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藤野町、やまなみ温泉バスセンターより眺めた「石砂山」方面の風景。 やまなみ温泉バスセンター。日中の乗客は皆無。これでは本数もいよいよ減ってしまう。 これから山頂までの1.5キロの山道が続く。道は綺麗に整備されていて、危険な箇所はない。 登山口付近にあった「虎の尾」に似た、白い花。今が盛り。 頂上直下、約300mの急坂が続く。 石砂山(イシザレサン)、山頂。588m。 東海自然歩道、案内板。 周辺の景色は雲に隠れ、良く見えない。 ヒルに食いつかれた左足。 心無い登山者のゴミ棄て。 心無い登山者の庚申塚の引き倒し。 下山道、約1キロにわたって続く石畳の山道。江戸時代のものとも思えないが・・・ 津久井、青野原を流れる「道志川」の深い渓谷。 数年前の夏、この上のダムからの不意の放流で、多くのレジャー客が川の中州に取り残され、多くの人命が失われた。ヘリを飛ばす等、何とも方法が無かったのか・・。 青野原の「夢街道」 7月1日(晴れ)、JR藤野駅→(バス)山並温泉→(バス)篠原〜「石砂山」〜西野々→(バス)三ヶ木→(バス)JR相模湖駅、篠原ー伏馬田分岐ー西野々間、合計歩道、6キロ。 < 石砂の 蛭も忌まわし ふくらはぎ > 奥多摩辺りの山では、今日は自分一人だ、と思って登山していても、必ず誰かに遭遇し、結局一人ではなかったんだと、がっかりもし安心もするが、今日こそは登りも下りも誰一人とも遭遇しなかった。敢えて遭ったと言えるのは蛭(ヒル)の数匹。 高尾で一旦電車を乗り換え、中央線藤野駅に着いたのは9時15分。自宅を出てからおよそ1時間で着くのだから、イメージと違って、案外近い距離にある。 処が、バスの時刻を見ると途中乗り換えのやまなみ温泉行きは、朝の8時25分が出た後は、9時台は1本もなく、次のバスは10時40分。これではやまなみ発11時のバスに間に合いそうにない。仕方なく、約4キロの道をやまなみ温泉まで歩く。 前回、石老山を下りた、篠原からやまなみ温泉まで歩き、温泉から藤野駅までバスで帰ったが、今日はそのバスの道を歩くのだから、二つ合わせて、丁度全部を歩いたことになる。これこそ本当の東海自然歩き。 然し話して気がついたのは、これから向う篠原バス停について「シノバル、シノバラ」というような発音で、当初何を言っているのか理解できなかったが、そうか、この部落の方言で「原」を「バル、バラ」と呼ぶんだな、丁度沖縄とか鹿児島で「マエバル(前原)」「ヨナバル(与那原)」等呼んでいるが、それと同じかも知れないと思う。 「原=バル」は日本の古語かも知れない。江戸時代までは各地方で、そのように呼ばれていたが、標準語の普及と共に「原=ハラ」と呼ばれるようになり、いまだ「バル・バラ」と呼んでいるのは、極く限られた地方の県、このような田舎位にしか残されていないかも知れない、と思った。 又、これから登る「石砂山」にしても、地元の人は「イシザレサン」と呼んでいて、「イシスナ」とは言わない。 これは「ザル=抄」から転訛して「ザレ=砂」になったのかも知れない。そんなこんなで1時間も退屈せずにす過ごすことができた。 このセンターからは丁度11時に3方向にバスが同時に出て、1台は藤野駅へ、他の1台は山中湖方面の東野へ、それとこの篠原行きのバスであるが、当方以外の客は全くいない。多分毎日、このように無人の空気を運んでいるのだろう。今日は何日ぶりの乗客かも知れない。 バス代100円を支払って、イザ、石砂山へ。天然記念物「ぎふちょう」の生息地とのことで、あちこちに立て札が立っている。集落の外れから登山道が始まるが、頂上までは僅か2.2キロ。登山口からは1.9キロに過ぎない。1時間も歩いたら到着できそうな距離だ。 