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1950年末から60年代初頭にかけて、日本の国際政治研究の舞台で、坂本義和 氏(東京大学)と高坂正堯 氏(京都大学)が、平和と安定の条件としての勢力均衡について学術論争を展開した。今日の国際社会は勢力均衡を保つことで平和と安定が維持されているとの現実的な観点で、高坂氏は勢力均衡の重要性を指摘した。一方、坂本氏は、古典的な勢力均衡は負けないための軍事力増強にあることに着目して勢力均衡の脆弱性と危険性について指摘し、日本の防衛における中立性の必要に言及した。
さて、この力者の論争を踏まえて、5月7日のケリー国務長官のロシア首脳とのシリア問題についての外交交渉(プーチン大統領と2時間以上、ラブロフ外相と3時間)を考察してみよう。
私の分析の結論は、ケリー・ラブロフ会談後の共同記者会見で提示された「昨年6月に発表された移行政府構想」への回帰では「勢力均衡」をとることができず、シリアの再建に向けて「協調」することが難しいというものだ。
第1に、現在、シリアの勢力バランスは次のようなものだ。
まず、反体制側はアル・ヌスラ戦線(アルカイダに関係していると指摘されている)を窓口とする外国のスンニー派戦士の増加や、バッシャール・アサド体制から離反した戦闘員の増加が見られている。一方、体制側は兵力・装備ともに反体制側を上回っている。またレバノンのシーア派勢力でイランの支援を受けているヒズボラ(神の党)から、体制を支援するためシリア領内に2000〜2500人が作戦行動に加わっているとされている(米政府の分析)。
こうしたアサド体制が有利な状況であっても戦闘が長期化する方向にある。このため、(1)アサド体制を維持したままでの解決も、(2)反体制派が和平会議参加の条件としているバッシャール・アサドの退任のどちらにも情勢を動かすことが難しくなっている。
また、仮に装備の面で勢力均衡をはかるためにカタール、サウジアラビアに加え欧米が反体制勢力に武器支援を行うとなると、平和を導き出す会議の開催どころか、一般市民の死傷者や難民が増加することになると考えられる。
第2に、「移行政府構想」自体の実現性を検討してみよう・
この構想は昨年6月に米・ロ、他の常任理事国にシリア周辺国、国連、アラブ連盟、EU連合が加わり、ジュネーブで合意されたものである。同合意の功労者は、今回の米ロ会談の結果を「希望が持てるニュース」だと歓迎した国連・アラブ連合のシリア担当合同特別代表ブラヒミ氏である。
この合意の概略のプロセスは、(1)バッシャール・アサド大統領がその職に留まりながらもシャラ副大統領の下で反対勢力との協議によって移行体制をつくり、(2)それをもってアサド氏が一時退任、(3)その後、新体制を決める選挙を実施するが、同選挙にアサド氏が立候補することは妨げないというものであった。また、バッシャール・アサド氏および政権関係者の内戦の責任は問われないとされた。同合意がつくられた時点では、シリアへの内政干渉をやめて、その国の政治指導者は「国民」の決定に委ねるべきとのロシアや中国の意見を尊重し、少なくともシリアの一般市民の犠牲者の増加を抑えようとの考えが共有されていた。しかし、現実にはバッシャール・アサド氏と反体制勢力との意見調整ができず政治プロセスは絵に描いた餅となっている。
今回も、アラブ連盟やフランスがシリア国民の正当な代表と認めている反体制勢力の統一組織「シリア国民連合」の一部から米ロの声明に対して不満の声が出ている。また、これまで国際社会は、「シリアの友人会合」を重ねて開催し、反体制勢力を支援してきた。
こうしたことに鑑みれば、昨年のジュネーブ合意への回帰ではシリア問題を解決することは難しいだろう。特に、(1)昨年6月同様、バッシャール・アサド氏の退陣のタイミング問題が曖昧なままである、(2)選挙を実施するにしても難民が帰還できるのか、有権者登録や選挙区割りなどの民主化の手続きをどのように進めるのかといった早期には解決できない問題がある。
