タイ語の勉強 & 山と旅と俳句

このブログは写真が満杯になり新に「ciaoのブログ」http://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776で継続中。

「写真の無いブログ」カンボジア

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

水上市場、「ダムヌン・サドーアック」の「タラートナム」の賑わい。
イメージ 1



ここでは野菜、果物、日用雑貨、あらゆるものが売られている。
イメージ 2



バンコク市内から随分離れた場所にあるのが、難点ではあるが・・
イメージ 3



「ムーアン・ルーアン」。広大な敷地の中には、タイの色々な地方の建物、伝統、その他がコンパクトに配置されている。
イメージ 4



バイヨンの石仏を描いた大きな絵画。
イメージ 5



今次の旅行はこの後、チャーン島からの長距離バスでバンコクに戻り、今回旅行の最初に宿泊したカオサンのSawasdee Innに投宿し、翌日は水上市場、「タラートナム」まで足を伸ばし、更にその翌日はバンコク郊外のムーアンルーアン、「タイ民族の村」で半日を過ごし、帰国した。

2週間前、このカオサンからバスで出発し、アランヤプラテートの国境からカンボジアに入り、長躯12時間をかけてシェムリアップに到着し、3日間、殆ど観光客の行かないような場所、ブノン・クレーンの山中までバイクを走らせ、乳撹の泉を見、石も買い、トンレサップで夕陽を眺め、バイヨンの絵も買った。

アンコールの荒廃した遺跡には観光客が溢れ、それ以上に土産物売り、乞食の姿も多く、嘗てこの様な偉大な文明を作り上げた末裔とはとても想像できない疲弊ぶりであったが、更に衝撃的だったのはトウールスレンの収容所であり、Killing Fieldの遺骨群だった。

プノンペンに於いて、大晦日の午後、この日まで撮影してきた500枚以上のメモリーの入ったカメラが盗難されたのは、大きな落胆であったが、一方で盗んだ犯人、家族が当分の間人間らしい生活が出来るようになったかと思うと、愉快な気にもなった。自分も物を盗まれることにより、案外恵まれない人に良い施しをしてやれたのだと・・

お土産の幾つかはホテルに置いてあり、今こうして自宅にも持ち帰ることも出来、旅の思い出を辿ることもできる。

旅行中に遭った人々、シェムリアップのバイクの青年。2日間、穴ぼこだらけの道路をあちこち走らせてくれた。

コンポントムでの運転手、サンボー遺跡のガイドの青年、最後まで付き従ってきた子供達、バスを待つ間に飲んだ百足の焼酎、コンポンチャムでの僧院の坊さん、カンボジア女性と結婚した日本の青年、プノンペンの刑事部長、王宮、ウプサラの踊り、シアヌークビルのGogoハウスのオヤジ、チャーン島でのお上さん、・・・・。

皆良い人達だった。旅の楽しみは尽きない。思い出も又尽きない。残り少ない人生、旅に生き、旅を楽しもう。

「悲しみのカンボジア」、クメールの人々。過去の忌まわしい歴史を越えて、明日に向って歩いている。バイヨンの神の瞳に希望の光りを見た、良い旅だった。

                        END



羊皮紙に描かれたカンボジアの神。
イメージ 6



ブノン・クレーン、乳撹の泉より持ち帰った石とリンガ。
イメージ 7



アンコールワットの織物。
イメージ 8



カンボジアの織物と扇子。
イメージ 9



バイヨンの神は何を見つめているのだろうか・・・
1000年の昔から人々を見つめ、1000年の先まで見通している・・・
イメージ 10
チャーン島はタイ南部、カンボジアとの国境に近い場所にあり、静かで、人気の少ない浜辺も多くのこされている。
イメージ 1



