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2015年1月20日、「イスラム国」組織が、後藤氏と湯川氏の身柄を拘束しているとしてビデオ声明を立ち上げた。
それから13日間に及ぶ日本政府の苦悩の対応がはじまった。
結果として、日本政府は邦人人質を解放することができず、大変残念ながら、2人の邦人は殺害された。
今回の問題に関し、私は前職の中東調査会(外務省主管の公益法人)勤務時代とは異なり、一個人が入手できる限りの新聞、テレビ、インターネット上の公開情報のみで情勢分析を行った。
そのこともあり、大きな誤認や混乱もあった。
そこで、自戒を込めて、以下に今回の出来事についての自分自身の分析を振り返ってみる。
■ 初期段階:総理の中東訪問と「イスラム国」組織の目的の関係性についての誤認
今年1月に安倍首相が訪問した中東諸国は、中東和平関係国であり、日本のエネルギー安全保障と直接関係する国ではない。
また、およそ40人の財界人が同行していた。
これらの点から、その主な目的はイスラエルとの経済関係強化であると分析していた。
その分析は、(1)中国がイスラエルのハイテク技術を軍事・民生で活用するため、同国との関係強化を図っていること、(2)安倍政権が「武器輸出三原則」を見直し、軍事関係産業の活性化をはかっていることを根拠としていた。
さらに、イスラエル訪問は、現政権の「慰安婦問題」への対応に批判的な在米ユダヤ人組織への友好を示すメッセージにしたいとの考えもあったと分析した。
こうした目的での今回の中東訪問の政策選択は国益の観点から評価できる。
一方、タイミング、イスラエルとの経済関係強化の広報という政策実施方法については、私個人として漠然と懸念していた。
1月20日、安倍首相のイスラエル訪問時に「イスラム国」組織のメッセージが出された。私は「エルサレムを占領するイスラエル、それとの関係強化をはかる日本」への反発ではないかとの第一印象を持った。
※ その後、イスラム国の人質解放条件が、2億ドルの身代金からリシャウィ死刑囚との人質交換へと変わったことから、イスラエルに対する反発が第一次的なメッセージではないと、自分自身の認識を修正した。
■ 第1段階:人質解放交渉の主体の確認
2人の日本人の解放条件として2億ドルの身代金を要求されたことについて、日本政府は誰と交渉するのか、交渉の枠組・手順はどのように合意できるかについて考えた。
その時点では、「イスラム国」組織がご家族に直接、身代金要求をしていた経緯を知らず、公開情報から、過去の「イスラム国」組織関連の人質事件を掘り起こしていた。
この段階では、同組織の目的は、(1)お金、(2)国際社会への存在感を示す、(3)日本の政策変更だと考えていた。
また、交渉の主体は、日本と「イスラム国」組織であると考えていた。
そして、交渉次第ではフランスやスペインの事例のように、人質の解放は可能であると認識していた。
■ 第2段階−1:第2メッセージとリシャウィ死刑囚の釈放要求
第1メッセージから第2メッセージの間の4日間、インターネット上から情報収集で作成している日誌・資料を、「イスラム国」組織設立宣言時点から読み返した。
その中で、イスラム国に関するal-Hayat紙の記事に興味深いものが多数あることに気づいた。
例えば、2014年11月14日付の記事は、バグダディ指導者がエジプト、イエメン、サウジアラビア、リビア、アルジェリアが「イスラム国」組織の州になったと宣言したことを紹介している。
そして、同記事は、この宣言が「空爆による無視できない影響から注意を逸らすことを目的とした」との分析を載せていた。
この記事から、「イスラム国」組織にとって、有志連合の空爆を止めることは優先度が高い問題だろうと考え始めた。
しかし、「イスラム国」組織がどのようにしてその問題を解こうとしているかについては思い浮かばなかった。
そして、リシャウィ死刑囚の釈放要求というメッセージが出された。
再度、中東日誌・資料を読み返すと、2014年12月24日に、墜落したヨルダンのパイロットとリシャウィ死刑囚およびジャド・カルブリ死刑囚の交換という要求が「イスラム国」組織側から提案されているとの記事に目が留まった。
