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ドバイ・ショックから1ヶ月経った12月24日、その震源地を訪れた。ドバイの定点観測をはじめて4回目、3年連続の訪問となったが、今回が一番落ち着いた街の姿をしていた感がある。 都市開発はまだ継続中だが、空港が拡大され、メトロの運行開始など着工されていた事業の一部が完成期を迎えており、来年1月4日には世界一高いビルとなるブルジュ・ドバイの完成式がある。この冬もリゾート地として、ヨーロッパやインド、アフリカ、アジアからの観光客が数多く訪れている。グローバル・シティーとしてのドバイ・ブランドが世界的に確立されていると言えそうだ。 出発前まで、建設クレーンが止まり、500億ドルとも言われるドバイワールドの債務返済が難局を迎え、ドバイの株式総額が1ヶ月間で70億ドルも縮小した等々の記事を日本国内で見聞きしていたため、暗いドバイのイメージを持っていた。しかし、訪問してみてその印象は変わった。 現地に住む人々の多くは、冷静に過ごしているように見えた。「日本の不動産バブルやITバブルの時と同じだよ」と話してくれたビジネスマンの言葉が印象的であった。そして、思いもよらなかったのだが、このビジネスマンは日本の政治、経済の危うさを指摘した。 海外から日本を眺めると、現地で放映されている日本発の番組内容、放送方法の目的の曖昧さが気になる。それは日本の政治、経済の方向性の曖昧さを映し出していると、海外の人々には見えるのかもしれない。私がドバイを自身の目で見るまで抱いていた暗いイメージと同様に、曖昧な情報発信が海外の人々に現実と異なる日本イメージを与えているのではないだろうか。 しかし、それだけではない、とも思う。開かれたドバイの街の一角に立っていると、現在の日本社会の封鎖性、流動性の乏しさを感じさせられた。そして、かつてイギリスの植民地化に置かれていたエジプトの姿を見た日本人が、世界における日本の立ち位置を必死に見出し、条約改正や近代国家を作り上げることに努めたことについて考えさせられた。また、福澤諭吉の『西洋事情』、中村正直の『西国立志編』、内田正雄の『奥地誌路』、和辻哲郎の『風土』など明治の人々に世界を認識させた数々の名著が世に出され、多くの日本人がこの国を必死で育てたことも。そこには危機感があった。 その後、日本はこうした多く人々の努力によって築かれたものを、それよりも僅かな人数によって壊していった。そして、今日、危機感を抱くべきグローバル化の中で、どれだけの日本人が明治初期の人々のような意識を抱いているだろうか。 ドバイのビジネスマンは、中国の未来を、アジアの安全保障を、そして日米関係を語った。その言葉から導き出される日本の近未来は決して明るくない。 近刊のフォーリン・アフェアーズ誌では、1986年の対日貿易の赤字が増大した時期に米国で話題となった「日本異質論」が再び取り上げられている。その中で、トルコの次のことわざが紹介されている。「優れた制度を書くには100人の賢者が必要だが、それを壊すには1人の愚か者で十分」。 今の日本社会に必要なのは、改革の名のもとでの制度破壊ではなく、世界とともに生きて行くための理念、次世代に伝え継ぐべき理念を多くの識者により熟議し創り上げることではないだろうか。そして、その理念を実現するためにさらに多くの人々が努力することではないだろうか。それは、時空の短縮という世界的変革期に、心の開国を迫られている日本人の課題であるように思う。 2009年も本ブログを訪問くださり有り難うございました。2010年も引き続き、執筆し続ける所存です。それが少しでも熟議の契機となることを祈りつつ。
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2009年12月30日
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