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**天国に旅立った猫**

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サイちゃんのことは、本ブログ以下の「飛田給地域の猫事情」の25日付、30日付でお知らせしていました。
「飛田給地域の猫事情」
(25日付)http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/38799298.html
(30日付)http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/39063427.html

先月、府中市押立町で(飛田給近く)で保護された、生後1か月強ほどの
サイちゃんが、本日午前10時43分に亡くなりました。

これから、お通夜をし、明日埋葬の予定です。


サイちゃんは、昨夕までは元気にしており、一時預かりを申し出て
下っていた方が献身的なお世話をして下さっていました。
保護された当初、衰弱しており、月令の割には、あまりにも体重が少なく、
その後も、あまり増えなかったようです。入院中に発症していた肺炎が
完全には治っていなかったようです。生後2ヶ月までは油断できないと
よく言われますが、預かり手様は本当に信じられないと仰ってました。
(先週お届けした時の写真と記事です。↓↓↓)
http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/39337617.html


預かり手様は、ちょっと前(3週間ほど前)に里子に出した、ハル君と
サクラ君(生後2ヶ月半ほど)の里親様で、ハル君たちがいいお兄ちゃん役
となって、グルーミングしたり、とてもよく面倒を見てくれていたようです。

生後間もなく、ひとりぼっちで保護され、さびしい思いをしていたサイちゃんに、
はじめて、兄弟の温かなぬくもりと安らぎを与えてくれたハル君とサクラ君と
一緒に寝ている写真を送って下さったのが、今朝6時でした。(写真)

亡くなったのは、その約4時間半後の午前10時43分でした。


昨夜サイちゃんは、夕方までは元気に動いていたのに、急に腰が立たなくなって、
離乳食も食べられなくなってしまったとのことで、夜12時頃に預かり手様より
連絡が入りました。深夜に対応してくれる病院に連絡しても日曜夜のせいか、
つながらないということで、世田谷区の預かり手様でしたが、
調布の病院で深夜対応しているところがあるか、尋ねられました。
それで、乳飲み子のお世話に長けたベテランボランティアに相談したところ、
翌朝病院の開く時間まではもたないではないということで、深夜の2時に
世田谷から預かり手様がタクシーで連れて行ったサイちゃんを受け入れ、
朝まで手当てをして下さいました。
明け方頃、落ち着いたようで、預かり手様は早朝に帰宅されたのでした。
容態が急変したのは、今日のお昼近くになってのことでした。

これから、世田谷の預かり手様と一緒にサイちゃんを深夜からお世話してくれた
ボランティア宅に迎えに行き、保護主様の住む府中市の家まで行ってまいります。

今夜は、保護主様の家でお通夜となります。m(__)m


写真:
今朝6時に届いた預かり手様からの写真です。
一昨日の夜に撮影されたものです。昨夕まではこんな感じだったそうです。
一足先に、3週間ほど前に里子に出したハル君とサクラ君と一緒に寝ています。
里子に出した生後2ヶ月半のハル君が、生後1か月半のサイちゃんのお顔や
お尻を一生懸命にペロペロなめてあげていたそうです。
サイちゃんは、親兄弟とは離れ、たった1匹で単独で保護されましたが、
偶然にも、里子に出していたハル君とサクラ君とは、同じ府中市押立町で
1か月違いで、同じ保護主の方に保護された猫同士でした。
もしかしたら、サイちゃんとは親戚だったのかもしれません。

兄弟で寄り添うぬくもり、安らぎを得て、幸せなひとときだったと思います。



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本日、午後3時頃、以前当会から里子に出した猫の里親様(横浜市港北区)より、
2匹の捨て猫(乳飲み子)の件でご相談がありました。

内容は、、、、、
昨日、ご友人宅の庭に生後間もない2匹の乳飲み子が捨てられ、子猫用の哺乳瓶を
買ってきてミルクを飲ませてあげたが、飲まず、今日になって衰弱してしまい、
病院に連れて行っても、病院では、もう乳母猫に頼む以外方法はない、
と言われたそうなのですが、何とか助かる道はないか?というものでした。

乳飲み子で、それだけ衰弱していたら、もう見込みは相当低いとも思われましたが、
それでも何とか再生できる道があるならば、、、
と、取り急ぎ、乳飲み子を育てるベテランの協力ボランティアに相談したところ、、、
かなり難しいが、手のひらサイズで、体重が100gあるということであれば、
もしかしたら、まだ再生する可能性はあるかもしれない、ということで、
色々とアドバイスしてもらいました。

