡した。

 詩音は意を決して老人に近づいていった。
「・・あのう?」慣れないシチュエーションに戸惑い、ぎごちない挨拶になったが、老人のほうから声がでた。

「・・ここのワンちゃんかね?」

「タロウっていいます。まだおねんねで・・」

「かわいいねえ。うちにも孫がいるんだけれど、腕白で怪獣ごっこに夢中なもんでね。わしは静かなのがいいなあ・・・どれ、すまんが、この子にミルクなぞ持ってきてやってはくれんかね?」

「・・畏まりました。で、お客様のご注文は何にいたしましょうか?」詩音はウエイトレスらしく、お絞りとお冷をそっと老人の前に置き、ゆっくり尋ねた。

「いつものやつを・・・おや?ここは初めてじゃったかのう?最近どうも調子が悪くて・・・」
 老人は白髪の頭を撫でながら、さびしそうに自嘲した。

「・・ええと、ラズベリーリーフとエキナセア、ローズヒップのブレンドティーでよろしかったでしょうか?」
 詩音は、亮一郎から聞いていた、老人の好みのハーブのブレンドを奨めた。

「・・あ、ああ、それじゃ。やっぱり、ここはいつもわしが来る所じゃったようだ」
 老人は詩音の言葉に納得し、落ち着いた表情になった。

 「ありがとう。この頃特に、物忘れがひどくてなあ・・」老人は再び自嘲気味に言った。

 「・・どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。あのう、それで・・もしよろしかったら、しばらく私とお話しませんか?今日も、あの、開店休業だし、オーナーの趣味でやっているようなお店なので・・タロウもこんなに懐いちゃって・・」

 詩音は、おずおずと申し出た。
 老人からいろいろ訊き出し、真っ白なキャンバスの謎を解かねばならない。

「こんな年寄りの相手をしてくれるのか?すまないねえ。ありがとう。君は優しい娘さんだね。」老人はきょとんとしながらも、やさしい目をして応えた。

 しばらくして、詩音が差し出したハーブのブレンドティーを、老人はゆっくりと嗜みながら、桜を眺めた。

「・・あれは、ずいぶん前のことじゃった。あれが逝ってから、わしは薄紅を使うことが出来なくなった・・」
 老人は独り静かに語り始めた。
 それは、ほとんど独り言だった。
 しかし、詩音が読み取るには十分な話で、駿の祖父一家に起こった哀しい過去を彷彿とさせるには十分すぎるものであった。

 老人は画家であった。街の有力者や金持ちに頼まれて肖像画を描いたり、雑誌や絵本の挿絵を描いて生計を立てていた。
 老人の配偶者は、つまり駿の祖母にあたる人物であるのだが、相当な苦労をしていたらしい。実際の生計を維持し、駿の父と叔母にあたる子供たちを育てるには、朝早くから夜遅くまで働いていた。

 この老人は、我侭で頑固者と、自分のことを言った。
 いい作品を描くために、家族を犠牲にしたこと。いつかきっと大成して、妻や子供たちを楽にしてやりたいと、制作に没頭していた日々。商売気がなく、画商には良いように取引ばかりされていた。

 妻を連れて、旅行に行ったこともないくせに、スケッチだの取材だのと称して、無駄な金を浪費していた。
 夢ばかり大きくて、自分の世界から出ることをしなかったにもかかわらず、妻は静かに付いて来てくれた。
 やがて子供たちが大きくなり、孫が出来た歳になって、やっと完成した画風が認められるようになった。
 その頃に描いた『武蔵野の春』が、評判を呼んで、画集にもなったのだ。

 しかし、妻の体は後戻りできない状態になっていた。

 末期のがん宣告を受け、妻はあっけなく、そして静かに旅立った。

 やがて、自分も老いを感じ始め、みずみずしい記憶さえも、途切れがちになっていく。

 一生を振り向いた時、何故こんなにも儚いものかと、追憶ばかりの日々。

 それでも、衰えた感覚を引き摺るように、気がつけばまたここにいる。
 咲き始めた桜を見るたびに、妻への詫びる気持ちと、自分だけが残っってしまった切なさとを、途切れがちの記憶の中でなんとか繋いでおこうとしている虚しさに浸り込んでいる。