しかし、交通の便が悪いのか山を歩いている人には行き当たらない。人口減の為、山を守る人もいなくなっているのか。小鳥の鳴き声、時々聞こえる仏法僧の低い鳴き声、空を横切り飛行機のエンジン音のみ林間にこだまする。静か過ぎる位の山歩き。初夏の緑が目に鮮やかだ。 頂上直下の約300m、高度差にして約150mが急坂だったが、それ以外には困難な箇所もなく、本当に1時間も掛からずに頂上に到着する。山頂588mからは天気予報に反し快晴ではなく、曇った空に周辺の山並、集落はよく見えない。 お昼を食べようと、登山靴を脱ごうとしたら、足元に枯れ葉のようなゴミ見たいなものがついている。取り払ったら何かヌルっとした感じで、足から離れない。 ヒヤー〜、叫び声こそ出さなかったものの、ヒルが足にくっついて放れない。急いで靴を脱ぎ、靴下を抜いて、靴下で取り払う。何かぞくっとした。もう既に大分血を吸ったのか、2−3cm位の大きさになっている。食いつかれたところから、ドロっとした感じの血が流れ出ている。それで安心してみていると、まだ小さなゴミのようなものが付いている。チクショウ!ヒルの子供だ!小さくて気が付かなかった、2−3匹張り付いている。慌てて叩き落とし、一安心。安心しついでに記念に写真を撮っておく。もう何年も山に登り、この近くの丹沢山系には「蛭ヶ岳」という蛭のいっぱいる山も登ったことはあるが、蛭に食いつかれたのは今日が始めて。全く気持ち悪い生き物だ。 蛭は体温に反応して人体に飛びつく、と、どこかで読んだ記憶があり、そうか熱に反応する前に急いで歩けば良いのだな、と昼メシを食べた後、歩幅を早めて下山する。これは正解で、下山路では蛭に襲撃されることも無かった。 途中、山の中腹に道祖神(庚申塚)が倒れていたが、石が重く一人では元に戻せない。風とかで倒れるようなものではないので、誰かが人為的に倒したに違いないが、そう言えば、山頂に2−3日前のオレンジの皮が散乱していたが、同じ人物かも知れない。彼ももうちょっと山を歩くようになれば、山を愛するようになるかも知れない。 この道祖神から下山口までの約1キロ、綺麗な石畳が続いていて、誰が、いつ頃何の目的で造作したかは知らないが、こんな山の中の石畳、何かの目的があったのかも知れない。 2時には下山口の伏馬田へついたが、ここからの三ヶ木行きバスは1時17分が出た後は、4時22分まで出ていない。全くこの山は行きも帰りもバス便に泣かされる。 やむを得ず、三ヶ木へ向って6キロの田舎道、尤も国道であるから2車線の交通頻繁な道路であるが、を歩く。青野原の広々とした畑地が心を和ませる。こんな山奥にも、こんな田園風景が広がっている。交通不便ではあるが、住んでみたいような気持ちよさそうな田舎風景であった。 |
東海自然歩道
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<第2日目、6月1日、相模湖駅〜石老山〜篠原〜藤野駅、11.7キロ+3.8キロ、晴れ> 昨日まで続いた雨も今朝は快晴の好天。天気予報通りの朝で、早めに起床し、7時半の電車に乗って相模湖駅まで向う。 今日の自然歩道、第2回目となるが、前回は「高尾山」を越えて、相模湖まで下りたので、今回はこの相模湖から目の前に控える「石老山」を踏破する予定である。 8時20分、駅から相模湖まで出て、湖畔に沿って相模大橋を渡り、いよいよこれから山道に入り込む。 「嵐山」は相模湖に面した最初の小高い岡で、京都の「嵐山」の名前を模したとのことであるが、趣は全く違って、本当の山歩き、里山の趣である。 400m程ほどの小山であり、20分もかからず頂に到着。目の前に相模湖が広がっている。 この小山を乗り越えて、一旦鼠坂(ネン坂)の集落に出て、再び山歩き。駅から約3時間かけ、石老山中腹にある「石老山・顕教寺」に到着する。 