さらに、1月8日付al-Hayat紙は、ヨルダンの治安機関が仲介者を通じてイスラム国に書簡を送ったことを報じていた。
また、ヨルダン側はパイロットの解放のために必要な身代金の金額について回答を求め交渉していること、1月7日に「イスラム国」組織が「イスラム教徒からパイロットの家族へのメッセージ」と題した動画を送りつけていること、その動画にはラッカ出身の複数の人びとがパイロットを「背教者」として処刑することを求める姿が収録されていることを確認した。
この記事から、人質交渉の本流は、ヨルダンと「イスラム国」組織の間のパイロットと死刑囚たちの交換であり、邦人人質は、日本政府がヨルダン政府に対し死刑囚の釈放を働きかけることを促すためのものではないかと考えるようになった。
そこで、リシャウィ死刑囚とジャド・カルブリ死刑囚について調べ、両者の出身部族はドレイミ部族である点、バグダディの妻の一人もこの部族出身であることを確認した。
また、メディアでは2名の死刑囚とイラクの聖戦アルカイダの指導者である故ザルカウィの関係が報じられていた。
このザルカウィはヨルダン人で、その出身部族はバニーハサン部族である。
そして、その活動目的の一つに、ヨルダン王制の打倒を掲げていた。
このバニーハサン部族であるが、調べるうちに、現在、ヨルダン王家と土地の所有権問題から、同王家に対する強力な反対勢力となっていることが分かった。
ここまで確認した時点で、「イスラム国」組織は人質交渉で、死刑囚の釈放を重視していることについて再検討することにした。
また、仮にパイロットが死亡していたとすれば、「イスラム国」組織の交渉目的は何かについても検討すべきと考えた。
そのため、再び手元の中東日誌・資料から、ヨルダンと「イスラム国」組織との関係の動向を振り返った。
■ 第2段階−2:ヨルダンと「イスラム国」組織
ヨルダンの「イスラム国」組織に対する動きを日誌・資料から分析する試みの中で、同国と他のアラブ諸国とが異なる3点を確認した。
それは、(1)「イスラム国」組織内のスンニー派部族に対し「イスラム国」組織と一線を画するように働きかけていること(2014年12月22日)、(2)空爆の実施、(3)対「イスラム国」組織の戦闘員の訓練所の開設を予定していることである。
これに加え、ヨルダンは、イスラエルと和平条約を締結していること、2011年の「アラブの春」の影響で、同年10月に国王の権力を弱める方向で憲法改正を行っていることを確認した。
さらに「イスラム国」組織にとって、ヨルダンは直接、交戦している国である。
これらのことから同組織は、ヨルダンの対外政策の変更を迫ること、体制打倒を目指すだろうと考え分析を進めた。
そして、同組織は、ヨルダンの(1)空爆阻止(パイロットが人質になって以降、空爆には不参加)、(2)有志連合からの撤退、(3)王政打倒、および(4)ヨルダンを領土支配することという計画を立案しているのではないかとの結論を導き出した。
それを裏付けるように、ヨルダン国内では、空爆の中止や有志連合からの離脱を求める国民の動きが活発化した。
■ 第3段階:第3メッセージとリシャウィ死刑囚の釈放要求
3番目のメッセージを見たとき、「イスラム国」組織がヨルダン領支配を視野に入れ、ヨルダンに揺さぶりをかけることと、リシャウィ釈放要求とが結びつかないのではないかとの疑問を感じた。
そこで、「イスラム国」組織に関する主要人物を公開資料で当ってみた。
すると、同組織内には、親ザルカウィ・グループとそうでないグループがあるらしいこと、カリフを名乗るバグダディが必ずしも親ザルカウィ・グループではないらしいことが浮き出てきた。
また、バーレーン出身の若き宗教指導者アル・ビナリ師に代表される若者層と中高齢の権威ある指導者層の間に世代間ギャップ、路線闘争が存在することも分かってきた。
これらのことを念頭に、同組織の内部対立と人質問題との関係について分析した。
その結果、同組織のシリア側関係者はヨルダンに揺さぶりをかけることを、イラク側関係者はドレイミ部族との関係強化のためにリシャウィ死刑囚釈放を主張し、内部で意見の対立があるのではないかと分析した。