 もう絵筆も捨てた。しかし、本当に描きたかった妻との思い出の風景を、気がつけば真っ白なキャンバスに投影しようと、もがいているのだ。

 老人は、ハーブティーを飲みながら、淡々と語った。

 「・・・会いに行けまっせえ!」その時、あの訊きなじみの関西弁が後ろから聞こえた。
 
 「・・・ええ方法がおます!」ひいやんは、したり顔で詩音に微笑んだ。

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ファーストステージ<絆> 2

男は二通りに分かれる様なところがある。
妙に順応性が高い、あるいはただうろたえるだけの人。

この場合、駿は両方であった。
気がついた時、どこかの海岸にいた。
波の音から、今はまだ朝早い時刻であることがわかる。
しかし、ここがどこの海岸であるのか、駿は咄嗟のことに狼狽していた。

人影はまだなく、潮風も少し冷たかった。
駿は辺りを見回したが、場所を特定するものはない。
立ち上がって、ズボンについた砂をぱらぱらと払った。

ふと気がつくと、小さな黒い子犬が駿の傍らに座っている。

「・・おやおや、君も迷子かい?」駿が招き寄せると、子犬はかわいい尻尾を振って
近づいてきた。駿がそっと抱き上げると、鼻をくんくん鳴らして駿の顔を舐め始めた。

「・・・すんません。遅うなりました・・・」
いつの間にか、駿の背後に立つ影が二つあった。

ひとりは見覚えのある小男で、妙にここの風景に馴染んだアロハシャツを着て、ガムをくっちゃくっちゃ噛んでいる。ひいやんであった。

「すんまへんなあ。お待たせしました。詩音はんのところに行ってましたんで、ここ来るのに時間かかりましてん。あっ、詩音はんは元気でっせ。先にゆうときますわ。けど、どこにいるのかはルール上言えまへん・・・」
相変わらずマイペースの早口でしゃべる奴である。

ひいやんの横にたっていたのは、若い女性だった。
「・・・はじめまして。ええと、天使庁から派遣されてきました、あの、澪(みお)っていいます。その、クロエのお世話を担当しま〜す。よろしく!」
澪と名乗る女性は、駿の抱いている黒い子犬の名をクロエといった。

「すんまへん。適当な人材がいてまへんでしたんで、まだ実習中ですねんけど、まあ何とかフォローしますから、こんな、けばい姉ちゃんで堪忍してください」ひいやんが申し訳なさそうに駿に説明した。

「・・・けばくて、悪かったわね!」澪は膨れっ面でそっぽを向いた。

澪の髪は、かなり前に流行ったワンレングスで、潮風に揺れている。体のラインがくっきりとわかるボディコンで、ラメの入った黄色のワンピースを着ていて、一見してディスコ狂だと駿は思った。かかとの高いヒールは、さすがに砂浜では歩きにくいらしく、一本指で肩に担いでいる。眉も太かった。

ワンレングスは、女性のヘアスタイルのひとつで、ワンレングス・ボブのことである。ストレートの髪でフロントから後ろまでを同じ長さに真直ぐ切り揃えたもので、略してワンレンという。
1990年代前半のディスコに集まる女性は、ワンレンロングヘア・ボディコン・爪長・ハイヒール、というのがお決まりのファッションだった