とにかく体を温めることが大事なわけですが、その温め方や、弱っている猫が
哺乳瓶の乳首を吸うのは大変なので、筆に含ませて飲ませ、それを吸えるようになれば、
哺乳瓶に移行もできること、場合によってはチューブを使って胃に入れること等々。
でも、乳飲み子の扱いに慣れていない人には、相当難しく、再生してミルクを
飲んだとしても、体重によって量も微調整しなければならないし、下手にスポイト
などであげると誤嚥する恐れがあることなどの心配もあるとのことで、、、
結局、「連れてきて下さい!」ということになりました。

保護されたのは、横浜市港北区で、そこから1時間半位で来れる距離ではある
ということで。。。

それで、ご相談者の方にお伝えしたら、お仕事中で、その保護主の方もお仕事中で、
夜になってしまう、ということでした。
保護主の方は、車を使ってお仕事をされており、終日、家に猫を置いて出るわけにも
いかないということで、一日子猫を連れて、車で移動されていたようです。。。

時間との勝負なので、できるだけ早く連れてきてほしいところでしたが、
恐らく夜7時頃になるということで、その時間に、ボランティア宅の近くで
待ち合わせをして、ボランティア宅に連れていく運びになっていました
(午後4時半頃)。

ところが、、、
1時間後、ご相談者様の方と保護主とで、やっと連絡が取れた頃には、
子猫は、亡くなってしまったということでした。
保護主の方が出先の病院に運んで、亡くなったそうです。
午後5時半頃に連絡が入りました。

結局、横浜からくる子猫をボランティア宅に案内する準備をしていたところでしたが、
何の役にも立てぬまま、、、
子猫たちは、この世を去ってしまいました。。。

「飼えるかどうかは別として二匹が寄り添って懸命に生きている姿を見てしまい、
助からないのも運命とわかっていてもできることはないかと思い、
心がざわざわしています。」というご相談者様の思い、保護主様の思い、
きっと、亡くなった子猫たちにも届いている、と思います。

1週間でも、2週間でも、母猫の初乳を飲んでいた猫と、そうでない猫の
生存する確率は、全く違ってくるようです。
100gに満たない子猫を人間の手で育てるのは、至難の業です。
乳飲み子にとって、母猫の免疫を強化する栄養満点の初乳に代わるほどの
優れたものはなく、それを与えてもらった子猫とそうでない猫とでは、
生き延びれるかどうかが、決まってきてしまうほどです。

どうか、母猫の不妊手術をさせずに、生まれてしまった子猫を、
生後すぐに母猫から引き離して捨てることはやめて下さい!!
ちゃんと母猫に育てさせてあげて、その後で、母猫から放してください。
生まれてすぐに母猫から放し、捨てることは、いきなり殺すことと同じです。
動物病院で衰弱した乳飲み子を預かってくれるところは、ほとんどありません。
助かる見込みがないことと、24時間体制で監視しなければならず、大変な
負担となってしまうからです。
(健康な子猫であれば、預かりをしてくれる病院でも、乳飲み子の場合は、
通常の飼い猫のペットホテルの料金の倍の料金をもらわないと割に合わないと
言います。)

保護された後、生きる可能性をせめて、残してほしいです。。。

捨てる人は、きっと、その後その猫たちがどうなるかなど、、、
何も考えてないと思いますが・・・

名もなき、子猫たちのご冥福をお祈りいたします。

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深大寺元町の修道院で昨年11月に保護された茶白の猫君が、
一昨日(24日)、預かり宅で病気を発症し、亡くなりました。

とてもきれいな茶白の猫で、白ベージュの猫と兄弟でした。
保護当初、6か月位だったので、享年10ヶ月半位かと思います。

修道院内外の猫の対策のために捕獲し、去勢を受けさせたのですが、
とても可愛い猫君だったので、里子に出せればとも考えていました。
しかし、とても警戒心が強く、人慣れさせるのは難しそうだと分かり、
リリースする方向でしたが、風邪を引いたりして、治療をしたり、
また、母猫の三毛猫の捕獲が長引いたこともあって(未だ捕まらず)、
預かり先でしばらく面倒をみてもらっていました。

春になったので、早く日向ぼっこができる外にリリースしてあげたいなぁ、
と毎日のように思っていたのですが、、、、
修道院内で保護したにもかかわらず、敷地内でリリースをすることを、
修道院の方に認めてもらえず、その敷地の外側の住宅地で放さざるを
得ないかと、住民の方と思案しているところでした。