何よりも、現在、シリア問題に関して、同国内での(1)化学兵器使用問題、(2)イスラエルによるシリア領への空爆、そして(3)レバノンにおける親シリア派と反シリア派の戦闘、(4)ヒズボラのナスラッラー指導者のゴラン高原解放発言(5月9日)(5)ヨルダン、トルコ、レバノンでのシリア難民の影響の増大などさまざまな情勢の悪化が起きている。この状況を、単なる回帰で切り抜けることはできない。
ここで注目したい点は、シリアと周辺諸国の間に緩衝地帯を設置するという動きである。トルコはシリア領からの砲撃を受けており、緩衝地帯構想を主張してきた。またヨルダンについては、今年4月に米軍の派遣が公表され、緩衝地帯設置計画が報道で流れている。
緩衝地帯が設置されれば、短期的には周辺諸国への難民流入を止め、治安・経済の安定に資することになるだろう。さらに、仮にシリア領内に設置することができれば、同国内にアサド政権の統治が及ばない地域ができることになり、そこに反体制派の拠点がつくられることになるだろう。
加えて、イラクでかつて米英が飛行禁止空域を設けたように、NATOによる空域管理がともなうことも考えられる(ロシアはシリアへの地対空ミサイルS3000の輸出中止を条件にこれを阻止する構え)。
また、緩衝地帯の難民を加えたかたちでの選挙で、シリア国民に将来の選択をしてもらうことも可能となる。
問題は、バッシャール・アサド氏が移行体制に入らないという状況をつくることができるか、また、仮につくることができたとして、現在の権力を実質的に手放すかどうかである。そのためのひとつの手立てとして、「化学兵器使用問題の追及」をカードとして、緩衝地帯や飛行禁止空域設置などを政治的交渉で勝ち取ることがあるだろう。
このように見ていくと、限定された地域の紛争では、勢力均衡による平和構築は難しいと言えるだろう。むしろ、対立する人々の「死への恐怖」を双方からバランスよく取り除いていくことに対して国際協調をつくりあげていくことを優先すべきだろう。
その意味で、イギリスのキャメロン首相のロシア訪問(5月10日)、米国訪問(同月13日予定)、そして5月末の国際会議を前にしての周辺国の動き、6月の先進国首脳会議というシリアをめぐる外交が注目される。
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中東地域情勢
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5月4日、ロイター通信、AP通信は、5月2日深夜から複数回に渡り、イスラエル軍がシリアのダマスカス近郊に空爆を行ったと報じた(国営シリア・アラブ通信はジャムラヤの科学研究センターが攻撃されたと報じている)。空爆はレバノン上空を通過して実施された。
攻撃の目的は、シリアの大量破壊兵器など高度な武器がレバノンのシーア派のヒズボラ勢力にわたることを阻止することだったと伝えられている。
この件について、イスラエルの軍報道官は、「この種の報道にはコメントしない」と述べている。
しかし、ロイター通信は、イスラエルのネタニヤフ首相が、同攻撃を木曜日夜の安全保障閣僚会議で決定したと報じている。また、AFPはレバノン外交筋の話として、今回の作戦は、最近ロシアからシリアに運び込まれた地対空ミサイルが攻撃の対象になったと報じている(標的は、ヒズボラ向けのイランのファテフ110地対地ミサイルだったとの報道も流れている)。
仮に、イスラエルが今回の作戦を実施したとすると、今年1月に続き2回目のシリア領内への空爆となる。
中東地域の報道では、シリア内戦での死者がすでに7万人以上に達しており、イスラエルによると見られる今回の軍事行動が、レバノンでの内部対立の激化や、シリア・イスラエル間の軍事衝突へと事態を悪化させることを懸念する一部の市民の声が伝えられている。
レバノンでは、すでに2012年2月、トリポリでアサド支持者のアラウィ派とスンニー派の間で銃撃戦が起きている。また、この5月2日には、ヒズボラの最高指導者ナスラッラー師が、米国やイスラエルがアサド政権転覆を図った場合、これを阻止するために介入すると警告を出している。