チャーン島のメインのビーチはホワイトビーチで、ここには多くのホテル、ゲストハウス、商店、銀行などもある。休日でも銀行は両替窓口だけは開いている。
イメージ 2



島の西側はホワイトビーチを中心として、島の南北に数多くの浜辺が散在している。
イメージ 3



タイでは3番目に大きな島。800mもあるような大きな山も幾つかある。
イメージ 4



島の南端には「隠れ家」と言えるような人の少ない、静かな浜辺もある。
イメージ 5



以前はシアヌークビルからスピードボートでタイへ渡るルートもあったようだが、現在は廃止されていて、陸路コッコンから国境を越えるしかない。

バスの中ではオランダ人青年と隣合わせになり、日本の大磯で英語教師をしていたり、その後、山梨に移ってログハウスの大工をしていた、とのことで、日本びいきの人だった。


国境を渡り、タイに着いてほっとした、と言うのが実際の感覚だったかも知れない。多少なりとも言葉も通じ、近代化されている国、文明国へ着いた安心感かも知れない。

カンボジアを脱出したというと大袈裟になるが、この一週間、刺激の多すぎる旅だった。

国境で又、行き先別のバスへの組み換えが行われ、チャーン島へ渡るトラートの町に出る。と、ここで、京都から来た青年とバスで一緒になる。植木職人とのこと。

チャーン島。เกาะ ช้าง(コ・チャーン)。日本語言うと「象の島」、という意味。

この島に大量の象が嘗て住んでいたのか、遠くから見る島影が象に似ているからそう呼ばれたのかは知らないが、海上から見るこの島は、確かに高い山が前後に並び、象のように見えなくもない。

チャーン島に着いたら、ボートで一緒だった日本人は先にどこかへ行ってしまい、当方、桟橋で聞いたバンガローへ行く。

海に面したバンガロー、ルンチャリム、150バーツ450円。この南海の島で二日間休養し、昨日までの刺激を癒す。


女主人に聞くと、バイクを貸してくれるという。1日、200バーツ。確かパガン島では800バーツだったから、随分安い。

敷地内を2−3回回転運転し、慣れたところで道路に出る。初めての経験。

真っ直ぐな道路は良いが、この島、海岸線に案外起伏があり、大きくカーブしている場所では何回か転倒し、後続車に轢かれそうにもなった。

それでも怪我もなく、どうにか坂も上りきり、バイクにも慣れ、二日間島の南北をほぼ一周する。

直線道路での80キロのスピード。風の音が耳たぶを流れていく。結構な爽快感。

一番南の端の、余り観光客のやってこない浜辺のチェアでまどろみ、スイカのジュース、時々はビールを飲み、午後のひと時を過ごす。

夜、海の人から獲りたてのカニ2尾を100バーツで買い、女将さんにその場で茹でて貰ったら、200バーツと宿代よりも高く請求された。茹賃など、10−20バーツ位にしか考えていなかったが・・

朝の涼しい海風と、鳥の声に起こされ、又、波止場まで送ってもらい、二日間の休養の後、チャーン島を後にした。



プーケット、サムイは賑やか過ぎるが、この島はパガンと同じ様に、騒がしくないところに人気がある。
イメージ 6



この島であれば命の洗濯も出来るかも知れない・・・
イメージ 7
シアヌークビル(旧名・コンポンチャム)の街の中心にあるバスターミナルからビクトリー・ビーチに向う、4車線の道路。
イメージ 1



シアヌークには、何箇所かのビーチがあり、港に近い場所にビクトリービーチがある。
イメージ 2



欧米からの観光客でいっぱいの浜辺。
イメージ 3


元旦の午後を王宮の観光に費やし、夜は又マーケット近くの店で、中国風の料理を食べ、翌2日はバスにてシアヌークビルへ向う。

高原を通っての約4時間のバス旅行。パイナップル畑がどこまでも広がっている。

途中の休憩所でホーチミンから来たバスとすれ違ったりして、バスはいったいどの道路を走っているのか皆目見当が付かないが、それでも海に向って走っていることは、周辺の山並の、どこか海風を含んでいるような趣で何となく感じられる。

高原の中にも小さな集落が所々あり、バスは何箇所かの停留所に停車し、何人かの乗客の乗り降りもあり、丁度正午にはシアヌークのバスターミナルに到着する。

さてゲストハウスを探そうか、とターミナルの出口に向って歩いていると、日本語で話しかけてくるカンボジア人がいて、「自分はこの先でゲストハウスを経営しているが、1泊5ドルからだ。」との案内。安いに越したことはなく、又久し振りの日本語。即座に決める。

その場所は市街地からはかなり離れたところ、ヴィクトリービーチの近くにあり、ここまでは同人のバイクに乗せられて来たが、宿名は「GoGoゲストハウス」という名前だった。

5ドル、500円の部屋。まあ、そんなに悪くは無い。シャワーもある。早速リュックを置いて、ハウスの下の海岸を散歩し、海に面したレストランで昼食を食べる。バーミー、緬とビールを頼んだが安いものだ、5ドル出したらカンボジアのお金、何千リエルかのお釣りを返してくれた。