預かり先の家では、前日まではご飯もしっかり食べ、ウンチもしていたのに、
急に病状が悪化したそうです。
数日前くらいから、目が落ちくぼんで、うっすらと膜がかかる感じに
なってきており、「あれ?おかしいな」と思って、病院に連れて行こうと
思っていた矢先だったそうです。
病院の先生に相談したところ、そのような症状は乾性の伝染性腹膜炎の
可能性があると言われたそうです。

何となく痩せてきていたのも気になっていたそうですが、
一応食欲もあって、少し様子を見ている感じだったそうです。
一昨日の朝まではご飯を食べていたのに、預かり手様が夜8時半に
帰宅してケージを見たら、亡くなっていたそうです。
なんで???という感じで、相当ショックを受けられたようでした。

ゴロゴロ言う可愛い猫ちゃんになってきていたそうで、リリースを
前提としていましたが、里親への道もあると思われていたようです。

一昨日の夜遅くに連絡がきまして、昨日、引き取りに行ってきました。

そして、府中の慈恵院に連れて行きました。
茶白の猫君は、最期、カメル君と名付けました。

行く途中、生まれ育った場所である、深大寺元町の修道院のそばに
寄って、いつも茶白兄弟猫が塀の上から見おろしてた場所で、そこの
住民の方と一緒に、御花を飾ってお別れをしてきました。
おいしそうな御馳走もそえて下さいました。

ずっとこの猫ちゃんのことを心配してこられた住民の方に最期のお別れを
と思って立ち寄ったのでしたが、この世の最期に、生まれ育った場所に
戻れたことはよかったなと思いました。
ずっと高い高い塀の上から、いつも下の住宅地にいる猫ちゃんたちを
うらやましそうに見下ろしていた場所です。

でも、生きて放してあげたかった、、、、という思いで一杯です。

せっかく春になったのに、春の清々しい空気を吸わせてあげることが
できなかった、ことが本当に悔やまれます。
修道院の敷地内から、白いお花をいっぱいつけた大きな木が見えました。
春になったことを知らせてあげたかったです。

いつのまにか春真っ盛りで、桜があちこちで盛大に咲いていますが、
桜を見ることがこんなに辛い一日はありませんでした。


また、猫ちゃんに可哀想なことをしてしまった、、、、という後悔が
押し寄せてきます。茶白の猫君が、兄弟で寄り沿って、塀の上から
下を見下ろしていた場面が目に焼き付いてます。

寒い冬を前に保護しましたが、初めて春の季節を迎えられたはずを、
この世に生を受けた喜びを、奪ってしまったように思います。。。

本当に、カメル君には悪いことをしてしまいました。


どうか、天国で幸せになって下さい。
天国の野原で、思う存分駆け回り、日向ぼっこをして下さいね。


写真1:昨年10月28日。修道院の高い塀の上から、いつも下界を見下ろしていました。
  2:  10月20日。 
  3:  10月28日。
  4:  10月17日。
  5:  11月9日。
 6: 11月1日。
  7:  11月9日。
  8:  11月25日手術からの退院時。
  9:  未だに捕まらない三毛のママ。(1月30日)

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今日(3月15日)は、1月28日に亡くなったごくう君の四十九日ですね。
ごくう君とは、、、
富士見町2丁目でご家族と一緒に暮らしていた黒白の飼い猫さんです。
もともとは、調布小学校のあたりで生まれたようですが、
心ある飼い主様に拾われて、幸せに20歳まで暮らしていました。
とても親孝行のいい子で、お客様がきてもみんなに愛想を振りまき、
みんなから愛されていたそうです。
今年1月のある寒い日、おうちから何かの拍子に脱走してしまい、
その日から、お外を1週間放浪することになってしまいました。
20年間の家猫生活で、慣れない外の世界は、そこらじゅうに車が
走っていて危険ばかり。ご飯も、きれいなお水もどこにもありません。
とても寒さが厳しくなった時期で、過酷な一週間だったと思います。
その間、雪も降りました。
どれほど過酷だったかは、ついに力尽きて、行き倒れになった
ところを保護された時、病院で、木の皮と泥水を吐いたこと、、
肋骨を折っており、脱水症状でもう急性腎不全のような状態で
動けなくなってしまっていたこと、などからも、伺えます。
富士見町2丁目で迷子になってから、大沢4丁目で保護されるまで、
1週間で1キロ以上も、歩いたのです。20才を越した老猫さんがです!
必死におうちを探し求めて、さまよい歩き続け、ついに、力尽きて、
倒れてしまったのですね。。。


