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世間様の10連休はどこも混雑だろうと推測し、前回の長岡天満宮以来どこにも出かけていません。リタイアの身分では何十連休もありますので、わざわざ混雑の世間様の10連休に出かける必要は無いのですが、この10日間の間に花などは撮影時期を逃してしまう恐れがあります。いつものゴールデンウィークのように間に出勤日がある方がいいなぁ。そうすれば世間様がお仕事の日に撮影に出かけることが出来るので、撮影時期を失してしまうことも少ないかもです。な〜んて贅沢を言っております。
そんな中で近江八幡市にある賀茂神社に足伏走馬(あしふせのそうめ)の撮影に行って来ました。過去を紐解いてみると前回の撮影は2014年。何と今回は5年ぶりの撮影になります。時が経つのは早いな〜。5年に一回ずつ訪問するとあと10回くらいしか撮影できないぞ
。さて、足伏走馬とは何ぞや?
「馬にゆかりのあるこの神社で古来から連綿と受け継がれてきた競馬神事。木々のトンネルの中を疾走する騎手と馬、400メートルの直線コースを颯爽とすり抜け競い合う。「七頭の馬、七番の神事」とも言い、七頭の馬にて勝負を決する。二頭ずつ走り、トーナメント式にて順位を決定する。現在古式の競馬としては全国に二つの行事しか残っておらず、現在の競馬を知る上でも、たいへん貴重な行事です。」
(滋賀県観光情報公式サイトより拝借させていただきました。)
千年以上も続いているそうです
。昔は各地にあったらしく、その各地の神社で勝ち上がって来た馬が京都の賀茂神社での比べ馬神事に参加できたそうです。1.以下9枚目までPENTAX K3にシグマ170-500mm望遠レンズ装着撮影です。
2.過去2回の訪問ではまじめに走っているような感じではなかったのですが、この日は疾走感一杯でした。
3.土煙が背景のゴチャゴチャを隠してくれるのと、迫力が出ます。
4.白馬は最初だけ?1回戦で負けたのかな?
5.左側の赤いのぼりが立っている辺りは、以前は巨木が林立していたのですが住宅地となってしまい切り倒されてしまいました。
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9.これは競争が完了した後のセレモニー走だったと思います。
10.昨年の台風でご神木(杉)が倒れたとは聞いていたのですが、まだそのままでした。巨木が根元からぽっきりと折れています。
11.そしてご神馬が圧死しておりました。
このご神馬は確か日本で一番大きいもだったように思います。
昨年は各地で倒れたご神木が社を損壊させたというニュースがたくさんありました。そうなるとご神木っていったい何ぞや?って思ってしまいます。
去年の台風時から8ヶ月近く経っていますが、復旧するお金が無いのでしょうか?
賀茂神社は馬ゆかりの神社ですので競馬ファンもたくさん参拝に来られるそうです。競馬ファンの方々、儲けたお金で寄付をしていただけないでしょうか?
帰るときに表彰式のアナウンスが聞こえていましたので、きちんとトーナメント方式比べ馬をやっていたのかな?
今まで知らなかったのですが11月には馬術武芸奉納があるそうです。これはぜひ撮影に行かないと。でも覚えているかな?
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祭り、イベント
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こどもの日は過ぎましたが、のんびり鯉のぼりの記事です。
大阪府高槻市で約千匹の鯉のぼりが泳ぐフェスタが開催中ということで5月4日に撮影に行ってまいりました。
3日の夜に翌日の風予報を見てみると大阪湾上で5mくらいの風となっていました。
う〜ん、これはどうかなと思っていたのですが、翌日外に出てみると結構風が吹いています。雲の存在は空の5割くらいだったでしょうか?
雲の少なさなら翌5日のほうがよさそうでしたが、風が無さそう。風が無いときの鯉のぼりは干物状態ですからねぇ。
てな訳で4日にあきれるカミさん(何も言っていなかったので)を尻目に急遽JRに乗って行ってきました。
駅から徒歩10分くらい、芥川上流で盛大に泳いでいました。
以下同じような写真をズラッと。
1.川原に下りて雑草的菜の花と
2.よい風にみんな元気に泳いでいます。
3.本物?ではない鯉も半分ほどいたかな?
4.ところどころかわいそうな状態の鯉もおります。
5.こちらも元気がもらえそうな泳ぎでした。
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9. 鯉のぼりの数くらいはお客さんはいましたね。
親子連れが多かったですが、ここにも外人さんとインスタ女子がいっぱいでした。
川は芥川という名前ですが結構きれいな川でした。
山口時代に仁保川で同様の写真を撮ったことがありますが、数的にはこちらのほうが圧倒的です。一度大規模な鯉のぼり群を撮影したかったので満足な撮影となりました。
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台風の影響が心配されましたが、8月8日予定通りびわ湖花火大会が開催されました。
この花火大会は毎年8月8日と決まっており、その日が休日の場合は直近の平日に開催されます。
何しろ35万人の人出と言うことなので休日に開催されたら、琵琶湖が大津市側へ少し傾き水がこぼれます( *´艸`)。
とにかく大変な人出なので毎年撮影に行くのをためらってしまいます。今年も行くか止めるかハーフハーフだったのですが、Google地図を眺めていたら打ち上げ場所の対岸によさげな場所がありました。最近なかなか他の撮影にも行っていないし、場所も新鮮そうだしとにかく行ってみよう、ということで今年も撮影してきました。
今年の撮影場所は近江八景の一つ「矢橋の帰帆」で有名?な矢橋帰帆島公園です。
1.帰帆島から打ち上げ場所方向を望みます。前夜台風がほぼこの上空を通りましたがすっかり晴れました。
丁度太陽で輝いている辺りが打ち上げ場所です。今頃見物客でごった返しているはずです。
2.待つこと4時間、少し遅れて19時40分頃から打ち上げ開始でした。
ズラ〜っと行きます。
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5.湖の反射光も期待したのですがなぜか真っ暗。
6.横アングルはPENTAX K3に18-200mm望遠装着撮影
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13.これも水面が真っ暗です。何でかな?