これでも本当に天使の遣いなのか?駿は苦笑した。

「・・・この犬が、第二の僕(しもべ)なのかい?」駿がひいやんに訊いた。

「そうでんねん。ミカはん何を考えてるんかわかりまへんけど、このコロエちゃんと・・」

「クロエです!」澪が怒鳴った。

「そう、このコロエちゃんが、駿はんのファーストステージで課題をくれる僕(しもべ)だんねん。この姉ちゃんは、コロエちゃんの、まあ通訳係ですわ」

「で、いったい此処はどこなんだい?」大体の状況がわかった駿がひいやんに訊いた。

「は〜い。私がお答えしま〜す。此処は、東経139度32分北緯35度18分。
神奈川県鎌倉市由比ガ浜海岸でございま〜す。この海岸とその周辺、由比ガ浜一丁目から四丁目付近を由比ヶ浜といいます。このむこうの東側は材木座海岸です。このごろは湘南って言ってますけど。また、源平時代に源義経の妻妾静御前が源頼朝配下に捕われて鎌倉に送られた後に義経の男子を産むんですが、これを知った頼朝は激怒してその子を由比ヶ浜に沈めたと伝えられています。その後、鎌倉時代末期には新田義貞がここで鎌倉幕府軍を破って、幕府滅亡をしたとされていま〜す・・・」
ひいやんを押しのけるように、澪がバスガイドさながらの知識で、一気にまくし立てた。となりでひいやんが口をぽかんと開けている。

「由比ガ浜なのか・・・」

駿は、ここが詩音の実家の近くだとわかった。

詩音は幼いころに長い間病気がちで、元々東京に住んでいたらしかったが、転地療養
のため、一家でこの地に引っ越してきたという。詩音から何度も聞いていた。
由比ガ浜から市街地に入ると、鎌倉の大仏がある高徳院に向かう。
その途中に鎌倉病院があって、詩音一家はその近くに住んでいたらしい。

「・・で、これから僕は何をすればいいんだい?」抱いたクロエの瞳を見つめて、駿は呟いた。
 
 その時、駿に抱かれていたクロエが急に飛び降りて、砂浜を走り出した。
 駿たちがそれを見守っていると、砂浜の向こうから少女が歩いてくるのが見えた。
 駿は少女の面影に見覚えがあった。幼い面持ちだったが、詩音に似ていた。

