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今回、奈良を訪問中、木造の歴史遺産を眺めながら、宮大工の故 西岡常一氏について思いをめぐらせていた。同氏は、ご存命であれば、是非お目にかかり、お話しをお伺いしたかった方の一人である。
西岡氏は、法隆寺の昭和の大修理や薬師寺金堂の再建に携わった人物で、著書の『法隆寺を支えた木』は中学校の教科書でも紹介された。同氏は、その著書で、建築に際して、木の性質を知り(木の声を聴き)、その性質に合ったところに使うことが大事だ、そのことで切り倒された木は建築材として再び生命を持って生きるのだと語っている。例えば、山の北斜面に生えていた木は北側の建材として生かす、というように。同氏のこうした考え方は、私自身が大学教員としてどれだけ学生の声に耳を傾けているか、学生一人一人の個性を生かした授業ができているか、と反省する際の指針となっている。
しかし、今回の古都訪問では、これまで以上に西岡氏の木へのこだわり方について考えさせられた。それは、日本中で話題となっている「高校の履修漏れ問題」について違和感を抱いていたからだろう。
この問題に関し、これまでマスメディアは、“受験期に何故こうした問題が表面化したのか”“悪いのは誰か”“文部科学省の対応と与党の対応の温度差”など、様々な角度から報じている。しかし、教育は、建築が単に目前の雨風をしのげれば言いというものではないのと同様に、数十年の変化を見込んで行わねばならないことは、これまで指摘されてきたことである。一大学教員としてこの数年、教育が“受験教育化”し、高学歴化が奨励されたことで、高等学校、短期大学、大学での各教育の意味が根底から見失われてしまい、それが日本社会に歪みをもたらしているのではないか、と感じてきた。それが、今回の問題の本質ではないだろうか。“個性ある教育”を謳いながら、どの教育課程でも、一律的な、目の前の受験を勝ち抜くための鋳型を使って、人づくりをしてきたように見える。推薦入試、AO入試など選抜方法が多様化されても、その状況はあまり変わっていないように思う。今回、履修漏れが発覚した高校の中には、現行の文部科学省の制度は“人格形成教育にそぐわないため”、カリキュラム変更をしたのだと主張するところもある。全校生徒を前に、文部科学省の制度や指導は誤っていると非難し、自校のカリキュラム変更は正当であると主張する学校長の姿も報じられていた。こうした高校は、進学率向上への内外からの圧力や、競争を煽るマスメディア、受験産業に乗せられて、カリキュラム変更をしたわけではない、と明言できるのだろうか。
西洋建築には、建築物を解体して修理する発想がない。これに対し、日本の木造建築は一旦解体して、使える木はそのままに再度組み立て直す方法をとってきた。グローバル化の中、教育の世界でも均質化が進んでいる。しかし、日本という国の教育を考えるとき、やはり日本の風土の中で長い歴史をかけて培ってきた人づくり、ものづくりを再考することが重要だと考える。一度失われた技術を取り戻すことは難しい、と西岡氏は語っていた。悪者探しや人を批判する教育現場や保護者など今の社会を担っている“大人”こそ、一つ一つの木を知り尽くす努力、それを適所に用いる努力をし続けた棟梁、西岡氏の「心」を認識してもらいたい。自戒を込めて、そう思う。

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