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2010年という切れ目の良い年を迎え、今後の日本のあり方を考えさせられる特集が新聞や雑誌で数多く取り上げられている。その中で、日本経済新聞(1月4日付)の「経済教室」に掲載された日本の「削ぎ落とす」(引き算の)文化に注目した今井賢一氏(スタンフォード大学名誉シニアフェロー)の論考を大変興味深く読んだ。 茶道、華道をはじめ伝統的な日本文化には、本質的なものを見極め、それを活かすためにはそれ以外のものをあえて削ぎ落とすという手法がとられることがある。日本で育まれてきた侘び、寂びを好しとする文化は世界で稀だといえるだろう。 また、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山好古のように、何が重要かを考えるためには単純明快さが大切であり、生活は質素を旨とする賢人もいた。 このような侘び、寂びや質素という言葉は、不景気の中にあって「デコ」がもてはやされる現代の日本では死語になりつつあるのかもしれない。 伝統的な削ぎ落とす手法を省みず、足すことのみ追求する社会は、「足るを知る」ことが難しい社会であると言い換えられるだろう。 そうした現代の日本人の欲求に任せ、あれもこれもと足していき、終いには、その重みに耐えられず崩壊していくような経済成長戦略は、果たして次世代にとって良いものなのだろうか。 日本の社会空間には、本質を見極め削ぎ落とすことで創られてきた建造物や街、制度、文化などの特性が存在してきた。だからこそ近隣のアジア地域や欧米などからの文化を取り入れ、それを咀嚼し変換を重ねて世界レベルの文化水準を維持してきたとも言える。 日本の基層文化の上に塗り重ねられた欧米的な政治思想についても、本質的なところを見極め、不要な部分は削ぎ落としつつ日本文化の本質と融合させていく。今こそ、政治家だけでなく、日本人一人ひとりがその作業を行う必要があるように私には思える。 例えば、予算を取ってみても、単なる「仕分け」ではなく、これからの日本にとって必要なものは何かという本質を見極めて「削ぎ落とす」ことが重要であろう。そうした覚悟をもち実行できることが、政治家の前提条件だと考える。また、日本人一人ひとりがそうした人物を見極める目を持たねばならない。 一方で、幾つになっても足るを知ることができない人間が多いのも事実である。かく言う私もその1人である。だからこそ、せめて本質を見極めたいと思う気構えだけは持とう、と年初に思う。
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