このヒズボラはシリア国境地域において、すでにシリアの反政府勢力と交戦しているとの報道もあり、レバノン―シリア―イラク―イランというシーア派三日月地帯を固めるために動いている。
今後のシナリオについてであるが、シリアの外務副大臣が「報復」に言及しているが、イスラエルの攻撃であることが実証できない限り、シリア側は「自衛権の行使」としての武力行動はとれないだろう。
したがって、過去の事例に鑑みれば(1)イスラエル国内でのテロ、(2)南レバノンでのイスラエル軍とヒズボラの軍事衝突、(3)ゴラン高原からのイスラエル領への攻撃が考えられる。
アサド政権がこれを超えて対イスラエル軍事行動を選択する蓋然性は低いと考えられる。
ただし、米国のオバマ政権は、シリア政府軍の化学兵器使用問題で地上部隊を派遣しないとしながらも、「レッドライン」を超えたことを確認すれば、国連やNATO軍などを使い、シリアに対する圧力を高めざるを得なくなるだろう。
そうなると、アサド大統領が強硬な対応策を選択する蓋然性は高くなることは確かだ。
国際社会のシリア内戦への対応が遅れている結果、難民の大量流出問題をはじめシリア周辺国への悪影響が拡大している。
今後の注目点は、米国のケリー国務長官のロシア訪問(来週予定)、ネタニヤフ首相の中国訪問、そして米国の新型特殊貫通弾(バンカーバスター)開発の公表を受けたイランがシリア支援をどう変化させるか、である。
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2月28日、ローマで「シリアの友人たち」(Friends of Syria)が開催された。この会合で、ケリー米国務長官が、シリアの「解放された地域」の再生と食糧・医薬品の供給などに対する6000万ドル(約55億円)の非軍事支援を発表した。
その後、3月6日にはアラブ連盟が閣僚級会合をカイロで開催し、「シリア国民連合」に対しシリアの代表として参加を認めるとともに、反アサド側への武器供与を表明した。
現在、アサド大統領を支援するため、レバノンのヒズボラ、イラクの反米強硬派のムクタダ・サドル・グループなどのシーア派がシリアに入国し、「自由シリア軍」との戦闘に加わっている。
構図としては、シリアを主戦場とする、湾岸アラブ産油国(指導体制はスンニー派)とイラン(指導体制はシーア派)との代理戦争となっている感がある。
戦局としては、3月4日に反体制派がラッカ州を制圧し、アサド政権はトルコとの国境(904㎞)沿いの北部での支配力を失いつつある。
注目されるのは、中部の西海岸地域(アラウィ派が多く住んでいる地域)とダマスカスを結ぶ回廊地域をアサド政権側が確保し続けられるかどうかである。
このため、ホムス、ハマの攻防は激しいものとなっている。
アサド大統領が属するアラウィ派をはじめ、体制側にいる利益集団に属する人々は、内戦の勝利にその全存在をかけていると見られるため、今後も厳しい戦闘が続くと予想される。
シリア問題での外交交渉については、3月2日、国連の潘基文事務総長とブラヒミ特別代表がスイスで会談した後、アサド政権と反体制派の和平協議で仲介を務める用意がある旨を表明した。
一方、アサド政権側は、ムアレム外相がイランを訪問しサレヒ外相と3月2日に会談を持った。そして、その後の共同記者会見は、アサド大統領が来年予定されている大統領選挙に候補者の一人として出馬すると表明した。
また、アサド大統領自身も、英国のサンデー・タイムズ紙(3日付)のインタビューで、「われわれは誰とでも交渉する用意ができている」と語っている。しかし、辞任については「私が去れば戦闘が終わるという考えは、まったくばかげている」と述べ、意思がないことを示した。
シリア内戦では、現在、少なくとも7万人の死者と100万人の国外難民が出ている。
この難民の主要受け入れ国であるレバノン、ヨルダン、トルコ、イラクでは難民支援の努力を続けているものの、限界に近い状況の国もある。
