タイ語の勉強 & 山と旅と俳句

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大連の5日間「大連賓館」に泊まる

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空から見る旅順港。港の入り口が閉じられているのが良く分る。

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203高地と向き合う砲台、東鶏冠山の頂上には、今巨大な慰霊塔が立っている。

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大発展しつつある大連。誰が嘗てこのような発展を想像出来ただろうか・・

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大連賓館(旧ヤマトホテル)1階ロビー。ヤマトホテルは他に、奉天(現瀋陽)、新京(現長春)、ハルピン、旅順にもあった。

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甘粕正彦は満州映画社理事長時代、自宅の大連星が浦に家族を残し、自身は新京ヤマトホテルのスイートを定宿としていた。
戦前のことはイザ知らず、戦後も中曽根総理、竹下総理、など等、VIPがこのホテルを訪れている。

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このホテルは2001年、旧大和旅館として、中国重要文化財に指定された。

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8月13日、大連からの五日間の出張を終えた後のことになるが、佐野眞一氏執筆の「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を読む。500頁近くの大作であったが、読み始めると面白く、殆ど一気に読み終えてしまった。

今の若い人に「甘粕正彦」と言っても殆ど知らないかも知れない。戦前・戦中、或いは歴史に詳しい人であれば、有名な元軍人、憲兵大尉である。満州国設立の表の顔が石原莞爾とすれば、裏で支えた一人と言えるだろう。

その最後は昭和20年8月20日、押し迫ったソ連軍の襲来を前にして、新京(現長春)満州映画社理事長室で服毒自殺(青酸カリ)し、54年の生涯を敢え無く閉じた人物であったが、時代の波に翻弄された一人でもあった。しかし仮に彼の蔭の働きが無かったとしても、時代の趨勢として満州国は成立し、日本の敗戦と共に、潰えていったに違いない。

関東大震災の発生は、もう今から90近く前の1923年(大正12年)9月1日、未曾有の大地震が関東地方、取り分け当時の東京府、横浜市等を襲い、10万人を越える死者を出したが、この混乱に乗じて陸軍中枢は当時の「赤狩り」、共産党員やそのシンパへの一掃を図ったのだった。

その現場責任者として選ばれたのが、甘粕正彦で、当時彼は東京憲兵隊・渋谷分駐隊長の職、32歳にあったが、地震の翌日、急遽麹町分駐隊長の兼任を命じられ、それから2週間後の9月16日、共産主義者であり、且つアナーキスト大杉栄が、愛人伊藤野枝とその子供7歳と共に、該麹町分駐隊敷地に置いて惨殺され、敷地内の古井戸に投げ込まれたものだった。

共産党員の有力なリーダー、大杉栄を排除しようとの企図は元々陸軍中央部の考えであり、その中枢にいて、天津、ハルピンの特務機関長を歴任した土肥原賢二(後極東軍事裁判所で死刑判決)辺りから発せられたものと思われるが、甘粕は一切の責任を自分一人の身に負い、軍事裁判で懲役10年の判決を得、後、昭和大帝の恩赦で、僅か2年10ヶ月で仮釈放となったものであるが、その後満州に渡ってからの約15年、表の顔、裏の顔、二つの顔を使い分け、暗躍していたものである。

大杉栄の下手人とすれば、ソ連軍逮捕後の命の保証はなく、その直前に自決するのは彼とすれば当然の結論であったが、自殺の直前満州映画社の社員1000余名を講堂に集め、最後の訓示を行った後、自己一人で死地に赴いた行動は賞賛すべきものでもあった。

五族協和は夢に終わり、戦後60数年経った現在の満州、大連にはその片鱗すらないが、彼にしても石原莞爾にしても、そうした民族の融和、アジアの平和、白人支配からの脱却を強く願い、満州国独立をその試金石としたものと思われるが、歴史は変えようとして変えられるものでもなく、今ある60年前とは違った現状を眺めることにより、ただ単に歴史の変貌を知ることが出来るのかも知れない。

