タイ語の勉強 & 山と旅と俳句

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琉球・石垣・一人旅

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「730広場・交差点」は沖縄本土復帰後2年後の1974年7月30日に行われた道路交通変更を記念して作られた。
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東京・日本橋をスタートした国道は、1号線から始まって、各地を走りぬけ、この地石垣に於いて終わりとなる。
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いや、逆に「海上の道」から言えば、国道はここをスタートして北上し、東京日本橋まで達するとも言えた。
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「離島ターミナル」。ここから先は「海の道」が国道にとって代わる。先日は「郵便船」も見た。
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今朝も又、大勢の観光客を集め、フェリーは各離島へ客を運んでいく。
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最初に沖縄へ来たのはまだ学生時代のころだったから、もう既に40年以上は経っている。当時沖縄はまだ米国施政下にあり、東京六本木にあった米国領事部(今の新国立美術館の辺り)へ行ってビザを貰ってからでないと渡航できない外国の扱いであった。

それから約10年、沖縄は日本に返還され、更にその2年後には、従来の米国式右側通行から日本流の左側通行の交通改正が行われ、当時日本本土から大量の警察官が動員され、交通指導、警備に当ったが、もうそれも今から三昔前の話しになってしまった。

交通法規変更前半年間の県内の騒々しさ、各交差点に配備された大量の警察官、お蔭でこの間、飲酒運転もスピード違反もパタッと止み、交通事故が激減したが、そんな大わらわな騒動を記憶している人も少なくなったに違いない。

ここ石垣ではこの時の一大イベントを記念して、「730広場・交差点」を作って、今に伝えている。1974年7月30日午前0時を期して、県内の信号、標識、交通は一斉に変更されたのだった。

そう国道390号線はここからスタートし、石垣島を走りぬけ、沖縄本島・摩文仁の丘(糸満)にて国道58号線と名を変え、更に北上して本島を突っ切り、鹿児島指宿に上陸し、その先づっと東京日本橋までの凡そ3000キロの道のりのスタート地点がここ「730交差点」でもある。

いや逆に、日本橋を基点とした国道網は北へ南へ延伸し、最果ての南の地、石垣のこの交差点で終焉するとも言えるのだった。

今から30数年前に読んだ司馬遼太郎さんの「街道を往く」の中か或いはそれ以前に読んだ柳田國男氏の「海上の道」の中だったのか、今となっては記憶も定かで無いが、日本の国道がこの地において終わりになることが象徴的に書かれていたのを今朝この「730広場」に佇み、忽然と思い出す。

「海上の道」、長い道のりでもあった。

今日までの5日間、島も見、山にも登り、最も綺麗な湾も見た。

今朝は飛行機搭乗までの僅かな時間を利用し、最後にもう一度市内を歩き、ここ「730広場」に巡り合った。

30年、40年前の出来事が走馬灯のように駆け巡った。長い道のりのようでもあったし、つい昨日のことのようにも思えた。

ホテルの窓から身を乗り出して、最後にもう一度石垣の海を眺め、空港に急ぎ、もう再び来ることもないであろうこの島に別れを告げ、機上の人となった。

「さようなら」をもう一度。



琉球語で「さようなら」を何と言うか知らないが、ここ石垣では「ようこそいらっしゃい」を「おーりとーり」と言っている。何の略語だろう?
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ホテルの窓から最後にもう一度石垣の海に別れを告げ、空港に向う。
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那覇行きのJAL機。石垣空港の滑走路が短いため、羽田行きの直行便が飛ぶことが出来ず、那覇にて乗り換えることになる。
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もう来ることもないであろう石垣空港に別れを告げる。
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今将に飛び立とうとする飛行機。
See You Again!
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港の近くにあった栄福食堂(トニー食堂)の宣伝看板(翌朝撮影)。
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店内には「トニーカーチス」、「赤木圭一郎」等の写真、書付その他で、賑々しく飾られていた。
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マスターは元外国航路の船員で、赤木さんの大ファンだそうだ。
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この店のマスター「通事国浩」さん。おん齢73歳になるという。至って元気だ。
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この店のマスターが通事さんであるとはこの表彰状を見て知ったことだったが・・・
でも肝心のご本人は司馬良太郎さんも「街道」も全くご存知なかった。
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出された「ひーじゃー汁」。沖縄独特の「濃い」味わい。
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沖縄には琉球王朝以来の伝統料理、王宮料理など外来者を楽しませてくれる料理が盛り沢山あるが、石垣最後の夜、数日前から心に期していた「ひーじゃー」、「山羊肉の煮込み汁」を食べに出かけた。