その根拠の一つとして、「イスラム国」組織の二つの都市、シリア側のラッカとイラク側のモスルとでは有志連合との戦いの緊迫感が異なっていることが挙げられる。
■ 第4段階:第4メッセージと交渉
第3のメッセージで、「イスラム国」組織は24時間以内のリシャウィ死刑囚の解放を求めていた。
1月28日付al-Hayat紙は、ヨルダン情報筋の話として、ヨルダン政府がドレイミ部族の長老の一人を仲介に身柄交渉をしており、引き渡しの可能性があると報じている。
しかし、この交渉は、2月1日に後藤さんの殺害映像が公開されることで終わりを迎えた。
そして、2月3日には、23分近くにわたるパイロット殺害の映像が公開された。
ヨルダン政府は、このパイロットの殺害は1か月前の1月3日だと言及した。
以前から、年末か年始にパイロット救出作戦が米国主導で実施されたが失敗に終わったとの情報が流れていた。
この情報の真偽、正確な実施時期、パイロット殺害との関係についてはいまだ不明である。
■ 分析方法について
概ね以上のような流れで、今回の出来事の分析を行ってきた。
一個人が時間の合間を縫って収集した範囲でも、積み上がっていく資料の山を改めて眺め、この13日間の情報量がいかに多かったかが分かる。
振り返ってみて、自らの分析に関する問題を2点指摘する。
第1は、ケネス・ウォルツが対外政策分析で示している三つの分析レベルを区別した分析ができなかったことである。
ウォルツは、個人(第1イメージ)、国家(第2イメージ)、国際システム(第3イメージ)に大別することを提示した。
「イスラム国」組織は、国家ではなく組織であるため、この分類では捉えることができない。
また、外交には、対外政策と、その実施にあたる対外交渉がある。
この外交交渉において、同組織の意思決定者が誰であるのかが不明である。
第2点目は、パットナムの「トゥーレベル・ゲームモデル」(国際政治と国内政治が連動し、意思決定や外交交渉がなされる)という観点での分析では、ヨルダンのアブドゥッラー国王の政策選択に際しての国内政治に関する分析で、部族と国王との「絆」を過大評価し、国内政治が政策選択に与える比重を軽視した。
これにより、同国王の交渉範囲が狭められていることを見極めきれなかったことが反省される。
■ 外交の3要素と政策形成
外交は、「国益」「国際協調」「人間の尊厳」の三つの基本要素のバランスから成っていると見ることができる。
この三つの要素を、どのような優先順位で考えるかによって、その政権の政策の特色が現れる。
例えば、福田赳夫政権はダッカの人質事件の際、三つの要素の優先順位を「人間の尊厳」「国際協調」「国益」として、収監していた日本赤軍の釈放という政策決定を行った。
また、小泉政権のイラクへの自衛隊派遣においては、「国際協調」「人間の尊厳」「国益」の順で政策選択がなされたといえるだろう。
では、今回の邦人人質問題での安倍政権はどうだろうか。
おそらく、現時点での分析では、その優先順位は「国益」「国際協調」「人間の尊厳」であったと考えられる。
今回の中東訪問でも、40社のビジネスマンを引き連れてトップセールスが重要目的であったといえるだろう。
さらに、今年初めのパリのテロ事件直後ということもあり、テロ包囲網が国際的に強化される中、日本の国際協調姿勢をアピールする狙いもあっただろう。
したがって、人道支援に関する発言も政治色が強いものになってしまったと考えられる。
政策形成において、三つのうちどの要素を優先するかは、状況によって変わるものであり、どれが最良であるとは一概に言えない。
ただ、言えることは、決定された政策を実施するにあたり、手順とタイミングを間違えると、どの組み合わせにおいても成果を上げることができないということである。
■ 終わりに
今後も「イスラム国」組織と国際社会の闘いは続く。
同組織は、イスラムが内包してきた家族愛や郷土愛といった要素を切り捨て、個人化が進んだ個が、ある意味で純粋なイデオロギーに引き寄せられて形成されたコミュニティへと変質しているといえる。
そのコミュニティと地域に根差して生きる部族、民族の人びとの生活は必ずしもフィットする者ではない。
今後、時間の経過とともに、組織内外からの反発は強まるだろう。
そうなると、「イスラム国」組織の指導者層はこれまで以上に外部の賛同者からの支持を得ようとするだろう。