 「もしかして・・・」

 「ぴんぽ〜ん。高倉詩音ちゃんで〜す」澪は、詩音の旧姓を知っていた。

 ということは、ここは詩音の過去の世界ということになる。
 
 「・・さあ、行ってきなはれ。わてはまた来ますんで・・」そばにいたひいやんは、後はよろしくとばかりに、再びぱっと消えた。

 「・・あれっ?あの子泣いてるんじゃない?待って、クロエ・・・」澪がクロエの
後について走り出す。

砂浜の向こうで幼い詩音は、海を見ながらしゃがんでいた。
頬に幾重にも涙の後が光っているのがわかる。

クロエはそっと詩音に近づいて、またちょこんとお座りをした。
クロエを追いかけた澪と駿は、立ち止まって様子を見守った。

「・・詩音に聞いたことがある。小さいころに、とても悲しい別れを経験したって・・」

「別れ?」

「ああ、詳しいことは聞いていないが、今日がそうだったに違いないな」

「クロエに確かめてみるわ・・」澪はそういいながら少女に気づかれないようにクロエに近づき、抱き上げて額に耳をあてた。どうやらクロエの意思が読み取れるらしい。

「どうだった?」そばに戻った澪に、駿が訊いた。

「・・鎌倉病院・・友達・・・約束・・・・。残念だけどここまでよ。ごめんなさい。
なにせ実習中なもので・・・」
澪は申し訳なさそうに駿に報告した。

「・・・詩音の悩みを解消するのが、どうやら此処での課題みたいだね。でも、どうやって・・・」

「・・それなら、私に任せて。まず、そこに行ってみましょうよ。鎌倉病院に」

「行ってどうするんだい?」

「潜入するのよ。私はナース。あなたは、療法士として潜り込むの。ご職業柄専門分野でしょう?まずは、そこからよ・・・」

 うまくいくのかはわからなかったが、どうやら鍵はそこにあるらしい。

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ファーストステージ<絆> 1




 気がつくと詩音の意識は妙に生々しく、ここが現世であることは間違いないと思われた。

 あたりを見渡しても、人通りもなく、大きな公園だと思われる緑が生い茂った広場にいて、その中のベンチのひとつに横たわっていたのだ。夫の駿もいなかった。

 ひょっとすると、さっきまでのへんてこりんな「夢?」から醒めて、現実の世界に返ってこれたのかと一瞬思ったが、それがぬか喜びだとすぐにわかった。

 「・・気がついたようですね。マドモアゼル・・」

 詩音の前には、例のいらちのひいやんこと、新米天使ミカの第一の僕(しもべ)がいたのだが、その横にはじめてみる顔が詩音に声をかけた。

 「・・私、佐倉亮一郎と申します。ええと、天使ミカ様のご召還によりまして、参上仕りました、第二の僕(しもべ)タロウのお世話係をしています。彦右衛門さまから、粗方のお話はお聞きになっていると思いますが・・」

 黒いタキシードにスエードの山高帽を被り、蝶ネクタイ姿。身長は、ひいやんと違ってすらっとしていてやせている。風貌はほとんど田村正和の様な美形で、切れ長の眼は優しくて存在感が感じられる。妙に説得力のある低い声で一気に自己紹介を始めたが、ひいやんが間をはさんだ。

 「・・ちょ、ちょっと待ったらんかい。本名を言うなって教えといたやろ?
詩音はん、ちょっと打ち合わせを・・・」
 ひいやんは、亮一郎と名乗る男のタキシードの袖をひっぱりながら向こう側を向いた。
 ひいやんがなにやらごちゃごちゃ言っている。

 「・・ひいやんって、彦右衛門っていうんだ」詩音は思わず笑った。 

 ほったらかしにされた詩音がふと足元を見ると、いつの間にか一匹のかわいい芝犬が、詩音の前に、ちょこんとお座りをしていて、尻尾を振っていた。

 「わん、わん・・・」

 「あら、あなたが第二の僕(しもべ)なの?」
 詩音はいぶかしがりながらも、目の前の愛らしい仕草にしゃがんで腰を下ろしながら、手を差し伸べた。

 その犬は、ゆっくりと詩音に近づいてきて、裸足の足をぺろぺろと舐めだした。

 「くすぐったいわ・・」
 詩音は目を細めながら、頭をなで、そっと抱き上げた。
 まだ、子犬のようで、クンクンと鼻を鳴らして、しきりに尻尾を振っている。
 詩音は、今までの訳のわからない経過に戸惑いながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
 
 抱き上げた子犬は、しきりに詩音の顔を舐めている。
 抱きしめた温もりが、詩音の心を、優しくほぐしてくれた。

 「・・タロウ、と申します。どうです、かわいいでしょう」
 亮一郎が声をかけた。どうやら打ち合わせとやらは終わっていて、ひいやんはばつの悪そうな面持ちで、そっぽを向きながら、相変わらずくちゃくちゃとガムを噛んでいる。
 
 「・・タロウが天使ミカ様の第二の僕(しもべ)となって、あなた様をお導きになるのです。私は彼の通訳兼お世話係の随員として、天使庁から派遣されてきました。今後とも宜しくお見知りおきください。・・さて、おみ足に似合うお履物から調達しなければなりませんね。ええと、どのようなお履きのもがお好みでしょうか?・・」
 亮一郎は終始マイペースな早口でしかも、しわ枯れたアクセントのある声で詩音に畳み掛ける。

 「まあつまり、なんやな。この襟足のおっさんに就いててもらえば、ええっちゅう訳ですわ。わては、駿はんとこにも行ったり、ミカはんにも報告せなあきまへんから、行ったり来たりさせてもらいますんで、すんまへんけど・・」
 亮一郎のことを、襟足のおっさんと呼んだひいやんはぶっきら棒にそう言い放って、その場を離れようとした。

