昭和・平成MINI偉人伝

人物に関する雑学を通していい人生観を・・・

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「軍人恩給がもらえるということは長期間戦争に行っていたということだが、
略奪やら虐殺やらを見ただけで自分がもらって軍歌なんか歌っていては
申し訳が無いからわしはもらわん。妻も理解してくれている。
二人の子どもにとっても一番の誇り」


こう語りながら一人の元日本兵が'10年10月28日に88歳の生涯を閉じた
尾下大造さん、最後の最後まで弱者の味方であり、軍人恩給を拒否しつづけた

決して反戦の家庭に生まれ育った訳ではない。
典型的な軍人一家だった

林業家の二男として七人姉弟の真ん中に生まれこう語る
『四歳年長の兄は現役で近衛兵,父は明治末期の歩兵。おじは陸軍、
もう一人のおじは海軍で表彰を受け父のいとこは金鵄(きんし)勲章を三つ。絵に描いた軍国家庭
天皇陛下のために兵隊に行くという軍国教育にみんな洗脳されてきた。
同時に貧乏人の倅は軍人になるのが出世の道,そう教えられてきた』

小学校高等科を出、青年学校を二年で卒業後、青年学校指導員をやっていた尾下さん。
『早くいけば早く帰れる』
そう信じ1940年(昭和15年)18歳で志願、中国戦線に従軍、フィリピン、ベトナムと転戦
敗戦で中国軍捕虜となり'46年4月に浦賀に帰還するまで5年5ヵ月の軍隊生活を送った

「初めは無我夢中でついて行ったが、やがて気づいた。
敗残兵討伐とかいって略奪、強姦(ごうかん)、放火、殺人、したい放題。
せめて自分だけはそんなことはしたくないと思っていたが、外にいても知らずに加担していたことになる」
そう悔やんで拒否しつづけた恩給。

その背景には中国での従軍経験がある。

「ある時、富山出身の先輩が川のヨシ原に隠れていた女子ども
二十人ぐらいを機関銃で撃った。『何でこんなことする』と言ったら『ムカムカしたでや』と
苦しんでもだえとる母子を見た時、『この戦争って、いったい何だ』と思った」

「’41年1月頃、うちの部隊へ迷って来た兵隊が、脳みそが性病に効くという
言い伝えをあてにして女の人を殺した。これなどは南京大虐殺にも匹敵する話。
自分で悪いことをした病気のために人を殺すなど、謝っても済むことやない。
わしらのような小隊でもそんなことがあった。
私の頭の中は、東南アジア、特に中国で残酷かつ人道にもとることを数多くした、
申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」

「ネグロス島からベトナムに転戦する時、
親しくなった現地の子どもたちが鶏の丸焼きや菓子を作ってお別れに来てくれた。
最高の喜びやった。
今考えると、やしまなんだ(侮辱しなかった)だけ。
日本の軍隊は鉄砲を持って威嚇するばかりだったので、
そういうことをしなかったのがいい人のように見えたのかも」

帰還してすぐの’46年6月ごろ、役場から
「恩給がもらえると思うので一円五十銭とはんこを持って手続きに来て」と言われたらしい。

「海外にまだ、百万、二百万もの人が帰れずにいるというのに、
はや恩給というようなことを画策している者がいたとは、
けっつらけえた(けっ飛ばした)ようなことで、行かなんだ」

五、六年がたった後、今度は軍人恩給連盟という組織から尾下さんは呼ばれた。

尾下さんは
「おれたちをダシにして、自分たちがもっと得しようというようなことは嫌だ」と拒んだ。
その後も軍人恩給話は追いかけてきた。
「戦後十年、二十年がたっても『入れ、入れ』とうるさい。
県の職員も家内を勤めていた役場で呼び出し『まだ改心せんか』と。どっちが改心や。
『死ね』とか『坊主になれ』といってくる者もいた。
あのころは事業に失敗して苦しい最中なのに、
『金が余るのなら恩給をもらってから寄付すれば良い』などと言われ、精神的に参ってしまった」

尾下さんの恩給拒否の話がメディアに出てきたのは'70年
東京であった歴史学者松浦玲の講演会が引き金になった。

松浦氏は戦争後も変わらない日本について嘆く講演を行っていたところ、
それを聞いていた尾下さんの次男が
『一人だけこの国を憂える権利のある人間がいるそれが私の父です』といったという。
興味をもった松浦氏がメディアに取り上げたことによって、尾下さんの存在は
知れ渡ることになる。
恩給拒否がメディアで報道されるたびに『自分だけいいカッコするな』とヤジがとんだ。
自宅には非難のハガキが届いた
地元の『九条の会』の人間に非難のハガキについては
『匿名で出されたんじゃ、返事もできねぇな』といっていた

戦争に対する贖罪だけではない、それは彼の正義感だろうということは、
尾下さんが心許した戦友の宮沢清さん('11年現在92歳)の話で判る。

彼も恩給のうけとりをすすめたことがある、しかし尾下さんは拒み続けた
その理由を宮沢さんは考えていた。
『命をさらす危険なことは部下に何もさせない人だった。本当の武士、軍人だった。
実直で人情味もあった、だからこそ自責の念もあり、ざんげの気持ちも強かったのでしょう』

戦地では敵に囲まれた駐屯地で食用に射殺した野ブタをひっぱりこむために
敵前にとびだすような人だったから拒否するのも無理はないと

また尾下さんは首相の靖国参拝にも遺憾の意を表している
それは『形式上の参拝』であり、『本当に弔うべき人々』への参拝ではないということだからだ

戦時中に防空壕に入れてもらえなかった障害者のことを思い
『一番にいれてやらないかんのに』と涙していたという
赤子、終戦の日に飛び立った特攻兵、何も悪いことをせず死んでいった人々が
国籍とわず『神』としてまつられるべきだ。
殺生をした人間が神か
『死ねば神になる』という軍国主義の気休めでしかないと、それを憂えていた

'04年度予算で、恩給受給者数は旧文官も含めて128万人
97%が旧軍人とその遺族で、支給総額は1兆660億円に上る。
最低支給額が保障されており現在、短期でも一人当たり年に56万8400円
遺族もほぼ同額が支給される
原則軍に12年在籍したものがもらえる恩給なのだが、'37年の日中戦争からは
特例があり戦地に赴任した場合は、時期や地域によって最大で一カ月が四カ月分に計算される。
つまり、激戦地での赴任が続くと最短で三年の勤務で支払い対象になる。

尾下さんはお亡くなりになるその日
岐阜県飛騨市古川町の自宅から車で20分ほどはなれた田でとれた新米を世話になった
人々におくる準備をしていた
毎年送り先はホームレスの炊き出しをするNGOなどに送られていた
中国・四川の大地震のおりにも見舞金を送っていた

日本の恩給ではないが、米国は貧しい若者を奨学金や不動産ローンをえさに
戦地へと送っている。
それがはたして正しいのだろうか


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