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旭川のお話

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北海道に屯田兵が入植し、開拓は進んで行きます
そしてついに旭川(当時は上川郡の忠別太と呼ばれていた)が誕生する
当時、道などないので丸木船を使い札幌から石狩川をさかのぼり、
何日もかけてようやく忠別太に着く
そして近文山(今の嵐山付近)に登頂し、広大な上川盆地を目の当たりにします
国見(視察)である
イメージ 1
詳しくはこちらの説明文で(笑)
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その場所には現在、国見の碑が建てられています
旭川発祥の地とも言えますね
イメージ 3
国見の図と同じアングルですね!
案内してくれた自衛官いわく、この国見の碑を見るなら雪融けの春か雪の降る前の秋がいいと
夏は樹木が生い茂り、図のようには見渡せないそうです

国見をした岩村通俊は、ここは離宮(天皇の別荘のようなところ)を置くのにいいと考えました
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実現はしなかったもの、それだけいい土地だと判断したんでしょうね
その予定地には碑が建てられています
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いよいよ旭川にも屯田兵が入植し、開拓が始まります

旭川に離宮があったらどんな街になってただろう
イメージ 6


次回へ続く
蝦夷地から北海道へと名前も変わり、いよいよ開拓が始まります
本州から屯田兵と呼ばれる人達が続々と入植してきます
ほとんどジャングルのようなこの土地を開墾するのは
想像出来ないほどの重労働だったでしょう
イメージ 1

未開の地とも言えるこの時代の北海道
どんな気持ちでやって来たのでしょうね
イメージ 2
よくこのような写真が残ってたもんです

寒さ、そしてヒグマから身を守るための家
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たぶんこの家はまだいい方の造りなのでしょう
屋根の穴あきは中の造りを見せるため(笑)

他の展示物
イメージ 4

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屯田兵は兵と呼ばれるだけあって、兵隊さんでもありました
なので、銃器類も持っていました

ある日のこと、天皇が来訪するというので、いつもはボロボロの格好で開拓作業をしているのですが、
その日だけはきちっとした服装をして作業をし、天皇を迎えたそうです
その時の様子を描いた絵
イメージ 6
後ろの山は藻岩山だそうです
今の藻岩山付近と比べるとまだこんな風景だったんですね
ちなみにこの絵は複製で、本物は別の博物館にあるそうです

イメージ 7
中央の大きな絵が天皇来訪の絵で、その左横の絵がいよいよ旭川に関係してくる重要な絵です

それはまた次回に!
こんばんわ

旭川の第七師団、そして現在の旭川自衛隊に関する北鎮記念館
今日は旭川の始まりについての展示物紹介のつもりだったのですが、
ここでは北海道になるまでの展示もありました
順路で案内してもらったので、その流れで紹介していきます

北海道と呼ばれる以前は、蝦夷地(えぞち)と呼ばれてました
これは誰でも知ってますよね
そして住民はアイヌの人たちです
その蝦夷地が北海道と名を変えるのは明治になってからです
北海道としての歴史はまだ100年少ししかないのです
そんな展示物がありました
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左側の人物画には黒船ペリーが、右側には伊能忠敬や間宮林蔵
この記念館はここまで遡るんですね
昔の北海道の地図もありました
どこの島?と言う位、北海道の原型はありません
イメージ 2
右上の地図、赤っぽいのが北海道
よく見ると青森の形はわかりますね
1600年代頃の地図と1800年代の地図とでは全然違いますね
1800年代の北海道地図は今とほとんど変わりません
当時測量した人達って本当凄いと思います
イメージ 3
この地図があったからこそ北海道の開拓が可能だったのでしょう

今の北海道
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そして明治政府は北海道開拓のために屯田兵を送り込みます
まだ旭川は未開の地です
いつになったら出てくるんでしょう?!

では次回に!