 「ちょっと、待って!あの人は今どこにいるの?」詩音が、ひいやんに、夫である駿の居所をあわてて訊いた。

「すんまへん。それは、ルール上言えまへんねん。けど、だいじょうぶでっせ。詩音はんと同じようにどこか別の場所でミッションを授かってますから。ほな、わては行きまっさ・・」
そういい残してひいやんは、ぱっと消えた。

タロウを抱きながら呆然と立ち尽くす詩音に、亮一郎が今度はゆっくりと声をかけた。
「・・やっと、静かになりましたね。・・さてと、如何でしょうか、こんな風なので・・」
亮一郎の手には、鮮やかで涼しげなミュールがあり、詩音はそれを受け取って履いてみた。

「ぴったりだわ・・」さすがに天使の僕の為せる技だった。

「よかったら、少し歩いてみませんか?」亮一郎が奨めるまま、詩音はタロウを抱いたままで歩き出した。

落ち着いてみると、あたりの景色にはまったく記憶がなかったが、
ここがごく普通の公園であることはわかる。

 「これから、どうすればいいのかしら?一体、ここは何処なの?」
 詩音は抱いたままのタロウに、呟くように問いかけたが、タロウはまぶたを閉じて
詩音の腕の中ですやすやと寝入っている。

 「・・おやおや、寝ちゃいましたね。では、私からお話しましょうか」亮一郎が微笑みながら言った。
 
 「えー実はここは、東京都小金井市、武蔵野公園の中でして。もうすぐサトザクラが満開の季節を迎えるところです・・」亮一郎が静かに説明する。

 武蔵野公園は、サクラのトンネルで有名である。約7千本もの樹木が生い茂り、元々あった雑木林と一体となっていて、まさに武蔵野の中心であった。

 「ここは・・・」詩音は、駿が幼いころに住んでいたと聞かされていたのが、小金井であったのを思い出した。
 
 「ご明察です。あなたのご主人がご幼少の頃に過ごされた街なのです。ここから詩音様のミッションが始まるのですが、タロウがこの調子だと暫くは何事も・・・」
 亮一郎がそう言いかけた時、公園の少し先に人影が見えた。

 詩音がゆっくりと近づいてみると、その人影が老人であることがわかった。

 公園の道端に小さなイーゼルを置き、真っ白なキャンバスに向かいながら、折りたたみの椅子に座っている。手に絵筆などは持たず、ただ黙ってキャンバスを凝視しているのだ。
 老人は、年の頃ならもう80は越えているように見えた。白髪の頭は天然パーマがかかっていて、口元に蓄えた白髭と共に、見るからに画家然としていた。
 表情を読み取るには、もう少し近づいてみなければわからない。

 詩音は、他にあてもなかったので、しばらく、それとなく観察することにした。
 老人は詩音らが近づいて行っても、気がつかない様子で、キャンバスを見つめたままだった。

 詩音の後ろで、声がした。

 「・・お父さん。もうお帰りになって・・」

 少しやつれた感じの女性の声には訊き覚えがあった。
 詩音は振り返ると、はっとした。顔はかなり若いようだが、間違いなく義母である。
 声の主は、駿の母親だった。

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ファイナル


 見習い天使ミカは、ひいやんが予備召還した駿と詩音が戸惑うさまを、少し離れたところで漂って見ていた。天使であるから、背中の羽根を音も立てずに羽ばたかせながら、空中に漂うことができるのはいうまでもない。
 
ひいやんは、ミカを振り向きながら言った。
 「・・・さあ、どないしまんねん?わては、やることやりましたでえ。次なにしまんねん?早ようしてえなあ・・・」
関西こてこてにいちゃん系であるひいやんは、相当の“いらち”である。
“いらち”とは、関西地方の言葉で、「いらいらしたせっかちな男」の意味である。
“いらち”のひいやんは、やる気のなさそうな語気でミカに言い放った。