3月12日から、トルコを訪問する。トルコは難民キャンプ建設で6億ドル以上を費やしている。その現状の一端を見聞できればと考えている。なお、3月12〜13日にイスタンブールでシリア国民連合が暫定首相を選出予定である。
こうしたシリアをめぐる情勢を、3月20日以降にブログで報告いたします。
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2010年12月、チュニジアの中南部で発生した市民の抗議運動が、翌2011年1月14日には約23年間に及びこの国を支配してきたベン・アリ体制を崩壊させた。それから2年余りを経たチュニジア訪問の印象は、次の3点に集約される。
1.民主主義という制度の定着にはまだ多くの時間を必要とする。
2.世俗主義とイスラム主義の対立は根深い。
3.反ベン・アリ政権の運動における国内活動家と国外亡命活動家との間の、新国家ビジョンに関する違いは大きい。
中東関連のウェブサイトで指摘されているように、「革命は失敗だと早合点してはいけない」のであり、歴史に近道はなく、アラブ市民もフランス革命のジャコバン党期のように自由を求めて厳しい道のりを歩みはじめたことは確かだ。
中東地域での革命と言えば、1979年にイランでパーラビ王朝を打倒したイラン・イスラム革命が想起される。この革命はその後、イラン・イラク戦争、ソ連によるアフガニスタン侵攻を引き起こした。
そしてイラン・イラク戦争はさらに、湾岸戦争、イラク戦争へと連鎖していった。また、ソ連のアフガン侵攻は、聖戦(ジハード)、殉教とイスラム過激思想とを結びつける国際テロ・グループであるアルカイダを台頭させた。
このイラン革命と、2011年のチュニジアの革命との類似点はあるのだろうか。以下に、この2つを比較することで、チュニジアの近未来の方向性について考えてみようと思う。
1.外観上の比較
まず、女性の服装についてであるが、チュニジアでもスカーフやニカブを着用する女性が増加している。しかし、イランよりも女性の自由度は高い。チュニスの街中ではカップルも珍しくない。また、お酒や豚肉が購入できるスーパーがある。
これらの点から、イスラム的な生活規範を求める「ソーシャルプレッシャー」は、イラン革命時に比してそう強くはないと言える。
イランの場合、「革命ガード」や「革命裁判所」がつくられ、非イスラム的行為を厳しく取り締まり、シャリーア(イスラム法)を実質的な基準として人々の行動を規制していた。
今後のチュニジアの注目点の一つは、このような革命の成果を守るための考え方、組織、制度が、どのような形で生成するか、である。
2.政治プロセスの比較
政治プロセス(憲政選挙、憲法制定、選挙、議会運営)の過程で、利益集団間の対立が、議会や選挙などの政治段階で止まるかどうかである。
チュニジアでは、今年2月6日に野党「民主愛国主義者運動」のベライド党首が暗殺された。また、同国の内務省が2月20日に発表したところによれば、多数のカラシニコフ銃、ロケット弾などの爆発物が貯蔵されていた家屋を捜索し、関係者の身柄を拘束した。
イラン革命では、左派勢力からイスラム主義者まで王政打倒で統一的行動がとられた。しかし、その後、利益集団間の政治路線対立が武力闘争化し、テロや暗殺が起き、多くの犠牲者が出た。その過程で、イスラム法学者による統治体制(ヴェラヤテファギーハ)が形成され今日に至っている。
チュニジアでの注目点は、与党第一党の「アンナハダ」が、憲法制定、その後の議会選挙までにどのような体制強化を図っていくかである。
現地では、治安関係をはじめ政府機関にアンナハダ関係者の登用が目立っているため市民の不満の声が強い。
3.政治指導者の目指す統治
イラン革命では、シーア派の法学者で大アヤトラの称号を有したホメイニ師が指導者としてリードしていった。同師は、反体制活動により1964年国外に追放され、トルコ、イラクのナジャフ、そしてパリで亡命生活を送った後、1979年2月、15年ぶりに帰国した。同師は、ナジャフ時代にイスラム法学者の「統治論」をイスラム法学校で講義するなど、イラン市民にとって「法の根源」(マルジャエ・タクリード)的存在であった。
