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8月6日8時15分、「私たちは62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません」と小学校6年生の少年・少女の声がヒロシマから世界に向けて発せられた。そして8月9日11時2分、長崎から、人類にとって都市への原爆投下は長崎で最後にしたいとの祈りが今年も世界に伝えられる。
この時期、私は日本人として、被爆体験をどう継承し、世界に核廃絶をどう訴え続けるか考えさせられる。教壇に立ち、言葉で“平和”や“戦争”を語ることが多いだけに、一層、行動が伴わないもどかしさを感じている。昨年10月に北朝鮮が核実験を実施し、核開発の権利を主張するイランが国際原子力機構(IAEA)と査察・交渉などをめぐり軋轢を生み、国連安保理からウラン濃縮活動停止を求める決議を採択されてもこれを無視し続けている状況があり、さらには日本の政治家の軽率な発言も加わり、今年は特に核兵器の意味を考えさせられた。 そうした中、2つのニュースに心を動かされた。一つはスティーヴ・オカザキ監督のドキュメンタリー作品「ホワイトライト/ブラックレイン」(原題)が8月6日、米有料ケーブルテレビHBOで全米に流されたことである。両市の被爆者や元米軍人の証言に基づいたこの作品の放映は、広島、長崎への原爆投下とはどのようなものであったのか、全米国民に伝える一つの契機となった。視聴者が、広島と長崎への原爆投下を人類の悲劇と捉え、二度と起こしてはならないとの思いを心に刻んでくれたならばと願う。 もう一つは、怒りの気持ちが湧き起こったニュースである。それは、米国が原爆傷害調査委員会(ABCC)を広島、長崎に設置し、被害状況を調査しながら被爆者への治療に当たらなかったことが明らかになったというものである。日本のメディアが米国立公文書館にある資料から、その事実を証明した。8月6日に報じられた記事では、「ABCCには日本での医療資格がない」「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」との米国関係者の報告文書を紹介していた。このブログに以前にも書いたが、この悲惨な無差別爆弾の投下は、ジュネーブ条約違反である。その行為を行った米政府が、報じられたように、被爆した市民への支援を行わなかったとすれば、その事実を現在の米国民はどのように受け止めるのだろうか。原爆投下は重要な対ロシア戦略であった、戦争被害者の更なる拡大を回避するための適切な手段であったとの見解がある。しかし、このような非人道的行為とその実態を、早い時点で米国民をはじめ世界の人々に真摯に伝えていれば、現在のように“使用可能な兵器”として核兵器が拡散しただろうか。 中東地域では“憎しみと悲しみの連鎖”が延々と続いている。今年、広島での「平和の誓い」の中で2人の子供が訴えた「連鎖を自分のところで断ち切る強さと優しさ」が本当に問われている。現在の米国の人々に、人類に対する初の原爆使用と、その後の核兵器拡散という責任を問うことには無理があるだろう。それならば、米国にはせめて、2001年9月11日以降の国際社会において、「テロに対する戦い」の中で広がっていった“憎しみと悲しみの連鎖”を断ち切るための責任ある行動を望みたいものである。 |
米国を見る目
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