旭川市 北鎮記念館

先週土曜、旭川市内の北鎮記念館を見学してきました
遡る事約1ヶ月ほど前に一度見学したのですが、時間の都合で
ゆっくりと見る事が出来なかったので、改めての見学です
前回、初夏?の小旅行番外編で少〜し紹介したのみでしたが
今回は全部載せきれない位の写真を撮ってきました
まずは北鎮記念館の外観
イメージ 1
位置の関係で全体はちょっと無理でした^^;
イメージ 2
このような物も入口付近にありました

この日は9時半頃に行ったんですが、土曜と言うのに他にお客さんが居ませんでした
希望すると説明案内をしてくれるのですが、それを独り占めしてきました(^^)
30分か1時間のコースがありますが、色々と知りたいので1時間コースで!

この記念館は旭川に第七師団が置かれてからの歴史がメインとなっています
と、まず初めに勉強になった事
第七師団なのですが、カールはず〜っと "だいななしだん″  だと思ってました
実は ″だいしちしだん″ と呼ぶんだそうです
明治天皇が「旭川に ″だいしちしだん″ を…」と発した事からそれにならってそう呼ぶようになりました
いや〜知らなかったです^^;
来てそうそう勉強になったな〜!
その第七師団の古い記録文も、終戦後にGHQから全て処分するようにとなっていたのだが
それでは第七師団の歴史が消えてしまうと、命の危険を承知で持ち出し、
十勝方面まで行って地中深くに埋めて隠した人が居たといいます
それがこれだそうです
イメージ 3
画像右上の写真の人物、黒川幸雄氏がその人です
たぶんそんな行為が見つかったら処刑されてたかも知れないですね
本当に命懸けだったと思います
残念ですが、この記録文は厳重に保管され中を見る事は出来ません
これだけは受付の職員の目の届く所に展示されてます
イメージ 4
北鎮記念館の原点ここにあり、ですね

次回は北海道旭川の始まりに関するお話でもします

それでは!
どうも、カールです。
 
今日の旭川は夏日でした
でも明日から天気が崩れそう
 
昨日、昼休みに「さくら亭」という食堂で昼食。
ここはラーメンが美味しいのだが、他にお薦めなのが
十勝地方ではあたり前に有名なソウルフードの「ぶた丼」
ぶた肉を炭火などで網焼きしたものをご飯の上に載せただけの
実にシンプルな丼物なんですが、これがうまい!
イメージ 1
秘伝の甘辛いたれが焼いた豚肉と絶妙な位よく合ってる。
 
肉がやわらかいのに、いい歯ごたえで噛み切れて
肉とたれとご飯の三者が見事にマッチング!
このぶた丼は相方さんが注文したもの。
 
 
僕は「さくら亭」に来てたいてい注文するのはこれ。
イメージ 2
チキンカツ定食
 
肉厚のチキンカツがボリュームたっぷり5枚。
画像では分かりずらいですが、ご飯茶わんはかなり大きいです。
ちょっとこジャレたお店のご飯(小さな茶碗)の倍はあります。
 
本当なら小鉢に甘酢餡ソースと皿の端にからしが付いてくるのですが、
カールは普通にソースだけでいいので、注文の際ははぶいてもらいます。
店のご主人いわく「自慢の甘酢餡」と言っておりました。
イメージ 3
左上のそば湯が入ってるようなのにソースが入っています。
相方さんからぶた丼の肉を少しいただきました(^_^)
チキンカツは揚げ立てなので外はサクッとしてて中の肉は凄くジューシー!
 
「さくら亭」は昼時間になると、ファミリーではなく
サラリーマンや作業服を着た人達で凄く混み合います。
味がいいだけでなく、ボリュームがあるからでしょう。
働く人の味方です。
 
メニューの一部
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裏面には麺類が。
 
本当はラーメンも食べたかったのですが、
この次行った時に食してきます。
 
お店は、イオン旭川西SCの近くで、地元の方なら知らない人は
いないほど、古くからやってる食堂です。
 
 
・ぶた丼屋 さくら亭
・旭川市緑町19丁目
・11:00〜21:00(15:00〜17:00準備中)
・定休日 毎週水曜日
 
 
 
 

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