「さて・・・」と、言ったものの、ミカ自身もこの後の始末をしたことがない。
というか、初体験であるから、どうしたものかと思案に暮れる。

「まだでっか?」いらちのひいやんはクチャクチャとガムをかみながらミカを促す。

ミカは、しばらく思案にふけっていたがおもむろに次の指示を出した。
「・・・いいわ。じゃあ、二人に私からの課題を伝えてちょうだい。・・・二人には私から課題を4つ出します。いい、召還した魂のカタルシスを図らなければ、天国には行けない。あなたを含めて、カプセルは4つしか使えないから、最後のカプセルを使い切るまでに、本召還できるようにしておかなくては・・・・」

「ちょ、ちょっとまっとくんなはれ」ひいやんが口をはさんだ。

「なに?まちがってるの?」ミカはたじたじとひいやんの言葉を待つ。

「・・・そもそも、この人ら、ああ、すんまへんなあ。さっきからきょとんとみてはりまっせ。すんまへん、わての上司と打ち合わせしてまんねん。あんさんらには見えてまへんけど、後ろでごちゃごちゃゆうてまんねん・・・」ひいやんは、ミカの言葉をさえぎると、駿と詩音に向かって愛想良く言った。

「ごちゃごちゃって何よ・・・」むっとした顔でぶつぶつ言うミカをなだめるように、ひいやんが後を続ける。

 「はいはい。ミカはん、わてがいいたいのは、この人ら、特別抽選召還やってことでんがな。忘れてたらあきまへんで。まだ、正式に天界の住人にさせるって決まったことやおまへんがな・・・」

 ミカは、はっとして、思い出した。大国課長から指示されたケースは、天使庁の特別抽選で選出されたカップルの召還であることを。したがって、予備召還された魂は、課題を提供し、その進捗次第で本召還にするのか、人間として下界で修練を続けるのかを判断することになっているのだ。

 ばつの悪そうな表情で、ミカは言葉を誤魔化した。
 「・・・だ、だから、その4つの課題を出すんじゃない。本召還はその後で判断することにするから・・・」
 「それでんねん。だから、本召還用の浄化プログラムやったらあかんのとちゃいますか?」
 ひいやんには、ばれていた。
 あわてて、ミカは次の手を考えながら言った。

 「わかってるわよ、そんなこと。ちゃんとニュートラル(中立)プログラムで実行しますから・・・」
とはいったものの、ミカにはあまり自信がなかった。

 「・・・まあ、新米でっさかいな、少々手違いがあることは、堪忍しとくなはれ」
 ひいやんが二人に向き直って取り繕った。

 「新米、新米って、うるさいわね」
ミカは、僕(しもべ)召還の儀式を間違ったことを今更ながらに後悔しながらも、逆切れして反論した。

 傍らで目に見えない天使と風変わりな僕(しもべ)のひいやんとの会話の行方を、呆然と聞いていた駿と詩音が、心配げにひいやんに訊いた。
 「・・・あのう・・・僕たち、これから・・・」

 「・・・ああ、すんまへん。内輪のことで説明が中途半端になってました。ええと・・・」
 ひいやんがもう一度説明しかけると、ミカがひいやんのアロハシャツの裾を引っ張った。
 「・・・ちゃんと、説明してよ」

 「・・わ、わかってまんがな。いえ、何、横でうるさいのがいて、やかましいいいまんねん・・・さて、あんさんらには、4つの課題・・・てか、宿題やな。それも、駿はん、詩音はん、別々のステージでクリアしてもらうことになってます。お二人がそれぞれ4つずつの宿題をしてもらうんですわ。最初は、え、なに?あ、そうでっか。すんまへん、ややこしい会話しまして。横で天使はんが言いますには、ファーストステージは
あんさんらのお互いの過去に戻ってもらうことになっています。つまり、駿はんは詩音はんの過去に。詩音はんは駿はんの昔に、科学的に言うとタイムぼか〜ん、みたいな・・
あはは、おもろいでっしゃろ?」ますます不安げに自分を見つめる駿と詩音に、空気を変えるべく焦り気味で、ひいやんが説明した。