この町には植民地時代の名残なのか、フランス人居住者が多く見られ、現地カンボジア人と結婚して、レストランを経営したり、何か商売をしている人も多い、とのことである。

その後、街へ出て、マーケット周辺をぶらつき、シアヌークビル港までタクシーを走らせ、又街に戻り、客で雑踏し、ハエの煩く付き纏う角のレストランで食事し、「Go Go ハウス」へ戻り、ハウスの主人と外のチェアーでビールを飲みつつ、ポルポト時代の様子も聞くが、彼自身当時8歳とのことで、詳しいことは話さない。余りにも大きな悲劇の為、話したがらないのか本当に知らないのかは不明であるが・・

このゲストハウスにも、半年ほど前から大阪出身の「セン」さん、父親が米兵で、ベトナムで戦死したが、そのミドルネームの「Saint」から「セン」と呼ばれているようだが、52歳、この町のこのハウスで単身生活しているとのことである。

何本か缶ビールを開け、夜のしじま、カンボジア最後の夜を静かに過ごす。

翌朝、このオヤジに35ドル払い、タイのチャーン島までの切符を手配してもらい、又、バイクでバスターミナルまで送ってもらい、いろいろとあったカンボジアを後にした。

悲しみの中に希望を見つけて下さい。

Good-Bye Cambodia、Farewell!




タイとの国境の町、ココン(Kho Kong)の手前に架かる大きな橋。
イメージ 4



この町で余生を過ごすのも悪くないかも・・
イメージ 5
車よりもまだオートバイが主流のこの国では、朝から夜まで大通りはけたたましい音に包まれている。
イメージ 1


王宮内、「シルバーパゴダ」
イメージ 2



フランス風の建物も。
イメージ 3



大晦日の日中、Killing Fieldから戻った午後の昼下がり、王宮が午後2時から開くまでのほんの少しの時間、王宮前広場の芝生の上で、ほんのちょっとまどろんだのが運の尽きだった。

昼食と一緒に飲んだビールが、南国の太陽の下の木陰で、気持ち良さを誘ったのかも知れない。一瞬の間にカメラとお金、ホテルのカギが入ったバッグを盗まれてしまい、大晦日の午後から元旦の午前にかけては、紳士面、親切面をした警察官から更なる追剥ぎのような目に遭い、散々な年末年始を迎えたが、しかしそうであってもまだこの国の貧しさから比べれば、たいしたことではない。高々、数万円程度のお金とカメラ、中に入っていた500枚を越える写真メモリーにしても、又来て写すことも出来る。

しかし救われないのはこの国の貧しき人々。貧困から抜け出そうにも抜けることのできない絶対的な貧しさ。小さな子供を抱え、路上に寝泊りし、夢を見ることもなく、希望もない。今日の晦日、明日の元旦を迎える喜びもなく、ただ日々の食べ物にありつけることのみを願い、一日、一日の命を長らえている。

昨夜、路上生活者に恵んでやった2箇所の家族。当方、今日少なからぬ財産を盗まれたとしてもまだ旅行費用はSafety Boxに残っている。明日の正月を少しでも喜んでもらう、こんなちょっぴりのお金では人間らしいお正月も迎えられないかもしれないが、夕方再び同じ場所へ向う。

が、途中から降り出した土砂降りの雨。サマセットモームの「驟雨」を思い出す程の大雨で、瞬く間に路上が氾濫し、あれ程けたたましく鳴っていたオートバイ音もピタリと止んで、皆それぞれ近くのレストランに逃げ込み、雨の止むのを待っている。

小1時間、雨上がりの徴候はその雨脚で分るのか、まだ上げ切らぬ内から再び又一斉にけたたましいバイク音が鳴り響き、そのほんの後には、雨もピタリと止む。全く動物的な感覚。

その場所へ行く。しかしそこには父子の姿は無い。又、別の場所へ行く。そこにも母と子供3人の姿はない。矢張りこの大雨。彼らにもどこか雨を凌ぐ場所があったのか。自分が何も聖人ぶって恵んでやんなくても、誰か奇特な人がいたに違いない。

その足でトンレサップ川まで出て、折から深夜にかけて、若者を中心にした大勢の人々が集まってきているのを傍観する。どこの国でも若者は元気だ。若者には未来もあるし希望もある。間もなく今年も終了し、新たな一日、新たな新年がスタートする。新生カンボジアは彼らがしっかり担っていくに違いない。

