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11月16日、衆議院本会議で教育基本法改正案が与党の賛成多数で可決された。これで、同法案は12月15日までの会期期限内成立を目指し、参議院で議論されることになる。
日本の教育の現状は、いじめ問題や未履修問題で自殺者が相次ぎ、病気に例えれば、深刻な症状が出ている。確かに治療は一刻を争うものの、その症状は何の病気によるものなのか、しっかり見立てて分析する必要がある。その意味で、現在行われている教育基本法の審議は、長く待合室で待たされた挙句、しっかり診察もせずに薬と注射で治療しようとする評判の悪い病院のように見える。 子供の権利について語られている『エミール』(1762年)の著者でもあるフランスの啓蒙思想家ルソー(1712−78年)は、良心こそが正義と徳の生得的原理だと述べた上で、次のように語っている。良心は人間を善に向かわせる。しかし善とは何かは良心は教えない。良心に善を提示できるのが理性であるが、それは常に啓蒙されているわけではない。彼のこうした観点から現在の教育再生を見ると、底の浅さが感じられる。例えば、教育の現場では、生徒たちが授業内容について先生に、「これ試験に出ますか?」と頻繁に質問すると聞く。やらなければならないこと、やりたいことが膨大にある中で、最大限に効率的に動こうとする子供たちの姿がそこにある。また、皆と同様に効率的に動かないと周りからいじめにあってしまうとも言われている。この効率性を教師ともども求めた究極が、未履修問題であろう。そこには、良心や善という概念が入る余地もない。 こうした現状に対し、日本政府は、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下に対する処方箋として、教育基本法を改正し、教育に対する基本的な考え方や価値観を日本人に共有させようとしている。官製の良心や善というものがあるのだろうか。むしろ、家庭や地域社会が果たす役割の方が重要である。しかし、その家庭が高学歴化、受験教育偏重を求めている。そして家庭を取り巻く社会は、それを黙認するどころか煽っている。核家族化、情報化社会、物質優先社会の中で、家庭や地域社会が道徳性の基盤を失いつつある。 そうしてみると、教育の再生にとっては、制度改革よりも家庭や地域社会を中心とした現代流「心の作法」の実践が必要なのではないだろうか。換言すれば、文化的意味体系の世代間のバトンタッチの再生である。日々の家庭や社会生活の中で、実践を通し自らの自由意志で考え腑に落としていく。そうした作業があって初めて良心に従い、判断、行動できる人間が育成されるのではないかと思う。 |
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子育てや教育にとって家庭や地域社会はなくてはならない存在。しかし、今日それが崩れ始めている。行政はそれを知っているので今擬似的な地域社会を作ろうと試みている。それが功を奏でればよいがやはり主人公はあくまでも子供たちの自分の足であることに変わりはない。そして、子供たちには先ず親から教育を受ける権利があることを親ももっと自覚すべきであると思う。
2006/11/18(土) 午前 1:57
大賛成です。生きる上での「時間の過ごし方」について、日本人は足元から見直したほうが良いと考えます。
2006/11/18(土) 午後 2:30 [ cigvi2006 ]
賛同いただきましてありがとうございます。保育園の延長保育の問題一つをとっても、延長すれば親は便利になり子育てしやすくなるのかもしれませんが、子供の心も忘れてはいけないと思うのです。僕も子供の頃、保育園でしたが夕方5時がもう限界でした。「時間の過ごし方」について社会全体で考える時だと思います。
2006/11/20(月) 午前 0:04
未履修問題は、「これ試験に出ますか?」とたずねる生徒側と、少しでも進学者数の実績を上げたい学校側との、需要と供給の結果だと思います。あるいは受験第一主義の流れを放置したまま、ゆとり教育を推し進めた弊害でしょう。この流れに改善が見られない限り、未履修問題は今後も続くのではないでしょうか。
2006/11/20(月) 午後 1:02 [ hah*de*j*(ハディージャ) ]
最近、西谷啓治先生の『宗教と非宗教の間』を読みました。今日の日本人にとって「生きるということ」の重さが変わっているように思います。教育の変質はその一つの現れだと考えます。それは、機械に求めるような効率性、合理性を人間にも求めた結果なのでしょうか。ともかく、結果よりも一人一人の成果を真に評価する社会にならないと、現在の教育問題は解決できないように思います。
2006/12/3(日) 午後 6:32 [ cigvi2006 ]
「あれはいじめだった」とか「これはいじめじゃない」とか いったいどこでどう判断したら出来るんでしょう。 暴力の定義が無い状態で子供たちはどうやってその判断をするんでしょう? 私は武力にわたるものも「暴力」 「無関心」もひとつの暴力だと思っています。 今回の教育制度の改定は受験戦争を激化を引き起こし 子供たちの知識の二極化を起こしてしまうんじゃないのかな〜とも思ってしまいます。 知識の二極化は高齢化社会に伴って社会全体の二極化 そこから派生する政治・・。 怖いです。
2006/12/26(火) 午後 5:27 [ えまこ ]