それが国際社会においてテロの連鎖を引き起こす可能性は十分あり得ると考える。
大量かつスピーディーな人、物、金の移動、溢れる情報など国境を超えた活動が当たり前となっているグローバル社会において、テロ事件に巻き込まれるリスクは誰にとっても高まっている。
自分で自分の身を守るという意識を持ち、そのために必要な知識の収集、準備を一人ひとりが行わなくてはならない。
(それは、2011年の3.11の際、日本人が自然災害から得た教訓と同じである。)
一方、政府には可能な限り、テロを避けるために必要な情報やノウハウを国民に開示することが求められる。
今回の邦人人質問題は、「イスラム国」組織が日本は「敵側の国」だと国際社会に向けて明言したことで、テロ事件はどこか遠いところの話だと思っていた日本人の中に、いつ、どこで標的にされるかわからないという恐怖の感情を芽生えさせた。
そして今、特定秘密法案の成立、集団的自衛権の新解釈が行われてきた本当の意味に気づいた。
国際社会の中で、日本は「平和主義」を憲法に掲げている稀なる国家である。
それが今、欧米諸国と同様の「普通の国」として報復の連鎖や武力による解決の試みという争いの渦の中に一歩一歩向かっている感がある。
後藤さん、湯川さんの死を無駄にしないためにも、日本が戦争の出来る国へと向かわない方途を日本人一人ひとりが考え抜き、政策選択に参加する必要がある。
例えば、湾岸戦争後に議論のあった「国際協力庁」の設置を再度検討してもよいのではないだろうか。
1月24日、広島の平和記念公園に立ち、人質の無事の解放を願った。
そして「これは僕らの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和を築くための」という言葉の重みを感じた。
どのような方法で平和を築く試みに参加するのが日本のとるべき道か、と問いかけられているように思った。
今回、いろいろなメディアの皆様と、後藤さん、湯川さんの解放を願いつつ、そして、過激派武装勢力の犠牲になってきた人びとに思いを馳せながら、報道の場に立たせていただきました。
ほんとうに、ほんとうに感謝申し上げます。
メディアのご関係者の皆様の伝えるべきことを伝えようとする真摯な姿勢に感銘を受けました。
とりわけ、番組内容を繰り返し協議し、見直しを重ねていらした様子を身近で何度か拝見した「あさチャン!」の皆様の熱情に触れ、私もシリア難民の人びとのために行動しなければと思った次第です。
そして、皆様とともに、後藤さんをはじめ犠牲になったジャーナリストの方々の思いを、それぞれの形で示していければよいと思っております。
(2015年2月6日記)
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先般、「リスク社会論」で知られる社会学者のウルリッヒ・ペッグが死去した。
ペッグは富の生産にともない、生産されるリスクが許容限度を超えると、それが社会紛争の発生源になると指摘している。
<個人化とグローバル化がもたらすもの>
フランス社会におけるアラブ系イスラム移民は、第二次世界大戦後の同国の労働力不足を補い、経済を成長させる上で必要な存在であった。
しかし、低迷する経済下、フランス社会にとってのリスクとなっている。
1月7日の「シャルリ・エブド」紙への襲撃事件は、その一つの現われとなった。
ベッグが生きていたらどのようなコメントをしただろうか。
近代化の中で、技術が進歩し、生活が豊かになり、社会の自由度が増すことで個人化が進んでいる。
その一方、集団から離れることで個人の負担は増す。
この負担に耐えられる個人能力(人的資本、社会資本、文化資本など)を持っている者は、グローバル化が進み不確実性が増す社会でも成功を手にする機会に恵まれる。
しかし、「シャルリ・エフド」紙を襲撃したクアシ兄弟のように、移民で両親を亡くした者にとって、その人生は厳しいものであっただろう。
一般的に、人は自分自身を守るために集団への帰属を強めようとする。
その集団は、時にナショナリズム色の濃い集団であったり、宗教集団、武装集団であったりする。
クアシ兄弟の場合、それはモスクを中心としたイスラムの集団であった。
