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博物館 網走監獄

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こちらは旅行編になります。
 
高速道路が空いている間に戻ってきて、お腹も空いたので夕食にします。
  今回、実家に住んでいる母親を乗せて行ったので、送る途中に夕食にする事にします。
  途中の和寒町にある「三徳」という和食料理屋さんです。
  ここは、お寿司、定食などが美味しいお店です。
  メニューにラーメンがあり、それがまた美味しいのです。
僕は玉子丼とラーメンにしました。
イメージ 1
ラーメンはスープが魚だしが効いたとんこつっぽい感じでしょうか。
玉子丼は、思ったよりもご飯の量が多くて満腹になります。
 
母親は海鮮丼を注文しました。
イメージ 2
具たくさんでこちらも美味しそうでした。
画像がボヤけています・・・
 
副食に(笑)、から揚げも注文しました。
イメージ 3
外はカリカリ、中はあつあつのジューシー(どこかのキャッチフレーズのよう)でたまんない!
僕の鶏好きも健在です!
 
これだけ食べて全部で3,000円でお釣りがきました。
お腹もいっぱいになって、世は満足じゃ!
 
母親を実家に送り、このオホーツクの旅は終了しました。
 
《おまけ》
網走監獄で紹介していない施設がまだたくさんあるのですが、今回はあまり撮影しなかったので
去年撮影したものですが、いくつかご紹介したいと思います。
※去年の写真ですので、現在、存在しない展示物もあります。
 
僕のお気に入りの施設の一つに「行政資料館」があったのですが、現在は「監獄歴史館」に
 リニューアルされ、展示物も大幅に変わってしまいました。
 網走監獄の囚人が、旭川〜網走間の道路工事をした話は前にしました。
 過酷な労働、食料不足、ヒグマの恐怖などとの戦いだったと思います。
 以前の「行刑資料館」にはこれらの展示物がたくさんありました。
イメージ 4
 
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過酷労働で死者も多数出て、遺体はその場で埋められ、そこの印として繋がれていた鎖を
  簡単なお墓の上に置いていくという、粗末な扱いだったのです。
 
過酷な労働の様子です。
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これは前にも紹介した写真。
イメージ 9
 
しかし、今では絶対にあり得ないですね(ここ日本においては)
  彼らのおかげで北海道の開拓は発展したのです。
  囚人だったとは言え、決して蔑視してはいけないのです。
 
次回もこの「行政資料館」の続きを紹介します。
 
 
 
 
五翼放射状平屋舎房に入ります。
  すぐに監視台があります。ここからは放射状に広がる五棟の舎房がいっぺんに
  見張れるような造りになっています。
  ここから見ると、左、左斜め、正面、右斜め、右と、見渡した時に不思議な感覚になります。
  当時、監視していてもいっぺんに見るのは楽だろうけど、反面疲れるだろうなと思いました。
 
入って左手側から一舎、二舎となって正面に三舎、四舎、五舎という配列です。
  今回も自分が見たかったのは四舎の二十四房です。
  ここは「昭和の脱獄王 白鳥由栄」が収監され、また、脱獄した部屋があるからです。
  青森、秋田と2度の脱獄をしている白鳥はこの網走に収監される時、刑務所側は
  脱獄防止のために、白鳥を入れる部屋の床の板を厚くしたといいます。
  それまでの脱獄があまりにも圧巻だったからでした。
  ルパンⅢ世のような人です。
  実際に部屋を見比べてみると、その部屋の床板だけ高かったでした。
  しかし、白鳥は床を破るような事はせず(その時の状況的に無理だった)、舎房の視察口から
  脱獄するという、看守が想像もつかない行動を取りました。
  そして壁を上がり、舎房の屋根にある天窓をぶち破って、屋根上伝いに外に出て、
  高い塀は刑務所内の工場の煙突を支えている支柱を無理やり引っこ抜き、ハシゴ代わりに
  して、刑務所の外に出ました。
  なんともスケールの大きい脱獄でした。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
部屋の視察口と言っても、鉄格子の枠になっていて普通破る事は出来ません。
  白鳥は鉄格子枠と扉の間にわずかな隙間があるのを見つけ、それを留めているボルトに、
  食事のみそ汁を毎日少しづつ掛けて、みそ汁のわずかな塩分を利用してボルトをサビさせて
  視察口を外すという、気の遠くなる作業をコツコツと続けました。
  しかし白鳥は不良囚人という事で、両手両足を後ろ手で手錠でつながれ、おまけに
  手錠も何度も壊すので、最後は特別に作った頑丈な手錠に、鎖も太くし重さも含めると
  全部で20kg以上にもなり、座る事も出来ず横たわっている事しか出来ませんでした。
  食事をするにも手が使えないので、犬のように食器に顔を付けて食べていたそうです。
  真冬も薄着の服しか与えられず、「このままでは死んでしまう」と思い、脱獄を計画
  したそうです。
イメージ 3
 
