ここから本文です

書庫故郷「群馬」の事

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

高崎駅の駅そば屋・・

イメージ 1
過去のフォルダを久しぶりに開いてみました。

そういえば、駅のホームにある立ち食いそばってホント少なくなりましたよね〜
これは群馬県の高崎駅2、4番線にあるお店ですが、僕が子どもの頃からあります。

この夏は群馬の電車107系に廃車が出るとのうわさがあるので、このそば屋と
一緒に取材にいかねばならないのですが・・・
イメージ 2

あさっての夜、神戸に行くという
久しぶりの無計画な旅を企画してしまいました(笑)


碓氷峠にはまる・・

さて・・軽井沢の帰りにはもちろん碓氷峠の「めがね橋」の取材です。
ここは「碓氷第3橋梁」という名称で明治時代のすぐれたレンガ建築の遺構として大切に
保存されています。
イメージ 1
 
明治26年に作られたこの橋はレンガ約200万個を使用した国内最大のレンガアーチ橋と
言われて居ます。
橋やトンネルにレンガが沢山使用されているので当時の建築技術を眺めるには最高の
教材で神戸や横浜に次いで大変参考になるとおもいます。
 
イメージ 2
 
いまジオラマでこの橋を再現しようと思っているのでそんな目線の写真を・・(笑)
イメージ 3
 
イメージ 4
 
かっこいい橋だなあ・・・もうぞくぞく来ちゃいます!!
 
イメージ 5
 
そう・・ここは「イニシャルD」の「碓氷峠のエンジェル」に登場する
86が初めてアウェイでバトルした場所・・今回はまた「イコしまさん」に攻めて頂きますが
シルエイティも居ないし、メガネを忘れたそうなので軽く流して帰りました・・(馬鹿)
 
「なんか・・タバコ吸いたくなっちゃった・・・」
「う・・ウギャ〜〜〜!!」
 
つづく・・・
イメージ 6
今日はものすごく久しぶりに我が故郷群馬に行ってきました!
祖父のお墓が梅雨時もあって雑草で大変な事になっているので草刈りです。
 
ついでに「わたらせ渓谷鐡道」の撮影もしてきましたよ!
「鉄」は「金を失う」と書くので小さな会社の社名にはこの旧仮名の「鐡」を使う事が多いのです。
イメージ 1
 
ここは親戚のある「花輪」と温泉のある「水沼」の間なのですが、ここは国鉄足尾線の時代から
大雨が降るととても危険な場所で、それは今でも変わらず、この路線はここが原因ですぐに運休になってしまうのです。
小さい頃、花輪の親戚の家に泊まりに行った時、大雨で「足尾線」が運休になり家に帰れなくなりました、トタンの屋根に叩きつける雨の音のなか、玄関の「有線電話(わかります?)」から流れる村役場職員の警戒の放送が物凄く怖くて心細かったのをおもいだしました。
 
祖父は国鉄の保線区だったのですが、水沼の官舎に暮らしていた頃は大雨の時は土砂崩れが
無いかここを夜中でも歩いて点検したそうです。
大雨の中、真夜中にカンテラ(ランプ)を持ってここを一人で歩くなんてやはり明治の男だったのですね・・
 
以前紹介した「神戸(ごうど)駅」とこの「上神梅(かみかんばい)駅」は良い雰囲気を残したままです。
これでSL「C−12」あたりが来れば完璧です!
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
う〜〜ん・・
 
このホームに東京の大学に出る彼女を見送る彼氏が居れば完璧です。
 
「東京なんて近い・・近いんだってば・・」
彼はこの先の左カーブまで列車を見送りますが、彼女はその頃すでに座席で爆睡・・
そんなもんです(なんの話だ?)
 
