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2016322日、ベルギーのブリュッセルの空港と地下鉄でテロ事件が起きた。
捜査が進むうち、その犯行グループと201511月のパリでのテロ事件との結びつきが浮かび上がってきた。
米国やアラブのメディアなどで、EU内に複数の「イスラム国」(IS)の戦闘員グループが送り込まれていると報じている。
今回のテロ事件についてメディアでは、
(1)なぜテロ事件を防ぐことができなかったのか
(2)日本で同様のテロ事件は起きるか
(3)今後、国際社会は国際テロ犯にどのように対応するのか
などが提示され、様々な意見が報じられている。
同じような問いが議論されたことがある。
2001911日の米同時多発テロ後のことである。
しかし、問いは同じでも答えは次のような観点から異なってくるだろう。
(1)EU諸国の多くで「補完性の原理」を尊重した地方分権体制がとられていること
(2)ソーシャルネットワークシステム(SNS)や、交通システムの発達によりネットワークの形成がより容易になったこと
(3)アルカイダと異なりISが領域統治をしていること

■テロ事件の主体?
イスラム過激派のテロに関して、犯行主体を「イスラム国」(IS)かアルカイダか、と二つに分類し分析すると見えなくなるものがある。
それは、マドリード列車テロ事件(20043月)、ロンドン同時多発テロ事件(20057月)など、ヨーロッパでのイスラム過激派武装グループによる事件で表面化した、ヨーロッパ社会におけるイスラム過激思想家の政治運動である。
例えば、ベルギーからは人口比でEU最多の戦闘員(350400人)がシリアにわたっているといわれている。
こうしたベルギーからのシリアへの流入に深くかかわってきたのが、「ベルギーにイスラム法を」(Sharia4Belgium)という組織であり、その創設者の一人がフォアド・ベルカセムである。
201511月のパリとブリュッセルのテロ事件で注目されたベルギーのモレンベーク地区では、モスクの指導者の半数近くがフランス語を離せないという環境である。
その中でベルカセムは、個人の住宅での会合や路上で「街の言葉」を使って、同組織への勧誘を行ったといわれている。
ベルカセム自身は20126月に逮捕され、同年10月に同組織も解散した。
その後、ベルカセムは20152月の裁判で懲役12年の刑が決定した。
その罪はシリアに多くの戦闘員を送り込んだテロ支援罪である。
ベルカセムの逮捕後もシリアへの人の流れは止まらず、201213年の間は月間1012人、2015年夏ごろで月間5人がシリアに向かったとの報道もある。
この「ベルギーにイスラム法を」が2011年からシリアに人を送り込むきっかけは、ベルカセムがロンドンに訪問し、「イギリスにイスラム法を」の創設者アンジェム・チョードリー容疑者からアドバイスを受けたことであると見られている。
同容疑者はベルカセムを、当時イギリスにいたシリア出身のイスラム過激派法学者オマル・バクリ・ムハンマド容疑者(2015年にレバノンでテロ支援容疑により逮捕)と引き合わせたという。
ISの成立前からシリアに向かったEUにおけるイスラム移民の若者たちは、社会の周辺部にいた逸脱者、孤立した者が少なくなかったと見られている。
組織に勧誘された彼らは、イスラム教徒としての帰属意識を強めていった。
その中には、アラウィー派(シーア派)を中心とする世俗性が強いバアス党のアサド政権に対抗するスンニー派の人びとへの共感から、ある種の使命感をもってシリアに渡った者もいたと考えられる。
つまり、シリア帰り=IS戦闘員とは断定できず、シリア帰りも含めたサラフィー主義者(純粋イスラム主義)ネットワークが、つなぎ役を介して、時にジハード主義(聖戦主義)のISやアルカイダの関係者と結びつきテロを行うこともあると見た方がよい。
例えば、パリのシャルリー・エブド・テロ事件のように「アラビア半島のアルカイダ」接触者とIS接触者が共謀した事件も起きている。
つなぎ役となる人物は、ヨーロッパ、北アフリカ、中東など各国におり、法学者、リクルーター、戦闘員などレベルもさまざまのようである。
そして、そのつなぎ役は、麻薬や武器などの密輸といった犯罪組織ともしばしば結びついているようである。
このため、治安機関の監視範囲は広がり、テロ防止にはより労力が必要となっている。