4年前と6月、それに今回、この3回の大連訪問により感じたこと、日本との結びつき、そこにまだ尚名残を残す戦前の建物。果たして大連が1905年以来の日本の租界、即ち植民地であった事実、当時も既に高級住宅地であった星が浦の大邸宅もソ連軍に接収され、今は星海街、星海地区の高級住宅街として大発展している事実、「二木三介」と言われても殆ど知る人もいない現在、当時とあっては国の命運をかけた東条英機、星野直樹、鮎川義介、松岡洋介、岸信介がそれぞれ満州国独立の前後、子の地に於いて活躍し、その蔭で立ち動いた甘粕正彦。

甘粕が嫌っていた一人、乃木将軍が3万人余の兵の命と引き換えに贖えた大連・旅順港。嘗て日本人は海の向こうの植民地任那日本府が失われた後々までも思い出の地、憧憬の地として記憶の中に留め置いていたが、果たしてこの大連・旅順港もそうした日本人の心の裡にいつまでも残されるであろうか・・・。



ホテルの正面には中山広場の向こう側に当時の横浜正金銀行、旧東京銀行の前身が、今でも中国の銀行業務を行っている。

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1階から4階までの吹き抜けのパテオ風の喫茶ラウンジ。当時としては珍しいドーム型のガラス張りだが、流石に70数年の風雪は厳しく、風雨の際の雨漏りもある。

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多分半世紀前と変わらない散髪店。左側のリクライニング台が洗髪用。

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大連賓館も夜はライトアップされえてお洒落だ。

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嘗て路面電車の街も今はモダンな2階建てバスが走っている。

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21世紀に向け、更なる発展を遂げている大連新開発地区。

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目の下の東芝大連工場。鮎川義介の時代を超えて21世紀に羽ばたいている・・・

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帰りの飛行機は赤と白のワイン。先ずは白ワインから。

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次は赤。BARONの赤で、ボルドー産か。

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JALはタイ語の表示も出ていて、読める人には嬉しいですね。

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雲の下に降り、次に見えたのは、房総沖、九十九里の長い海岸線だった。

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日本の景色も悪くはない。

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こういう風景を見ると日本だなあ、と思う。

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旅に出て、旅から帰る。人は旅行中旅先で客死しない限り、一度は行う通過儀礼。5日前、大連に向う飛行機の中で抱いた期待と不安。今はもう既に帰国の飛行機。一つの仕事を終えた満足感と充実感、少しばかりの疲労もあるかも知れないが、それは考慮外だ。

貧乏性の僕にとって、国際線に乗る唯一の楽しみがアルコールのフリードリンクで、この時とばかり、普段は口にしたこともないようなワインを贅沢にもお願いしたりする。飛行機で出すワインだから、別に高級ワインということでもないが、普段に日本酒を主体にしている当方に取っては、ワインを飲むことで何か高揚感も生まれたりする。

飛行時間、僅か3時間ほどの短い空の旅。来る時は飛行機は日本アルプスの真上を飛び、京都舞鶴沖に出て、日本三景・天橋立の上空を飛び、日本海の海岸沿いに南下し、出雲沖から一路日本海上空に出て、朝鮮半島を横断して大連空港に到着したが、帰りの便はどこを飛んでいるのか、雲の上でさっぱり分らない。

短い飛行時間の中で忙しそうに働いているスチュワーデスに何回もアルコールをお願いするのも迷惑な話しで、ではと最初からワインの赤・白2本をお願いし、昼の時間からの窓辺から差す薄日に気持ちよくもなり、暫らくまどろんだ後、機は早くも房総沖に出て、いつの間にか利根川を越え、まっ平な匝瑳の平野の上空を飛んで、成田に到着した。

