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シリアでは710日の「国民対話会合」を前にした5日、政府軍が注目されていたハマ市を包囲し、同市内に軍隊を進行させた。
ハマにはイスラム主義運動のムスリム同胞団の拠点があり、1982年に故ハーフェズ・アサド前大統領(バッシャール・アサド現大統領の父)によって、同市の徹底鎮圧が行われた歴史がある。
また、71日には15万人以上が参加したと言われているデモが起きている。
 
このように、バッシャール・アサド政権が市民の抗議活動に対し強硬な姿勢で対応できる要因として、国内的には国軍(30万人)と治安関係者(65000人)の存在が挙げられる。
そして、これらの組織の結束を保つ役割を担っているのが、バアス党(25万人)というシリア最大の利権集団である。
さらに、「シャッビーハ」という武力組織も存在している。同組織は1970年台にマリク・アサド(ハーフェズ・アサドの異母兄)により組織され、密輸や麻薬取引なども行っているため、しばしば政権側との対立がうわさされてもいる。
今回の市民抗議活動で同組織が動いているとの具体的事例は報じられていないが、シリア専門家の分析では、シャビーハの存在が市民の恐怖感や軍・治安部隊の離反を防止する効果をもたらしていると評価している。
 
チュニジア、エジプト、リビア、イエメンの軍人出身の元首のもとでの長期政権においては、親族や地縁関係者が高級将校の地位に就くなどして軍と治安部隊を統率する治安機構が形成されてきた。そして冷戦後、治安機構の役割は国家を守ることよりも体制を守る方に比重が高まってきた。
崩壊したムバーラク政権では、軍人50万人、治安関係者140万人の他に公安機関があり、この公安部門が拡大していた。それが大きな雇用を生み出すことにもなっていた。その結果、公安機関は市民生活のあらゆる領域で摩擦を起し、腐敗への加担も行われていた。
その中、治安機構においても限られたエリート層以外の周辺部にいる人々の政権に対する忠誠心は薄れつつあったと見られる。
したがって、市民の不満が治安機構および権力機構に向けられると、治安機構と政治指導層の間で、また治安部隊や軍の内部でも対立が顕著になっていった。
チュニジア、エジプト、リビアにおいて、市民への発砲を迫られた軍や治安部隊の中から離反者が現れた背景には、こうしたことがあると言える。
もちろん、いずれの国においても離反者は一様ではなく、純粋に反体制運動に賛同した者もいれば、利害関係から動いた者もいる。
 
シリアの場合でも、現在までに少数ではあるが離反者が出ている。しかし、先述したシャッビーハが存在することで、離反を選択した場合「生命の危機」というリスクが大きいとの認識がシリアの人々にはある。このため、(1)軍およびバアス党員の離反者が少数にとどまっている、(2)市民活動家の中から体制寄りの運動が出てきているなど、チュニジア、エジプト、リビアなどの政治変動とは異なる現象が見られている。
シリアにおいては、現在の状況では、抵抗活動をする市民はデモをするしか手段がない。そうした市民と国際社会の人々が強い連帯意識で結ばれない限り、新たな局面は生まれにくい。
76日、アムネスティー・インターナショナルがシリアの人道状況の報告を行った上で、国連安全保障理事会に対し、シリア問題を国際刑事裁判所に付託するよう求めた。
今後、この動向に注目したい。

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