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明日、東日本大震災から半年、そして米国同時多発テロから10年を迎える。
どちらの出来事も、その後の社会を大きく変えた。
 
長年、中東社会を見つめ、この10年間は「テロとの戦い」も見てきた身として、今、「多文化共生」という理想の実現におぼつかなさを感じている。
国際社会では相互依存や移動性が高まっており、多くの場所で異文化接触は日常と化している。
その異文化接触によって生じる人々の行動パターンは、(1)排他主義、(2)包括主義、(3)多元主義に大別できそうだ。
排他主義は、自分の立場を絶対視し、他文化を否定的に見る傾向が強い。
包括主義は、他文化を理解するが、その内容は自文化の中に内在しているものだとして、他文化を自文化に包括してしまう。
多元主義は、文化の違いを違いとして理解しようとする。
 
排他主義の具体例を挙げると、9.11テロ事件の犯人たちは排他主義的であり、ジハード(聖戦)を唱えて他文化に対応している。
一方、テロの対象となった米国社会にも(1)宗教的観点、(2)地域性などから排他主義的に行動する人々は少なからずいる。特に、9.11テロ事件後の米国社会では、イスラム教徒や西アジアの人々との厳しい文化摩擦が起きてきた。アラブ系の人々の中には、暴力や差別により被害を受けた者もいる。
これは、ハーバード大学の故ハンチントン教授が、指摘した「文明の衝突」の表れだといえるのではないだろうか。
 
次に、包括主義の例を挙げよう。一神教には共通性が高い六信(神、経典、天使、預言者、来世、予定)がある。この共通性をもとに、他者が信じる神への立場は自分が信じる神の教えの中に含まれているとして、他の一神教を理解してしまうのである。一見、共生ができているように見えるが、包括した側は自分の立場を変容させる柔軟性に乏しく、包括された側からの強い反発が見られる。
 
多元主義には2つのパターンがある。エベレストに登頂するためのルートは複数あり、1つのパーティーの各人が身勝手に好きなルートを選択して登ろうとすると、そのパーティーの頂上到達は遠のく、というのが1つ目のパターンである。2つ目は、登頂を目指すという点では一致しているが、目指す山頂自体が異なるというものである。
違いを違いとして相互に理解しようとする点は評価できる。しかし、欧米諸国のキリスト教文化をベースとする社会で暮らしているキリスト教徒とイスラム教徒の間に生じている摩擦を見れば、多文化主義の問題点がわかるだろう。
 
9.11テロ事件から10年。異なる価値観・文化の人々との共存について語られ続けてきた。しかし、9.11事件で死亡した人々の数(2976人、90か国以上)をはるかに超える人々が、その後のテロ事件および「テロとの戦い」(アフガニスタン、イラクなど)で亡くなった。その数は、224000人とも257000人とも言われている。
そのことに鑑みれば、多文化共生は幻想だとも思える。
そこで、山を登ることだけを考えるのをやめて、「いろいろな山を登る者もいれば、下る者もいる」という現実を見つめて、公議しあうことが重要となる。
東日本大震災の復興においても、このような観点で国民的な公議がなされないことが残念である。
 

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