私は、この猫さんのことを忘れません。

来る日も来る日も、雪が降る中、血眼になりながら、必死になって
探し回っていたご家族の思い、
それを感じていたかのように、また、ごくう君も同じくらい、血眼に
なって、早く家族に会いたい、帰りたい一心で、空腹と体の限界を
感じながらも、さまよい歩いていたのでしょう。
最期は絶対に家族に会えることを、信じていたのだと思います。

そして、偶然心ある人に保護され、病院にかつぎこまれました。
その方からの通報により、会に依頼のあった捜索中の猫だと分かり、
翌朝、1週間ぶりに奇跡の再会を果たすことができました。
ご家族のおかあさん、お姉さんの姿を見た瞬間、ごくう君は、一瞬
「うおー!」と、大きな唸り声をあげ、横たえていた体を起こそうと
したのでした。みんなで、「起きなくていいんだよ・・」と、
慌てて、ごくう君に声をかけました。
ビックリしました。残っている体の中のすべての力の出し切るような
声でした。

その後、レントゲンを撮ったり、点滴をしながら、しばらく様子を
見ることになり、ご家族はいったん帰りました。

私は、そのあと、たまたま夕方から2件の里親希望の方と病院に
預けている子猫達のお見合いがあって、再び病院に行きました。
ごくう君は、入院患者用のステンレスケージの中で、タオルの枕を
して、常駐点滴をつけて、安静に横になっていました。
何だか、もう、完全に動けなくなっている感じに見えました。

ごくう君の下のケージに入っている子猫たちのお見合いだったので、
ごくう君のことを、なんとなく見ながらのお見合いでした。
午後4時頃〜6時頃までいました。

ごくう君、もう、目の前に手をかざしてみても、瞳はどこか遠くを
見ていて動きませんでした。瞳の奥には、温かい家族のいるおうちに
早く帰りたくて、懐かしいおうちの光景が映っていたのでしょう。
体を触ってみると、ちょっと冷たいように感じました。
看護師さんが、おかゆのような白い物を口に含ませようとしましたが、
唇も、舌も、反応しませんでした。

私はそれを見て、『もしかして、もう???』
「先生!!ごくう君、もしかして、もう・・」と言うと、
先生がいらして、「でも、心臓は動いてるんですよ」と。
先生は、「点滴ははずせません」とおっしゃってました。
点滴をはずしたら、もう、心臓もとまるということでしょうか。

そのあと、数時間、先生も悩まれたようです。
先生も、ついに、最期は家族のもとで、と決断され、
ご家族に迎えにきていただくように連絡されたようです。

ご家族が夜迎えにいらして、ごくう君は、おうちに帰ったそうです。
おうちで、いつもいたソファーに温かい毛布を敷いてもらい、
そこで数時間後の、28日3時、静かに息を引き取ったそうです。
ご家族に会えて、懐かしい我が家に帰れて、やっと、ホッとできた
んでしょうね。
会えてよかった、さよならを言えて、よかったなって。。。

もう、体がほとんど動かせなくなっても、心はずっと、家族と一緒に
帰れる日を夢見ていたんですね。
腎臓も、肝臓も、胃も、腸も、みんなもう力尽きようとしていた
ように思います。でも、心臓だけは最期まで頑張り、動くのを
やめようとしませんでした。
ごくう君の心がそうさせていたのでしょう。

最期の日、病院で、家族を待って、何時間もじっと見開いていた目が
忘れられません。
閉じたら、終わりだって、思っていたんだと思います。
ひたすら、静かに、強く強く、家族が迎えにきてくれるのを
ただひたすらに信じて待っていたごくう君の瞳、その姿を、
畏敬の念を持たずには思い出せません。

心から哀悼の意をささげます。


本当に、奇跡の猫君でしたね。m(__)m

こんなに立派な最期を姿を見せてくれた猫君がいるでしょうか。
猫栄誉賞、というのが、あったら、捧げたいです。

ごくう君(享年20歳5か月)

ごくう君のことは、捜索中やその後の状況を、「緊急告知」、
また、その後の状況を、以下の「富士見町の猫事情」でも掲載しておりました。ご参照下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/31731256.html


写真は、ごくう君、10歳頃。おうちの中で。(ご家族様提供)
      なんて、可愛らしいマント猫にゃんでしょう!!(*^_^*)

ごくう君のお母様(飼い主様)がごくう君のことを書かれた手記を、
下記「『悟空』君へのメッセージ」へ掲載いたしました。
ぜひ、愛あるご家族の手記ご覧下さい♪
http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/folder/1725069.html