沖縄本島でも「ひーじゃー」を出す店はそれ程多くなく、浦添に1軒あって時折食べに行ったこともあったが、ホテルで聞いたところ、この石垣でも市内には2-3軒しかないようだ。

その内の一つ、一昨日通りすがりに目にした「トニー食堂」へ行って見る。

店の外も中もまあ、賑やかなこと。トニーと言うから「トニー・カーチス」のファンかと思ったら、若くして亡くなった「赤木圭一郎」のファンで、と言っても今の若い人には「赤木」も「カーチス」も殆ど知らないと思うが、その「赤木」の写真、プロマイドで店内は隙間もなく飾られている。

ふと見るとその横に石垣市教育委員長からの表彰状も掲げられていて、更にその書かれている内容を見ると、「通事国浩殿」となているではないか!

ああ、この人、この店のマスターが「通事」さんだったのか!

もう何年も前、司馬遼太郎氏の「街道を往く」を読み漁り、日本各地の風物に触れ、旅に出なくても旅行した気分になり、夢の中で旅もし、後日、機会があってその土地を訪ねたりもしたが、その司馬さんもこの石垣までやってきて「街道を往く」を書いている。

その中で確か「通事」氏のことも書かれていて、この店のことも出ていたように記憶していた。

そこでマスターの「通事」さんに司馬さんのこと、街道のこと、珍しい姓のこと、等を聞いてみたが、全く思い当たらない風だった。

大体司馬遼太郎という作家名すら心当たりがなく、話していて当方が拍子抜けしたが、今年73歳になるというご本人は至って快活で、話し好きで、店内に英語の書き込みなどが掲示されていても、ご本人は英語は全く分らず、当方内心これでは「通事姓」が泣くなあ、との心を見透かせてか、自分の息子は今50になるが、その息子とか孫は英語がペラペラだとか、矢張りどこか「姓」へのこだわりを棄てきれず、当方、出された「ひーじゃー」(ヤギ汁)の湯気を吹き吹き、快活な沖縄人の話しに聞き入った。

本島の「ひーじゃー」は汁の中にヨモギ(ふーちばー)とか生姜(うこん)が沢山入っていて、ピリっとした味もあったが、石垣のそれは、それ等具材が少なく、本島のよりはやや劣った味付けであったが、それでも数年ぶりに食べた山羊汁。

王宮料理の奥ゆかしさも良いが、こうした庶民の味、庶民が1年に一度か二三度食べる山羊汁を元気な石垣の古老からの話を聞きながら食べることが出来、その味以上の満足感が得られたものだった。

4日間の旅を終え、明日はいよいよ石垣を離れる。その最後の夜に「街道を往く」にも出てきた現実の「通事」さん(本人が知らないことが奇妙ではあるが)と話ができたことでも、今回の旅行は価値あるものだった。



今日昼間通りかかった宮良川に群生する天然記念物「ひるぎ」の群生地。
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河口近くの淡水と海水の交じり合う汽水地での海洋植物。マングローブの種類。
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密林のように密生している。
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今は引き潮で海水が後退しているのが残念だ。
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石垣・宮良地区にある「請福酒造」の蒸留工場。こんな大きな工場が有限会社とは驚きだ。沖縄の株式会社はとてつなく大きな会社に違いない。
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白保、宮良地区によく見られる「将来2階」の住宅。
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結局2階は立たずに、このまま朽ちてしまうのだろうか・・いやいや、コンクリートは100年持つから、その内、2階家になるかも知れない・・
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於茂登に源を発する宮良川。河口付近は天然ヒルギの群生地で国指定の景勝地になっている。
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内地での高い煙突は大概はゴミ焼却場と決まっているが、この石垣では精糖工場の煙突。石垣特産、「黒砂糖」をお土産に幾つか買ってきた。
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白保と大浜の二つの浜辺を分かつ高台に立つ駿馬像の前の醸造所のことを「於茂登酒造」などと勝手に名前をつけてしまったが、ここの会社の名前は正確には「請福酒造有限会社」といい、この「請福」は「こうふく」と読む。

