競馬、不器用ですから・・・

的中よりも回収 100万馬券を狙います

日記

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こんばんは、はやく有馬記念が来ないかなと待ち遠しいカールです。
 
今の楽しみは有馬記念だけ。
リアルタイムで見るために毎日頑張っております(*^_^*)
はやく3週間が経ってくれないかとそればかり考えてます^_^;
 
今、自分はちょっと忙し気味の仕事に携わっているのですが、
正直、毎日キツイです。
泣きごとは言わまいと思っていたのですが、最近、泣きごと以上に
いい事もあったので、それを書こうと思いました。
 
今、カールは衆議院選挙の裏方さんとして衆院解散後から毎日遅くまで仕事しています。
今回は事情が事情だけに人出が足らず、選挙管理委員に、カールを含め6名が招集されました。
二人の経験者と、カールのような初が四人。
仕事の流れも十分に説明される間もなく、すぐに活動開始。
右も左も分からないままスタートしました。
経験者、選管の人達が口を揃えて言う、「今回ははっきり言ってキツイ」
それを聞くとこっちのモチベーションも下がってくるわけで、初日から重たい気分で始まりました。
カールの恩師、Kさんが亡くなった直後だという事が一番の重い気分でしたが。
 
それでもやらなければいけないと自分にいい聞かせ、みんなで協力しながらやってきました。
それでも、通常の選挙の準備よりも倍々以上のスピードで進めて行かなくては間に合わなく、
みんな辛いながらも頑張っていました。
つい最近の事なのですが、たまたま一緒に組んだメンバーの一人と気が合って、
よくよく話してみると、カールの競馬、野球などの仲間とその一人が遠からず
繋がりのある事が分かりました。
異動の多いこの中で、カールの仲間達とも交流があったのでした。
そこからはその一人と急激に仲良くなり、何かある時はお互いより協力し合うようになり
仕事のペースも速くなるようになりました。
実際こんな状況の中だとピリピリしてるせいか、多忙のあまりにちょっとした行動、考え方の相違で
雰囲気が悪くなったり、反論したくなる事もありますが(そんな事してる場合ではないけど)
その一人(T君)とは、初日からスムーズに仕事が出来ました。
他の5人のメンバーの中で、一番感覚が近い感じがしていました。
今になってやっぱりそういう繋がりがあったから、T君とはうまが合うのかと思いました。
それはT君も同じように思っていたと言っていました。
類は友を呼ぶ、本当にあるんだと実感し、辛くキツイ仕事もそれだけで
乗り越えらそうだとファイトが出ました。
T君と一緒にやってると仲間に伝えると、投票日が終わったら、みんなで飲もうと約束しました。
不適切かも知れませんが、今は僕もT君もそれを楽しみにこのキツイ仕事を頑張ってます。
 
T君との巡り合わせも、カールの仲間達との繋がりからですが、
その仲間との始まりも、先日亡くなった恩師Kさんがきっかけであり、
すべてKさんが引き合わせてくれたんだなと、またKさんに感謝しました。
 
カールは今月、乗り切れる元気をもらいました!
 
 
少し書くつもりが長くなってしまったな〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日曜からのご無沙汰でした。
競馬回顧もしておりません。
競馬の結果を気にする気分でもありませんでした。
マイルCSがどうだったのか記憶がありません。
 
 
18日、日曜日の午後、友人から一本の電話が。
「悪い知らせがある。Kさんが亡くなった」
 
今月16日、61歳という若さでKさんが亡くなった。
通夜の18日まで、誰も知らなかった。
 
Kさんとは、僕のブログに度々出てきた一緒に札幌ドームに行ったり、
札幌競馬場に行った僕の上司だった人です。
今年3月に定年退職し、退職したその日に一緒に日ハムの開幕戦にも行きました。
6月には交流戦の阪神戦、競馬場など、遊びに行く時は必ず一緒でした。
 
10月のCSのチケットが獲れた時、Kさんは都合が悪いとの事で行けれませんでした。
いつも一緒に行くのでみな少し寂しい気持ちでした。
この時、Kさんはもう入院していたのだと、お通夜の時に知りました。
 