トンレサップへ今年の別れを告げ、雑踏の河岸を他所に、ホテルへ帰館する。


どこかの役所かも知れない。
イメージ 4



ツールスレン収容所に掲げられている虐殺された人々の写真。人類の悲劇は永遠に記憶されなければならない。
イメージ 5

開く トラックバック(1)

プノンペンの独立記念塔。同じ様な形をしたものがビエンチャンにもあるが、そちらの方(バトゥーサイ)が大きくて立派だ。
イメージ 1



トンレサップ川に面して、小さなホテル、ゲストハウス等が数多く建っている。外貨両替Boxも幾つか並んでいる。
イメージ 2



「ワット・プノン」。30mほどの小高い丘、「プノンペン」の上に建っている。小鳥を1羽1ドルで放鳥できる。
イメージ 3



王宮内建物。
イメージ 4



市内の中心にある中央マーケット。長距離バスはこの横から発着している。
イメージ 5



話は前後するが、プノンペンに着いた翌日の大晦日、Killing Fieldから戻った午後の昼下がり、王宮前広場でぼんやりしていた間に、ショルダーバッグと中に入っていたカメラ、お金、ノート、ホテルの部屋のカギ、お土産等々が全く気付かずに盗難された事件は、このブログの一番最初に書いておいた。

大晦日の午後の半分は警察手続きでふいになり、更に翌日の元旦から再び警察への出頭とワイロの請求。最も警察官は「コピー代」だとか、「報告書を早く仕上げる手数料」だとか、それらしき理由付けを言うが、こちらがドルを払うと、直ぐにもポケットに捻じ込む様は、どこから見ていても、Under Table Moneyに他ならないが、50ドル程度のお金は貧しい国の低賃金に喘ぐ公務員への生活援助と考えれば、腹も立たない。

むしろホテルの部屋とSafetyのカギ交換代75ドルの方が痛かったが、もしも犯人がカギの引取りをホテル側に言ってくるやも知れず、その際は、当方が100ドルで買い取る旨(勿論カメラ込みであるが)を犯人側に提案するよう、フロントマネージャーに伝えておいた。

プノンペンに3泊した内、大晦日と元旦だけは路頭に迷うことがないようにと、旅行前に東京でAgodaでのネット予約をしておいたが、このCosa Hotel、元のシェラトンホテルでかなり格式も高く、プノンペンを代表する寺院「ワット・プノン」の裏側にあり、米国大使館、ラッフルズホテルの近くでもある。

大使館と言えば、プノンペンに着いて最初に行った場所がフランス大使館で、その正面の鉄の門扉を見ることだった。

流石に旧宗主国の大使館だけあって、東京ドームのある後楽園遊園地ほどもある大きな敷地で、高さ4m近い分厚いコンクリートの壁が敷地をぐると囲んでいて、内部の様子は窺え知れない。

30年前、ポルポトのプノンペン制圧時、カンボジア人以外の外国人(その中には何人かの日本人もいたが)およそ3000人がこのフランス大使館に逃げ込み、救援飛行機の到着を待ち、それに乗り切れない数百人が陸路タイ国境まで送還されるまでの約1ヶ月、人々はこの敷地内の建物、或いはテント生活を余儀なくされたが、その大使館は今も同じ場所に建っている。

大勢のカンボジア人がこの大使館に逃げ込もうと、正面ゲートの広場に集まってきていたが、無情にも鉄の門扉は開くことは無く、多くのカンボイア人がポルポト兵に連れ去られ、どこかの収容所で処刑されたに違いない。

30年経った今、その鉄の門扉は取り払われて、今は電動ゲートの鉄板となっていて、大使館内を覗くことも出来ない。

この正面ゲートの前に立ち、30年前の出来事を目撃し、詳細に記録したフランソワ・ビゾの「カンボジア・運命の門」を思い出しつつ、カンボジアの人々に振りかかった悲劇、残忍な運命を想起した。



大晦日、元旦に宿泊したCASA HOTEL。旧シェラトンホテル。
イメージ 6



部屋は広くて綺麗だった。
イメージ 7



プールは4階にあり、外プールだから気持ちが良い。
イメージ 8



現在の街の賑わい。バイクタクシーも繁盛している。
イメージ 9



王宮内の建物、「シルバープノンペン」
イメージ 10

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
ciaocommodore
ciaocommodore
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事