チュニジアにおいては、ラシード・ガンヌーシ氏が、ロンドンでの22年間の亡命生活を経て2011年1月30日に帰国した。その後、同氏はアンナハダの党首として影響力を増している。ガンヌーシ党首は、1981〜84年、87〜88年と2度の投獄生活を送るなどベン・アリ時代に反体制活動の中心的存在であった。しかし、今回の革命は、一般市民の仕事を要求する運動の波が労働組合組織の力などが合わさってベン・アリ政権打倒へと向かっていったとの見方があり、最後の部分でアンナハダが「革命を乗っ取った」との声も聞かれる。
ホメイニ師とガンヌーシ党首の目指す統治のあり方は違っている。ガンヌーシ党首はイラン型のイスラム法学者の統治ではなく、現在のトルコに近い「イスラム(寄りの)政党」による政治運営を目指していると考えられる。
しかし、「イスラム(寄りの)政党」の中身については、アンナハダ内部に穏健派とイスラム過激派(サラフィスト)との対立を抱えるようになっている。2月19日、同党の穏健派のジェバリ首相がテクノクラート中心の組閣を試みるも失敗に終わり辞任したのは、ガンヌーシ党首の反対があったためであり、象徴的な出来事だと言える。
4.革命が及ぼす影響
イラン革命は、イスラム復興運動を表舞台へと踊り出させた。一方、チュニジアでの革命もアラブ諸国に民主化、自由化の波を起こし、エジプト、リビア、イエメンでの政権交代、シリアでの内戦、バーレーン、ヨルダンなどでの反体制運動の活発化など歴史的な市民運動を生んでいる。
しかし、イラン革命後にイスラムが復興し、中東地域で政治不安が生まれた時とは大きな違いがある。
現在、中東諸国では、国内的には教育水準、経済水準が底上げされ、若者の雇用問題や富の格差問題などの解決が求められている。また、外的にはインターネットやグローバルメディアの発達、国際制度化が浸透し相互依存度が高まっている。
したがって、チュニジアの革命は、やはり、中東諸国が市民社会の形成への道のりを歩みはじめるという構造的な変化の起点となったと言えるのではないだろうか。
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2月16日(土)、偶然、中東調査会勤務時代に御指導を賜った故 甲斐静馬 氏(『中東戦争』の著者)との思い出の地に立ち寄る機会を得た。
また、本日より、人生の師であった故 牟田口義郎 氏(元 地中海学会会長、元 中近東文化センター理事長)が著書『地中海のほとり』に書き記したチュニジアを訪問する。
1月にはアルジェリアでの人質事件があり、最近では2月18日のイラクでの爆撃テロ、同月16日のパキスタンのクウェッタでの自動車爆弾テロ、同16日のナイジェリアでの外国人誘拐事件など中東・イスラム圏での治安状況が悪化している。
その中での北アフリカ訪問となる。
チュニジアで火がついた市民による政変「アラブの春」から2年。その地の現状を自分の目で見ておこうと考えた。
チュニジアも、依然として失業問題、物価上昇という問題を抱えたままである上、観光業の低迷により経済的改善への道はまだ遠そうだ。
2月6日に野党「民主愛国党」の指導者ショクリ・ベライド氏が自宅前で暗殺され、8日から9日にはチュニスでは大規模抗議デモが発生している。
(今回のチュニス訪問で宿泊予定だったホテルは仏大使館に近く、通りが封鎖される可能性もあるため急きょ変更した。)
チュニジアの市民の多くは、わずか2年で、25年に及ぶベン・アリ政権の負の遺産を改善できるとは考えていないだろう。
しかし、明日への不安を誰しも胸に抱きつつの生活を送っていることが想像できる。
二人の恩師の教えを今一度、心に刻んで出発します。
またチュニジアの状況について報告したいと思います。
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