 「ファーストステージは、あんたじゃなくてこれを使うわよ」

 ミカは大国課長から渡されたカプセルケースの中から、薄紫色のカプセルを取り出すと、厳かな口調で呪文を唱え始めた。

 「・・・・大天使ガブリエルと精霊の意思に基づいて、吾の僕となる聖なるクピド
らを蘇らせ、迷える魂の導(しるべ)とせん・・・」
 今度はきちんと言えたようだ。満足な笑みを浮かべて、ミカはひいやんに指示を出す。

 「さあ、次は二人をそれぞれ相手方の過去に戻すのよ。私が召還した第二の僕(しもべ)さんたちは、それぞれの過去に潜行させているわ。さあ、早くして」
 ミカが急かすと、今度はひいやんがぶつぶつ言う。

 「・・・ほんまに、僕(しもべ)遣いが荒いねんから・・・わかりましたよ。やりゃあええんでっしゃろ。次の僕(しもべ)も、どうせまともな呼び出し方できてへんにきまってますから、苦労しまっせ、お二人とも・・・まあ、ええわ。こうなったら乗りかかった船やし・・・大丈夫。わてがちゃんとナビゲートしますがな。最後まで。天使はんが頼りないから、わてがちゃんとやらんとしゃあない・・・」

 「・・何か言った?」ミカはひいやんのアロハシャツをさらに強く引っ張って語気を強めていった。
 「・・わ、わかりました。暴力反対。すんまへん・・・さからいまへん」
 「わかればよろしい」ミカは再び笑みを浮かべて頷いた。

 駿と詩音は、一人で突っ込みとボケをやっているように見えるひいやんに呆気にとられながらも、この次に起こる展開が少しづつ見えてきたようだったが、不安げに見つめあう。
 「・・やるしか、ないようだな。君は、平気かい?」駿が言った。

 「・・ええ。でも、どんな宿題を解けばいいの?」
気丈に詩音は言ったものの、不安は隠せない。

 「それは、こいつに教えてもらうしかないかな・・・」
 こうして駿と詩音、ひいやんこと新米天使ミカの第一の僕(しもべ)は、4つの宿題を解くために、ファーストステージへと向かった。

 ミカは二番目に召還した僕(しもべ)たちとこっそりコンタクトをとり、指示を与えた。
 「いい、あなたたちがあの二人に与えるテーマは<絆>よ。がんばってちょうだい」
 ミカがそういい終わると、僕(しもべ)たちが言った。というより、吼えた。

 「わん、わん!!」
  

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 暫く沈黙が続いた。

 「・・・予備?召還って・・・?」
 駿が重い口を開いた時、ひいやんと名乗る小男は一段高くなったもやもやの上にいて、言葉をつないだ。

 「・・・そうだす。予備だす。つまり、なんちゅうか、あんさんらはこの世からあの世に召還・・つまり、死ななあかん運命やったんですわ。それで、天使のミカはん・・ああ、わてのご主人さんだすけどね・・そのミカはんが手続きに戸惑いはって、僕(しもべ)のわてが代わりにさせてもろたんですわ」

 えらく早口の関西弁でぺらぺらとご陽気にしゃべるので、不思議とさっきまでのわけの分からない恐怖感が薄れていった。
 
 駿の後ろにしがみついていた詩音も、おそるおそる顔を出して言った。

 「・・・そ、その予備なんとかって・・・」
 「召還」ひいやんが、すかさずはさんでくる。
 「・・・なんで、私達があの世に行かなくちゃ行けないの?」
 当然の疑問。
 駿も固唾を呑んで、ひいやんの言葉を待っている。
 