僕は行けれなかったのだけど、8月の帯広で日ハム戦があった時、Kさんと他の仲間達は
一泊して観に行ったのですが、泊まった温泉でKさんは大好きなお酒を
あまり飲まなかったそうです。
「歳取ると飲めなくなるな」 Kさんはそう言ってたそうです。
仲間達は特に気にも停めてなかったのですが、すでに体に変化が出て来ていたのだと思います。
 
入院していると知ったのは先月末頃でした。
友人がやっと連絡が取れた時には入院しているとの家族からのお伝えでした。
しかし、どこの病院なのかは友人にも、周囲にも誰にも一切教えてくれなかったのです。
お見舞いにも、逢いにも行けれませんでした。
葬儀の時に、本人が誰にも知らせないで欲しいとの希望だったと息子さんが言っていました。
9月末頃から入院してたとの事でした。
自分の姿を誰にも見せたくはなかったのだと思います。
僕もKさんの立場ならきっと同じだったでしょう。
 
 
僕とKさんが知り合ったのは、職場でした。
配属された先の上司がKさんでした。
緊張している僕に、リラックスさせようと「家はどこだ?ずっとこの街か?いなかはどこだ?」
答えると、僕とKさんの家が近所な事、いなかが一緒だった事、いなかに居たKさんの知人の事も知ってるが、
その息子と僕が同級生だった事、使ってる携帯電話が色違いの同じ機種、など
話すごとに共通の話題が出て来て、仲良くなるのに時間は必要ありませんでした。
「趣味は何よ?」
それまでの配属先ではなかなか言い出せない競馬、でもKさんには「競馬です」と答えました。
「よし、夏に札幌行くぞ!野球も好きか?よし、ドーム行くぞ!」
配属されたばかりなので自分からうまいタイミングで行けない喫煙所へも、「お〜、一服行くぞ!」
そして何よりも、Kさんの周りは楽しい人ばかりが集まってくるのです。
それが野球、競馬、飲みに行ったりする今の仲間達です。
今の僕の立場があるのもすべてKさんが居たからです。
「Kさんが目掛けてるのだから、いい奴だ」
配属初日にこんな楽しい気分になったのは初めてでした。
時に仕事では厳しく、しかし理に適ってるので全然ヘコみませんでした。
そして仕事の知らない事も沢山教えてくれました。
仕事で外へ出る時は僕がお供役になりいつも一緒でした。
 
仕事を離れると、上司、部下の関係なんてない位の間柄でした。
僕の父は2年前に亡くなっていて、去年の初盆の時は、とても気を使ってくれました。
僕には父親のようで、兄のようで、そして失礼かも知れませんが、とても仲のいい友だちでした。
自分より若い仲間達にも、けっして俺は偉いんだと言う態度は何一つと出すような人ではありませんでした。
プライベートはみんな同じ仲間同士という意識がとても強い人でした。
見た目も絶対60歳には見えないKさん。
心はまるで少年のように無邪気で、そして豪快な人でした。
みんな、そんなKさんが大好きでした。
 
「退職したら、あちこち遊びに連れてってくれな」がKさんの口癖でした。
しかし、それはほんの少ししか叶わなかった事が今となっては本当に悔みます。
生きてる間にもっと色々な所に連れて行ってあげたかった。
何の恩返しも出来なかった。
そして、もう逢いたくても逢えない。
この先、Kさんのような人には出会えないだろう。
今も寝る時に、Kさんと楽しかった時の事を思い出すと目が熱くなる。
亡くなった事、まだ受け入れられない。信じられない。
迎えにいったらいつものように笑いながら玄関から出てくるんじゃないか。
 
Kさん、日ハムが優勝しました、けど、日本一にはなれなかったでした。
栗山監督、胴上げされましたよ。
最後、中田がホームラン打ちました。
オルフェーヴルは凱旋門賞で惜しくも2着でしたよ。
ジェンティルドンナが牝馬3冠とりましたよ。
日馬富士が横綱になりましたよ。
そして、みんな元気にしてますよ。だから安心して下さいね。
 
 
Kさん、本当に今までありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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