このお寺に来るまでも、又この先も参道の両側には巨石、巨岩が至る場所にあり、石の表面は苔むし、この山の名前「石老」の如しである。 顕教寺の梵鐘を思い切り2回撞ち、ここから30分程登ったところに開けた「融合見晴台」があり、丁度お昼、眼下の相模湖を眺めながら昼食とする。 昼食後更に40分ほど歩き、漸く今日のピークである「石老山」山頂694mに到達する。 ここからは相模湖は見えないが、その反対側の丹沢山系が間の集落越しに今日はよく見える。 1500mを越える連山が雄大に見え、中でも最高峰の蛭が岳1673mは富士山のような均整の取れた山容で見目麗しい。 山頂で30分程休憩し、1時半、「東海自然歩道」に従い「篠原」へ向け下山する。 好天の日曜日なのに今日は登山者も少なく、このコースを下る人は誰もいない。皆元の相模湖方面へ戻るようだ。 急坂に次ぐ急坂、殆ど直滑降に近い感じの山道を1時間で降り下り、「篠原」の集落に出たが、ここから駅までのバス便、今日は日・祭日運行とのことで、夕方の4時半まで出ていない。又、出たとしても途中の「やまなみ温泉」止まりで、そこで又藤野駅行きバスへ乗り換えなければならないとのこと。 ここで2時間を無駄にするのは意味がなく、約4キロの車道を「やまなみ温泉」まで歩く。 町営「やまなみ温泉」600円で小1時間ほど、疲れを癒し、5時半のバスにて中央線「藤野駅」まで出たが、今まで、この「藤野」は山梨県の駅かとばかり思っていたが、ここまでは神奈川県津久井郡の行政区画とのこと、今日始めて知った。 車道歩行分まで入れると今日の歩行は約15キロ。 天気も崩れず、一日好天で2回目の「歩道歩き」、バスの時刻表とか、車道をこれだけ歩くのなら、もう一つ先の石砂山を越えて、先のバス停まで行けばよかったか、等々、少しの反省はあるものの、まあ満足の行く山歩きだった。 来週は久し振りの百名山、2座登頂予定。又、その次の週は「タイ語検定試験」が控えていて、暫く「自然歩道」歩きは遠のくが、バス便、その他、段々に壺を得つつある。 JR中央線「相模湖」駅。
今日の「歩行歩き」はこの駅からスタートする。 |
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東海自然歩道は高尾山の見晴台を過ぎると、奥高尾の登山道になってくる。一般のレジャー客、年配のハイカーはここで引き返す人も多く、奥高尾に入るとハイカーの数はぐっと少なくなる。 秋の紅葉の季節には登山道全体が紅く燃えるような紅葉台。今日は、若葉が美しい。 この先、月遅れの山桜が見れるかとやってきたが、残念ながら、花の影も無く、全くの葉桜。それでも爽やかな五月の空、青葉が清々しい。 真っ白く、甘い香りが漂っていた。 本道はここから左に折れて、相模湖へ下りるが、副道として子仏経由、相模湖への道もある。 弁当の食べ物を与えると近くに寄って来て催促される。少し気持ち悪かったが、お腹が空いていたに違いない。 |
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高尾山の中腹には創建1200年の歴史を有する薬王院があり、真言宗の関東三大霊場の一つ(他に成田山・新勝寺、川崎大師・平間寺)に数えられている。 毎年数百万人の団信徒、参詣客を集め、今日も又煙棚引く本堂には何人かのお参り客がいる。 このお寺、名前の薬王にあるように、本尊は薬師如来で、元々は聖武天皇の病気平癒の為に行基菩薩が建立したとのことであるが、その後中興の祖が長野飯縄権現との関わりが深く、飯縄大権現の扁額が本堂に掲げられている。 その関係か、化身である天狗の面、天狗の像が寺内のあちこちに散見される。 奥の院、奥社を通って、約20分、関東十三州を見渡せるという大見晴台に到着する。 