一衣帯水。現在は更に又1日を刻む時間が早くなっているようだ。


何川の上空だろう・・、利根川にしては小さいようだが・・

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矢張り利根川かも知れない・・

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利根川上空を飛び、成田官制に侵入する。

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匝瑳の平野。刈り入れ前の稲穂が美しい、日本の平野。

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再び利根川を通過する。

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成田空港周辺のゴルフ場が見えてきた。いよいよ着陸だ。

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大連賓館の喫茶店で飼われていた人面の金魚。

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このホテルの近くには戦前の日本人町があり、その中程に中山病院があった。

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今でも残っている中山病院。昔の人が見たら懐かしがるだろう。

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来月はもう仲秋の明月。中国のお土産には月餅が最高だ。

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大連開発区のこの景色も次に来る時は又大きく変わっているだろう。

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4泊5日など過ぎてみればあっという間、今朝はもう帰国の朝となった。「大連賓館」の朝食はバイキングではなく、一人一人セットになったものを運んできてくれるのだが、毎日似たような作り物で変わりばえがしない。でもまあ、不味くはなく、どちらか美味しい部類に入るので、文句はない。

迎えに来てもらうまでの暫らくの間、ホテル周辺を歩く。遠方に見慣れた医大附属の中山病院の建物などが見える。見慣れた、というのは、何かのテレビかニュースで見たことで、又、何かの本で読んだ記憶では、戦前からこの場所にこの病院があって、駐在日本人家族が良くこの病院を利用した、という事。

戦前の日本人町と言うか、日本人住宅があり、満鉄本社があり、満鉄病院があったりした場所は、この大連賓館の裏手の辺にあり、当時多くの日本人が住んでいた。この辺りで今その面影を残すのは、旧満鉄本社ビルとこの中山病院位だろう。

遠方から眺めるだけだったが、懐かしくも思い、路上を散歩していると、朝の早い時間から路上に商品を広げての路上販売が始まっている。色々見ると変わったものも売られている。中で色鮮やかなバッグを売っている行商人がいて、手に取ってみると、その当方の手を掴んでしきりに何か叫んでいる。何か物を買わないと、掴まれた腕を放さない勢い。

・・まあ、困ったけどそれ程高い買物ではない。3個で100元と言う。50元出したらダメだと言う。そこへ少し日本語の分かる婦人がやってきて、間に入ってくれ、80元まで値引してもらい、100元払って、20間のお釣りをもらう。タイ語サークルの女性陣には良いお土産が出来た。


迎いの車に乗り、一旦スイスホテルの会社に寄り、丁度1ヶ月前に来た時の出発ラウンジで最後のビール、小瓶を飲み、5日間の大連を後にした。何か観光もせず、忙しい五日間だったが、自分にとっては稔りある五日間だった。



帰国の朝、ホテル周辺を散歩すると早くの路上の行商人が店を広げている。

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見ると随分色鮮やかなバッグを売っている。

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しわくちゃの新聞を挿し出し、自分は有名な手造り職人で、新聞にも載った、と写真のその部分を指で押さえ、PRする。

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見ると絹で出来ていて、確かに綺麗なバッグだ。交渉し3個、80元でお土産に買う。

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この街とも暫らくお別れだ。・・もう最後になるかもしれないが・・

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大連空港ラウンジ。いよいよ大連を後にする。

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今日のランチはロバ料理。

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から揚げなども豚と鶏の中間のような食感で、美味しかった。

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珍しいロバ料理が次から次に出されます。

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こうした炒め物も豚料理よりは余程か美味しかった。

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ロバのどこの部位か、こんな感じの肉です。

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今日の昼食は地元弁護士の案内で「ロバの料理」です。騾馬とか驢馬、日本人には絵本の世界でしか余り馴染の少ない家畜であるが、中国人にとっては、身近な存在のようだ。しかし今日案内してくれた弁護士ですら、「ロバ肉」の料理を食べるのは2回目というから、こと料理に関しては、我々日本人同様、めったに口に出来るものではないのかも知れない。

料理は色々出てきました。最初は八宝菜のような旨煮から、湯通し、から揚げからロバ肉の餃子、更にはスープと続き、ロバの色々な部位の肉をその料理法にあった調理で運ばれ、珍しさと共に、お腹いっぱい食べました!