そして問題は、時と空間にあった。
時とは、2001年9月11日の米同時多発テロ後の「反テロ戦争」が現在も続いていることである。
また、空間とはパリのイスラム過激思想を有する礼拝導師がいるモスクに彼らが関係していたことである。
さらに、弟のシャリフは収監中の2005年から2008年にジハーディストとの出会いがある。
この欧米社会とイスラム過激派との対立の下、2人は帰属するイスラム集団の中で、確信的にイスラムの価値意識を強めていったと考えられる。
<イスラム・ネットワーク>
今回の事件での注目点の一つは武器の入手ルートである。また、2人の犯行とその背後にある組織の関係である。
「ホームグロウンテロ」(自国民テロ)を強調する解説もある。
一方、犯行時に犯人が「アルカイダだ」との言葉を発していたとの報道もある。
そこで、容疑者をめぐるイスラム・ネットワークについて、少し整理してみる。
第1が、兄のサイドに関する報道からは「アラビア半島のアルカイダ」がある。
この組織で注目すべきは米国人のアウラキの存在である。
アウラキはオバマ大統領の指示により、イエメンで無人機によって殺害された。
イエメンで米国人を殺害するというこのオペレーションについては、一時、米国内でも批判が出た。
オバマ大統領は、なぜ、違法とも思われる軍事措置をとったのだろうか。
それは、アウラキが米国にいる間から若者たちにイスラム過激思想を広め、テロ訓練キャンプに送り込んでいたからである。
さらに、アウラキはイエメンにわたってからも英語版の雑誌「インスパイア」(電子版)を発行し、欧米のイスラム教徒に影響を与え続けていた。
1月8日付「ニューヨークタイムズ」紙でも、2013年5月に「インスパイア」で、「シャルリ・エブド」紙の編集長などを名指し、暗殺するよう呼びかけていたことが紹介されている。
兄は2011年、このイエメンで銃撃訓練などを受けていたとの報道がある。
第2のネットワークは、弟とチュニジア系フランス人ハキムの関係である。ブーバケ・ハキムは北アフリカのイスラム過激派とヨーロッパの若いイスラム過激派のネットワークを構築してきた人物だと分析されている。
ハキムは2013年2月にチュニジアで野党の指導者シュクリー・ベライド氏を殺害したとされ、現在はシリアまたはイラクでイスラム国に参加していると見られている。
北アフリカ諸国(マグレブ諸国)のイスラム国への参加者は、チュニジア3000人、モロッコ1500人、リビア600人、アルジェリア200人に上るといわれている。
これらのネットワークが事実だとすると、パリ19区の過激派モスク(8年前に閉鎖されたと報じられている)の役割が注目される。
そこに集まっていた若者たちは「ビュット・ショーモン」ネットワーックと呼ばれている。
「アラビア半島のアルカイダ」と、ハキムが関係していたと思われる北アフリカのイスラム過激派を結ぶ組織があるとすれば、それは、「ホラサン」グループではないかと考えられる。
ホラサンはアフガニスタンやパキスタンでの戦闘経験がある少数の精鋭からなるアルカイダの一つのグループである。
同グループの指導者ハドリは、ビンラディンの側近であった人物で、広い人脈を持つ。
ホラサンは、ザワヒリの命でシリアに入り、活動を行っている。
2014年9月23日、アメリカは、このグループはイスラム国よりも脅威だとしてシリアへの初の空爆で標的の一つとし、その後も、攻撃を続けている。
1月8日、イギリスのアンドルー・パーカー情報局保安部長官(MI5)は、シリアのアルカイダの中心的グループが欧米を標的にテロを計画していると警告を発している。
そして「各国と協力して最大限の努力をしている。すべてを阻止する望みはないことは分かっている」と語っている。
クアシ容疑者によるフランスでのテロ事件は、MI5が指摘するテロ計画の一部なのか、アルカイダの呼びかけやイスラム国への同調なのか、現時点で分析することは難しい。
しかし、フランスをはじめヨーロッパでイスラム関係への攻撃や、イスラム移民排斥運動が高まり、イスラム教徒の被害者が出る事件が発生すれば、事態は一気に悪化する恐れがある。
すでに、反イスラムデモやモスクに火炎瓶が投げ込まれる事件などが発生している。