春夏秋冬、休みの日には数千人のレジャー客でごった返すこの見晴台も、ウイークデイの今日は人もまばらで、売店も半ばは休業中である。 冬の空気の乾燥している季節には、良く見える富士山も今日の春霞、全く姿を現さない。 さて、小休止、ここから更に奥高尾、東海自然歩道は相模の道に入っていく。 薬王院に入る手前、お寺の縁起、境内の配置図等の看板がある。山全体がお寺のようなもの。 江戸時代に改築された本堂。権現造りの様相である。 頭では分かっていても、中々実行出来ない人生訓。頭が痛い。 奥の院から見た本殿。山の傾斜を利用しているので、敷地は以外に小さい。 奥の院、飯縄権現との関係が深く、天狗の像あり。 神仏混交のなごりか。 お寺の一番上にある奥社(神社)。 高尾山には何回も来ているが、この奥社がご開帳されていたのは始めて。 何が祀られているかは分からない。 薬王院から歩いて約20分、漸く頂上の見晴台に到着する。 今日はウイークデイで休日のような混雑はない。 見晴台の中ほどに「十三州大見晴台」の石碑あり。 関東十三州、幾つ挙げられますか? 今日は春霞にかかって、富士山は見えないが、近くの野山の新緑が美しい。
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東京近郊、中央線通勤電車の終点高尾(八王子市)にあるこの山は、土日の休日などは大勢の登山客、遊山客を集めるが、ウイークデイの一日、山に入る人は少ない。 高尾山全体が真言宗智山派の別格本山、薬王院有喜寺の山内になっていて、お寺に通づる参道の脇には、昔の高僧、役僧、修行僧が朝夕打たれた滝もある。 参道はずっと境内まで車道になっていて、歩き易いが、登山という雰囲気ではない。 歩くこと20分、中腹の高台より東京方面を眺めるが、初夏に近い湿気を含んだ空気は、ぼんやりとした姿しか見せていない。 40分ほど歩くと、ケーブル駅。普通のお参り客はここまでケーブルで登って、後は20分程度の歩行で参内できる。 暫く歩くと大きな鳥居様の山門(浄心門)があって、その横には、山の神様、役の行者を祀る「神変堂」があり、人々は御堂に懸かる鈴を鳴らし、今日の参内を感謝する。 門を入ると、そこは既に「殺生禁断」の大石碑が建っている山中で、人々は厳かな気持ちになって歩みを進めている。 境内に入る少し手前には、今から20年ほど前、タイの王室から贈られた仏舎利を祀る真白のパゴダが建っていて、参道からは少しずれてはいるが、自身は機会があればここへお参りし、次に進んでいる。 今日は又改めて発見できたが、このパゴダの横には珍しい十三重の塔が建っている。今まで何回か参拝しているが、そういう目で見なかった為か、見落としていた。 寺門の直ぐ前にある土産物屋が見えてきたら、もうそこは境内になる。神仏習合の歴史は良く分からないが、この薬王院、名前からすると確かに仏教ではあるが、祀っている本尊は「飯縄権現」。長野飯縄高原にある飯縄神社の神様で、この辺は何がどうなっているのか、理解は出来ない。 寺門の守護、青鬼、赤鬼(持国・増長・多門・広目)の四天王に迎えられ、参内することになる。 昔はこの滝で身を清め、参内したに違いない。
今は、ケーブル奥の鳴滝、裏高尾の蛇滝等で、修行している人を見かける。 冬は空気も澄んでいて、視界が開けているが、初夏の今頃の季節、水蒸気が多く綺麗には見えない。 この茶店の娘さんは、ここで生まれ、ここで育ったとのことである。 先日、タイ・ロッブリーの街で見た、放し飼いの猿の元気さ、賑やかさとは比べるべきもない。 役の行者は伊豆大島に流された後、伊豆の山々、関東の山々、御岳等にも足跡を残している。 先般、名古屋日泰寺で明治時代のパゴダを見たが、ここのものは平成の時代だけあって、斬新的なデザインである。 このパゴダには今まで何回か参詣しているが、全く気が付かなかった。 |