イメージ 4
 
昔は扉以外は鉄格子ではなく、木の格子でした。
  網走監獄ではこの格子に特徴があって、雑居房と独居房とでかなり違いがあります。
  格子自体が中から外が見えずらい作りになっています。
  雑居房の格子は、ひし形状の木枠がある角度で配列され、中からは向かいの部屋、斜め
  向かいの部屋の中が見えないようになっています。
  これは囚人同士が連絡など取り合えないようにだそうです。
  しかし看守(外)からは一定の方向から部屋の中が見える仕組みになっています。
イメージ 5
 
 
一方、独居房の格子は、くの字型の枠が重なるように配列され、これは完全に中から外は
  見えませんし、外からも中の様子は視察口からの確認だけです。
  もしこの中に一日でも居たら、自分なら気が狂ってくると思います。
  画像が分かりづらいですが、独居房の格子です。
イメージ 6
写真がぼやけてかなり分かりづらいかも知れません。
 
舎房を外から撮影したもの
  一舎と二舎の外側です。
イメージ 7
 
今回はあまり撮影をしなかったので、画像はここまでです。
  他にも紹介したい施設があったのですが、今年の画像がないため、昨年撮影した画像で
  いくつか紹介したいと思います。
 
まず、この「網走監獄」には、あの「東MAX!」が働いていました!しかもお坊ちゃんが重労働!
イメージ 8
 
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イメージ 10
 
やたら「東MAX」に似ていて、ここだけは笑っていいのか、考えさせられるとこなのか
  迷いました・・・(笑)
 
今日はこの辺で・・・
  またいくつかご紹介します。
  
  
  
   
網走監獄とは、単に囚人が収監されていた所とは違うと分かったと思います。
  強制労働の為に無理やり連れて来られたと言っても過言ではないと思います。
  道路工事が完了してからは、国の考えも少しづつかわり、囚人に過酷な労働は
  いかがなものか・・・なんて、いいだけ犠牲者が出て、ひと段落ついてから言い始めても
  かなり遅いような気もします。
  その犠牲のおかげで現在の北海道開拓が進んだ事は事実なので、感謝しなければ
  ならないと心から思います。
 
この「監獄歴史館」内には監獄だけでなく、現在の網走刑務所の部屋が再現されています。
  ちょっと見では、殺風景な感じもしますが、よくTVや映画で見るような陰気な雰囲気は  
  ないように思えます。
  まだ展示が始まって半年少々しか経っていないためか、畳の香りが印象的でした。
  普通に旅館か民宿の一室のようでもあります。イメージ 5
 
