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2月10日、イラン革命30周年を祝う式典がテヘランで開催された。この数万人が集まった式典で、アハマディネジャド大統領は演説の中で対米関係に言及し「互いに尊重し、公平な条件の下でなら対話の用意がある」と語ったと報じられた。
このイラン革命は、フランス革命、ロシア革命、文化大革命と並んで大衆により体制が打倒されたものとして位置づけられている。同革命を前にした1978年9月、日本は総理(福田赳夫氏)の初めての中東訪問を予定しており、関係者はイランの動向に注目していた。イラン革命は、79年2月に達成されるが、78年から既に反体制運動は全国的な広がりを見せていた。この革命のうねりに日本外務省はあまり重きを置かなかったのか、イランに総理を訪問させてしまった。そして、結局はイランでの日程を急遽短縮して予定していなかったカタールを訪問させ、その後の日程を調整したという苦い経験がある。 さて、ここでこの話を紹介した理由は、2月16日に予定されている、今後の日本外交にとって重要なポイントとなるであろうクリントン米国務長官の日本訪問と、当時の状況に似た点があるように思ったからである。 当時、日本は対イラン外交に関して、パーラビ政権と官民ともに強いパイプがあり“手に取るように国内情勢がわかる”という過信があった。そうした中、地方都市や都市の市民レベルと接点を持っていたイラン在住の日本人からは、在イラン日本大使館や外務省にも情報が送られていた。また、外国メディアもイラン情勢の悪化を刻々と伝えていた。しかし、公開情報資料や市民レベルの情報資料よりも、高い地位の情報提供者からの一次情報に重きを置く情報処理スタイルに頼りすぎたため、イランの変化をリアルタイムに掴むことができず、状況を誤認することになったのだろう。 あれから30年が経った。果たして日本政府の情報収集・分析システムは変わったのだろうか。2007年2月、参議院の国際問題に関する調査会で参考人として、複数の情報分析官の設置と公開情報資料を分析する公的機関の設立を提言した。その後、多数の方から同じ様な意見が出されたのだろう、情報分析官による国家情勢分析が実施されるようになった。しかし現在、米国のオバマ政権の外交政策について、どれだけ公開情報資料の分析が行われているのかと不安を覚える。これまでどおり、日米両国の専門家や有識者と呼ばれる方々の意見や国防省、国務省関係者との事前協議という“定番”の情報分析だけで対応が決定されていないだろうか。たとえ、総理が外務大臣経験者であるとはいえ、国内の政局が混乱を極めている現在、外交問題に関する状況がどれだけ認識できているだろうかと危惧される。 クリントン国務長官としては“オバマ政権は日本を軽視している”と見られることは米国のアジア政策にとって得ではないと考え、本格協議を行う中国訪問前に日本訪問を実施することにしたとも考えられる。当然、日本政府は今回の米中協議に関する情報収集・分析を中国、米国においても行っていると思うが、その協議の結果が今後の日本に及ぼす影響はこれまで以上に大きいことは明白である。したがって、できるだけ広範囲に情報を収集し、リアルタイムに米中関係を捉える必要がある。 今後数日間は、米国の経済対策法案の成立、G7蔵相会議、そして国内総生産1位の米国と2位の日本、3位の中国が協議を行う重要な時期である。その中で、日本がイラン革命当時のような失態を犯さないことを願う。 |
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2009年02月13日
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