中東地域の不安定さが、欧米各地にリスク連鎖をもたらしつつあるとすれば、現在守勢に立ちつつあるイスラム国や、弱体化しているアルカイダが望んでいる構図だろう。
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<イスラム国の今後>
シリアとイラクにまたがる「イスラム国」(IS)の支配領域は、イスラエルの国土面積を超えるまでに拡大したと見られている。
また、この非国家主体の組織は、税の徴収や服装規制を行う一方、住民への食糧や医薬品などを配付するなど行政機能を果たしはじめている。
しかし、ISがとっている領域支配という戦略は、外国人義勇兵を集めやすい反面、軍事的な攻撃を受けやすい。
さらに、組織的統治を行うと、時間の経過とともに組織内で利害対立が生じる蓋然性が高くなる。
こうしたことを踏まえて、以下に、今後のISのシナリオを整理してみる。
■ 組織の消滅のシナリオ
1.指導者バグダディーの死亡により内部から崩壊。
2.外国人義勇兵と住民の対立から内部分裂。
3.欧米を中心に形成された有志連合がISを攻撃、ISは軍事的に崩壊。
■ 組織の存続のシナリオ
4.有志連合が形成されず、米軍による空爆で、現状が維持。
5.有志連合との戦闘でISの支配領域は縮小するが、組織は残る。
6.地上戦で成果を上げられない有志連合が空爆で現在の防衛ラインの維持を図る戦術を取り、現状のまま戦闘が長期化
6月21日、ヘーゲル米国防長官は記者会見で「イラクでの米軍の関与は終わっていない」と語った。
この発言からも伺われるように、米国をはじめ国際社会は、単にISの勢いを失速させるだけでは、国際社会にとっての脅威はなくならないと認識しはじめているようだ。
<国際社会の対応>
ISの勢力拡大にともない、その支配領域から脱出するヤジディ教徒やキリスト教徒、さらにはイスラム教徒が続出している。
この状況に対応するため、8月8日、オバマ政権はヤジディ教徒の救援と北部アルビルの米国人の保護を目的に、ISの武装勢力への空爆をはじめた(*5)。
また、同月15日には、EU外相会議がイラク政府への支援を表明し、武器供与の具体策は「加盟国政府の判断」とした。
すでに13日にフランスがクルド人部隊への武器供与を決定しており、20日には、これまで紛争地への殺傷兵器の供給を禁止していたドイツも政策転換を表明し、供与することを決めた。
政治的にも国連安保理が15日、ISへの資金の流入、および、外国人戦闘員の流入防止を求める決議案を全会一致で採択している。
こうして、国際社会ではISが脅威であるとの認識が共有されつつある。
さらに、フランスや米国は対応策を検討する国際会議の開催を計画している(*6)。
<イラク、シリアの対応>
イラクでは8月14日、国内外から退陣を求められていたマリキ首相が辞任を表明、アバディ第1副議長のもとで挙国一致内閣の編成作業に入った。
また軍事面では、イラク中部のアンバル県では、スンニー派の25の有力部族がイスラム国の掃討を目的に政府軍に協力することで合意した。
そして、米軍の空爆の継続とクルド人部隊の装備が強化されたことにより、ISにより制圧された地域の奪還が図られている。
その一方、8月22日にディヤラ県で武装集団によりスンニー派のモスクが襲撃され、70名以上が死亡する事件が発生している。
同事件はシーア派によるものと見られており、スンニー派との間で対立が再燃すれば、イラク市民の統一的対応が求められるISとの戦いの障害となるだろう。
今のところ、ISとの戦いは、仮に米軍をはじめとする有志連合が形成されたとしても、同部隊が地上戦に参加することは望めないとの見方が大勢である。
したがって、大規模な対IS掃討作戦の実施は困難であり、局地戦のまま、戦闘が長期化する蓋然性が高いといえる。
一方、シリアでは内戦が継続し、死者数は19万人を超えている(2011年3月から本年4月まで)(*7)。
この内戦では、アサド政権、自由シリア軍などの反体制派、IS、クルドの主要4勢力の間の抗争が展開されている。
本年7月には、東部デリゾール県でのISの動きが活発化し、同県のほぼ全域を掌握した。
また8月に入り、ISがイラクでの戦闘により武器を獲得したことで、シリアでも勢力を強めている。