■テロ事件とEUの「補完性の原理」
テロ事件を防ぐことの難しさは、EUの地方自治の保障のための原則といわれている「補完性の原理」(the principle of subsidiarity)も要因の一つといえるだろう。
「補完性の原理」はヨーロッパ史からみて社会秩序づくりの基本原則ともいえるもので、EUの基本条約を修正したリスボン条約(200912月発行)の前文、第1条、第53項で言及されている。
同原則は、意思決定はできる限り、個人、個々の市民に近いところで行われるべきというもので、下位にある社会単位の決定の方が優先されることになる。
したがって、中央集権型のトップダウンではなくボトム・アップの行政システムとなる。
「補完性の原理」は19856月の欧州地方自治憲章、19936月の「世界地方自治宣言」に謳われ、集権的行政システムがとられていたベルギー、イタリアは2001年、フランスは2003年に憲法改正を行って、同原理を取り入れている。
ベルギーは2001年に5度にわたる憲法改正を経て連邦制に移行した。
連邦政府の権限は国全体の利益に関するもので、外交、国防、社会保障、公衆衛生、治安維持などである。
一方、ベルギー憲法では、住民に近接する基礎自治体(コミューン)は連邦政府、地域政府、共同体政府の決定に抵触しない範囲において決定する権限を有しており、自治体警察、教育、社会福祉などの施策を担うことになっている。
ただし、上位の行政機関は法律や福祉が損なわれないための措置がとれるよう後見監督権を有している。
201511月のパリでのテロ、今回のブリュッセルでのテロ事件で「テロリストの温床」とまでいわれたモレンベークでは、住民とニューカマーである外国移民との間の溝が深く、「共助」「公助」が十分機能しない状況にある。
また、コミューンの歳入(税収、交付金・補助金、その他)の中で大きな割合を占める税収が上がらず、自治体警察の人員が削減されるなど公共サービスが不十分となっているコミューンもある。
モレンベークはその一つである。
ベルギーのテロ対策について、日本の警察と比較して広域捜査や情報共有に問題があるとの指摘や、米国が2001年の9.11のテロ後45日間で米国愛国者法を制定し、200211月には22の組織を統合して国家安全保障省を設置したこととの差についてマスメディアで報じられている。
しかし、こうした指摘においては、上記のような行政システム、さらにいえば、個人の尊厳についての考え方、国家の成立過程において中央と地方との関係が、日本とも米国とも異なっていることを踏まえなければならないだろう。

■「アフガン帰り」と「シリア帰り」
1979年にアフガニスタンにソ連が侵入した際、イスラム教徒の国に侵略した共産主義者に対し武装抵抗運動を行うため、各国からイスラム教徒が義勇兵として同国に集まった。
その聖戦(ジハード)の中からアルカイダ(基地という意味)が生まれ、「アフガン帰り」と呼ばれる高い戦闘能力を持ったイスラム過激派による政治活動も活発化した。
そのようなイスラム過激派が反政府運動に加わり武装闘争へと展開していった事例として、1991年から約10年にわたり続いたアルジェリア内戦が挙げられる。
この構図を現代に当てはめてみると、シリア内戦で戦闘能力を高めたイスラム過激派グループが、EU諸国内で周辺におかれたままのイスラム移民社会のために聖戦としてのテロ攻撃(武装闘争)を行っているといえる。
アルジェリア内戦との違いがあるとすれば、そこにはISとのネットワークがつくられている点だろうか。
こうした観点から分析すれば、EU諸国でのテロ事件を防ぐためには、各国の情報交換や資金対策の協力強化、ISに対する軍事行動とあわせて、シリア内戦の終結が必要条件であることがみえてくる。
しかも、その終結の仕方は「シリア帰り」、EU内のイスラム過激主義者の「ある種の使命感」に配慮したものでなければならないといえそうである。
それは、長く時間を要する、難民受け入れ問題の解決や地域社会の多文化共生の見直しなどと組み合わせて行わねばならないものである。

なお、2001年当時のテロへの対応については、水口章2006「特別講演 国際介入と国際法――対テロ戦争の実態より」『法政論叢』42(2)、また、ISに関する学生の認識については、水口2015「今の日本の大学生と中東・イスラーム認識」『じっきょう地理・公民科資料』80もご参照いただければ幸いです。


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