この名前が「幸福」に繋がるのか「降伏」に繋がるのか分らないが、お酒飲みにとっては「請福」を飲んで、「幸福」になり、最後は「降伏」されると思えば、良いネーミングだ。

こんな大きな醸造工場と販売量を誇る会社が有限会社とは沖縄ならではの現象であるが、公平を期すために、名前を間違えてしまった「於茂登酒造」、正式には「有限会社高嶺酒造所」が生産する手造り泡盛の銘柄「於茂登」のことで、この会社は昨日訪問した川平にある。

この2社が石垣の泡盛市場を二分しているが、当方に取っては直火泡盛「請福」も手造り泡盛「於茂登」も、どちらもコクある飲み物で、内地で買うことも出来ない為、幾つかお土産に買ってきた。

沖縄を特徴づけるのは、何も泡盛だけではなく、この白保地区に良く見える「角のある家」。

20数年前、かって当方が那覇近郊に住んでいた頃、内地から遊びに来た親戚の子供達が、コンクリート住宅の屋根の上に伸びている柱を見て、あれは何だ?家の角みたいだ、と言ったのを思い出したが、これは沖縄独特の建て方で、「将来2階住宅」と言う。

最近は那覇市内でも最初から2階建ての住宅を建てる家が多くなり、この様な「角のある家」を見る機会も少なくなったが、石垣ではまだ時々見かけることもあった。

今現在は平屋の住宅で十分だが、将来家族が増えたり、経済的に豊かになったりした場合、2階に継ぎ足そう、との発想だが、だが、現実にはこのまま平屋で終わり、いつまでも「角」を残したままの住宅も散見される。

そんな住宅、工場など見ながら国道390号線を石垣に向って南下すると、宮良川のヒルギの原生林に覆われた河口、川上の砂糖工場の煙突、その先の山並、然し、もうここからは於茂登岳を見ることも出ないが、又、いつか来るかも知れない状景を目に焼きつけ、更に南下し、石垣市内から一番近い場所にある海浜、大浜海岸で一休みし、夕方、漸くホテルに戻り、今日一日の於茂登登山、及び島の東半分のサイクリングを終了した。



河口の直ぐ先には太平洋が広がり、満潮になると海水が入りこんでくる。
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石垣市内から車で15分位の場所にある大浜海岸。
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プライベートリゾートの最先端を行くANAホテル。しかしこの不況で客入りはどうだろうか・・
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ANAホテル、国道390号線に立つ沖縄県庁、八重山支庁のモダンな建物。石垣市役所の貧弱さ(失礼)とは雲泥のリッチさ。王朝時代の二重搾取を思い出す。
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豊饒の海、石垣の海に最後の別れを告げ、今日一日の登山、サイクリングを終了する。
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石垣・白保の海岸は余り人の手も加えられず、自然のままでどこまでも続いている。
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この先に石垣新空港が建設予定されているが、自然と空港との共存は可能だ。
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浜下りにはまだ早いが、早春の土曜日、何人かの家族も浜遊びをしている。
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沖合いのリーフ、環礁に砕ける波。リーフの波を見、改めてここが南国の海だと理解する。
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数千年、数万年前の花崗岩が海にも風化せず、形を残し海岸に転がっている。何千年、何万年と変わらない白保の海岸の情景・・・
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石垣空港着陸寸前に見た、新石垣空港の現在の進捗状況を見るべく、白保に向ったが、三和地区の高原地帯の県道、広域農道は直線のように見えていて、微妙にずれていて、目的とした新空港ではなく、白保の町へ出てしまった。

石垣市に隣接する町で、人口も多く、家並みも裕福そうに見える。町は海岸線に沿って細長く開け、町を100mも横断すると直ぐにも海岸線に出てしまう。

海の幸だけでこれだけの人口と裕福さを養えるとはとても想像出来なかったが、その海岸へ出る。

余り人はいない。白い幅広の砂浜がどこまでも続いている。この先に新空港が建設されている筈だが、その様な様子は全く見えない。ただ遠浅の海とリーフに寄せる白波が見えるだけだ。