こうしたISの動きに対応して、8月17日、アサド政権は東部のラッカ周辺のISへの空爆を実施した。
ISの勢いが増している要因としては、兵員の増強も挙げられる。
「シリア人権監視団」によると、ISの戦闘員はシリアだけでも5万人(うち2万人は外国人)を数える。
さらに7月には6000人以上(うち1000人強が外国人)が戦闘員に加わったと報じられている。
この増加分には反体制派の武装勢力の離反者が含まれていると見られており、シリアにおけるISの勢力は着実に拡大している。
<当面の問題>
国際社会が抱えている当面の問題の一つは、シリア領内のISへの対応である。
ヘーゲル米国防長官は8月21日の会見で、イスラム国の脅威に対し「あらゆる事態に備える必要がある」と述べた。
また同日、米国のデンプシー統合参謀本部議長は、「シリア国内でもさまざまな対処をする必要がある」として、シリア領内での空爆にも言及した。
シリアでの空爆実施について、アサド政権やISによる人権侵害から一般市民を救うためには、地理的境界をあまり制限する必要がないとの考え方もできるだろう。
一方、米国の一部の研究者やイギリスの元軍関係者から、アサド政権との連携を模索すべきとの意見も出ている。
しかし、アサド政権との連携は、ランド研究所のウィリアム・ヤング研究員が指摘するように、ISへのイスラム教徒の参加に火をつける蓋然性が高い(*8)。
もう一つの問題として、外国人義勇兵のISへの参加問題がある。
同問題は、米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏がロンドン訛りの人物に殺害されたことで改めてクローズ・アップされた。
この問題は、エドワード・スノーデン氏が米国やイギリスの情報活動の実態を暴露した事とも関係している。
つまり、同氏の事件により、欧米諸国やアラブ諸国での治安当局の情報収集能力が低下し、イスラム過激派のネット上での広報・募集活動が以前よりも活発化していると見られるのである。
ISの戦闘に参加する外国人義勇兵の増加は、イラク、シリアでの戦闘の活発化だけでなく、戦闘経験者が帰国後に母国での反政府テロ活動を行う蓋然性が高まることにもなる。
ISの脅威の背景には、欧米社会におけるイスラム移民が抱える社会問題、アラブ諸国における富の格差の問題などがあると考えられる。
イスラムの「公平」「公正」の実現を求め、急進的な考えに染まる若者は今後も後を絶たないだろう。
したがって、ISに対する国際協調政策の形成の必要性、緊急性は高いといえる。
それとともに、9.11米同時多発テロ以来、指摘され続けてきたこうした問題の是正もまた急がれる。
*5 軍事作戦は人道介入と自衛を目的としており、長期に及ぶものではないと説明されている。
*6 オバマ大統領は、国連総会が開催される9月22日の週に安保理国首脳会議の開催を計画している。
*7 国連人権高等弁務官のピレイ氏は8月22日、死者数19万1369人、難民300万人、国内避難民640万人と発表。
*8 イギリスのハモンド外相も、8月22日のBBCのインタビューで、アサド政権との協力の可能性について「賢明でも有益でもない」と否定した。
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近年、イスラム過激派組織が国際政治の場で「脅威」と捉えられ、対応に迫られるケースが増えている。
こうしたイスラム過激派の動きは、1996年にアフガニスタンで「タリバン」が政権を樹立して以降、2001年の9.11の米同時多発テロを実行した「アルカイダ」による反欧米テロ活動が中心であった。
ここ数年は、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)やボコ・ハラムなど「アルカイダ系」といわれる組織のテロ活動も活発化している。
そして、現在、最も注目されているのが、イラクとシリアの国境地域で支配領域を急速に広げている「イスラム国」である。
以下では、この「イスラム国」について概観し、なぜ、このようなイスラム過激思想が一部のイスラム教徒の間に広がっているのかを考えてみる。
<イスラム国>