イメージ 6
 
ここは6人位の雑居房で室内にトイレ(現在は水洗)、水道、TVなどが完備されてます。
  昔は刑務所帰りの人が「ムショで臭いメシを食ってきた」なんて言ってました。
  メシが臭いのではなくて、昔の部屋のトイレは用を足したものを溜めておいて、
  溜まったら捨てるという事だったので、部屋が臭くてそこでご飯を食べるので、
  「臭いメシ」と言っていたとの事です。
ちなみに「ムショ」というのは、「刑務所」を「務所」と略した言葉ではなく、食事のご飯が
  昔は「米6:麦4」という割合で、「6:4」→「む:し」→「むしょ」になったようです。
 
雑居房の隣には独居房があります(実際の配置は違うんだろうけど)
  ここは狭いワンルームマンションとでもいいましょうか(笑)
  雑居房にも独居房にも、内側からはドアの取っ手は付いていません。
  外側からしかドアは開けられないようになっています。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
こちらは外側からのドア
イメージ 3
 
刑務所なんて入ろうとも思わないので(笑)違う世界の様子を見れて面白かったです。
  画像では分かりずらいですが、刑務所には自由がないのが実態です。
  自由人の自分にとってこれは苦痛以外の何ものでもないと強く感じました!
イメージ 4
 
ここ「監獄歴史館」内には、入館記念に写真を撮るところがあります。
  ドラマとかで見る、警察に捕まったときなんかに撮影される人相の悪い写真です。
  刑務所に入る時に写すのかは分かりませんが、この館内では、それと似たような
  写真が撮れます。
  プリクラみたいな機械が設置してあり、正面1枚、横向き1枚がセットになって
  300円でやっています。
  背景は身長がわかるように10センチきざみ(正確かどうかは不明ですが)の横ラインに
  なっています。
  写す時に、人相悪くするも、笑顔で撮るも自由です(笑)
  自分は少し極悪犯顔で撮りました。でもここではお見せ出来ません(笑)
 
この「監獄歴史館」以外にも、たくさんの施設があります。
  そのほとんどは、本当に使われていた建造物を移築復原したものです。
  なので、リアルそのものです。
  網走監獄に来るのは3度目なので、それまでたくさん写真を撮っていたので、
  他の施設はあまり撮影しませんでした。
 
他に撮影したものと言えば、明治45年から昭和59年まで使われていた舎房です。
  形がとても変わっていて、その形から「五翼放射状平屋舎房」と呼ばれていました。
イメージ 7
 
イメージ 8
 
ここの中についてはまた明日に書こうと思います。
  ここには「昭和の脱獄王」と呼ばれた「白鳥 由栄」の脱獄跡が復原されています。
  
25、26日に2度目のオホーツクドライブ旅行に行ってきました。
  前の週の18日に行った時は、サロマ湖周辺まででしたが、今回は
  網走まで足を運びました。
  一番の目的は「博物館 網走監獄」見学です。
  この「網走監獄」はもう3年続けてこの時期に行く自分のお気に入りスポットです。
  前回は雨に見舞われ、周りの景色も拝めませんでしたが、今回は初日は曇り空で
  まずまずの天気でしたが、翌日は風こそ強かったけど、晴れの良い天気でした。
 
前回と同じように高速を使い、遠軽町からは違うルートで網走をめざします。
  土曜日だからか、遠軽町からも相変わらず車は多かった。
  北見市を抜け美幌町をバイパスで通り、女満別空港前で降りていよいよ網走市管内に突入。
  網走湖沿いをのんびりと走っている内に、「博物館 網走監獄」に到着。
  家を出て、途中休憩をはさんで約3時間半程掛かりました。
  着いたのが1時過ぎ位で、お腹も空いたので、お昼も食べずに楽しみにしていた
  網走監獄名物?「監獄食」を食べる事にします。
  この「監獄食」は、現在の網走刑務所内で実際に服役中の人が食べている、
  ある日の昼食メニューを再現しているとの事です。
  「監獄食」はA定食(おかずのメインがさんま)とB定食(ほっけがメイン)の2種類です。
  去年までは、さんまの定食しかなかったのですが、今年からほっけの定食も増えました。
  食べる所は2か所あるのですが、一つは普通に入口付近に食堂があります。
  しかし、雰囲気ごと味わいたいのなら監獄時代に実際に使っていた施設の食堂で食べる
  監獄食の方がお薦めです。
  ごはんは「麦3:白米7」の割合になっているそうです。イメージ 2
 
