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3.11から1年を迎えて

東日本大震災から1年を迎えた。町中でも246分の黙祷が呼びかけられた。
今後、日本はどうなるのだろうか。そんな思いに駆られては不安を募らせることが多くなった。それは、首都直下型地震をはじめ地殻変動で地震が起きやすくなっているという報道が頻繁に流されるようになったからだろうか。また、3.11の地震の経験や津波の映像のインパクトがあまりにも強かったからかもしれない。
 
しかし都内で暮らす私には、東北地方をはじめ大規模に被災した地域の方々が受けられた傷の大きさははかりしれない。ただ、3.11後に青森、岩手、宮城で仕事やボランティア活動を行った者の1人として言えることは、目にした空間には映像ではとらえきれない無常感が漂っていたということだ。そして、そこには愛する者を失った人々のやり場のない悲しみや悔しさなどが織り込まれていた。
その空間で感じた、偶然生まれた「逝ってしまった者」と「生き残った者」の、「被災者」と「支援者」の間にある境の越え難い深さも、私の不安を募らせているのかもしれない。
 
1755年のリスボン大震災後、ヨーロッパでは「神(創造主)の慈悲」に対する疑念の声が上がった。東日本大震災の追悼式典でも、被災され家族を失った方が「神も仏もあるものかと思った」と語っておられた。
その言葉から、「喪失」の衝撃がいかに大きいかを改めて感じた。
人は誰もが死に向かって歩んでおり、死への恐怖から平安を求めて祈ったり、他者と寄り添い合う。しかし、生と死の境を強く認識させられる経験をした人の心には、深い孤独感が生まれるのではないかと思う。そして、その孤独感が時に、他者に近寄り難さを感じさせる。そこから真の自立心が生まれているように思う。
 
東日本大震災の復旧・復興においてのボランティア活動で、ボタンの掛け違いが指摘されることがあった。
それは時に、支援者の側が、被災者の方々との間に横たわる「境」、被災者の方々の孤独感から生まれる「自立心」に気がつかないことがあるからかもしれない。
 
先般、「東日本大震災から1年を前にして」をテーマとするシンポジウムでモデレーターを務めた。その折、被災地から離れた地域に暮している者として、今、何ができるでしょうかと質問した。被災地からお越しいただいた講師の答えは、「自分の郷土の文化を大切にし、故郷で人的ネットワークを築いてください」というものだった。
私の質問自体が、支援者の傲りを含んでいたと自戒した。
 
日本政府が、こうした被災者の方々の自立性を尊重し、特区の設置をはじめ規制を思い切って外した復旧・復興支援をすれば、効果が上がるのではないだろうか。
私たちも、被災者の方々の自立した姿をみながら、自分の人生において、時間や資金をどのように投資するかを自ら選択していく必要があるのではないだろうか。私がこのところ感じている不安は、政府や企業などに頼る気持ちから出てくるものかもしれない。
このように考えると、この国がどうなるかは、一人一人が自立してどう生きるかに関わることではないかと思えてきた。

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