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大学は夏休みに入ったが、入試関係の学務に携わる者は昔と異なり、オープンキャンパスや指定校試験などの新たな入試関係業務に多くの時間を割かねばならなくなっている。このような制度(システム)が日本社会に定着したことは、受験生のニーズを認識し、新市場の開拓者がいたことを意味する。その一方、入学試験を見ても推薦、AO入試、センター試験、個々の大学の一般試験などが混在し、大学の入試関係者や高校の進路関係者、そして受験生にとっても、煩雑な状況となっている。 こうした複雑な状況は、どの社会でも見られることではないだろうか。それは、大きく変化することを恐れ、人間が本質的に持っている保守的性向が働き、小手先の修正を重ねてきた結果とも言える。大学を例にとれば、受験生の新たなニーズへの対応と、それまでの入試の考え方が混在している状況となっている。近年、複雑化する社会において、この大学の例のような情況が増えているのではないだろうか。その背景には、高度情報化社会の発達がある。様々に区切られた空間で生きる人間が、他の空間の情報をより早くより多く入手できるようになったことで、新たな変化やニーズへの対処にせまられるようになったのである。 しかし、その一方、対処だけで満足してしまうことも多くなったのではないだろうか。大学入学試験についていえば、学生募集のみを意識した改革で終わっている大学もある。その一方、日本のみならず世界の変化を意識して組織自体の改変ができている大学もある。前者は、先見性よりも過去の実績を重視する傾向が見られる。大学の個性(文化的価値体系)に固執しすぎ、大学を維持するためのシステム、組織のイノベーションを起こすことを嫌ったり、途中でブレーキをかけているようである。その結果、対処のみで問題は本質的には解決されない状況となる。 日本の大学は他の企業に比して、イノベーションに関して保守的であるように思う。何故だろうか。おそらく、「権威」の重視という文化的価値によって組織の秩序を保ってきたからかもしれない。また、流動性のなさも一因であろう。「良き研究者は良き教育者か」「良き研究であれば良いマネジメントができるのか」と問えば、ごく少数を除けば答えは「No」であろう。欧米の大学では、これらの役割は明確に分担されており、各役割はそれに適した能力、実績ある人物が担うようになっている。そして各役割が有機的に連携できるよう組織全体を束ね、方向性を示すリーダーが存在している。 こうした日本の大学組織の状況を「日本の政党」に置き換えて見ることもできそうである。世界の大きな変化と共に日本の有権者も変化している。各政党が小手先の変化で満足している限り、有権者の心をつかむことは難しいといえるかもしれない。
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