イメージ 4
 
第3セクター路線は「旧国鉄」の路線なので、そういった場所を訪問するとだいたい「昭和」に出会えるので皆さまもお探しになっては如何でしょうか?
関東だとこの他栃木の「真岡鉄道」、
関西だと信楽高原鉄道、北条鉄道、北近畿タンゴ鉄道がそうです。

岩宿遺跡

日曜日・・・祖父のお墓参りに行ってきました、ちょっと話たい事がありましてね・・
その帰り、僕の幼少時代過ごした「みどり市笠懸(かさかけ)町」に寄り道・・
 
どうも合併後の名前に違和感が、僕が過ごしたのは「新田郡笠懸村」だったから
さて、この町のJRの駅は「笠懸駅」ではなく「岩宿駅」といいます。この「岩宿遺跡」が由来なんですね〜
イメージ 1
この岩宿遺跡は日本の人類史を調べる上で大森貝塚とならんで重要な遺跡となっています。
この遺跡が発見されるまで日本の人類の歴史は縄文時代から・・とされていたからなんです。
 
群馬県は浅間、榛名、赤城と火山に囲まれていて、大昔、それぞれの火山が噴火して
その灰が多くの地層を造ったのですね、その「ミルフィーユ」見たいな断層を数えて行くと
その地層はいつの物か解る・・と言う訳です。
 
その「関東ローム層」と呼ばれる3万年前の地層から石器が出てきた・・
という事で約1万6千年前の縄文時代より昔の人類がここで暮らしていた事が
証明された、と言う訳です。
この中に入るとその地層が分かるようになっています。
イメージ 2
 
 
イメージ 3
『相沢 忠洋』と言う人・・
 
この遺跡を発見した人です。
 
昭和元年、東京羽田に生まれましたが、両親が離婚、10才の時に群馬にやってきましたが
間も無く奉公にだされ孤独な少年時代を送ります。
 
戦争では海軍に入り、終戦後は桐生に復員します。
彼は幼い頃からの考古学に対する思いが断ち切れなかったそうで、
納豆の行商をしながら赤城山麓で石器の採集を始めます。
その時、ここで石器の様な物を発見し、鑑定してもらう為に東京に行き、
そこで生涯の師となる明治大学大学院生、「芹沢長介」に出会うのです。
その後相沢氏は芹沢氏から考古学上のアドバイスを受ける為に東京までの
120キロを自転車で往復したそうです。
 
相沢さん・・・辛くても物凄く楽しかったと思う・・・
 
でも彼は学歴の無いただの「マニア」・・・
 
芹沢氏はこの凄い発見に気が付き早速、教授に連絡し本格的な発掘調査を依頼します。
しかし、この発見に相沢はただの斡旋者としてのみの扱いで、この発見の功績は
この調査の主導的立場であった「杉原教授」の物と発表されるのです。
 
当時の郷土史の世界は地元の富裕層や知識層で構成されており、
学歴も財産も無い相沢氏の功績を妬み、排除する向きもあったと言われて居ます。
 
でも彼はそんな事にもめげず、地道に調査を続け発見を続けます。そうしているうちに
彼に対する批判も薄れて行き
遂に昭和36年、群馬県から表彰、昭和42年には考古学者としての功績を認められ
「吉川英冶賞」を受賞するのです。
 
分かろうとしてくれない人に分かってもらうって、物凄く時間がかかるからね・・
それに対抗する力は「本人の情熱」がどれくらいあるかだ・・・
 
そのあと遺跡のそばの山に登った・・・
ここから西を見るとかつて僕の過ごした街が見渡せる・・・
ここから見えるのはどの辺りまでだろう・・
イメージ 4
 
 
相沢さん、どうして今日、僕はあなたに出会ったのでしょうか?
 
 
中日(おちゅんち)は仕事だったので今日お墓参りしてきました!
うちのお墓は山の中にあって・・
「ふきのとう」や「つくし」が真っ盛り!両方とも祖父の大好物だったな・・
イメージ 1
イメージ 2
 
通路も土なんですが、あちこち掘り起こしてあって、なにか草むらからガサガサ音が
するんですよ・・・ウリンボだったら母イノにやられる危険があるから早目に切り上げました
じいさん・・すまん!
 
そういえば「モクレン」ってあまり話題にならない様なきがします・・
イメージ 3
 
これってすぐに花の色が変わってしまって撮影のタイミング難しいし・・
結構構図が難しいと実際撮影してみて思いました
花は上向いているし木も結構高いじゃないですか!
 
ご指導をお願いします!

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

ちょうろう!
ちょうろう!
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(19)
  • 薩摩隼人
  • あず
  • fiorimusicali5
  • よーこ
  • まさ
  • きゆう
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事