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このシリーズも一ヶ月ぶりです
実はあとになって撮影したかった展示物があった事に気が付いて
やっとこ先週土曜に行って撮影完了してきました(^^ゞ
その時におもしろい展示会もやってたので
それはこのシリーズの最後に紹介します
前回はのんびりとしたスキー発祥の話でしたが、今回は
一変して、日露戦争です
日露戦争では大活躍しました
天皇から伝達があったんですね
この第七師団の活躍は映画やドラマでも描かれています
自分は、NHKで放送していた司馬遼太郎の「坂の上の雲」での203高地の描写しか知りませんが
それは迫力ありました
確か、台詞に「旭川から第七師団が来てくれたから大丈夫だ!」みたいなのがあり、
軍の中でも第七師団は精鋭部隊だった事が分かります
旅順陥落のジオラマ
その時に使われていた28サンチ榴弾砲のミニチュア
203高地を指揮していた人がこの人
この方については次回に少し話ます
人物像ではなく、カール視点でね(^^)
それでは!
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旭川のお話
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今年の冬季ソチ五輪でのジャンプ、レジェンド葛西の活躍は凄まじかったですね〜
その中で、団体戦で一緒に活躍したイケメン清水礼留飛を覚えているだろうか
礼留飛、今は当たり前となってきてる完全当て字でまんまの「れるひ」と読む
名前を付ける時、親が期待を込めてある人物から採ったという話は
ある程度は知られています
そのある人物が、この北鎮記念館内に居ました!
日本にスキーを広めたとされる人物、それがミスターレルヒ
この人なのだ〜
中佐ということは軍人さんだったのですね
そう、清水礼留飛の原点はこの人だったのだ
生まれた子供がスキーで活躍するようにとの願いから付けられた礼留飛だったのです
親も頑張って当てはまる漢字を探したんでしょうね
「飛」なんてまさに合ってるよね
このレルヒ中佐、旭川第七師団とも関係があったんですね
まさかここでお逢いするとは思いませんでした(^^)/
これも第七師団の歴史の一つ
今日はちょっとコーヒータイムな展示紹介でした
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今日はあまり説明なしで展示物画像メインで行きます
早い話が手抜きっちゅう事です^^;
見学経路順で行きます
まずはこれ
そしてタイトルの木製水道管
これを地中に埋めて水道管として使ってたそうです
聞いた説明は忘れてしまったが、この木は水分を含むと膨張して、
木の繋ぎ目がふさがって水が漏れないと言ってました
何て名の木かは忘れました(+_+)
こういうのを見ると、昔の人の発想力、技術力って凄いなと思いますね〜
明治の第七師団とその近辺
ある意味いにしえを感じるなぁ〜
今日は簡単に…でした
ではまた次回!
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旭川偕行社、と言っても何かの会社じゃありません
第七師団(しつこいようですが、第なな、ではなく第しち師団です)
の社交の場として建てられたのが、偕行社
これは模型なのですが、使っている材質に驚く!
案内人に説明されるまで分かりませんでした^^;
なので、よ〜く見てみると
それだけじゃありません(^^)
そして屋根のところも、
ぜ〜んぶ、煙草の空き箱ですからね
本物の建物は今も旭川市内で見る事ができます
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しばらくぶりの更新になりました
まー、色々とありましてね^^;
前回の北鎮記念館からだいぶ経ってしまいましたが、
今回は旭川に屯田兵が入植し、のちの第七師団となった時代の展示から
屯田兵は開拓者でもあり、兵隊さんでもありました
目的は、ロシアが北海道の地に南下するのを備えての事でした
時代は明治23〜24年頃にかけて、全国各地から旭川に屯田兵が
入ってきました
兵隊としての訓練、勉強をし、開拓もしなければならない
大変な重労働でありました
数年後、日清戦争が始まり屯田兵たちの軍事的訓練も激しさを増していきます
当時は第三大隊として編成されていましたが、
命令により、臨時第七師団に改編され、師団長に永山武四郎が任命される
全ては日清戦争のためにでした
第七師団は結果的に日清戦争では戦う事はなかったのでした
第七師団の正装
この大礼服を、しわの出来ないように持ち運びをするトランク
左下のやつですね
案内の自衛官がこれが帽子入れだと気付いた時、ハッと驚いたと言ってました
一瞬、二人しか居ない静かな館内が更にしーんとなり、
思わず「ここは笑っていいとこですか?!」と聞くと
少し沈黙ののち、「ここは笑って下さい」と照れくさそうにしたのがとっても印象的(^^)
帽子だけにハッと…てかぁ〜(笑)
話が反れましたが(笑)、ここから今の自衛隊の原点ともなる
第七師団の活躍が始まります
次回へ続く…
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