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石垣市郊外に建つ唐人墓。 目の前は扁平な形をした竹富島。 けばけばしい、全く中国風のお墓である。 このお墓は台湾在住の中国人が建てたようだ。 車は北上すると川と海が混じり合ったような名蔵川を渡る。この左手には於茂登岳があるが、ここからは見えない。 昔は中国南部、揚子江流域に住んでいる人々を唐人と呼んでいたようだが、今はその唐人が中国の主流になっている。 今日はレンタカーを借りて、石垣島内を1周するが、先ず最初にその唐人を祀っている唐人墓を訪ねる。 石垣市の郊外にあり、目の前の海に竹富島の起伏の少ない扁平な島が浮かんでいる。 どれ位の中国人がこの島に住んでいたか知らないが、彼等の故郷とする東シナ海の大陸に面する場所に記念碑を建てずして、この竹富に面してお墓が建っている。 この意味するところは良く分らないが、彼等と竹富との何等かの繋がりを示唆しているのかも知れない。 石碑を良く見ると、この中国風ドラゴンをあしらった唐人墓は台湾在住の中国人(台湾人)が作ったようだ。石垣島は那覇へ行くより、台北へ行くほうが近いのだから、こういうことがあっても不思議でない。 それから車は海と川が混じり合ったような浅い入り江が広がっている名蔵川を渡り、もう一つの名勝地、御神崎へ向う。 県道から分かれた半島の道路は右側に藤枝湾とその先の川平を眺め、くねくねと起伏していて、如何にも沖縄の田舎道を走っているようだ。 長閑な田舎の光景である。 近くに学校ありとの標識のある藤枝の小集落を走る抜け、左手の小高い山、屋良部(ヤラブ)岳の裾を廻るようにして約10分、この半島の先、行き着いた先が御神崎で、その先端には大きな白い灯台が立っている。 前に広がる茫洋とした東シナ海。左手に僅かに見える屋良部崎。 そう言えば確か屋良部さんというような名前の石垣在住のブログの人もいたが、何かこの地名と関係でもあるのだろうか。 もう一度前方の川平、その先の半島上に円錐形の綺麗な山容を見せている野底岳を眺め、この岬を後にした。 県道を離れ、御神崎に向う。右手には川平、底地の海岸が見えてくる。 岬の先端に建つ灯台。 東シナ海が茫洋とした広がりを見せている。 左手、屋良部崎に向って静かな海岸線が続いている。 最後にもう一度川平、野底の海を眺め、御神崎を後にする。
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石垣、沖縄列島は、仰るとうり台湾、中国(唐人)の文化や言葉にも相当影響しているのでしょう。それにしても昔の琉球の言葉は独特の表現ですね。台湾、中国の影響もあろうし、日本語の表現に近いモンゴル語系の文法の表現もしてるんではないでしょうか?
2009/3/8(日) 午後 1:18 [ dandyboy ]
ダンデーさん、琉球には日本の古い言葉、古語がまだ現在もそのままの形で残されているんですよ。例えばこの「南」→「ハエ、ハイ」→「パイ」。「アガリ」→「上がり」→「東」(太陽が上がる方向)。「上がりがまち」(家の入り口)は通常、「東」側にあると思います。
それから又、当然、中国、朝鮮等の影響も多いですね。
2009/3/8(日) 午後 3:59 [ ciaocommodore ]
朝鮮の影響もですか。成程。
2009/3/8(日) 午後 7:15 [ dandyboy ]
そうなんですよ。琉球王国は立派は独立国で、三国貿易などで朝鮮とも立派な通商をしていたんですよ。
2009/3/8(日) 午後 7:26 [ ciaocommodore ]
はい、屋良部岳の「やらぶ」です。
屋良部岳の上の方はまた一段といい景色ですよ。
2009/3/8(日) 午後 10:30
風光明媚な良い場所ですね。石垣へも車で15分から20分で、そんな不便な場所ではなさそうです。
シニアライフをこんな場所で過ごせたら、良いでしょうね。
山は登れなくて残念でした。
2009/3/9(月) 午前 9:43 [ ciaocommodore ]