貴重な自然、かも知れない。誰に見られるともなく、ただ広がる砂浜と青い波。一度破壊されたらもう元に戻らないかも知れない。

しかし開発にも理由があることだろう。新空港が出来、大型航空機が燃料を満タンにして離発着できるようになれば、更に観光客を呼び込めるようになるかも知れない。アジアに最も近い日本の国際空港として、那覇以上に脚光を呼ぶかも知れない。

そうした人々の思惑、身近な生活に密着した金銭問題、開発に伴う膨大なお金、自然からは得られない利害得失、等々。

今空港反対運動がどうなって、工事の進捗がどうなっているかは当方には分らないが、当然に共存の方法はある筈だ。このまま工事をストップさせ、いたずらに税金を垂れ流すことこそ、大いなる無駄使いだ。一刻も早く工事を再開させ、一日も早く新空港を完成させるべきだ。第2の成田を作ってはならない。

確かに自然は一時的に破壊されるかも知れないが、沖縄のこの自然の包容力、自然回復力の力強さを見ていたら、10年、20年もしない内に、又元のこの様な自然に満ち満ちた海岸線が戻ってくるだろう。

力強い沖縄の海であればこそ、人工物と自然との共存、共栄は可能と信じた。

新空港の外に広がる青海原と珊瑚の海。もう60を越えたこの身では20年後に再び石垣を訪問することは無いだろうが、沖合いのリーフに打ち寄せる波頭をみていて、そんなことも考えた。



野趣に富んだ海岸でもある。昔の縄文人、弥生人もこの海で、すなどりしていたのだろう。1000年変わらない海。
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波打ち際に見つけた草花。満潮と時は水面下にあるであろうが、けなげに花を咲かせている。
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本日の拾得物。大きなシャコガイの貝殻と珊瑚。これは大事に自宅へ持ち帰る。
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白保海岸と宮良川、大浜海岸を分ける高台に立つ駿馬の像。この直ぐ前に於茂登酒造の大きな蒸留所がある。
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記念碑の直ぐ横に咲いている真っ赤な花。・・南国の空に燃えるようだった・・
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於茂登岳の麓には南国風のへゴが大きく自生している。
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本州ではゼンマイかスギナの様に小さなものであるが、南国の亜熱帯雨林、大きく育っている。
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麓から再度別れの挨拶をする。
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次のサトウキビ植え付け前の休墾地。畑地の後ろに於茂登岳が姿を見せている。
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土を掘り起こし、これから畝(うね)を作り、サトウキビの植え付けを行う。

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1時、於茂登岳より下山したが、大本部落は小さな集落で、食堂などもない。この山の東〜南側には広大な台地が広がっていて、牧場やらサトウキビ畑、最近ではパイナップルの畑なども広がっている。

県道を三和地区に向って走るが、中々食堂は見当たらない。探すとなると意外と見つからないものだ。

漸く三和十字路の近くに1軒小さな食堂があり、ソウキソバで空腹を満たす。炎天下、自転車を走らせてきた喉にオリオンビールが美味しく流れ込む。

ここからの於茂登岳の眺め。もう随分小さくなり、他の山並と連なっている。この辺りが高原の一番高い場所で、ここから先は海岸に向って道路は下っていく。

もう見ることも無い於茂登岳。さようなら、於茂登よ!

もう一度写真に収め、次の目的地、白保に向う。

4日前、石垣空港着陸直前に窓の下にみえた白保の新空港。まだ建設途中であったが、珊瑚の海を守るため、工事は一時中断しているようだ。

その白保の海。一体どれ程美しい海なのか、興味津々ではあった。



最後に又於茂登を仰ぎ見、大本部落を後にする。
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於茂登岳の東に広がる高原状の三和地区より於茂登岳を望遠する。
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この地区は石垣牛を飼育する農家が多く、牧場もあちこちにある。ゴイ鷺も一緒に餌にありついている。
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最近ではサトウキビ以外にもパイナップルの生産を始める農家も増えているようだ。
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三和地区の一番高い場所から於茂登岳に最後の別れをし、海岸に向って高原を下っていく。この後、再びこの山を見ることはなかった。
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