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合成はありません。全部1枚撮りです。
結論から言いますとこの場所は撮影に向きませんね。
打ち上げ筒が画面の奥に向かって並んでいるので、私の場所からは2か所からしか上がっていないように見えます。なので例年に比べて寂しい写真が大半でした。(言い訳)来年も撮影するとすればこの場所はやめよう。8時間待ちを覚悟して昨年と同じく比叡山に登るか。
動画も撮影しましたが編集に時間がかかりますので、その気になったらアップさせていただきます。
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3月12日(日)は3年ぶりに日牟礼八幡宮の左義長祭撮影に行ってきました。
元は織田信長の城下町・安土で行われていましたが、信長公亡き後近江八幡に場所を移して始まったものとされています。
安土で行われていた時はお祭り好きの信長公も仮想して参加していたと伝えられています。
ダシは毎年の干支を取り入れすべて食べ物で作られます。
いつから連続して優勝しているのか分かりませんが、今年も事前のコンテストで優勝した為心町(いしんちょう)制作のダシは見事のなものでした。いったい何の食べ物を使って作られているのか見た目には分かりません。
この時間と経費をかけたダシをガツンとぶつけ合い、押し競まんじゅう、捩じり合いでくんずほぐれつ、メリメリ、バリバリの大変にぎやかなお祭りです。
いかにも織田信長公が好みそうなお祭りです。
似たような写真ばかりですがずらーっと。
1.後ろが日牟礼八幡宮です。我が家の初詣ではだいたいここです。たまに浮気します。
2.ぶつけ合います。
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4.捩じり合います。
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6.もうめちゃくちゃでござりますがな。
7.メリメリ、バリバリ
8.チョウヤレ、チョウヤレ
9.気合が入ります。
10.少しスローシャッターで動きを出しました。(つもり)
11.同じくスローシャッター
今回はNDフィルターを持って行かなかったので、これ以上にスローにはできませんでした。
12.マッセ、マッセ
元気がありすぎて最初のうちに負傷者が出たようです。
救急車が入って来ました。大した怪我でないとよいのですが・・・。
過去には死者も出たように聞いています。
ちょっと前までは踊り子(担ぎ手)は女ものの長襦袢を羽織り、化粧していたのですが最近は少ないようです。この紛争は信長公が正体を隠すためだったともいわれています。
昼間に破壊されたダシは夜になって焼かれます。もったいなけど保存も効かないし、毎年違うダシになるので保管する場所もないし仕方ないですね。
このお祭りが終わるとちゃも地方にも春が訪れます。
賑やかさを出そうとムービーも撮ったのですが、Windows LiveMovie Makerの調子が悪いので今回はパスしました。
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最近はまた撮影に出ない日が続きましたので、26日(日)昼から気軽に近江八幡市の城下町に出かけてみました。時々撮影に行く八幡堀界隈の商人街です。
狙いはこの時期開催されている雛飾りイベントです。
織田信長の城下町であった安土で育まれた商人たちが、信長の死後関白豊臣秀次の城下町近江八幡(当時は八幡)に移り活動しました。
秀次が非業の死を遂げた後は活躍の場を求めて全国へ商売を広げていったのが近江商人の始まりとされています。(ちゃも2のうろ覚えの情報です。)
蝦夷地の松前でも盛んに活動し、登別温泉を発見したのも近江商人だとの看板がありました。
近江八幡市にはこの近江商人の商人屋敷がたくさん残っています。
1.この裏側が八幡堀になっています。
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4.中に入って雛飾りを撮影
5.そんなに古い雛飾りはありませんでした。せいぜい享保年間のものが一番古いもののようでした。(これは違うと思います。)
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7.超広角撮影
8.江戸幕府将軍が交代するたびに親書をもった朝鮮通信使が九州から江戸まで往復していました。その通った道は朝鮮人街道と呼ばれています。
9.500人から時には1000人という行列だったそうです。
このころは朝鮮国とはうまくいっていたんですねぇ。
10.朝早く守山を出発した通信使はここ八幡で昼食を摂ったそうです。見本が飾ってありましたが一の膳から三の膳まであり、その豪華なこと。私も一升瓶を傍らに置いて食べたくなるようなものばかりでした。「八幡の宴」と呼ばれていたそうです。
その日のうちに彦根まで移動したそうです。守山から彦根までは50kmくらいありそうですが、500人〜1000人もの行列がこの距離を半日で移動するのは大変だったことでしょう。せっかくの昼食もゆっくり食べられたのかしらん?
11.庭に咲いていた梅
近江八幡を含む湖東地方には他にも何か所か近江商人街がありますが、依然見た五個荘の方が雛飾りは豪華で変化に富んでいたように思います。
近江八幡ももう少し力を入れてもよいかも。
この日オオワシおばあちゃんが北帰したそうです。
この秋に戻って来れるかどうかわからないご老体ですから、この日撮影に行かなかったことが一生(大袈裟か?)の悔いにならないことを願っています。
湖北が一気に寂しくなるなぁ。
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。昔は各地にあったらしく、その各地の神社で勝ち上がって来た馬が京都の賀茂神社での比べ馬神事に参加できたそうです。