マスターの劉さんに聞くと、このロバ料理は河北、山西、満州等の中国西北部で好まれ、食肉も市場で買うことも出来るそうだが、食べさせてくれる店は多くないという。この店も大連開発区にあり、大連市内からは車で30−40分も走った場所にあった。

肉の味はさっぱりしていて、いつか北海道で食べた鹿肉のサッパリ感と、猪料理の肉の少し硬い感じの歯ごたえ感、などが入り混じった食感で、豚とか牛よりは好ましいものだった。話しによれば何か臭みを除くために、色々と水洗いしたりと、工夫があるようだった。

「ロバ肉を食す」。過去何回か中国を旅行しているが、こんな経験は初めてのことで、多分これからももう無いかも知れない。そんな思いで、一切れ一切れのロバ肉を頂き、食べ収めとした。



ロバのひき肉で作った餃子も!

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店のオーナー劉さんと。

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最後にはロバのスープも出ました。・・ちょと変わった味かも・・

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この店は大連開発区の中にあり、近くには日本企業の会社も多くあります。

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店の名前は「新正正宗驢肉包子」店。電話15541162056.大連に行く機会があったら、一度寄ってみてはどうですか?

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これが店のメニューでした。それ程高くない?

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今日の夕食は火鍋料理です。

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豊富な食材が次から次に運ばれてきます。

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美味しい霜降り肉。

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肉以外にも海産物もありました。

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余は満足じゃ。

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旧満州、今の中国東北地方は冬の寒い土地だから、鍋物料理が早っている。前回冬訪問したが、あちこちのレストランで火鍋の宣伝が出ていて、その時は一人用の小さな鍋に、ちゃんこ鍋のように色々と寄せ集めた具材を一緒に投げ込んで、熱い火鍋で外の寒さを思ったものだったが、今日は真夏。でも春夏秋冬、この火鍋は持て囃される。

日本のしゃぶしゃぶのような感じで、熱く煮えたぎったお湯の中に牛肉、野菜、鹿肉などを入れ、肉の色が変わったら取り出して、3種類のお好みのタレで食べる。肉も上等で豊富。流石に食の国、中国。国民の舌が肥えているのだろう。

同伴の美女二人は日本留学の経験もあり、日本語は堪能。言葉に苦労して食が喉を通らないということもない。食べ物が切り無く運ばれるが、もう充分胃袋を満たした。惜しむらくは、この中でお酒、ビールを飲むのは当方一人で、これだけの美食を前にしても、いっぱい飲む訳にも行かず、ビール2本で遠慮したのが心残りではあったが・・

ホテルに戻り、夜風に当たる為、ホテルの外周を散歩していたら、南京からやってきたという若い学生二人に纏わり付かれ、「お腹がすいている。何か食べさせてくれ」としきりにせがまれ、余りにも煩いので、近くの食堂に案内し、食べさせてやったが、今度は泊まる場所がないと言う。このまま付き合っていたら、どんなにエスカレートするかも知れず、当方、ビール1本だけ飲んで、そそくさと分かれる。

今の中国、こんな開放的な若い学生なども出てくるようになった。100元、1500円も与えればどこにも付いてくるかも知れないが、幾ら開放的と言っても、国はまだ共産国家。どんな法律、落とし穴があるかも知れず、触らぬ神に祟り無し、だった。



美人の奥さん、ご馳走様!

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同伴のお二人にも有難う。

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南京からやってきた学生さん、お腹がすいたのか、良く食べる。

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4年前に来た時は路上に乞食の姿も見えたが、今回は気がつかなった。替わりに、この様な無銭飲食をねだる学生も出てきた。中国も変わっていく。

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もう、夜も遅い・・・

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