イメージ 1
「監獄食・B」 700円 去年までさんまだったので、ほっけにしてみました。
  麦ごはん、ほっけの他に、ふき、やまいも、みそ汁。
  麦ごはんは、日ごろ食べた事がないのでいまいち慣れない感じです。
  ほっけは美味しかったでした。
  これは自分のいつもの昼食より豪華!(笑)
  服役中の人らは朝、昼、夜とちゃんと栄養を考えている食事を食べているとは、
  なんとも豪勢というか、うらやましいというか・・・ 
 
食事のあとは、今年の2月にリニューアルした施設「監獄歴史館」の見学。
  それまでは「行刑資料館」としてやっていましたが、展示物などが大幅に変わったそう
  なので、楽しみにしていました。
  
初めてこの「網走監獄」を見学した時、とても衝撃を受けた事がありました。
  脱獄不可能と言われたこの監獄を、ものの見事に脱獄した人物がいたからです。
  「昭和の脱獄王 白鳥由栄(しらとり よしえ)」という人です。
  網走のみならず青森、秋田、札幌、と4回も脱走をした人です(戦争前、戦時中、戦後頃の話)
  話せば長くなるのでどんな人だったかは省きますが、その人の肉声が残っていて
  この「監獄歴史館」に変わってから聞けるのです。
  それは今回見学するまで知りませんでした。
  なによりも感激です!(ただ脱獄した人、という事以上にとてつもなく凄い人だった)
イメージ 3
 
網走監獄では、この白鳥という人が壊したという「手錠」の写真もあります。
  なにせ物凄い怪力、頭の回転、行動力も速い、そして信念の強い人だったそうです。
イメージ 4
脱獄も、思いもよらぬ方法で実行し、サロマ付近の山中で約2年間隠れ潜んでいました。
  この人の本を読んだ時、壮絶な人生に涙しました。
  この内容もまたいずれ・・・
 
この他には、監獄当時に使われていた本物の手錠、拷問道具、逃亡防止の道具など
  思わずゾッとするようなのが、ずらりとあります。
イメージ 5
 
イメージ 6
上の写真は「足枷」 
 
現在の刑務所では考えられない拷問が、当時は当たり前のようにあったと言う遺産ですね。
  明治の監獄は、囚人も看守も死ぬか生きるかのギリギリの作業をしていました。
  まだ開拓も進んでいない北海道に幹線道路を造るという仕事です。
  その当時、ロシアからの侵略を防ぐため、物資などを運ぶ道路を旭川〜網走まで
  開通させるという大工事がありました。
  一般人にこの仕事を依頼しても、そうとう多額の費用がかかり、またかなりの危険性も
  伴うため(ヒグマに襲われるなどの危険も)、死んでもかまわない囚人を網走に送り込んで
  工事をさせる・・・ と言うのが網走監獄の始まりだそうです。
  栄養不足、過労などで何人もの囚人、また監視する看守も犠牲になりました。
  死体はその場で埋められ、そこに印として両足に繋がれていた鎖を土の上に置いていく。
  いつかそのお墓(お墓と呼べるようなものではなかったらしい)は「鎖塚」と呼ばれました。
  何十年か前に、その地域の人達が、供養もかねて掘り起こして祀ったそうです。
  現在「鎖塚」きちんと供養されて、工事をした道路際に何か所もあります。
  余談ですが、その「鎖塚」は囚人の霊も出るとの事です。
イメージ 7
北海道の開拓の歴史には、こう言った犠牲があって今があるんだと思うと、胸が痛くなります。
  今日はかなり重たい話になりました。
  まだ網走の旅日記は続きますが、今日はこの辺りで・・・。
 
 

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