2014年6月10日、イラクのモスルを制圧した「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)(*1)は、同月19日に名称を「イスラム国」(IS)に変更した。
そして、その支配する領域で、預言者の代理人を首長とする歴史的体制である「カリフ制」を敷くと宣言、カリフにはアブ・バクル・アブ・バグダディが就くことが表明された。
バグダディは1971年にイラクのサマラで生まれ、バグダード大学でイスラム学の学位を修得したといわれている。その後、2010年に、イラクで活動する「アルカイダ系」組織「イラク・イスラム国」(*2)の第3代目の指導者に就任している。
バグダディは、2011年に「アルカイダ」の指導者オサマ・ビン・ラディンが米軍により殺害された後、同組織の指導者となったアイマン・ザワヒリ容疑者(*3)に忠誠を誓わず、独自の戦略をとるようになった。
「アルカイダ」との大きな違いは、支配領域を形成していることである。
ザワヒリ容疑者は、これまで通り人的ネットワークで組織を維持し、領域を設定しない戦略を取っており、バグダディは「国家」の樹立を目指している。
この戦略の違いは、1988年にムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザームとその弟子であったビンラディンとの路線対立でも見られた。
当時、アッザームはアフガイスタンで一定の領域を支配し、活動を強化する戦略を唱えていたといわれている。
これに対し、ビンラディンは、世界各地でのテロ作戦という戦術を取るべきと主張していたとされている。
その後、1989年にアッザームは暗殺され、アルカイダの武装闘争は国際テロ活動が中心となった(*4)。
二人の路線対立は、活動目的の重点をどこにおくかの違いから生じたと考えることができる。
つまり、アッザームは、イスラム法にもとづく国づくりを目的とし、ビンラディンは、聖戦によりイスラム地域を異教徒の侵略から守ることを目的としていたといえる。
アッザームと同様の目的で動いているといえる「イスラム国」は、また「アルカイダ」よりも、1996年にアフガニスタンの領土の約90%を支配下に置いたこともあるタリバンに似ている。
タリバンに対し、国際社会は2001年に国際治安支援部隊をアフガニスタンに駐留させて以降、今日でも対応に苦慮しており、今年末に予定されている米軍撤退後の情勢に懸念が残っている。
このことから考えると、現在までにシリア領土の約35%とイラクの西部地域を支配下に置くほどに拡大している「イスラム国」を武力で制圧するには、かなりの時間とコストが必要だといえそうだ。
タリバンの資金源は、ケシ栽培からつくった麻薬の密売である。
一方、「イスラム国」は、支配下に置いた油田からの原油や石油製品の販売により資金を得ている(1か月1億ドル以上)。
また、国際社会が対ソ連用として抵抗勢力に供与した武器を使ってタリバンが「アフガニスタン・イスラム首長国」をつくったのと同様に、アサド政権打倒のために反体制派に送られた武器が、「イスラム国」で使われている。
このように構図は似ているが、資金(「デイリーミラー」の報道では2567億円)、武器(イラク軍から奪ったものも含む)ともにタリバンをしのぐ「イスラム国」は、国際社会にとって大変な脅威だといえる。
*1 「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)とも呼ばれる。
*2 2006年10月に「タウヒードとジハード集団」から名称を変更。
*3 エジプト人。医師。エジプトでジハード団に参加、収監された経歴を持つ。後にアルカイダに参加、副官となった。
*4 アルカイダが行った主なテロ事件は次の通り。
1993年 世界貿易センター爆破事件
1996年 サウジアラビアの米軍基地爆破事件
1998年 ケニア、タンザニアの米大使館爆破事件
2000年 イエメン沖の米艦コール襲撃事件
2001年 米国同時多発テロ事件
2004年 スペインでの列車爆破事件
2005年 ロンドン同時多発テロ事件
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