過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

201012月、チュニジアの中南部で発生した市民の抗議運動が、翌2011114日には約23年間に及びこの国を支配してきたベン・アリ体制を崩壊させた。それから2年余りを経たチュニジア訪問の印象は、次の3点に集約される。
1.民主主義という制度の定着にはまだ多くの時間を必要とする。
2.世俗主義とイスラム主義の対立は根深い。
3.反ベン・アリ政権の運動における国内活動家と国外亡命活動家との間の、新国家ビジョンに関する違いは大きい。
 
中東関連のウェブサイトで指摘されているように、「革命は失敗だと早合点してはいけない」のであり、歴史に近道はなく、アラブ市民もフランス革命のジャコバン党期のように自由を求めて厳しい道のりを歩みはじめたことは確かだ。
 
中東地域での革命と言えば、1979年にイランでパーラビ王朝を打倒したイラン・イスラム革命が想起される。この革命はその後、イラン・イラク戦争、ソ連によるアフガニスタン侵攻を引き起こした。
そしてイラン・イラク戦争はさらに、湾岸戦争、イラク戦争へと連鎖していった。また、ソ連のアフガン侵攻は、聖戦(ジハード)、殉教とイスラム過激思想とを結びつける国際テロ・グループであるアルカイダを台頭させた。
このイラン革命と、2011年のチュニジアの革命との類似点はあるのだろうか。以下に、この2つを比較することで、チュニジアの近未来の方向性について考えてみようと思う。
 
1.外観上の比較
まず、女性の服装についてであるが、チュニジアでもスカーフやニカブを着用する女性が増加している。しかし、イランよりも女性の自由度は高い。チュニスの街中ではカップルも珍しくない。また、お酒や豚肉が購入できるスーパーがある。
これらの点から、イスラム的な生活規範を求める「ソーシャルプレッシャー」は、イラン革命時に比してそう強くはないと言える。
イランの場合、「革命ガード」や「革命裁判所」がつくられ、非イスラム的行為を厳しく取り締まり、シャリーア(イスラム法)を実質的な基準として人々の行動を規制していた。
今後のチュニジアの注目点の一つは、このような革命の成果を守るための考え方、組織、制度が、どのような形で生成するか、である。
 
2.政治プロセスの比較
政治プロセス(憲政選挙、憲法制定、選挙、議会運営)の過程で、利益集団間の対立が、議会や選挙などの政治段階で止まるかどうかである。
チュニジアでは、今年26日に野党「民主愛国主義者運動」のベライド党首が暗殺された。また、同国の内務省が220日に発表したところによれば、多数のカラシニコフ銃、ロケット弾などの爆発物が貯蔵されていた家屋を捜索し、関係者の身柄を拘束した。
イラン革命では、左派勢力からイスラム主義者まで王政打倒で統一的行動がとられた。しかし、その後、利益集団間の政治路線対立が武力闘争化し、テロや暗殺が起き、多くの犠牲者が出た。その過程で、イスラム法学者による統治体制(ヴェラヤテファギーハ)が形成され今日に至っている。
チュニジアでの注目点は、与党第一党の「アンナハダ」が、憲法制定、その後の議会選挙までにどのような体制強化を図っていくかである。
現地では、治安関係をはじめ政府機関にアンナハダ関係者の登用が目立っているため市民の不満の声が強い。
 
3.政治指導者の目指す統治
イラン革命では、シーア派の法学者で大アヤトラの称号を有したホメイニ師が指導者としてリードしていった。同師は、反体制活動により1964年国外に追放され、トルコ、イラクのナジャフ、そしてパリで亡命生活を送った後、19792月、15年ぶりに帰国した。同師は、ナジャフ時代にイスラム法学者の「統治論」をイスラム法学校で講義するなど、イラン市民にとって「法の根源」(マルジャエ・タクリード)的存在であった。
チュニジアにおいては、ラシード・ガンヌーシ氏が、ロンドンでの22年間の亡命生活を経て2011130日に帰国した。その後、同氏はアンナハダの党首として影響力を増している。ガンヌーシ党首は、198184年、8788年と2度の投獄生活を送るなどベン・アリ時代に反体制活動の中心的存在であった。しかし、今回の革命は、一般市民の仕事を要求する運動の波が労働組合組織の力などが合わさってベン・アリ政権打倒へと向かっていったとの見方があり、最後の部分でアンナハダが「革命を乗っ取った」との声も聞かれる。
ホメイニ師とガンヌーシ党首の目指す統治のあり方は違っている。ガンヌーシ党首はイラン型のイスラム法学者の統治ではなく、現在のトルコに近い「イスラム(寄りの)政党」による政治運営を目指していると考えられる。
しかし、「イスラム(寄りの)政党」の中身については、アンナハダ内部に穏健派とイスラム過激派(サラフィスト)との対立を抱えるようになっている。219日、同党の穏健派のジェバリ首相がテクノクラート中心の組閣を試みるも失敗に終わり辞任したのは、ガンヌーシ党首の反対があったためであり、象徴的な出来事だと言える。
 
 
4.革命が及ぼす影響
イラン革命は、イスラム復興運動を表舞台へと踊り出させた。一方、チュニジアでの革命もアラブ諸国に民主化、自由化の波を起こし、エジプト、リビア、イエメンでの政権交代、シリアでの内戦、バーレーン、ヨルダンなどでの反体制運動の活発化など歴史的な市民運動を生んでいる。
しかし、イラン革命後にイスラムが復興し、中東地域で政治不安が生まれた時とは大きな違いがある。
現在、中東諸国では、国内的には教育水準、経済水準が底上げされ、若者の雇用問題や富の格差問題などの解決が求められている。また、外的にはインターネットやグローバルメディアの発達、国際制度化が浸透し相互依存度が高まっている。
したがって、チュニジアの革命は、やはり、中東諸国が市民社会の形成への道のりを歩みはじめるという構造的な変化の起点となったと言えるのではないだろうか。

全1ページ

[1]


.
cigvi2006
cigvi2006
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事