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『奴隷解放宣言』から100年を経た1960年代になっても、アメリカでは、黒人の参政権が条件つきでしか認められておらず、交通機関・レストラン・娯楽施設・学校等の公共施設でも、白人と有色人種の利用する場所を区分けする人種隔離が行われるなど、日常生活においても人種差別が色濃く残っており、人種差別に起因する様々な事件や社会問題も生じていた。
1955年、アラバマ州モンゴメリーの市バスに一日の仕事に疲れたローザ・パークスという黒人女性が乗り込んだ。白人専用席を避けて後ろに座った。しかし、後から乗ってきた白人は白人席に空席があるにもかかわらず、彼女に席を譲るように命じた。彼女は、白人に席を譲るのを拒んだことで人種分離法違反として逮捕された。
この事件をきっかけに、バスのボイコット運動を中心に差別撤廃の運動が盛り上がった。この運動の若きリーダーとなったのが、キング牧師であった。
自由と平等を求める運動は、白人過激派による暴力と、南部諸州の政府による弾圧にさらされます。キング牧師の家には爆弾が投げ込まれ、キング牧師の勤める教会は放火されます。自由と権利を求めたとして投獄され、胸を刺されて命を落としかけた。それでも彼は、 インド独立の父と言われるガンジーの非暴力・不服従の運動に学び「暴力には魂の力で応えるのだ」と指導したのである。
このようにキング牧師を中心とする黒人公民権運動の大きな山場として、首都ワシントンにおける行進は計画された。マスコミは5万人程度の予測をしていたという。
1963年8月28日,ワシントン大行進には、キング牧師の願いをも大きく上回る、白人も黒人も分け隔てなく25万にもの人々が参加したのだ。彼らを前に、リンカーン記念堂前でリンカーン像を背にして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師によるあの有名な“I have a dream.”の演説が行なわれた。
翌年1964年、公民権法が制定された。キング牧師はノーベル平和賞を受賞。それでも、妨害行動は続き、牧師自身何度も逮捕された。そして、1968年4月テネシー州メンフィスにおいて、39歳の若さで暗殺されてしまった。非暴力を貫いたキング牧師は暴力によって命を奪われたが、彼の魂は滅ぶことなく輝いているのだろう。
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