 すると、待ってましたとばかりに、ひいやんが話し始めた。
 「お答えしまショ〜!ええと、嘆息記録によるとですね。ああ、嘆息って?
ため息のことですがな。その、ため息の記録によると、おたくさんら、100万回こえてるんですね。お二人が結婚しやはってからが・・・」

 「ため息が多いから死ななきゃならないの?」
 詩音が食ってかかる。

 「まあ最後まで聞きなはれ!」ひいやんはまるで小学生を諭すような口調で話を続けた。

 「・・・お二人が一緒になりはってから、つまり結婚式の誓いの儀式からちゅうことになってますけどね。その時からカウントするんですわ。12年間経ちましたんで、これを日にちに換すと、4383日。時間では10万5192時間。分では、631万1520分になる勘定ですわ。あんさんら、100万回のため息の内訳は、駿はん、一日どれ位や思わはる?」

 ひいやんは、どうやって出したのか分厚いファイルを取り出して、覗き込みながら駿に訊いた。

 「さあ、たくさんしているのかなあ?」

 「そう、そうでっせえ。ぎょうさんしたはりますわ。駿はんが46万2566回。詩音はんが56万7434回。合計でちょうど100万回ですわ」
 ひいやんは、これもどこから出したのか、大きな電卓を出して、キーをたたきながら勝ち誇ったようにしゃべった。

 「だいたい、5〜6分に一回ですわ・・・」ひいやんが茶化したように言う。

 「・・・だから、なんなのよ?どうして、ため息ぐらいで死ななきゃなんないのよ!!」詩音が突然、猛烈に抗議するのを、ひいやんは目をつむって聞き流す。

 「せやから最後まで聞きなはれって!!つまり夫婦二人で100万回のため息をついたカップルの中から、神聖なる大天使ガブリエル様の名の下に、抽選会をするわけですねん。その中から見事選ばれた、幸運のお二人が・・・」

 「僕達ってことかい?」

 「ご名答!!」

 「ちょ、ちょっと待って。何で幸運なんだ」今度は駿も食い下がった。

 「これやから、呼びたてのもんは嫌やねん。最後まで聞きなはれって」
 興奮する二人に、今度はひいやんも天使の僕(しもべ)らしくきちんと向かい合って、厳かに話し始めた。

 「よろしいでっか?つまり、わてが幸運って言いましたんは、なんですわ。その、おたくらがもう一度やりなおせるっちゅうことですわ。その、ここだけの話、あっちのほうもご無沙汰でしたんでっしゃろ?隠さいでもよろしいわ。
全部これに書いてますさかい・・・」

 駿と詩音は、夫婦二人だけしか知らないはずの・・・ことさえお見通しのひいやんの言葉に、思わず目線をそらした。

 「・・・はずかしがらんでもよろしいわ。すんまへん、余計なこといいまして、あはは・・・もとい、つまり結婚後煙たい空気に包まれてため息ばかりついている夫婦の中から、抽選で再挑戦してもらおうという、天使庁の決まりごとですさかいな。あんさんらが選ばれましてん」

 「私達が・・・行き詰っている・・か・ら・・・」
 「・・・でも、死ぬんだろ?・・・僕達・・・」

 「あっ、急に暗なりましたなあ。心配いりまへん。あの世を見るっていうところまでは、まあ、死ぬってことにもなりますけど、あんさんらは、あくまで
予備召還ですねん。つまり、今現在は死んでるわけやないんです」

 「どういうこと?」

 「お二人の生身の体は、とある場所に保管してます。他の誰にも違和感なく普通の日常を送ってもらえるように配慮して。つまり、お二人の存在はあちらの方でも誰にも気づかれないようにしているんです」
 ひいやんは少し薄くなったもやの床の隙間を指差して言った。

 「で、魂だけを予備召還したから、天使はんの姿は見えまへんねん。さっきからずっとそこにいてはりますのに・・・」
 ひいやんが指差すもやの盛り上がったところには、二人からは何も見えなかった。

 
 
 

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