お母様のブログは、コチラ♪⇒ http://d.hatena.ne.jp/yukigeshiki/

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≪白血病キャリアで、伝染性腹膜炎を発症していたエリーちゃん、本日午後6時50分に亡くなりました。
(享年1才1ヶ月)
伝染性腹膜炎と診断されてから、12日目でした。(発症してからはもっと経っていると思います)
亡くなる1時間ほど前に投稿した記事が、以下の「白血病のエリーちゃん」にあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/chofuneko/folder/1698346.html ≫

小島町1丁目のとある国立大学法人の公務員住宅敷地内で、
10月に行った猫対策の際に、保護したエリーちゃんですが、
人慣れし大人しい子なので里子に出すつもりが、その後、
白血病キャリアと判明し、里子に出せず、病状も悪化してきたので、
みゃーこの自宅でお迎えすることとなりました。
12月16日に我が家に来てから、今日でひと月半ほどになります。

そのエリーちゃんが、先ほど(18時50分)、伝染性腹膜炎による、
末期症状(恐らく多臓器不全)で、亡くなりました。

最期は、穏やかに、静かに、息を引き取りました。

一昨日あたりから、かなり呼吸が荒くなって、背中で息をしている
感じになってきたので、病院で腹水を抜いてもらったりしなければ、
と思いました。それで、昨夕、病院に連れて行ったのでしたが、、

昨夜、病院から帰ってから、極度の貧血で、上体を起こせないほど、
フラフラ状態になり、首がグラグラして座らず、瞳孔も動かなくなり、
昨夜から、危篤状態となってしまっていましたが、、、
補液やら、ポカリのシリンジでの補給で何とかかろうじて持ち直し、
明け方あたりから急に、必死に起き上がろうとして、フラフラしつつも、
首のふらつきはだいぶおさまり、一生懸命ご飯の方へと歩いたりしました。
はじめ朝4時頃、缶詰のご飯を、ほんの少し食べました。
それから、朝6時頃にも、休み休みですが、10口ほど食べました。
a/d缶などの強制給餌はかたくなに拒むのですが・・・。

這いつくばりながらも、ご飯を必死に食べようとするその姿に、
物凄く、強い、「生きたいよ!」という意志を感じました。
体は、もう1.84キロと、生後9か月ほどになるのに、2キロもなく、
痩せこけて、貧血のレベルも極限値までいっており、顔面蒼白です。
この小さな体のどこから、こんな強靭なエネルギーが湧いてくるのか?
と昨夜(明け方)は、見ていて感動モノでした。

それで、明け方からヨタヨタしながらも、自分でコタツに入ってみたり、
出てきて歩いてみたり、そこら辺にへたったり、を繰り返し、
危機を脱したかのように見えました。

呼ぶと「うん?」といつもお腹から声を出して、お返事をする
可愛い子なのですが、
今日は昼過ぎくらいからは、激しく声をあげて泣き続け、
いつものように、呼んで返事をするというのとは違う声の出し方で、
ずっと「苦しいよう、苦しいよう!」と鳴いているようでした。

先生も、FIP(伝染性腹膜炎)を発症して、こんなにもった子はいない、
とおっしゃっていました。
先生は、診断されてから、「1週間以内・・」と言われていましたから、
診断されてから、12日目まで(発症はもっと前だったと思います)、
相当頑張りました。
しかも、前の病院にいたときから、貧血がひどいということで、
それだけでも、かなり危険な状態と言われていました。

それから、よくここまで頑張ってきたと思います。

本当に、メチャメチャ可愛い、いい子過ぎる程、いい子でした。

考えてみれば、うちに来てから、一度もゆっくり眠ったことが
なかったのだと思います。
私も家族も、目を閉じている寝顔を見たことが一度もないのです。
いつも見ると、うす眼を開けて、こっちを向いて「うん?」と、
小さな声を出すのでした。

今日は、最期の方は、やけにうつらうつらしていました。
もう、ずっと長いこと気を張ってきて、かなり疲れたのでしょう。

やっとゆっくり眠れるよ、安心して寝ていいんだよ♪
と毛布をかけてあげてます。

これまで、ずっと見守って下さった皆様には、心より御礼申し上げます。

エリーちゃん、本当によく頑張ったね。天国でいい夢見て、幸せに。。


写真1:今朝2時51分
写真2:今朝3時15分
写真3:今朝4時37分
写真4:今朝8時7分
写真5:午後4時15分
写真6:午後6時24分

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