昭和・平成MINI偉人伝

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スポーツ界の影武者

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「日台黒潮泳断チャレンジ2011」の発起人〜鈴木和也さん〜

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東日本大震災に対する台湾からの支援に敬意と感謝を伝える為、
丸二日かけて仲間5人とリレーで日本から台湾まで泳ぐ壮大なる冒険の発起人がこの人

鈴木和也('11年現在31歳)
高校総体、国体の表彰台に駆け上がり、元競泳選手、
パナソニックモバイル(株)に勤務後も
ライフセービング全国大会の優勝を重ね、家庭では二児のパパでもある
優勝賞金を子供たちを救う募金にあて、その生きる道を見出す人だ。


30代を前にしてタイムや人と争う人生に違和感を感じたという。
新しい可能性はないか、争わない競わないものはないか


純粋にひた向きに泳ぐ気持ちを失いなくなかったのだろう。

この企画を考えたきっかけも、小児がん患者支援を目的に
2年前に伊豆半島から地元の神奈川・茅ヶ崎まで70kmを
単独22時間かけて泳ぎ
『島と本土をつなぐ交流がうまれた』ならば
『国境をこえて友情を深めてみたい』という夢が漠然とあった。

特に台湾と縁があった訳ではない。

東日本大震災への義捐金総額が一番大きい国は台湾、その額200億であり
9割が民間からの寄付にあたる


日本が中国との国交という外交面を気にしている対面もあり、台湾からの寄付を
政治的に冷遇視する中、民間の目は誤魔化せなかった。

大会実行委員長を務めた日台スポーツ・文化推進協会理事長である元代議士松本彦さんに
この企画が鈴木さんから持ち上がったのは震災から間もない3月18日のこと。
鈴木さんは松本さんを探したのはネットだというのだからホントに面識はない。
松本さんは1967年に故小渕恵三元総理大臣らとともに日台青年の交流事業に携わって以来、
ずっと日台交流に尽力を尽くしてきた人でもある。
鈴木さんの話を聞いて、松本さんは

いまどきこんな若者はいない
と、外交面のサポートに奔走。
国内の渡航体制、台湾外交部、駐日代表処(領事館)、蘇澳市長とコンタクトをとり
現地受け入れ体制を万全にした。

そうした働きかけもあり、台湾側も海巡署から戒護船が出る他、国内メディア、フェイスブック、
ツイッターが取り上げ、瞬く間にその輪が広がり、
到着の際には海岸巡防署の船のほか、「中華成人遊泳協会」が募った100人のスイマーが、
蘇澳沖で日本からやってきた泳者を出迎えた。

「日台黒潮泳断チャレンジ2011」に参加した泳者は被災地出身の大学生を含む20〜30代の若者6人。
福島県出身の大学生や東京消防庁の署員、会社員、自衛官など職業も様々。

『海で20kmを五時間以上泳げて日程のつく人』

という難関の条件を突破して選ばれたスイマーたちは、彼のほかに
鈴木敦士さん、石井健太さん、清水雅也さん、山田浩平さん。
全員インターハイ出場、インカレ、全日本選手権の優勝者であり、ライフセイバーでもある。
山田浩平さんは中央大3回生で福島県相馬市出身.
鈴木淳士さんは東京消防庁・臨港消防署の水難救助隊に所属するも
福島県南相馬市に親族が住んでいる。
「被災地から台湾の人々に感謝の気持ちを伝えるとともに、
被災された方々に勇気と希望を与えたい」と意気込みを語る。

一行は福島、宮城、岩手3県の知事から馬英九総統に宛てた感謝の手紙を携え、
17日午前6時5分に与那国島を出発し、約30分ずつリレー形式で台湾まで遠泳
黒潮の中を約50時間かけて、約110キロ泳断した。

搬送船には与那国島の『海男』・真謝喜八郎さんと医師がのりこみ、
シャークシールズ(サメよけ電流がながれるシート)をつけたカヌーが
泳者によりそう形になっていた。
夜は照明をつけると魚がよってくるため暗闇の中を泳いだスイマーたちの挑戦は命がけだった。

ゴールの蘇澳では地元の水泳愛好者約160人が海に入って出迎えた。
日に焼けた6人は、最後に全員並んで泳いで浜に立ち、大勢の台湾メディアに囲まれた。

だか彼の挑戦は、まだ始まったばかりだという。
『スポーツの挑戦という枠を超えて親善大使という責任を感じましたから』
スポーツが出来る可能性を広げてくれる人格者というものを感じさせてくれる一言でもある。

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