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2013年は、アルジェリアでのイスラム過激派のテロ事件ではじまり、エジプトのモルシ政権の崩壊、シリア内戦の継続と軍事介入危機、イランの核開発問題の新展開、そしてレバノン、イラク、アフガニスタン、リビアで続く爆弾テロ事件と中東地域の激震が続く年でした。今年の終わりを迎えても、その揺れの収束は見えていない状況です。それにもかかわらず、ブログの執筆を随分滞らせてしまっていること御詫び申し上げます。
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さて、グローバル化が進む国際社会にあって、人々の生活環境の同質化が進み、ソーシャルメディアの発達がそれに拍車をかけている。特に若者層で意識、行動の類似性が高まっているように思う。
こうした世界潮流の中、中東地域では2010年に拙著『中東を理解する』で指摘したように、その流れに合流することに戸惑っているかに見える出来事が続いている。この現象は、今後数年間は続くのではないだろうか。
そうした懸念を抱いているからか、日本の近未来を考えた時、少なからず不安を覚える。
 
仏教をはじめ東洋思想の研究に多大な業績を残した中村元は、その著書『日本人の思惟方法』に、外来語であった漢字・漢文が日本人の思想形態に及ぼした影響について、次のように記している。
和語(日本の本来の語)は「感性的あるいは感情的な精神作用を示す語彙には豊富であるが、理知的、推理的な能動的思惟の作用を示す語彙が非常にとぼしい。」したがって、「抽象的概念を和語をもってすべて表現することはきわめて困難である。」
そのような和語を用いていた日本で抽象的概念が外から入ってきた場合、どう対処したか。日本では推古朝以来、中国の漢語二字や四字熟語などを当て、さらに近代に入り、西洋の哲学思想の導入においても和語を当てず、漢字を当てた。例えば、reasonVernunftを「理性」と訳した。
つまり、日本人は歴史的に、和語を用いた哲学的思惟訓練の機会を失い、和語による哲学概念を形成することができなかった。
 
さて、安倍晋三首相は靖国神社への参拝後の記者会見で「尊崇」という言葉を使った(その他にも漢字二字の抽象語がちりばめられている)。
多くの日本人は長い歴史の中で、漢語を用いて訳された抽象概念を自分のものとして理解することなく、あいまいなまま慣例的に使用してきたと考えられる。
そうだとすれば、その漢語を含む発言が諸外国の言葉に翻訳された時、どれだけ外国の人びとに、発言者が本来伝えたいことを分かってもらうことができるだろうか。
 
「尊」の文字は「酒を神にささげる様」を示し、そこから「たっとぶ」の意が導かれ、また「崇」は「山」と「宗」から成り、山の高大な様から「あがめる」「たっとぶ」の意が導かれている。
そうなると、安倍首相が語った「尊崇の念」は、戦死者を「神」として捉え、それをあがめるという気持ちを示していると考えられる。確かに、日本には先祖を守護神と考え、あがめる伝統がある。
一方、安倍首相は、戦死者を「神」と考えたわけではなく、国家のために戦い尊い命を失った人々に「感謝」の気持ちを現したのかもしれない。
このようにどちらとも受け取れる「尊崇」という抽象語を用いて国際社会にメッセージを発信したとすれば、とりわけ一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム)の人々には理解しにくい内容になってしまったのではないだろうか。
 
今回の靖国神社訪問に関する一連の安倍首相の言動は、合理性よりも「精神的雰囲気」が勝った意思決定のようにも思える。そうだとすれば、中村元が指摘した、日本人の歴史的な特性の発現である。
しかし、すでに多くのニュースで伝えられているように、合理性の高い社会で育った外国の人々は、戦犯とされた人々も合祀されている宗教施設への参拝は奇異に映る。その結果、海外の政府やマスメディアから「不信感」が伝えられている。
意図的に「尊崇」という言葉を使い、国内に向けては「神をあがめる」気持ちを伝え(それによってナショナリズムを煽り)、国外向けには戦死者への感謝だと伝えたのではとさえ疑われかねない。
 
今日、国際社会では「多文化共生」ということが言われている。また、外交ではソフト・パワーとして自文化の発信力が注目されている。
哲学的思惟訓練の機会を逸してきた日本人が、価値観の「違いを違い」として理解し、合理性を前提に協調・協働するグローバル人材を育てることが、どの程度できるだろうか。
一方、グローバル化の中で、豊富な感性的あるいは感情的な精神作用を持つ和語を用いてきた日本人のものの見方が継承されないということが起きないだろうか。
 
欧米的な合理主義の思考が世界潮流の根底にはある。その流れの中で変化していく社会環境と世界の人々の意識を結ぶ道具として、高度通信・情報技術や高度交通システムが発達してきた。国際法や制度も創生されている。
合理主義的思考が主流ではない異なる文化を持つ国でも、その潮流をうまく利用しているところもある。一方で、潮流と自国文化がぶつかり激しい渦が生じているところもある。
中東のイスラム世界は後者だろう。
また、第2近代化が進んだ国でも、個人化やリスク社会に関する認識が不十分なまま、グローバル化の波を受け続けた場合、個人、企業、国家レベルで、国際レベルの秩序との間の混乱が起きる。
その結果、内集団の狭い価値観では許容されている言動が、国際社会のさまざまな価値観と頻繁に摩擦を起こすことになる。
今年、シリア問題で見せたオバマ大統領の政策決定の過程はその一例といえる。また、今回の安倍首相の靖国神社参拝をめぐる出来事もそうだろう。
 
「国益」の主張が目についた2013年の終わりに、日本人として百八つの鐘の音を聞きながら、シリアをはじめ紛争の中に生きる人々のことを思い浮かべ、欧米的な価値観ともいわれる「人権」について考えたい。
 

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